Raindrops Keep Fallin' On My Head (B. J. Tomas) 1969 (米1位 英38位)
[Hal David, Burt Bacharach]



これはポール・ニューマンとロバート・レッドフォード主演の映画「Butch Cassidy And The Sundance Kid (邦題 「明日に向かって撃て!」今考えると変な名前ですね)」の主題歌として大ヒットし、その年のアカデミー賞とグラミー賞を取った名曲だ。中学生の時に買ったシングル盤をいまだに大切に持っている。西部時代の実在のアウトローを描いた作品ながら、ユーモアとシリアスが巧みにミックスされた、当時としては新しい感覚のしゃれた映画だった。ジョージ・ロイ・ヒル監督とこの二人の俳優の関係は 1973年の傑作「Sting」(スコット・ジョップリンのラグタイムの音楽を使用したことでも有名)に結実してゆく。この曲は映画の中頃にある息抜き(彼らが強盗稼業を休んでのんびりするシーン)で挿入され、自転車に乗ってふざけるポール・ニューマンとキャサリン・ロス (サイモン・アンド・ガーファンクルが映画音楽を担当した「卒業」の主演でも有名)の笑顔がとても印象的だった。

B. J. Thomasはこの曲で一世を風靡したが、後は主にカントリー音楽界で活躍したため、日本での知名度はこの1曲のみとなった。作者は言わずと知れた バート・バカラック(作曲)とハル・デビット(作詞)のゴールデン・コンビ。 当時誰よりもヒットを量産した人達で、ディオンヌ・ワーウィックとのコラボレーションは最高だった。ウクレレによるシンプルなイントロ(私が弦楽器に興味を持った原体験のひとつだと思う)が素晴らしく、少し固めのボーカルが曲にマッチしている。30年の間、何千回も聴いているけど飽きない。メロディーもさることながら、年をとり英語に対する理解が深まるにつれ歌詞に対する新たな発見がある。そしてラスト。ボサノバのリズムに乗せたハーブ・アルバート調の軽いトラペットのサウンドは、独特の躍動感・昂揚感がありフィナーレの最高傑作だ(アレンジもバート・バカラック)。30年以上経ちながらも全く色褪せない。Evergreenという言葉はまさにこの曲のためにあると思う。ディオンヌ・ワーウィックも歌っているが、やはり B J トーマスが断然本命。バート・バカラック曲集のCDで入手可能です。

[2021年5月追記]
B. J. トーマス氏は、2021年5月お亡くなりになりました。ご冥福をお祈りいたします。


My Cherie Amour (Stevie Wonder) 1969 (米4位 英4位)
[H. Cosby, S. Wonder, S. Moy]


1950年生まれのスティーヴィー・ワンダーは、12歳のころからリトル・スティーヴィーと呼ばれて、ソロアルバムを出していたが、一般のファンに広く認知されたのは1972年のアルバム「Talking Book」と、そこからヒットした「Superstition」、「You Are The Sunshine Of My Life」からだった。その頃は曲、演奏、歌すべてが新鮮で、まさに神がかりという感じだった。「My Cherie Amour」はその少し前のヒット曲で、同名のソロアルバムからのシングルカット(最初はB面だったらしい)。彼が19才の時の作品とは信じ難く、来る1970年代のサウンドを完全に先取りしている。その後流行るAORの先駆者とも言える。サウンド自体に後に見られるような革新性は見られないが、メイジャー・セブンスを巧みに使用したコード進行に乗せたメロディーが最高に美しく、躍動的なリズムも良い。もう何度も何度も聴いたが、まったく飽きることがなく、町などを歩いている時などに頭の中でよくかかる曲だ。街で見かけた憧れの女性に対する賛歌で、盲目の彼が視覚的な歌詞を歌うと不思議なムードになるのが面白い。タイトルのフランス語がおしゃれな感じで、「Cherie」は「愛しい人」、「Amour」は「愛」という意味だ。

昔シーチャン・ブラザースという、ドラマー井上茂率いる関西のフュージョン・グループがこの曲をインストルメンタルにアレンジしてカバーしていたが、サックス、ギター、エレキピアノがインプロヴィゼイションをするには絶好の曲だった。


I'll Never Fall In Love Again (Dionne Warwick) 1969 (米6位 英なし)
[Hal David, Burt Bacharach]


69年名曲集 2曲目のバカラック、デビッドのコンビ作品。この頃彼らがいかに冴えていたかがわかる。数ある彼らの作品のなかで最も洗練された曲。ボサノヴァのリズムをバックに歌うディオンヌ・ワーウィックの歌唱は、軽い羽毛のように軽妙洒脱。さらっとした歌い方ながら、リズムの乗りが完璧で、彼女生涯の名唱となった。黒人歌手はソウルフルに泥臭くシャウトするもんだと思っていたから、それはそれはショッキングだった。「男とキスをすると何が得られるの? ばい菌にかかって肺炎になるだけ。その後は電話なんかくれないし」なんて歌われると、失恋の歌なのに胸がワクワクしてしまう。「もう恋なんかしないわ」としながら、決してそうはできない恋の真実を見事に突いている。この歌はもともとブロードウェイのミュージカル「Promises, Promises」(1969年)のために作られたもので、当時発売されたオリジナルキャスト・アルバムを聞くと、主役男性のジェリー・オーバッハ(ブロードウェイの大スター。1980年代の後半、ニューヨーク・ブロードウェイのミュージカル「42nd Street」で彼のステージを観たことかある。晩年はテレビドラマで活躍した人)が歌っている。原作はビリー・ワイルダー監督によるハリウッド映画「アパートの鍵貸します」(1960年 ジャック・レモン、シャーリー・マクレーン主演。私生涯最高の映画のひとつ)で、コメディーの鬼才ニール・サイモン(劇作家。「おかしな二人」「グッバイガール」などの映画脚本でも手腕を発揮した人)がミュージカルに脚色し、バート・バカラックとハル・デビッドが音楽を担当という、大変豪華な布陣で大ヒットした。

他のアーティストではカーペンターズのカバーかな?(1970年の作品「Close To You」に収録) でもディオンヌ・ワーウィックのほうが全然いいぞ!


You've Made Me So Very Happy (Blood, Sweat & Tears) 1969 (米2位 英35位)
[B. Gordy Jr., B. Holloway, P. Holloway, F. Wilson]


最初のアルバム「Child Is Father To The Man」(1968)発表後、アル・クーパーが脱退し、残されたメンバーはセカンドアルバムでなんとしても成功を収める必要があった。そこで彼等がとった方策は、カナダのレイ・チャールズと呼ばれていた強者デビッド・クレイトン・トーマスをボーカリストとして迎え入れ、当時シカゴやバッキンガムズを担当していたジェイムス・ウィリアム・ガルシオにプロデュースを依頼することだった(仕事中のガルシオとメンバーとの関係は最悪だったらしいが)。出来上がった作品「Blood, Sweat & Tears」(1969)はロック、ジャズ、ブルース、クラシックを取り入れた素晴らしい作品となり、そこから飛び出した最初のヒット曲が当曲である。当時私は中学生だったが、音楽友達の多くは「BST(このグループの略称)はお爺臭い」と嫌っていたのに対し、父親の聴くジャズに慣れ親しんでいた私には全く違和感なく、とても新鮮に聴こえたのである。緻密なアレンジとブラスセクションによる重厚かつ切れ味の良いサウンドが好きだった。冒頭の曲でエリック・サティの「ジムノペティ」のアレンジをやっていた(私にとって初めてのサティ体験)が、その不思議なメロディーに魅了されたものだ。そのなかでも当時R&Bについての知識経験は皆無であった私が、この曲のカッコ良さにしびれたことは、私にとってのR&Bの原体験のひとつだったかもしれない。

ずっと後になって、この曲がモータウンのシンガー、ブレンダ・ホロウェイ1967年のヒット(全米39位)のカバーだったことが分かった(同レーベルのシングルヒット曲を特集したオムニバスCDで聴くことができる)。そういえば作者としてクレジットされているビル・ゴーディ・ジュニアは、モータウン・レコードのオーナーだったなあ。この曲はアル・クーパー在席時に、すでにレパートリーであったようだが、録音に際して入念なアレンジとプロデュースが施され、白人アーティストによるR&Bカバーの傑作としてオリジナルを上回る出来となった。このスケールの大きい洗練されたサウンドは、60年代末期の如何なる音楽にも勝る、時代の先端を行く輝きがあった。ブラスによるイントロから始まる演奏は、オルガン、エレキギター、ベース、ドラムスどれをとっても無駄な音が一切なく、そして説得力に満ちたボーカルが思う存分暴れまくる様は、発表後35年以上経った今でも、聴く毎に精神が高揚して陶酔感に浸ってしまう。BSTは、その後も同じアルバムから「Spinning Wheel」「And When I Die」という、どちらも素晴らしく理知的なヒット曲を出したが、メンバー交代が激しく、ジャズ的なスタイルを強めてゆくにつれて、初期のポップでブルージーな魅力を失ってゆく。やはりこの曲での立役者は、ギター奏者のスティーブ・カッツ(マリア・マルダーやステファン・グロスマン、デビッド・グリスマンなどが在籍したイーヴン・ダズン・ジャグ・バンドや、アル・クーパーとのブルース・プロジェクトのメンバーだった人で、後年は音楽ビジネスで活躍)だと思う。

ちなみに本コーナーで「Ode To Billie Joe」(1967)を取り上げたことがあるボビー・ジェントリーが、同じ年にこの曲をカバーしたバージョンがあるが、ほぼ同じアレンジによるもので、こちらも大変良い出来だ。

[2006年12月作成]


Hey There Lonely Girl (Eddie Holman) 1969 (米2位 英4位-74年)
[Earl Shuman, Leon Carr]

ファルセット・ヴォイスによる歌唱の傑作。エディ・ホールマン(1946- )は、ヴァージニア州生まれで、ニューヨーク育ち。子供の頃はゴスペル音楽を歌って育ち、フィラデルフィアに移住後の1966年、現地のソウル・ミュージック・シーンでレコード・デビューした。本曲は最大のヒット曲で、後世に残る名曲となった。伸びと艶がある裏声が誠に魅力的だ。

上記以外は、以下のとおり女声派、アイドル派、裏声派の3つに分類できる。

[女声派 - タイトルが「Boy」になっている]
・1963年 Ruby And The Romantics (全米27位)
これがオリジナル

・1963年 Martha And The Vandellas
ルビィ・アンド・ザ・ロマンティックスの少し後に発表されたもので、アレンジ・雰囲気はほぼ同じ。

・1982年 Stacy Lattisaw
1966年生まれで、12才でレコード・デビューしたR&Bシンガーの、16才の頃の録音。

[アイドル派]
・1972年 Donny Osamond
1957年生まれ。オズモンズ兄弟の一人で、ソロまたは妹のマリーとのデュエットとしても成功した人。「Go Away Little Girl」、「Hey Girl」、「Puppy Love」等の良質なリバイバルヒットを飛ばした他に、テレビ番組等で人気があった。ここでは15才頃の若々しい声を聴くことができる。

・1977年 Shaun Cassidy
1958年生まれ。パートリッジ・ファミリーで人気を博したデビッド・キャシディの腹違いの弟で、その甘い顔と声はアイドル・シンガーとして誠に魅力的。、同曲が収録された1977年のデビューアルバムには、全米1位に輝いた「Da Doo Ron Ron」(クリスタルズ1963年全米3位のヒット曲のカバー)も含まれている。彼に関しては、本コーナーで紹介した「Hey Deanie」1977 を参照ください。

[裏声派]
・1978年 山下達郎
ライブ盤「It's Poppin' Time」に収録。正直言うと、この曲の存在を知ったのは、このレコードから。彼からは、ラジオ、雑誌、レコードを通じて、素晴らしい洋楽をたくさん教えてもらいました。

・1980年 Robert John (全米31位)
トーケンズのリバイバル 「The Lion Sleeps Tonight」(全米3位)や「Sad Eyes」(全米1位)などのヒット曲がある人で、この人も裏声の達人。


Skyline Pigeon (Elton John)  (全米 - , 全英 - )
[Bernie Taupin, Elton John]

マイケル・ジョンソンの「Give Me Wings」を書いたら、この曲についても書きたくなりました。

エルトン・ジョン最初のアルバム「Empty Sky」1969に入っていた曲で、シングル・カットはされていない。チェンバロとストリングスをバックに、自由を求める心を鳩の姿に託して切々と歌っている。作為的な設定でありながら、心情が心に響くバーニー・トウピンの歌詞が素晴らしい。お気に入りの曲のようで、その後 1972年のアルバム「Don't Shoot Me I'm Only The Piano Player」の録音時に、彼のピアノと当時のバンド(ディー・マレイ:ベース、ナイジェル・オルソン:ドラムス、デイヴィー・ジョンストン:ギター)をバックに再録音され、シングル「Daniel」(全米2位、全英4位)のB面として発表された。その後は種々のコンスピレーション・アルバムに収められている。

サウンド的には再発版のほうが遥かに洗練されているが、素朴でストレートなオリジナル版も捨て難いものがある。知名度は低いが、エルトン・ジョン初期の名曲のひとつだ。