ホーム
折々の雑感 3
折々の雑感 2
折々の雑感 1
こぼればなし
アルバム 5の巻
アルバム 4の巻
アルバム 3の巻
アルバム 2の巻
アルバム 1の巻
映画四方山話
マイ映画DBの索引
映画館で観た 3
映画館で観た 2
映画館で観た 1
DVD-ROMで観た 7
DVD-ROMで観た 6
DVD-ROMで観た 5
DVD-ROMで観た 4
DVD-ROMで観た 3
DVD-ROMで観た 2
DVD-ROMで観た 1
あちこち歩記 弐
あちこち歩記 壱
ミ ス テ リの愉しみ
パソコン総合索引
わたしのパソコン 2
わたしのパソコン 1
パソコン便利わざ 2
パソコン便利わざ 1
パソコンQ&Aいろいろ その3
パソコンQ&Aいろいろ その2
パソコンQ&Aいろいろ その1
パソコンなんでも相談2
パソコンなんでも相談1
まちで「しごと」を創ろう
わたしの地域活動
koganei.htm

こぼればなし

戻る ] ホーム ] 進む ]

 

 

 このページではわたし自身の身の回りで起こったことなどおもしろい話(たぶんわたし一人の思いこみにすぎないかもしれませんが)を拾い上げて記載していきたいと思います。

<<索 引>>

シングルモルト”ひとくち飲み口”の追加 続『ひそやかなたのしみ』 『語り部』 『菖蒲湯に入った』 『府中市美術館で』 『こんなこと2題』 『小さな喜び』 『自動車の登録番号』 『ひそやかなたのしみ』 『駅前に自転車を留め置いたが』 『本当に景気がよくなってきているのか』 『こんな会話を耳にした』 『IT機器の買いどきはいつ』 『「携帯電話」について先見の明を持ち合わせなかったこと』 『今年の干支は酉』 『賀状の宛先』


§続「ひそやかなたのしみ」初出日付 2007.9.28) 追補日付 2011. 4.12)

 ”さしもの猛残暑の連続も昨日今日とちょっと一息つける気温となってホッとしている。”

 たしかに昨年はこう書いたのであるが、今年はほとんど夏らしい陽のさす日が少なく曇った日が多くて天候不順の夏だったというしかないと思う。}
 
 わたしが『ひそやかなたのしみ』と題してこのページにアップしたのは、2006年5月31日であった。
 
 その後シングルモルトの愛飲リストの追加を続けてきているが、あの項は9月23日で追補を打ち切ることにすることにした。代わりにいま読んでいただいているこの項に別の形で「シングルモルト愛飲リスト」を書き込んでいきたいと考えている。
 
 それはそうとしておよそ酒と言われるものどんなものでもその味を知るには自分の口でたしなむのがもっとも早道であるということは間違いのないところである。
 
 しかし何でも手に入るものはすべてたしなむというのもいろいろな意味で効率の悪いことである。酒には種類の違ったものが数多くあるわけだから、その中から自分の口にもっとも合うものを探し出したいというのは誰しも望むところではないだろうか。
 
 そのためには道案内してくれる手引きを読むことが大事なことであろう。
 
 そういう意味でわたしが利用している東府中のリカーショップはかなり大きな店でほとんどの酒類を扱っている。スピリッツ売り場の中心はシングルモルトが占めているようである。そこには”Single Malt Whisky Collection "と印刷されたシングルモルトの銘柄リストを印刷したパンフレットを置いている。
 
 これはA4版の裏表に印刷してあり、表側の半分にスコットランドの地図がありシングルモルトの生産地域(蒸溜所の所在地域)が示されている。
 
                

 地域別にグループ分けされたリストによりその地域の銘柄が分かるようになっている。これだけでは風味とか、特徴とかは分からないが、各商品(ボトル)の前に置かれたカードに簡単な説明を載せてくれているのでなんとなく見当がつけられそうではあるがこんなときやはり手引きがほしい気がする。
 
 このパンフレットからざっと拾っただけで170種類くらいあった。
 
 この店では主なモルト生産者の商品について発行されている写真付きのパンフレットなどもときどきは置いているが、とてもスコッチの中のスコッチといわれるシングルモルトの手引きとしてはとてもとてもというところである。
 
 もちろん銘柄別に賞味するするにはまず自分の口に味合わせることがもっとも早道なのは分かっているが、貧しい年金生活者のこと故これは思うようにはならない。
 
 そこでというわけでもないが、ツンドクになっている本を探してみた。
 
 すると昭和52年講談社発行の「世界名酒辞典ー洋酒1853点の徹底ガイド」、昭和56年保育社発行の「洋酒入門」吉田芳二郎著、そして1991年発行新潮選書「スコッチへの旅」平沢正夫著が出てきた。いずれも古いものではあるが前2冊にはカラー写真が掲載されている。
 
 もっと探せばあと数冊は出てくるとは思うが今日のところはこれで十分である。
 
 選書の方は著者自身の取材旅行記にもなっており内容はシングルモルトを知る格好の本であることが分かった。少し嬉しくなった。
 
 この本の「第1部 1 モルトウイスキー発見私記 昭和ひとけたウイスキー体験」は、次の文章から始まる。
 
 《ウイスキーを飲みはじめて、もう四十年をこえるだろう。昭和ひとけた生まれの私が酒に目ざめた時期は、敗戦後の貧困と混乱のさなかだった。ウイスキーにこだわって戦後史をみるなら、1950年代にトリスバーのブームがあった。60年代にはいり、高度経済成長とともに、トリスからサントリーホワイト、角、オールドへと、日ごろたしなむウイスキーのランクが上がりつづけ、80年代になると、大学生がパブでオールド、さらにはリザーブを飲むという実に結構な時代へと変貌した。私のウイスキー遍歴も人並みに高級化の道を辿った。同世代の人びともほとんどそうだろうが、飲むウイスキーのランクアップで、自分の生活水準の上昇を実感できた。・・・・・・・》
 
 わたし自身ウイスキーに関してほぼ同じような印象を自分のこのサイトのどこかに綴った記憶があるのを思い出した。

 そう思いつついま探してみたらここに書いていた。よろしければ読んでみていただければと思う。

 この本はわたしにとってシングルモルトのいい手引きになりそうである。

 自分とほぼ同じ年代の著者が書かれたこの本に敬意を表するとともに、シングルモルトたしなみの手引きとして活用したい。

  本日はとりあえずこのことを報告しておくにとどめたい。
 
       −−−−−−−−−−−−−−−−−
       
 ウイスキーといえばシングルモルトと考えるようになってからたしなんだ銘柄をあげておく。 
 


20110218 現在          
銘  柄  名 容量 度数 価格 地 域 名  
           
グレンギリー 12 700 40   ハイランド  
グレンモーレンジ 10年 750 43   ハイランド  
グレンモーレンジ ポートWF 700 43   ハイランド  
ダルウィ二ー 15年 750 43   ハイランド  
ダルモア 12年 750 43   ハイランド  
タリスカー 10年 750 45.8   アイランズ  
ハイランドパーク 12年 750 43   アイランズ  
カリラ 12年 700 43   アイラ  
ブルイックラディ 10年 700 46   アイラ  
ホウモア 12年 700 40   アイラ  
ボウモア エ二グマ 12年 1,000 40   アイラ  
スペイバーン 10年 700 40   キャンベルタウン  
オーへントッシャン 10年 700 40   ローランド  
ク・デユー 700 40   スペイサイド  
クラガンモア 12年 750 40   スペイサイド  
グレンフアークラス 15年 700 46   スペイサイド  
グレンフイディック 12年 700 40   スペイサイド  
グレンリグェット 12年 700 40   スペイサイド  
グレンリヴェット 18年 700 43   スペイサイド  
マッカラン 12年 700 40   スペイサイド  
スペイバーン 10年 700 40   スペイサイド  
キングスベリー・セレクション 7年 700 40    
アイリーク イーラッハ 700 40   071001まで
グレンキンチー 12年 750 43   ローランド 071004以降
クライヌリッシュ 14年 700 46   ハイランド 071018
グレントロミー 17年 700 40   スペイサイド 071210
アイル・オブ・ジュラ 16年 700 40   アイランズ 080108
タラモア・デュー 700 40   アイリッシュ・モルツ 080126
スプリングバンク 700 46   キャンベルタウン 080522
スモークヘッド 700 43   アイラ 080912
アランモルト  700 43   アイランズ 081003
ラフロイグ 10年  750 43   アイラ 081028
ザ・ベンリアック 700 40   スペイサイド

081201

ラフロイグ・クォーター・カスク 700 40   アイラ

081223

オールド・プルトニイ 12年 700 40   スペイサイド

090412

シングルトン・オブ・ダフタウン 1000 40   スペイサイド

090504

グレングラント10年 700 40   スコットランド

090928

ロイヤルロッホ・ナガー 12年 700 40   スコットランド

091031

ノッカンデュ 12年 700 40   ハイランド

091123

スプリングバンク・ブレンデッド 700 40   キャンベルタウン

091225

リトルミル 12年 700 40   ローランド

100322

グレンゴイン・バーンフット 1000 40   ハイランド

100603

シングルトン・オブ・グレンオード 700 40   スコットランド

100929

ボウモア・カスクストレングス 1000 40   アイラ

101022

ラガヴーリン 16年 700 40   アイラ

101111

アベラワー 10年 700 40   スペイサイド

101124

カーデュー 12年 700 40   スペイサイド

110114

ベンロマックトラディション 700 40   スペイサイド

110118

グレンロセスセレクトリザーブ  700 40   スペイサイド 110122
アンノック 1993 700 40   ハイランド 110218
         
         
         
           

§「シングルモルト”ひとくち”飲み口」の追加

@ 2010年3月22日 :: 「グレンゴイン・バーンフット」

  リカーショップ柏屋店員が、自店で購入してくれたバーのバーテンダーの言葉として、「ローランド・リトルミルは初夏の草原のような味と言っていたとか。

  わたし自身が自分で「グレンゴイン・バーンフット(ハイランド)」をテースティングした結果を記すと、次のとおりとなる。

  【まあいけるという感じ。この調子ではついつい飲みすぎることになりそう。】

A 2010年11月24日 :: 「アベラワー」

  あまり特長がなく、ほどよい、バランスのとれたモルトという感じ。

B 2011年1月23日 :: 「ベンロマックトラディション」

  月並みな表現になるが、なんともいえない甘さが舌に心地よい。これではすぐに減ってしまいそう。

C 2011年4月12日 :: 「ジ・アラン・モルト」

  テイスティングも度重なると余程の特長がなければ同じような表現になってしまう。お許し願います。46%と度数は高いが極めて飲みやすい。スモーキーさをお好きでない方には打って付けのような気がする。

D グレンロセスセレクトリザーブ :: 未開封

E アンノック 1993 :: 未開封

F 2011年4月14日 :: 「シングルトン・オブ・グレンオード」

  4月12日の「ジ・アラン・モルト」の項でも書いたように余程の特長がなければ同じような表現になってしまう。あらためて瓶の形(少し扁平)に特長のあるこのモルトの英文字ラベルを見たところ、曰く”Perfectly Balanced , Naturally Rich and Smooth"とある。まさにその通り、やわらかくて・口あたりがよくて・やや甘い。そしてスモーキーさがない。言ってみればモルトらしい特長がないということにもなりそうであるが。


§「語り部」 (2007.7.27)

 武蔵野大学の公開講座の一環として開講された「日本の語りを聴く会:(語り部)平野啓子[新・竹取物語]ほか」を聴講した。
 
 平野啓子という名前を記憶しておられる方もおられるのではないかと思う。もう何年くらい前のことになろうかNHK朝7時台のモーニングニュースのキャスターとして出ておられたことがあった。
 
 そのことを覚えていたのでキャスターからどのような転身をされているのかというミーハー的な興味も手伝って講師紹介を聞いた。まず驚いたのはいわゆる派手な転身ではなく実に地道なものという印象であったことである。
 
 武蔵野大学講師、日本の古典を題材にした語りの舞台化、語りを介した国際交流の推進(中国における公演活動など)、国内における語りの普及活動などなど。
 
 まず第1部として「新・竹取物語」の公演、平野啓子自身が語り部として広い舞台を使って語りながらの実演を行った。どうやら初めての試みらしいが音楽として能の鼓と笛の伴奏付きである。楽器の方はこの大学の職員(プロではないが東京藝大出身者)の演奏である。これによって幻想的な「竹取物語」の雰囲気の盛り上がりを一層味わうことができた。
 
 演技者としての平野啓子自身のいかにも女性らしい柔らかい声が講堂内に気持ちよく響き渡り語りの舞台にとけこむことができた。
 
 第2部として平野啓子のクラスの学生4人(二人は中国からの留学生、二人は日本人の学生)による朗読劇の実演。
 
 第3部として当日の出席者全員による詩(ドロシー・ロー・ノルト作 「子ども」)の朗読。
 
 僅かな時間の講座であったが耳から入る日本語の美しさを再認識するいい機会であったと感謝している。
 
 彼女の言葉の中で心に残った言葉の一つとして「暗唱は心のノート」という言葉を挙げておきたい。
 
 「子ども」の全文を次に挙げさせていただく。暗唱には自信がないのでたまには声を出して読むようにしたいと思う。そのことによって子どもの心のノートとして記憶されればと願いながら。
 
 難しい詩ではなく非常にわかりやすい言葉で子どもに接するときの大人の気持ちというか、心構えというか、心得というものを伝えるいい詩である。


 
    子ども
    
                          ドロシー・ロー・ノルト
                          
 批判ばかりされた子どもは 非難することをおぼえる
 
 殴られて大ききなった子どもは 力にたよることをおぼえる
 
 笑いものにされた子どもは ものをいわずにいることをおぼえる
 
 皮肉にさらされた子どもは 鈍い良心のもち主となる
 
 しかし 激励を受けた子どもは 自信をおぼえる
 
 寛容に出会った子どもは 忍耐をおぼえる
 
 賞賛を受けた子どもは 評価することをおぼえる
 
 フェアプレイを経験した子どもは 公正をおぼえる
 
 友情を知る子どもは 親切をおぼえる
 
 安心を経験した子どもは 信頼をおぼえる
 
 可愛がられ抱きしめられた子どもは 世界中の愛情を感じとることをおぼえる


§「菖蒲湯に入った」 (2007.5.6)

 5月1日付の市報のお知らせ欄の中に次のようなお知らせがあるのに気づいた。
 
 「お年寄り無料入浴デー菖蒲湯」
 
 それによると(おふろ屋さんのご協力により、高齢者の健康保持や児童との交流・憩いの場として、「菖蒲湯」を実施します。)とある。
 
 今ではまちのおふろ屋さんはすっかり姿を消してしまい、たしか市民11万人余の市内に3軒くらいしかないと聞いている。わたしたち家族が引っ越ししてきた頃には歩いて行ける範囲に煙突が見えあああそこにおふろ屋があると分かったものである。
 
 自分自身の生活を振り返ってみてもすっかり内湯の便利さになれてしまい、おふろ屋に足を運ぶなどということはなくなってしまっているのにあらためて気づかされてしまった。
 
 お知らせの菖蒲湯に協力するというおふろ屋の場所を見ると、1キロちょっと途中坂道があることなど考慮して自転車で約15分弱のところである。
 
 ありがたいことだと思い利用させて貰うことにした。
 
 昔終戦をはさんだ7〜8年の間住んでいた小さな官舎でのありし日の生活を思い出した。そこに両親とわたしを頭に子供7人の9人が生活していた。当時わたしは国民学校の上級生で日々のふろ当番をいいつかっていた。すぐ下のおとうとといもうとの3人で裏の井戸から水を汲み上げてバケツで運んだものである。なかなかの苦行でもあった。
 
 その風呂たるやいわゆる五右衛門風呂であったのが懐かしく思い出される。鉄の風呂桶に中板が浮かべてありその板に載って熱い鉄風呂の底に足があたらないようにうまく入るのである。いずれも遠い昔のこととして懐かしい思い出に変容してしまっているが。
 
 毎年5月の端午の節句の頃になるとその五右衛門風呂で菖蒲を浮かべたお湯に入ったものだった。このことをお知らせを見ながら一瞬のうちにタイムスリップしてしまった。
 
 さて、今回の菖蒲湯には午後5時前に行った。男湯の方は大人10人足らずに子供が5・6人入っているのが見えた。子供の中には水中めがねをつけているのもいて潜りをしたり楽しげである。
 
 菖蒲は全部で10把あまり浮かべられていた。そのときふと思ったのであるが菖蒲というのはあまり匂いのしないものだったのかと。心の中ではもう少し匂いを期待していたのかもしれない。
 
 大きなお風呂でのんびりとつかるという楽しいひとときは過ごせたのであるが、その一団の子供達が上がったあとにはわたしのいる間子供はだれもこなかった。
 
 風呂上がりの着替えのとき隣り合わせた人と話した。その人は一応孫に声をかけたがだれも応じてくれなかったと言っていた。
 
 これは寂しい。同時に現在のわれわれの抱えるいろんな問題をあらためて思い起こさせられた。
 
 番台の女主人にお礼を言って出た。
 
 昨夜は菖蒲湯のおかげか久しぶりによく眠れた。


§「府中市美術館で」 (2007.4.6)

 このところ週2回のPCボランティアを除いてこれといった予定もなく、カメラを抱えてちょっとした写真を撮りに出かけるくらいのことしかやっていない。無聊を託つ日々を過ごしている。

 昨日の午後のことである。少し気分転換を図りたいと考え先月の末に桜の写真を撮りに行った府中の森公園内にある府中市美術館に行こうと思いたった。
 
 いま「動物絵画の100年」展を開催中であり、江戸期の画家でわたしの好きな伊藤若冲、円山応挙、長澤蘆雪、葛飾北斎などの名前もあった。
 
 そこで文字どおりブラッという感じで自転車にまたがった。15分くらいで美術館に到着。1時45分を少し回ったところである。ここには大分前にきたことがあったななどと思いながらロビーに入り参考になりそうなパンフレットなどを手にした。
 
 その中の1枚に「関連企画のご案内」というチラシがあってその隅の方に”「ギャラリートーク」=会期中の毎週金曜日 午後2時〜 ”という囲みがあるのに気がついた。
 
 そういえば今日は金曜日だ、それにもう少しで午後2時だ。
 
 ギャラリートークってなにをやるのだろうか。陳列室でのお話かなとは思ったがもう一つはっきりしない。美術館グッズのテーブルにいた女性に尋ねたところ専門の人の説明があるのだという。
 
 ひとりで作品を見て回るのにはなれているが、専門の人が案内をしてくれるならそれに参加できるのは願ってもない機会である。
 
 こんな機会が得られなどと全く考えてもいなかっただけに、なんだか素直に嬉しくなった。
 
 ちょうど2時になったところで専門の人が現れて早速トークを始めた。どうやらこの企画を担当した学芸員のようである。
 
 説明用のイヤーホンを着けて作品説明を聞いたことはあるが、直接展示構成のねらいなどの説明を対面で聞くのははじめてのことである。
 
 トークに参加したのは十数名であったが、会場はそれほど混んでいないので十分声が行き渡りいつもとは違った展覧会の楽しみかたを経験することができた。 
 
 こんな偶然はいつも期待できないだろうがたまにはあるものだ。いい方向に転がる偶然は歓迎だが、ときにはわるい方向に転がる偶然もあるだろう、そんな偶然は歓迎したくない。
 
 こと美術館のことに限らずなにかしようとするときは事前によく調べて行動を起こすことが望ましいのはいうまでもないことであるが、たまにはなんの用意もなく行ってみてそれがよい方に転がる偶然を経験するのもわるくないものである。
 
 今回の府中市美術館に関してみてみると、この企画展に関して期間中(3月17日〜4月22日)講演会が毎週土曜日に1回、15分スライドレクチャーが毎日曜日に2時と3時の2回、ギャラリートークが毎金曜日午後2時からなどとなっているようである。講師は一部館外からも招請しているようで事前に調べておいて聴講することにより自分の希望に合う選択ができるのは間違いないところである。
 
 よい方に転がる偶然は滅多にないが、よく調べておけば自分の希望することが必然として手に入ることになる。


§「こんなこと2題」  (2006.12.8)

1、ある美術館の客集め策の効果

 
昨12月7日しばらく行っていなかった芝にある東京都庭園美術館に行った。
 
 折から紅葉シーズンでご自慢の庭の彩りが非常に美しかった。
 
 この美術館はどちらかというマイナーな美術館といってもいいのだろう。従来は鑑賞客が比較的少ないという印象が強かった。
 
 ここはもともと浅香宮邸であったところで建物そのものも格式のある洋館で自然教育園に隣接している。この奥には東京都の迎賓館もあるところである。
 
 邸宅として使われていた建物であるから一部屋ごとの大きさは美術館としては小さいものであるのは仕方のないことであろう。
 
 丁度「アール・デコ・ジュエリー==宝飾デザインの鬼才シャルル・ジャコーと輝ける時代」展をやっていた。
 
 以前の記憶からいえばそれほど混んではいないだろうという思いが強かったのであるが、どうしてどうして入口入ってすぐのロビーの突き当たりの壁面の展示の前に大勢の客がガイドの説明を聞いているではないか。
 
 この美術館で大勢の客を案内しているガイドを見るのは初めてのような気がして意外であった。
 
 たまたまの団体客にぶつかったのだと思った。ロビーでは大して気にならなかったが、その後に続く各小部屋の場合は部屋一杯になるため団体以外の個人客は展示品を見ることができない有様であった。
 
 内心団体客と一緒になった不運を呪いながら何となく落ち着かない気持ちで鑑賞を終えた。
 
 わたし自身そのあと別口の用件があったので増設されたらしい新館にあるきれいな喫茶コーナーに腰を落ち着けることもなく帰途についた。
 
 出口を出るとき新手の団体客と遭遇したのである。ちょっと先の左手の方に大型の観光バスが止まっているのに気がついた。なるほど団体客グループを迎え入れるために館側が実施した営業政策(ツアーバスの受け入れなど)の効果が出ているということらしい。

 美術館そのものの生き残りのためにもそれは必要なことであるのはよくわかる。ただ、美術館そのものが余り大きくなく小部屋が多いこの館の場合鑑賞客の誘導をどうするかなかなか難しい問題であると思う。
 
2、こんなことにも高齢化時代の反映

 
恍惚とか痴呆とかアルツハイマーとか物忘れとかという言葉を聞いたり読んだりすることが多い。
 
 わたし自身は加齢による記憶力の低下は避けがたいものとして受け入れているのであるが、まだ病的なものとしていわゆるボケという状態にはほど遠いと自認している。
 
 肉体的な健康診査については市(国民健康保険)が実施している定期的な検診を毎年受診して安心を得ている。
 
 もし精神的な検診を受けるとすればどうするのか調べてみたくなった。こんなことは今まで真剣に考えたこともなかったので一般検診のときに医者に聞いてみた。
 
 その答えは、できれば専門病院の「もの忘れ外来」で診て貰うことだということであった。この近くでは小平市に「国立 精神神経センター 武蔵病院」があるとということであった。
 
 早速問い合わせてみたところ、まず病院に問診票を請求し、それに記入後それを病院に提出して診察の予約をする必要があるとのことである。因みに今の時点(12月5日)で問診票を病院側で受領している人の予約は既に07年2月中旬まで埋まっているということであった。
 
 今すぐ申し込んでもこの先2か月以上待たなければならないということである。この種の病状は急激に悪化するようなものではないとは思うが、いやいや大変なことである。

 本人が自発的に申し込んだのかあるいは周りの人が申し込んだのか分からないが、このような状況にも高齢化時代の高齢者の現実が反映されているように思わざるを得ない気がするのはわたし一人だろうか。


§「小さな喜び」  (2006.9.9)

  わたしは地域の小金井ITサポートセンター運営協議会というボランティアグループのサポーターとして「パソコン相談室」のメンバーに登録している。相談室は毎週水曜日、日曜日の午後1時から同3時までの2時間開かれている。
 
 この運営協議会の規約に次のように書いている。
 
 【小金井市公民館との協働による地域住民のパソコン知識・技能基礎研修支援を柱に、進展する情報化社会の中で地域住民の生活の利便性向上などに関する事業を行い、地域のネットワークで市民交流、まちづくりに寄与すること】
 
 また、事業の基礎の一つとして【会員が保有するパソコンスキルの活用を通じた地域ネットワークに関する事業】を挙げている。
 
 このことを具体化したのが市内の各公民館における「パソコン相談室」の開催である。もちろん無料で無償である。
 
 わたしなりの言葉で言えば、これまでパソコンとは無縁だった高齢者や、身近な人にパソコンに関して尋ねたり指導を受けたりすることのできない人たちに対して、パソコンに関することどんなことでも相談に乗る、ということである。
 
 これまでに培ってきたパソコンのスキルをこんな形で地域に還元し、地域に役立てることができたらと参加しているボランティアが大勢いるというのは本当に心強いことである。
 
 わたしもその一員であり、相談員としての出席率もまずまずといっていいと思う。
 
 2年9か月余の経験から言えることは、パソコン購入の相談、インターネットやメールの始め方、プロバイダ・回線種別の選択方法を初め、個々のソフト(Word、Excelなど)に関する質問、年賀状の作成・住所録の作成に関する質問、ディジタルカメラからの画像の取り込み方、MP3の普及に伴う音楽の取り込み方、などなど相談内容は多岐にわたっている。

 相談内容によっては自分の持つスキルの一層の向上を必要とすることも多く、相談者から刺激を受けることも多い。
 
 最近お二人の方から少し変わった相談を受けた。
 
 直接現在のパソコンに関するものではなく、パソコンを導入する以前に使用していたいわゆるワードプロセッサ(ワープロ<T社製のRUPO>)時代の遺産(ファイル)を現在のパソコンのファイルに変換できないかという相談である。
 
 文字を入力して文章を作成し、ファイルとして保存し文書に印刷するという機能は、ワープロも現在のパソコンのソフトも同じである。
 
 ところが、ワープロという機器とパソコンという機器とはもともと設計思想が異なり保存したファイルの形式に全く互換性がないのである。
 
 相談に見えた方は、ワープロで作成した文書をワープロ用のフロッピーディスクに10数枚持っておられるという。折に触れ書きためた折角の自分史の原稿でもあるのだという。
 
 パソコンを導入したのはいいがワープロのフロッピーをパソコンでは直接読めないし、ワープロの印刷リボンももう生産中止になっていて手に入らないため印刷もできないので困っているという。
 
 専門の業者に依頼する方法もあるにはあるが、フロッピー1枚あたりンゼン円とかなり高額になるという。

 これを聞いて拙文をものするわたしには人ごとと思えなくなった。
 
 わたしはもともとワープロは使ったことがないので、相談者と二人三脚でワープロの機能を理解しながら始めることにした。
 
 わたしにはパソコンで保存したり、読み出したりする最も基本的な保存形式はテキスト形式であるという知識はあった。
 
 これが出発点になってワープロの機能としてMS-DOSファイルとして保存することができることを見つけた。
 
 このほか同時に解決しておかねばならないワープロで使用できるフロッピーディスク(DD)とパソコンで使用できるフロッピーディスク(HD)の種類が異なることなどいくつかあったが、最終的にクリアすることができた。
 
 ただ操作方法としては、RUPO文書を1ファイルごとにMS-DOSファイルで保存し、それをパソコンにかけてパソコンのテキストファイルとして読み込むことを繰り返す必要があるのでかなり時間がかかることになった。
 
 それにしても見事ワープロ文書がパソコン文書として新しい遺産として生き返ったのである。
 
 その相談者の喜びがこちらにも伝わってきてわたし自身の小さな喜びとなった。
 
 この経緯を見ておられた別の相談者も同じ悩みを持っておられたらしくあらためて相談に見えた。このときはRUPOの機種の違いから別の問題があったが、結果的に生き返らせることができた。
 
 このときも相談者共々小さな喜びを分かち合った。


§『自動車の登録番号』  (2006.7.23)

 長い梅雨が続いている。昨日夕方も雨こそ降っていなかったが雲があって鬱陶しい日であった。
 
 夕方5時過ぎいつものように散歩に出かけた。
 
 途中斜面の上にある家の車庫が道路に面して設置されているところがある。いま外出から帰ってこられたのかおそらくこの家のご主人だろうと思われる初老の男性がリモコンを手に車庫のシャッターを下ろしておられるところを通りかかった。
 
 何気なくいままさに隠れようとしているクルマ前面のナンバープレートの自動車登録番号に目が行った。ご存じのように登録番号は2行目にひらがな文字に続いて二桁の数字が二つ並んでいる。ひらがなは「な」であったように思うが悲しいことにこの文を書いているいまもう忘れてしまっている。
 
 その数字であるが、”62”と”31”である。わたしはそれを目にした瞬間前半部の数字の2分の1が後ろの数字になっていると思い当たった。
 
 その男性に声をかけるでもなく「いい番号だなあ」と思わず声を出してしまった。
 
 いまは登録番号に自分の好きな数字を希望することができると聞いたことがあるが、思うような数字をそんなに簡単に手に入れる機会は多くはないだろうと思う。むしろ苦労して手に入れられたのかもしれないと思った。
 
 その男性の顔をちらっと振り返ってみたがなぜか不機嫌そうな感じであった。
 
 通りすがりの見知らない男が何を言うかということなのかしら。


§『ひそやかなたのしみ』  (2006.5.31)plus(2007.9.1)

 この歳になるまで家で食事をするときはほとんど毎回晩酌をするのが常になっている。いま(5月31日午後11時過ぎ)こうしてこの雑文を綴っているのだからそんなに酔っぱらうほど飲んでいるわけではない。
 
 このごろはもっぱら薩摩の芋焼酎を愛用している。芋焼酎専用の「クロジョカ」でお湯割りを飲んでいる。クロジョカは黒い薩摩焼の暖め用・注ぎ用の酒器のことである。これなら四・六で割るとしてそれほどのアルコール量ではないし、もともと芋焼酎は少し独特の匂いがあるものの翌日に残らないいい酒である。晩酌には日本酒もいいがどうしても重い。芋焼酎と日本酒では酒の製造方法が異なり、前者はウィスキなどと同じ蒸留酒の一種であり後者はワインなどと同じ醸造酒の一種である。欲張りなのだろうわたしなどはときと場合によってどんなものでも飲みたいと思う方である。
 
 こんなことを書いていると話の方向が別の方に向かってしまう。今日いいたいのは夕食後ある程度時間が経由後床に就く直前(おおむね午後11時から12時ころ)口を潤す寝酒のことである。床に就いたあともうひとつの寝酒は軽い読書である。この軽いは持つのに軽いという意味である。またまた変な方に話が逸れてしまいそう。
 
 寝酒に適しているのはブランディかウィスキーであろう。香りがよくてごく少量で睡眠を誘うという意味で。ブランディは銘柄とランクにもよるが少々値がはるので文字どおり少量飲むのに適している。ウィスキーの方はブランディに少し勝ちを譲るような気がする。
 
 いつだったか旅行家で作家の椎名誠氏の一文を読んでいたとき、シングルモルト(大麦)という言葉に出会った。われわれが昔から口にしていたいわゆるウィスキーというのはモルトはモルトでも複数のモルトが混合されたものである。これに対してシングルモルトというのは文字どおり一種類のモルトから作られたウィスキーである。
 
 その一文を読んだあと機会があるごとにシングルモルとなるものがどこで手に入るか探してみた。一番最初に見つけたのは羽田だったか成田だったかの出発ロビーの免税売店であった。たまたまそこにあった Glenfiddichi のクオート瓶を求め旅先でちびちび飲んだ。

 樽に使われているオーク材のスモークの匂いが適度に染みこんだ一種独特の香りがあり実にうまい。
 
 あるとき新聞の折り込みチラシの中に大型リカーショップのものがあり、ブランディやシングルモルトの銘柄名が多数出ているのを見つけた。そんなに遠いところではないのでいまではときどき覗くことにしている。
 
 銘柄の相違が味の相違でもあり,何種類か揃えてそれこそほとんど毎晩そのうちのどれかをたのしむことにしている。高さ7センチの足つき杯(足の高さ3.5センチ)のもので飲むのであるから量的にはほんとうに大したことはない。ほんのワンショットである。
 
 でも飲んだあと喉を通り過ぎ胃の中にゆっくり広がり少し熱くなってくるのを感じる時間が楽しめる。
 
 いま手許にあるシングルモルトは、
 
 The Glenlivet 12years 、The Glenlivetv Archive 、Dalwinniey 15years 、Talisker 15years 、The Glemmorangie 10years 、Bushmills Malt 10years 、The Macallan Fine OAK 12years 、Highland Park 12years
 
 また、ブランディは、
 
 COGNAC CAMUS NAPOLEON VIELLE RESERVE 、COGNAC JEAN FILLIOUX NAPOLEON 、REMY MARTIN XO Special Fine Champagne COGNAC 、MARTELL XO Supreme COGNAC 、MARTELL ODYS COGNAC 、HENESSY XO COGNAC 、JEAN FILLIOUX CEP D'OR 
 
 実にささやかな、ひそやかな楽しみである。

           ===========
           
(2006.12.15 追加)

 CU DHUB 、SPEYBURN 10years、Glemmorange Port Wood Finish、Glenfarclas 15years、Kaolila 12years

           ===========

(2007.3.12 追加)

  D'ORGlen Garioch 12years

           ===========

(2007.5.7 追加) 

 Kingsbury's "The Selection" Ord Distillery 7years 、Bruich Laddic 10years
 

           ===========

(2007.6.15追加) 

 Bowmore Islay Aged 12 Yeas

           ===========

(2007.8.24追加) 

 Bowmore ENIGMA 12years

           ===========

(2007.9.1追加) 

 Auchentoshan 10years


§『駅前に自転車を留め置いたが』  (2005.12.19)

 通常都心に出るときの最寄り駅はJR中央線の武蔵小金井駅と決めているのであるが、自転車置場から駅まで遠くてなにかと不便を託っている。
 
 その点府中駅の場合は自転車で行く所要時間は倍以上必要であるが、駅前のケヤキ通りに「チョコ輪スポット」として3時間以内の短い時間ならば無料で駐輪することが許されている。まことに有り難いことで時々利用させていただいている。
 
 たまたま先月末都心に出る用事があり行き先からみて京王線の府中駅を利用するのがいいだろうと考えた。まだ銀行やスーパーが開いていない朝8時半過ぎであったが、そのまま置かして貰った。
 
 用件が終わって府中駅に戻ったのは午後3時過ぎであった。朝置くときにはほんの数台しか置いていなかった場所であるがその時間帯ではずらりと何十台と置かれている。ところがどこにも自分の置いた自転車が見つからない。かなり広い範囲にわたり探したが見つからないものは見つからない。
 
 あらためて「チョコ輪スポット」の立て看板を読み直したところ、午前10時から午後8時までの間で3時間ということががいやに強調されている。同時に市役所の担当課の電話番号が記載されていた。
 
 早速担当課に電話を掛けたところ、見つからないということはおそらく撤去されたのだろうということであった。そこで撤去自転車の保管場所について尋ねたところ3駅手前の武蔵野台だという。このとき運用時間も聞いておけばよかったのであるがそのまま保管場所に向かった。
 
 武蔵野台駅から保管場所までおおよその方角しか分からなかったので道で出会った人何人かに尋ね尋ねやっと辿り着いた。その時刻午後4時15分であった。公園の一部分らしいところで非常に多くの自転車が並べられていた。やれやれという思いとともに入口を捜したが、どうやら施錠されていて中には係員らしい人の姿がない。その入り口のフェンスから少し離れたところにあった看板に「月水金」は午前10時から午後4時まで「火木」は午後1時から午後4時までとなっている。さすがとため息をつくしかなかった。
 
 帰途少し冷静になり色々と考えてみた。
 
 ■ふつう放置自転車を撤去する場合、自転車はそのままにして置いて注意書きのあるステッカーを付けてあるのをよく見掛ける。ところが府中市ではそういう手続きを一切とらないということ。
 
 ■監視カメラはないようなので何を基準に3時間経由後の自転車と判断したのだろうかという疑問が残る。ということは撤去担当者の恣意が働きうること。
 
 ■「チョコ輪スポット」には午後7時から翌朝午前10時までは一台の自転車もないという前提が生きているのだから、この時間帯に置けば撤去されることがあり得ること。
 
 ■あれやこれや考え合わせて得た結論ーー>当然のことながら規定時間を守れることがはっきりしている場合にしか「チョコ輪スポット」を利用しないこと。
 
 ◇それにしても府中市当局のやり方は少し杓子定規にすぎないかという疑問は残る。時間、交通費、撤去関連費用(保管料)を支払ってまで取りに行くかどうか考え合わせて、少し悔しいがあの自転車は府中市に寄付することにした。多分撤去を担当しているシルバー事業の費用の一部になるのではないだろうか。

         
         −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
         
(2005.12.23追記)

 今日「自転車返還通知書」なるはがきが届いた。おそらく自転車購入の際に加入しておいた防犯シールの効果なのだろう。これはこれで大したものだと思う。今更取りに行く気にはなれないのだが。
 
 それにしてもいまでも思うのはせめて1日だけでも留め置いた場所にステッカー付で置いておいてほしかったということである。


§『本当に景気がよくなってきているのか』  (2005.11.26記)

 このところ株式市場が連日ITバブル崩壊以降の高値を更新し、関係者の中には今度こそ景気回復は本物だと強気の発言するする者も増えてきている。そうかもしれないしそうでないかもしれない。
 
 先月末四国でのローカル線の旅をしたが、その間何人かの人と短い会話を交わす機会があった。その中で景気に関してこんな話を交わしたのを覚えている。
 
〇 その1

 中村から高知までの車中で隣り合った女性は、清水で薬局を営んでいるということだった。世の中景気がよくなってきているといわれているが、おそらくそれは大都会での話で地方で商売をしている身としてはそんな実感は微塵もないということであった。いずれ地方にも波及してくるのではとおざなりな言葉を口にしたところ、いままでもそういわれてきたがそうなったことはないと強い口調で返された。テレビや新聞で報じられていることを視たり読んだりするたびに中央との格差を感じるとも。
 
〇 その2

 徳島市内の小さなビジネスホテルでのこと。たまたまエレベータに乗り合わせた50歳代の先客から仕事ですかと聞かれた。いいえ遊びですといったところそれは羨ましいですねという。手にスーパーのレジ袋らしいものを持っている。廊下に出てそれぞれの部屋に分かれるときに、その彼は袋を指して「不景気で外での食事に出掛けることもできないのですよ」とそっとつぶやいた。


§『こんな会話を耳にした』 (2005.10.16記)

 今日の午後昨年に続いて木曽路の「奈良井の宿」を1時間ばかり散策する機会があった。

 昨年の印象はここに記している。今回は街道筋を見て歩くのはそこそこにしてお茶タイムをもつことにした。
 
 この宿は土産物屋が大半を占めるが、表は旧の佇まいのままで喫茶店の営業をしているところが数軒ある。その1軒に入った。そういう意味で内部も派手に手を入れられてなく落ち着きのある雰囲気が好ましい印象を与える。
 
 この店には髭の主人がいて奥さんと二人でやっているようであった。
 
 ここではトラジャをサイフォンで淹れてくれるというので頼んだ。
 
 そろそろお茶が入るかなというころ先客の一人が勘定のあと、店の主人に聞いている言葉が耳に入った。
 
 「クルマを駅に近い橋のたもとにおいてきているが、この店の裏から線路を渡って行くことができるか」というのである。

 これに対してその主人は、「行けるかといわれれば行けるというしかありませんが、あくまでも渡れるというだけの意味ですよ」という。
 
 そのあと二三短いやりとりをしていたようであったが、よく聞き取れないままその客は出ていった。
 
 主人はわたしに対して語りかけるかのようなひとりごとのように話をする。
 
 「自分は五歳のときから渡っているが、それはあくまで自分の責任でよく確かめてから通っているのであって他人様に勧めるようなことはできない」「電車の間隔は長くあいている」「でも特急電車は非常にスピードを出しているので危険であることは間違いがない」「一日のうちに何度も警笛を鳴らしているのを聞くことがある」「これらの話はあくまで大人の会話だ」

 考えてみるとこの話はいろんな意味をもっていると思われる。一度ゆっくり考えてみていただきたい。
 
 鉄道(中央西線)は奈良井宿の街道筋と家1軒分プラス細い道1本はさんで敷かれている。その店を裏口から出て線路沿いの道を歩いてみた。
 
 件の箇所はすぐに見つかった。線路の両側には低いフェンスが張ってあり、上下線のレールの間にはロープが張ってある。ところがその箇所には人がひとり通れるくらい幅でフェンスもロープも切れており、道と線路の間を流れている溝には板が渡されているのである。
 
 これをみると鉄道側は渡ることを黙認しているようにも受け取れるのである。いわゆる地域の人の生活通路として使われる場合、よくよく注意して渡るのならばという意味であろうか。


§『IT機器の買いどきはいつ』 (2005.8.29記)

 今年になってわたしの買ったIT製品(IT機器)は、とりあえず次の二つである。
 
 ひとつはディジタルカメラである。
 
 初代はまだディジタルカメラが走りの頃購入したKodakのDC210である。約3年くらい使ったか。やがて画素数の多いものが出始めたのでその当時としては高級品であった、Kyocera SAMURAI 2100DGを10ん万円で購入した。これは比較的長く使ったが、今年初めついに3代目に道を譲ってもらった。
 
 昔ペンタックスの一眼レフを使っていた頃のあのカシャッという感触が忘れられず、Nikon製品の中でも比較的低価格(とはいっても標準価格15万円)のものということでニコンD70を購入した。巷にあふれる軽薄短小技術の粋であるディジタルカメラからみると、旅行など持ち運びに多少の不便があるものの何となく満足感がある。
 
 二つめは、今はやりのMP3タイプの携帯用オーディオである。
 
 嘗ては音楽CDを聞くためにSONYのウォークマンを持ち歩いたこともあったが、大きくてかさばるのとCDの取り替えが不便なことなどがネックになってほとんど使わず仕舞いになってしまっていた。
 
 最近ではメモリータイプやHDDタイプのモバイルオーディオが出回るようになってきた。
 
 いろいろ調べているうちに活用しているICレコーダーとオーディオ機能を併せ持ったものがほしいと思うようになっていたので、思い切って CREATIVE Zen Microを4月末に購入した。これは2万ん千円であった。
 
 パネルタッチ式の操作にも慣れてやっと使えるようになったところである。ただし聴く方だけで録音の方はまだ手付かずである。
 
 こんな状態のところ先月(8月)初め頃、あるパソコン雑誌の記事とあるパソコンショップの展示棚をみていて、上にあげた2製品とも既にモデルチェンジをしていることを知ったのである。
 
 悔しくないといえば嘘になる。やっぱりなあと嘆息するだけである。
 
 そういえば数週間前に会った友人はわたしの購入したニコンD70と全く同じものを驚くなかれわたしの購入価格の3分の2の価格で手に入れたといっていたのを思い出した。その話を聞いたときはまだモデルチェンジの事実を知らないときであった。ただただ安い買い物をしたなと羨ましかったが、そのときもっと別のことに思いをめぐらすべきであったのである。ダンピングするにはするだけの理由があることに。

 そこでニコンのHPやらパソコン雑誌やらにアンテナを伸ばし詳しいことを知ろうとしたところ、モデルチェンジしたものに近似の機能を得ることのできるファームアップのダウンロードが可能と知った。まずは一安心。本体のハード的な改造は有償1万9千円でできるとのことであるがひとまずファームアップだけしておくことにした。
 
 このようにIT機器はまさに日進月歩、常に次期製品に取って代わられるものであることを肝に銘じておく必要があるのである。
 
 そんなことを事前に調べられるアンテナを持ち合わせていないわれわれにとって、一体いつ買えば最新のものを手に入れることができかつ長期間最新のものとして使うことができるるのだろうか。そんなことを言っているといつまでも新製品が買えないということになってしまう。
 
 どこでどう割り切るか、いつになっても悩ましい問題である。
 
 わたしはこういうIT製品については、「ほしいときが旬である」と思うことにしている。
 
 あとはそれを自分なりに使いこなすことにつとめることが大事だと思う。
 
 皆さんはどのようにお考えだろうか。


§『「携帯電話」について先見の明を持ち合わせなかったこと』 (2005.6.30記)

 午後8時過ぎの電車に乗った。座っている女性で眠っていない者、つり革に掴まっている女性のほとんどは携帯電話を指先で操っている。

 これが日中の中高生の多い時間帯だと男女を問わずその数はもっと増える。

 さすがに最近は車内で大声で通話している人はほとんど見掛けなくなっている。

 今年6月8日の朝日新聞によると、総務省の発表で携帯電話(携帯とPHSの合計)は04年度末9,147万台だという。一方昔の加入電話今でいう固定電話はIP電話(830万)も含めて6,791万台で完全に携帯電話が多くなっているそうである。

 わたし自身はリタイア後、特にモバイルを持たなければ困る状態にないものだから持っていない。ただ最近は街中で公衆電話がどんどん減っているので不便を感じることがままあるが、でも携帯がなければ困るということはまずない。

 この携帯電話というのは無線という電波を利用して行う通信であることは皆さんご存じのとおりである。テレビも無線電波を使うという意味では同じと考えてよいであろう。

 ただ前者は、特定者から特定者への1対1の通信であるのに対して、後者は特定者から複数不特定者に対する通信という意味で大きな違いがある。別のいい方をすれば前者は双方向通信であるのに対して、後者は片方向通信であるということができる。

 あれは昭和52〜53年の頃ではなかったか、あるプロジェクトティームで金融関係のシステム設計に従事していたとき、クライアント側のチームのある人との雑談の中でこんな質問というか疑問みたいなことを受けたことがある。

 「槇平さん、将来は各戸にアンテナがあって今(その当時のこと)のテレビのようにしかも1対1の双方向の通話ができるような電話が普及する時代がくるだろうか」

 表現は必ずしも正確にこうではなかったかもしれないが、意味としてはこういうことだったと記憶している。

 そのころは無線電話としていわゆる自動車電話が出始めた頃で、非常に高価なものであり形態も大きいものでとても一般人の手に届くものではなかった。

 わたしは通信会社の職員であったが、無線電話のことに関しては全くの素人である。素人の生かじりで無線電波の割り当ての難しさや技術的な困難性についての社内の一般的な知識しか持ち合わせていなかった。

 当然否定的なことしかしゃべれなかった。

 ところがどうだろう、あれから30年ばかりでこんなに携帯電話がコンパクトで人口の7割近くの人が持つまでに普及する時代になっている。彼の質問の中にある「各戸のアンテナで」というのは別の形の技術で解決されて今の形になっている点を除いては、全くといっていいほどそのとおりにに実現されているのである。

 わたしは携帯電話のことを考えるたびに、自分に先見の明がなかったことを恥ずかしく思い出すのである。
 


§『今年の干支は酉』  (2005.2.11記)

 2005年年賀状に書いたように、干支はわたしの生まれ年から6巡した。だからといってはるばる生きてきたかなという感慨もないとも書いた。

 でも振り返ってみるといろいろなことが走馬燈のように思い出される。

 満州事変のあとに生まれ、太平洋戦争の始まった翌年からの6年間の小学校生活が終わる直前の1945年(昭和20年)にその戦争も終わった。

 その1945年は5巡前の酉年で今から60年前になる。その年はなんといってもイポックメーキングな年で、その年にあったことを書き留めておくのもあながち意味のないことでもあるまいと思いつくままあげてみる。

@イポックメーキングな出来事:

 なんといっても日本の敗戦。8月14日、ポツダム宣言を受諾。3年8か月にわたる太平洋戦争に幕。このあと食糧事情が悪化、主食の配給1割減で2合1勺に。買い出しや闇市で飢えをしのいだ

A流行語のいくつか:

 「ピカドン」(これは説明なしでわかるだろう。)、「一億総懺悔」(これを言い出したのは誰か知らないが、この言葉により戦争責任の存在感が薄められたのは間違いないだろう。)、「マッカーサーの命により」(上御一人より上の権力者が存在した。絶対的な命令。)

Bにわかに英語の勉強:

 「日米会話手帳」(当時は読む機会がなかったが、数年前に復刻版が出たので読んでみた。あれがそれほど役に立ったとは思えなかった。戦争中英語は敵性語として一切禁止されていたのにである。)

C映画:

 「勝利の日まで」(監督の成瀬巳喜男が試作中のTV放送にヒントを得てつくられた。戦意高揚の映画であったのか、戦後GHQにより上映禁止となった。)、「伊豆の娘たち」(五所平之助監督の8月30日公開の戦後の第一作。これは敗戦まえに完成していたのを手直しして封切ったものである。伊豆に疎開した工場で働く工員たちと地元の娘たちとの物語で、戦意高揚映画のはずだったが、もともと五所は工場には興味がなく、工員の青年と地元の娘とのロマンスを描いていたのが幸いして、ちょっと手を加えただけで戦後に公開できた。)

D流行歌:

 「お山の杉の子」(杉といえば今は花粉症の元凶として忌み嫌われているが当時はそんなこともなく、何となくいい感じの歌であった。調べたところ歌詞の中に戦意高揚の部分があったので戦後書き換えられた部分があるとか。戦後杉の植樹に役立たせようとした動きもあったという。うたた今昔の感がする。もう一つ、その頃笹鉄砲を作って弾に杉の実を使って遊んだものである。細い笹の銃身の先に小さい杉の実を弾にしてそれを籠めて反対側から押し出してやると空気銃と同じ原理で空気の圧力でパチンと音がして杉の実が飛び出した。花粉症などいうのはその気配もなかった。)


§『賀状の宛先』 (2005.1.3記)

 元旦の午後6時頃ちょうど娘夫婦と食事中のことである。電話があった。

 最初家内が出たのであるが、どうも要領の得ない応対をしている。どうやら年賀状のことに関してのことらしい。わたしの出した賀状の関係であることは間違いないので、もしも相手に対して失礼なことになっても困ると思い途中で慌てて交代した。

 女性の声で八王子市内の「西田」さんとおっしゃる。こちらからは八王子市内にお住まいの先輩である「西田」さん宛に毎年賀状を出している。もしやその西田さんに何かあったのかと急に心配になった。

 その方のお話では、

 八王子市内の○○町○丁目○街区○番地の「西田」ですが、ここ数年「槇平」さんからの賀状が届いていますが、どうも心当たりがありません。賀状の宛名を見ると名前が違います。私どもは数年前にここに引っ越ししてきた者です。

 昨年までは前住者の「西田」さんに転送手続きをとっていましたが、もしかすると発信者のあなたが前住者の「西田」さんが転居されたことをご存じないのではと思い電話をしました。

 と仰る。

 朝配達された賀状をめくり先輩の「西田」さんの住所を見ると確かに八王子市内ではあるが、町名が全く違っているのに気が付いた。転居通知をいただいていたはずなのにこちらの怠慢で訂正していなかったということである。

 何年かにわたりお二人の「西田」さんにご迷惑をおかけしていたことになる。

 その場で電話をいただいた「西田」さんのご親切に感謝とお詫びを申し上げた。


わたしが参加している研究会:ネット研21(ネットワークやパソコンの研究会)

 戻る ] ホーム ] 進む ]