Temptation Eyes [The Grass Roots] 1970 (米15位 英なし)
[Harvey Price, Dan Walsh]
グラスルーツは1964年に結成されたが、当初はP.F.スローン(バリー・マクガイアの「Eve Of Destruction (明日なき世界)」 1965年
米1位を書いた人)とスティーブ・ヴァリというソングライター、プロデューサー・チームによる架空のグループだった。当時のポップス音楽業界ではよくある話で、その後ヒット曲が出て実体が必要となったため、13th
Floor というグループに話を持ちかけ、彼らがグラスルーツを名乗ることとなったという。スローンが西海岸から去った後、グループはヴァリのプロデュースで続々とヒットを生み出してゆく。所属レーベルのダンヒルは、ティーンエイジ・ポップスをターゲットとして設立されたレコード会社で、初期にはママス・アンド・パパス、後期にはスリー・ドッグ・ナイトがいたが、中期のメインはグラスルーツだった。ロブ・グリル(ベース、ボーカル)以外はメンバー交代があったが、ポップで親しみやすいロック・サウンドを売り物とし、特にブラスを大々的にフィーチャーして、インパクトのあるサウンドを確立した。「Temptation
Eyes (邦題 燃える瞳)」におけるかっこいいブラスのアレンジは、ローラ・ニーロやサイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」のオーケストレイションを担当したジミー・ハスケル。グループは1975年に解散したが、1982年ロブ・グリルにより再結成され、オールディーズ・コンサート等に出演している。当時日本では大変人気が高かったバンドで、私も「ペイン(恋の傷跡)」というタイトルのシングルを買った記憶がある(残念ながらこのレコードはずっと以前に手放してしまった)。これは日本のみのシングル・カットで、アメリカで発売されたベスト盤CDには収録されていない。この曲は長い間入手困難だったが、2004年に発売された日本編集のオムニバス・レコード「続・僕達の洋楽ヒット
Vol.8 '69-'70」に収録された。
[グラスルーツ その他のお勧め曲]
「Let's Live For Today(明日を生きよう)」 (1967年 米8位)、「Two Divided By Love (恋は二人のハーモニー)」(1971年 米16位)、「Sooner Or Later
(恋はすばやく)」(1971年 米9位)など
One Less Bell To Answer [The 5th Dimention] 1970 (米2位 英なし)
[Bert Bacharach, Hal David]
男性・女性各二人からなる黒人コーラスグループ、フィフス・ディメンションは、R&Bに白人的なポップスのセンスを融合したスタイルで、その後のAORの先駆者となり60年代後半から70年代前半にかけてチャートを賑わした。彼らの代表作のほとんどは、1970年までのソウルシティー・レーベル時代(日本からは東芝リバティーから発売)に集中していた。ベル・レコード移籍後は洗練度を増していったが、美人女性ボーカリストのマリリン・マックーに焦点が当てられ、ヒット曲のほとんどは彼女のソロボーカルに残りの3人がバックをつける構成となり、持ち味のひとつだったコーラスグループとしてのダイナミズムが失われていった。今聞くと、個人的には初期のR&Bの香りが残る全員歌唱のスタイルに心躍るものがあるが、当時のグループ生き残りを模索する過程では自然な選択だったものと思われる。
その後期の代表作と思われるのが、「One Less Bell To Answer」で、おなじみバカラック(作曲)、デビッド(作詞)の作品だ。「答えるベルがひとつ減っても 作る目玉焼きが一つ減っても 電話に出る人が一人減っても 私は幸せだったはずなのに でも泣いてばかり......」という失った恋の歌で、メロディーと歌詞のコンビネーションが絶妙の曲だ。これをマリリン・マックーが情感たっぷりに切々と歌い、何度聞いてもジーンとくる。恋を知らなかった当時に比べて、今聞くとその重みの違いを感じる。それだけいろいろ生きてきたことというわけか.......。バックの演奏は極めて洗練されているが、控えめで彼女の熱唱をしっかり盛り立てる。もう本当にパーフェクトなプロダクションだ。この曲には思い出がある。昔テレビ番組で「鬼警部アイアンサイド」という番組があり、レイモンド・バーが車椅子の警部を熱演していた。そのゲストにフィフス・ディメンションが実名で登場、詳しいプロットは忘れたが、犯罪に巻き込まれる内容だったと記憶している。その中でレコーディングと称してこの曲を歌うシーンがあったが、その記憶は50年経った今も鮮やかに残っている。
その後のフィフス・ディメンションは、マリリン・マックーがメンバーのビリー・デイビス・ジュニアーと結婚、1976年に独立したため消滅してしまう。二人は独立直後はヒット曲を出していたが、その後の活動は地味で、マリリンはテレビ音楽番組の司会なども勤め、現在もなお活動中という。時たま4人が再会してコンサートを行うこともあったようだが、2001年にメンバーのひとり、ロン・タウンゼントが病気で亡くなってしまったので、オリジナルメンバーの再結成はかなわぬ夢となってしまった。
ちなみに邦題は「悲しみは鐘の音とともに」。電話または玄関の呼び鈴が「鐘」とはねえ。彼らの場合、他にも名曲がたくさんあるので、ここでは「その他お勧め曲」の紹介はしません。
[2024年12月追記]
昔観たテレビ番組を「鬼警部アイアンサイド」と書きましたが、正しくは「スパイのライセンス(プロ・スパイ) 原題"It Takes A
Theif"」でした。ロバート・ワグナー扮するプレイボーイの泥棒「アレックス・マンデー」が諜報機関のエージェントとなって活躍するドラマで、米国での初放送は1970年2月23日。したがって私が日本で観たのはその後ということになる。そのことが分かったのは、ある日突然、YouTubeを観ていてフィフス・ディメンションがこの曲を演奏するシーンが目に飛び込んできたからだ。若い頃一度だけ観て印象に残っていた演奏風景を50年以上も経ってから再会でき、何とも言えない思いになった。スタジオ・レコーディングという設定のシーンで、音楽は口パクなんだけどベースやホーン奏者も映っていていかにも本物らしい感じ。マリリン・マックーはゴターを弾きながら歌っているが、左利きなんだ.........。
50年ぶりに出逢った若い頃の思い出との再会、生きててよかったなあ。
Love Song [Elton John] 1970 (チャートインなし)
[Lesley Duncan]
レスリー・ダンカン(1943-2010) は、英国最初の女性シンガー・アンド・ソングライターの一人と言われる。1970年代にBBC放送のラジオ等に出演しアルバムも出したが、スターになろうする野心がなかったこと、ステージ恐怖症だったことで、アーティストとしては大成せず、ダスティー・スプリングフィールド、ドノバン、ピンク・フロイドなどセッションのバック・ボーカリストとしての活動が多かった人だ。1980年代以降は結婚してスコットランドの島に移住し、音楽活動から離れたようだ。
そんな彼女が書いた曲「Love Song」をエルトン・ジョンが気に入り、彼の3枚目のアルバム「Tumbleweed Connection」1970に、彼女のアコースティック・ギターとハーモニー・ボーカル入りで収録した。そして彼女自身による録音は1971年のアルバム「Sing Children Sing」に収められた。シングルカットはされなかったが、シンプルでストレートな歌詞とメロディーが大変美しい曲で、一度聴いたら忘れ難い強烈な印象が残る。と言いながら、私は1970年代の若い頃、エルトンの「Tumbleweed Connection」を買ったのだが、当時はそれほど印象に残らなかったようで、ノーマークのままいつの間にか売ってしまった記憶がある。あの頃はガキだったんだな〜.....。そして今回(2023年時点)ジェイムス・テイラー関連の音源として、ニール・ヤング主宰の「Bridge School Benefit Concert」1992でエルトンがこの曲を歌うのを聴いて再発見した次第。
エルトンは、1974年5月18日のロイヤル・フェスティバル・ホールのコンサートで、レスリーをゲストに招いてこの曲を歌っていて、それは1976年のライブ盤「Here
And There」に収録された。ここでのピアノを主体としたアレンジも素晴らしい。あと彼女はデビッド・ボウイとも交流があったようで、彼によるこの曲の1969年のデモ録音が残っていて、2019年「The
"Mercury" Demos」として発掘されている。また多くのアーティストによるカバーがあり、オリビア・ニュートン・ジョン
1971、ラ二・ホール 1972、ディオンヌ・ワーウィック 1972、バリー・ホワイト 1983、ニール・ダイヤモンド 2010などが主なところ。
これからの残りの人生でどれだけの名曲を発見、再発見できるかな?と思うと楽しみだね!
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