Johnny Angel (Shelley Fabares) 1962  (米1位 英41位)
[Lyn Duddy, Lee Pockriss] 

シェリー・フェブレー (1944〜 )は、カリフォルニア州サンタモニカの生まれ、幼い頃より子役として活躍し、人気テレビ番組 「Dona Reed Show」(邦題: うちのママは世界一)に出演する。ドナ・リード(1921〜1986)は、アメリカの健康的な奥さん・母親役がピッタリだった人で、何といってもジェームス・ステュワートと共演した「It's A Wonderful Life」(素晴らしき哉、人生!)1946が最高。他にアカデミー助演賞を獲った「From Here To Eternity」(地上より永遠に)1953、「The Benny Goodman Story」1956が主な出演作で、60年代は前述のテレビでの主演で活躍した人だ。シェリーはいかにも性格が良さそうな長女の役を演じ、同番組のシーズン4の第20話で彼女が歌った曲が「Johnny Angel」だ。2月1日の放送とほぼ同じくしてシングルカットされ、全米1位の大ヒットとなった。純な女の子が自分の存在さえ知らない男の子に恋焦がれる歌で、ドリーミーなメロディーが歌詞と完璧に調和している。歌手ではなかったシェリー本人は歌う自信がなかったそうで、確かに彼女の声はプロとしては不安定であるが、心が洗われるような可憐さは例えようもなく素晴らしい。その後彼女はエルヴィス・プレスリーの映画3本に出演した他に、主にテレビ番組のゲストスターとして長く活動を続けた。

1973年にカーペンターズがアルバム「Now And Then」でカバーし、カレンの素晴らしいボーカルが楽しめるが、ナツメロ・メドレーの中なので1分30秒という短い演奏時間なのが残念。といってもオリジナルも2分ちょっとなので、あまり変わりないか......。日本では古くは森山佳代子、近年では竹内まりやが歌っている。

1960年代のカワイコちゃんポップソングの名作。


Our Day Will Come (Ruby And The Romantics) 1963  (米1位 英38位)

[Bob Hilliard, Mort Garson]

(カバー曲)
1. Julie London (1963)
2. Franlie Valli (1975) (米11位)
3. Dionne Warwick (1982)
4. Carpenters (1973)


女性1人と男性4人からなるオハイオ出身のコーラス・グループ、ルビー・アンド・ザ・ロマンティックスによる傑作。ボサノヴァのリズムによる洗練されたサウンドは、当時の最先端をいっていて、1963年の9月に全米1位を獲得する大ヒットとなった。スタン・ゲッツとアストラッド・ジルベルトの「イパネマの娘」がヒットするのが1964年の6月だから、この曲がいかに凄いかがわかる。切なくスィートなメロディー、洒落た和音進行と転調、耳に心地よく響く歌詞がファンタスティックかつドリーミーだ。彼らはこの曲で幸先のよいデビューを飾り、その後「Hey There Lonely Boy」(ロバート・ジョンが歌詞を「Girl」にして、1980年にリバイバル・ヒットさせ、山下達郎もカバーしている、これまたスウィートな曲)などのヒットを飛ばしたが、人気は長くは続かず、1965年を最後にヒットからは遠ざかり、1971年に解散してしまう。それでもこの1曲だけでも彼らの名は不滅といってもいいだろう。

この曲は本当に多くの人がカバーしているが、私の好みは上記の3人。ジュリー・ロンドンは1955年「Cry Me A River」で紹介済みの人で、低いハスキー・ヴォイスがたまらない美人シンガー。この曲はこの人の持ち味にピッタリで、落ち着いた色っぽさがこの上もない。1963年に発表されたアルバム「End Of The World」に収録。フランキー・ヴァリはフォー・シーズンズのリード・ボーカルを務め、グループでは「Sherry」、ソロでは「Can't Take My Eyes Off You」などの傑作ヒットを飛ばした人だ。彼のバージョンはにぎやかなリズムセクションによるダンサブルな音作りなのだが、安っぽくならないのはこの人のもつ品格のおかげだろう。途中で女性ボーカルが出てきて一節歌うが、クレジットがないので長年誰か不明だったが、最近(2006)年になってパティ・オースチンであることが判った。どうりで上手いわけだ。

そして私一番のお勧めは、バカラックの作品を歌って一世を風靡したディオンヌ・ワーウィックによる、1982年のアルバム「Heartbreaker」のバージョンだ。このアルバムはビージーズがプロデュースを担当した話題作で、同名曲が全米10位のヒットとなった。ワーウィックの余裕たっぷりのボーカルもさることながら、スティーブ・ガッドのドラムス、そして特にリチャード・ティーのエレキピアノが最高で、原曲のコード進行にさらに磨きをかけ、流れの速い清流から発生する泡粒のように透明感あふれるサウンドを生み出している。そしてバックにはバリー・ギブの声がバッチリ聞こえて、言うことなしの逸品だ。あっ!カーペンターズを忘れたぞ!「Yesterdays Once More」が入ったアルバム「Now & Then」オリジナルのレコード盤ではB面に入っていたオールディーズ・メドレーで、カレンがこの曲を歌っていました。メドレーなので、わずか2分間で終わってしまうけど、粒よりの選曲と鉄壁のアレンジで聞かせますよ。

要するに曲がいいので、誰が歌ってもいいのだ。最近では、AORの雄ボビー・コールドウェルの新作「Perfect Island Nights」(2005年3月発売)にこの曲が収録されている。


You Don't Own Me (Lesley Gore) 1963 (米2位 英なし)
[J. Madara, D. White]

1946年生まれのレスリー・ゴーア(1946〜2015)による「It's My Party」(全米1位)、「Judy Turn To Cry」(5位)、「She's A Fool」(5位)に続くヒット曲で、3週連続の2位が最高位だったが、当時の1位は7週連続1位のビートルズ「I Want To Hold Your Hand」だったから、相手が悪かったとしかいいようがない。当時この曲を聴いた人々は、彼氏にふられてパーティーで泣いたり、その彼氏が自分の元に戻って喜んだりという、他愛のないガールポップを歌ってきた17歳の可愛い女の子の歌なので、単なる拗ねた女の子の強がりのように受け止めたかもしれない。「私は貴方の所有物じゃないの あなたの玩具じゃないのよ 他の男の子と一緒にいちゃ駄目と言わないで ああしろと言わないで こう話せと言わないで お願いだから貴方と一緒に外を歩くとき 私を見せびらかさないで」という歌詞の内容は、それなりに重さがあるけど、ほのかに香るユーモア(それがこの曲の最大の魅力)のために一般受けしたのだろう。ただし今じっくり聴くと、この曲の持つ歴史的意義がはっきり浮かび上がってくる。これこそが、おそらくウーマンリブをテーマとした初めてのヒット曲なのだ。実際の女性解放運動がアメリカで台頭するのは、10年以上後の話なのだ。そういう意味で時代を先取りした曲と言える。

1996年の映画「The First Wives Club」は、ゴールディー・ホーン、ダイアン・キートン、ベット・ミドラーという当代きってのコメディエンヌの夢の競演による豪華な映画だった、3人による白熱した演技合戦で、夫に裏切られた中年の妻達が精神的に自立してゆく様を描き、大変見ごたえのある作品だったが、その中でこの曲が大変効果的に使われていた。夫への依存心を捨てきれないダイアン・キートンがこの曲を歌ってぶち切れるシーン、そして最後に自分自身を取り戻した3人が、この歌を歌いながら夜の街を歩き去るシーンは素晴らしいものだった。

私が買った日本盤CDの歌詞の1節に「I'm yours and I love to be yours」とあったが、これは歌の意味を台無しにする大変な間違い。正しくは「I'm young and I love to be young」だ。よく聴けば私でも分かるのに、こんな間違いをするなんて、日本のレコード会社はしっかりしてもらいたい。邦題は「恋と涙の17才」だって! もう勝手にしてくれ〜!

[2006年12月作成]


Wonderful Summer (Robin Ward) 1963 (米14位 英なし)
[Perry Botkin Jr., Gil Garfield]

当時流れ星のように一瞬輝いて消えていったワンヒット・ワンダーのティーン・ポップシンガーかなと思っていたが、実際は筋金入りのセッション歌手だった。Jackie Wardが本名で、1941年ハワイ生まれでネブラスカ州育ち。テレビ局の専属歌手から始めて、バックボーカルやデモ製作の歌手としてキャリアを築く。1962年のパット・ブーンのヒット曲「Speedy Gonzales」(全米6位)における、ちょっとクレイジーなメキシコ娘の「ラララ〜」声が彼女だ。後年のエルトン・ジョンの「Crodile Rock」(1972年)の「ヤーヤイヤヤヤー」というエキセントリックな裏声のハミングはこの曲がインスピレーションとなったそうだ。

プロデューサー、作曲家のペリー・ボトキン・ジュニア(後にカーペンタースが歌った「Bless The Beast And Children」が代表曲)が本曲のデモ製作で彼女を起用したが、その出来が余りにも良かったため、ティーンポップ向けの若い声になるようにテープスピードを変えてピッチを上げ、名前も「ロビン」(彼女の娘の名)に変えて売り出したところ、全米14位のヒットとなった。イントロの波の音、ビーチボーイズを思わせるメロディーとバックボーカルのハーモニー、夏の出来事を語る歌声が何とも可憐で、聴く者の心の奥底に潜む青春の甘酸っぱい思い出をくすぐってくれる。このヒットの後、彼女はアルバムと数枚のシングルを発表したが、チャートインを果たすことはなく、セッションの仕事に戻ってゆく。無数のテレビやレコードでの仕事に加えて、映画でのゴーストシンガー(主演女優の歌声の代役)として、ブレイク・エドワーズ監督の「Great Race」(1965年)で、ヘンリーマンシーニ作「Sweetheart Tree」をナタリー・ウッドの代わりに歌ったのが特に有名。