Happy Together (The Turtles) 1967 (米1位 英22位)
[Bonner, Gordon]

街を歩いていて、何時の間にか無意識に口ずさんでいる歌ってありませんか?私にとってこの曲がそうなのです。初めて聴いたのが何時かは忘れたけど、この歌はその時から常に私の心に住んでいる。どちらかというとバラード系の曲に傾倒する自分にとって、こういうポジティブなアップテンポの曲は例外的なレパートリーだ。当時シングルを買い逃し、ずっと後になって廃盤レコード店で同名のLPを高価で購入した思い出がある。CDは復刻盤の名門レーベルRhinoからバッチリ出ているので買ったけどね。

タートルズはアメリカ西海岸のグループながら、ブリティッシュポップに傾倒していたため、この曲もそれっぽく聞こえる。このグループは、当時のフラワーチルドレンの時代を反映して、当時としては結構サイケデリックで斬新なサウンドだった。といってもヒットが出なければ売れないわけで、当時彼らは一生懸命ヒットソングを出そうとしていた。そこに色々なアーティストを転々として拒否され続けて、よれよれになったデモテープが届き、全米第1位の名曲が生まれたわけだ。こんなにいい曲でもそういう苦労があるとは、ちょっと信じ難い。曲の良さもさることながら、アレンジが完璧だと思う。後年Tony Olrando & Dawn (1971年)、Captain & Tennille(1978年)がカバーしているが、オリジナルの足元にも及ばないのは、アレンジの違い。繊細な前半のボーカルと、長調に転調したあとの開放感あふれるコーラスの対比がとても鮮やかで、最後の Pa Pa Pa........ と歌われるスキャットには、エクスタシーを感じるほどである。.

ボーカル担当の Howard Kaylanと Mark Volmanの二人は1970年のグループ解散後、何と Frank Zappa & Mothers Of  Invention に加入、2枚のライブアルバムを残した。ザッパらしいパロディーと風刺がきいた言葉の洪水のなかで、「Fillmore East: June 1971」ではアルバム全体のストーリーの一部として、この曲のライブ演奏が楽しめる。



Without Her (Harry Nilsson ) 1967  (チャートインなし)
[Harry Nilsson]

カバー曲:
1. By Harry Nilsson (1967)
2. By Glen Campbell (1967)
3. By Lulu (1968)
4. By Blood, Sweat & Tears (1968)
5. By Astrud Gilberto (1969)

6. By Julie London(1969)

ニルソン(1941-1994)の代表曲といえば、「Everbody's Talking」(1968)と「Without You」(1971)でしょうね。どちらも作者は、前者がFred Neil、後者はバッド・フィンガーのPete Ham。 ソングライターとしても有能なのに、大ヒットが自作でない事は何とも皮肉なことだ。そういう例は結構あって、レオ・セイヤー「When I Need You」「More Than I Can Say」、ジャッキー・デシャノン「What A World Needs Love」の他、あのジェームス・テイラーでさえも他人の曲のカバーのほうがヒットしているのだ。ニルソンの自作曲では、スリー・ドック・ナイトが取り上げてヒットした「One」もいい曲だったけど、私は文句なく「Without Her」を筆頭に上げたい。

歌詞とメロディーが非常に繊細な曲で、歌詞における感情の起伏とメロディーの抑揚がピッタリ合っている。とても個性的な雰囲気のある曲で、アレンジによって様々な色に変化するところが面白いので、今回はカバー・バージョンも一緒に取り上げました。オリジナルの1.はストリングスをバックにしたアレンジが彼の繊細なボーカルを引き立てている。最後のコーラスから加わるアコースティック・ギターのシンプルなコード・カッティングがとても効果的で、オリジナルとしての気品に溢れた作品。カントリー界の若きスターが取り上げた2.はアレンジがあまりに平凡で、曲の良さが全然生かされていない。イギリスの元祖アイドルシンガー、ルルのカバーは1.とほぼ同じアレンジだが、ボーカルの繊細さに劣る。アル・クーパー率いる初期のBSTのカバー3.では、ボサノバのリズムよるしゃれたジャズ・チューンにアレンジされた。アル・クーパーの少し気だるい感じのボーカルがとてもいい感じで、ボーカリストとしての力量を感じさせる。その後のベストアルバムやボックスセットには彼の自作曲が収録されるため、オリジナルアルバム「Child Is A Father To The Man」 (1968)以外に本曲を耳にする機会がなく、まことにもったいない。ボサノバの女王が取り上げた4.は1と3を合体して発展させたアレンジで、正にアイデアの勝利。ニルソンのオリジナルと同じくスローなイントロの後に始まるアップテンポのボサノバ部分は非常にアグレッシブな演奏で、初期の彼女しか知らない人はビックリすると思う。早口の歌詞を息継ぎせずに歌いきり、息が苦しくなる所に感情の高まりをあわせるところなど非常に巧みで、「息使いの歌手」の面目躍如たる出来。ただしルルやアストラッドのように、この曲を女性が歌う場合、「Without Him」になってしまうので、歌詞の語呂がちょっと合わない感じがするけど、しょうがないか。

[2010年6月追記] 大好きなジュリー・ロンドンが、彼女最後のアルバム「Yummy, Yummy, Yummy」(1969)で歌っていました! 色っぽい感じで歌うのもいいですね。ということで、お勧めは 1.4.5.6. です。

[ニルソン その他のお勧め曲]
1.「Without You」(1971) やっぱりニルソンといえばこの曲でしょうね。本当に切ない歌を切なく歌う名唱です。作者のピート・ハムが在籍したバッドフィンガーのオリジナルは淡白な出来で、曲の良さを生かしきれていないのが意外だった。やはりアレンジと歌手のスキルの勝利か? 1994年マライア・キャリーが歌ってヒットさせました(全米3位、全英1位)。エモーショナルな歌唱スタイルがぴったりでした。2003年のNHK夜の連続ドラマで大評判をとった「女神の恋」(松本明子主演)のテーマ曲で毎回流れていましたが、悩む女性の切なさにすっと寄り添うような感じが最高でした。全米、全英1位。

2.「Everbody's Talking」(1968) ボブ・ディランがニューヨークにやって来たとき、しばらくの間先輩として世話をしてもらったというフレッド・ニールの作曲家としての代表作で、ジョン・シュレンジャー監督の映画「真夜中のカウボーイー」(ジョン・ボイド、ダスティン・ホフマン主演)に使用されて話題となった。暗く厳しいムードの中で、バスに乗ってニューヨークに向かう主人公のバックに流れるこの曲に、一種の息抜きのような効果があった。全米6位、全英23位。


Windy (The Association) 1967 (米1位 英なし)
[Ruthann Friedman]

ザ・アソシエイションは1965年ロスアンジェルスで結成され、1970年代の初めまで活躍したグループ。売り物は洗練されたコーラスハーモニーにあるが、各人の楽器演奏能力もかなりのものだったらしい。1966年から68年の3年間で全米トップテンに3曲を送り込んでいるが、その中で現在も古臭さを感じさせないのが全米1位を4週キープした「Windy」だ。この曲はメンバーによって作曲されたものではなく、当時19歳の男性ファンが作ったものという。スタジオに14時間こもり、メンバーやスタッフの家族をコーラスに動員して、一気に仕上げたらしい。洗練された多重録音が出来なかった当時では稀な、厚みのあるコーラスが楽しめる。プロデューサーはフィフス・ディメンションの仕事で有名なボーンズ・ホウ。ベースのリフによる魅力的なイントロと独特なメロディーが、一度聞いたら忘れられない印象を残す。特にブリッジの「And Windy has stormy eys」の高揚感は官能的ですらある。歌詞は当時のヒッピー、フラワー・チルドレン文化を反映し、自由に生きる女性の姿を描いたもので、その生き生きとして開放感に満ちた世界は、世知辛い現在においては大いなる「癒し」効果がある。仕事に疲れ果てた週末に聞くといいよ!


Groovin' (The Rascals) 1967 (米1位 英8位)
[Cavaliere, Brigati]

ザ・アソシエイションの「Windy」が5月のヒットであったのに対し、この曲は4月の大ヒット(4週連続1位)。ザ・ラスカルズ(最初はヤング・ラスカルズと名乗っていた)は、60年代後半を代表するブルー・アイド・ソウルのグループで、1966年に「Good Lovin'」のナンバーワン・ヒットを記録していたが、コンガなどのパーカッション使用によるラテン調のリズムで、オルガン、ハーモニカ、コーラスを効果的に使ったリラックスしたこの曲で、新機軸を狙おうとしたが、レコード会社のスタッフには、このグループのイメージにそぐわないとして大反対した人もいたという。その今までにないサウンドは、サイケデリック、ヒッピー・ムーブメントに代表される当時の風潮にマッチしたといえる。現在聞いても古さを感じないのは驚異的。1970年代に花開く、伝統や決まりごと決まりごとにとらわれない、自由でビューティフルな音楽の先駆者であり、グループの中心人物であるフェリックス・キャバリエの才能がフルに発揮された傑作だ。忙しかった彼らが、ガールフレンドとゆっくりできた日曜日の午後のひとときを歌にしたものといわれる。

山下達郎氏が大好きな曲で、以前に日本を代表するギタリストが集まって製作したレコード、「ギター・ワークショップ」の山岸潤史が、1977年にこの曲をインストカバーした際、コーラスで参加していた。また1994年のマンハッタン・トランスファーの「Tonin'」では、フェリックス・キャバリエ本人をゲストに迎えてモダンなアレンジでこの曲を楽しむことができる。


Ode To Billie Joe (Bobbie Gentry) 1967 (米1位 英13位)
[Bobbie Gentry]

ボビー・ジェントリーは、1944年アメリカ南部ミズリー州の生まれで、カントリー・シンガーとして成功したというが、私にとって初期の彼女のサウンドは、サザンソウルそのものという印象だ。とても才気溢れる人だったようで、本曲のように自作自演の弾き語りもできれば、達者なダンスを披露する当時の映像も残っている。声を聴く限り、黒人歌手としか思えないけど、実際はグラマラスなブルーネットの美人。

本作は、ボビー初期の吹き込みで、弾き語りによるデモテープを生かして、それにストリングスを多重録音したものだった。そのアイデアは大成功で、ガットギターでシンプルなリズムを刻みながら、少しハスキーな声で歌ってゆく。時々挿入されるストリングスのブルージーな響きが誠に効果的だが、この曲を支配しているのは、ギター一本の演奏でありながらも、全編で感じられる強力なR&B感覚だ。バックにバンドを配さなかった事により、その面がより一層強調されており、誠に魅力的。当初シングル盤のB面として発売されたが、この曲を聴いて気に入ったDJが盛んに放送したため、大ヒットしたという。

また彼女自身による歌詞も、一度聴いたら忘れられないものだ。家族の朝食のシーンで、知り合いのビリー・ジョー・マカリスターがタラハッチー橋から身投げした事が他人事のように話される。その語り口が大変鮮やかで、良質の短編小説を読む味わいがある。我々の現代生活で、多くの凶悪犯罪の新聞記事を何気なく読む朝のシーンを連想し、その無神経さに愕然としてしまう。ビリー・ジョーの自殺の理由が語られていないこと、特に「死の前日、彼が私とよく似た女の子と一緒に橋から何かを投げたのを見た」という1節が、リスナーの間で大きな謎となり、投げたのは赤ん坊だったというスキャンダラスな解釈まで飛び出したそうだ。タラハッチー橋は実在したが、実際は橋の高さや川の流れなどから身投げには適さない場所で、彼女の創作だったといえる。それでも当時は橋から飛び込む人が後を絶たず、地元の警察は大変だったそうだ。ちなみに橋はその後70年代に倒壊したという。

ボビー・ジェントリーは、この曲のイメージが強すぎたためか、その後は才能に相応しい活躍ができなかったが、1969年バート・バカラックの「恋よさようなら」をカバーして全英1位のヒットを飛ばしている。

[2006年11月作成]