======================================= 第 1章 バドミントンの由来は? 『バドミントン』という名前は、その競技の原型がイングランド (イギリス)のグロスターシャー州にあるバドミントン・ハウス (村)のボーフォート(Beafort)公爵の家で生まれたこと に由来しています。 1893年にイングランドでバドンミントン協会(NBA)が設 立され、統一ルールを制定し、 バドミントンが『バドミントン競技』 として始まりました。 さて、日本国内で、バドミントンに似たものを頭に浮かべてみま しょう。世界各国にも似たようなものがあると思いますが、日本の 正月の『羽根つき』がありますね。いつから始まったものか調べな いと判りませんが。これも難しい競技?(遊技)ですね。 現存する記録によると、14世紀の中世ヨーロッパでは、木の実 やコルクに鳥の羽根をつけてこれを木の棒で打ち合う遊びが行われ ていたらしいのです。15、16世紀になると、その棒には木枠が つけられに羊皮や羊腸のストリング(糸、ガット)を張ったラケッ トのようなものに変わり、「バトルドアー」と呼ばれる遊戯となり ました。2人で打ちあうだけでなく、多人数で何度連続で打つこと ができるかを競う遊びに変化していきました。日本の公家の蹴鞠り のようですね。 バドミントンの名称は、ボーフォート公爵バドミントンハウス( 村)にその遊びの記録がのこされているようで、時を経て、この名 にちなんで「バドミントン・バトルドアー」と呼ばれる新しい遊び になったようです。 こんにちの『バドミントン』と呼ばれるゲームが誕生するまでの には、様々な名称のいわゆるバドミントンゲームがいくつも存在し ていたと考えられています。 以上のように、『バドミントン競技』の基本的な形態をもつゲー ムは、イングランドばかりではなく、当時の植民地に(いわゆる大 英帝国連邦)、伝えられ、ことに現在のインドで盛んに行われるよ うになりました。一般には、インドのプーナ地方のプーナ競技がバ ドミントンの発祥と考えられて、インドが原型と思っている人が多 いようです。認識を変えてください。でも、国技としている国は、 インドネシアですよね。みなさん知っていましたか。 インドでは、17世紀あたりのバドミントンゲームの加熱ぶりは、 すごいものであったそうです。 一方、別な資料からは、同じころ、インドのボンベイ州プーナで バドミントンの規則がつくられたといわれています。やがてイギリ ス本国をはじめ(当時の世界交流は、船が最速の交通手段だった) インドへの交通の要所となるいくつかの軍港でインド帰りの兵隊や 士官を中心にしたバドミントンクラブがつくられていくようになり ました。 その後、いろいろな場所で、様々なルールで行われていた「バド ミントン」を統一しようという動きがおこりました。1893年に イギリスのハンプシャーで各クラブの代表が会合し、統一ルールを 作成することに賛成した14のクラブによって 『バドミントン協会 The Badminton Association』(NBA) が結成されました。 これが今日の『バドミントン』と呼ばれる歴史 の始まりとされています。 しかし、協会に加盟しないクラブも多く、バドミントンがより近 代的な競技として発展するためには、まだまだ困難を克服する必要 がありました。競技は屋内で行われることが理想ですが、そのよう な体育館はどこにでもあるものではなく、屋外ではその場の風の影 響で、いくつかの規制をつくる必要がありました。また屋内では狭 いホールに対するいわゆるローカルルールも必要でした。 バドミントンが飛躍的に発展したのは、1898年にイギリスの ギルフォードで開催された第1回のオープントーナメントでした( 全英オープン?)。この大会には、男子ダブルス7組、女子ダブル ス6組、混合ダブルス12組が参加して行われました。これをきっ かけに、翌年からの始まったのが『全英バドミントン選手権』なの です。 第1回全英選手権は、1899年4月4日、ロンドンのバッキン ガムにあるロンドン・スコティシュドリルホールで1日をかけて行 われました。イベントはダブルスの3種目のみでした。 当時はシングルスという競技は、非社交的な傲慢なゲーム展開を するものとして人気がありませんでした。本当に人気がなかったの です。競技種目として公式戦に登場するのは、1900年の第2回 全英選手権からでした。いろいろなルールであったため、当時の試 合時間の大半は、ルールの不統一のトラブルを解決するために費や され、終わってみれば、掛かった試合時間はほんのわずかというこ とがよくありました。 バドミントンが今日のようなスタイルに落ち着いたのは、20世 紀にはいってからでした。1893年に誕生したバドミントン協会 には、イギリスだけでなくアイルランドやスコットランドのクラブ もその設立メンバーに加わっていましたが、1899年にはアイル ランド協会が、1911年にはスコットランド協会がそれぞれ独立 して新たに加盟し、1902年にはアイルランド・オープン選手権、 1907年にはスコットランド・オープン選手権を開催しました。 競技バドミントンの普及は、1920年代までは主としてイギリ ス本国とアイルランドで発展し、ついで当時の大英帝国連邦諸国と 近隣のヨーロッパ諸国へおよんだにすぎませんでした。協会は、そ の構成単位をクラブから各州協会へ、さらには各国協会へと発展さ せていきました。こうして1934年バドミントン協会は、各国の 国内協会を単位とする 「国際バドミントン連盟=IBF(International Badminton Federation)」 を設立させました。国際バドミントン連盟設立のメンバーは、 カナダ、デンマーク、イングランド、フランス、アイルランド、 オランダ、ニュージーランド、スコットランド、ウェールズ の9か国 です。設立時の総裁はジョージ・トマス卿で、彼は21年間在職し、 以後総裁は2年で変わるのが慣例となっています。トマス杯で有名 ですね。 1985年、東ベルリンで開催された国際オリンピック委員会総 会では、国際バドミントン連盟の夢であったオリンピック大会の公 式競技として採用することを決定し、1988年の第24回大会ソ ウルオリンピックで、エキジビジョン競技とすることを決定しまし た。メジャー競技へ移行したのです。 日本では、明治時代に入って来た(横浜のYMCAが伝えたとさ れている)この競技が、第2次大戦後、日本バドミントン協会のも とで全国に普及し、男子、女子共に戦後のある時期には、世界のト ップにいました。残念ながら、いまでは、協会の内紛等いろいろな 問題があり、選手を育てる環境が良いとは言い切れないところ があります。 明るいニュースがありました。1998年のアジア大会で、日本 バドミントンの歴史に久しぶりに残る活躍をしました。 米倉加奈子選手が女子シングルスで金メダル をとったのです。 20世紀最後のオリンピックが2000年9月にオーストラリア のシドニーで始まります。さて、期待しましょう。 このオリンピックでは、入賞することはできませんでした。さあ、 21世紀。世界にはばたきましょう。