ココさんよりいただきました^^
悪戯
ハウルの動く城。それはかつては美しい娘の心臓を喰らう、恐ろしい魔法使いの居城として恐れられたもの。しかし、今はその城主の肩書きも広く知られることとなり、畏敬の念も抱かれています。
ただ、ある同居人にとっては、むしろ今こそ別の意味で恐ろしい場所だと思えていました。
「何してるんですか?ソフィーさん」
そして、その原因の一端を担うあかがねの豊かな髪を持つ麗しい女性が、また何やら騒動の渦中にいるようでした。
出来るならあまり関わりあいたくはなかったのですが、運悪くちょうど取り組んでいる課題に、倉庫に置いてある筈の道具が必要となってしまったのです。
そこで目にしたのが、こそこそと身を低くして必死に隠れようとしているソフィーの姿。
無視しても良かったのでしょうが、残念なことに自分はまだまだ常識人なようで、声をかけてしまいました。
「マイケル!駄目よ。静かにして」
突然むんずと右腕を掴まれて、何とも形容しがたいいびつな格好をした魔法の道具の影に引っ張り込まれます。
確かこれは昔、師が作った、目の薄くなったご老人の為に自動で色々な本を読み上げる道具の原型だったと記憶していました。
依頼を持ってきた孫娘を、師がいつもの癖で口説いてしまい、更に娘さんもあっさりあの魅惑の笑みの虜になってしまったため、あっという間に捨てられて。 結局、道具を渡す渡さないの前に、ご老人自身が般若の形相で城に乗り込んで来たので、今ここで怒りの余りに心臓発作でも起こしてしまわないかとマイケルも本気でハラハラとしたという、とてもソフィーには口に出来ない曰くつきの代物。
まあ、隠れるにはちょうどいい大きさです。このくらい役に立てて良かったのかも知れません。
しかし、こうして師の妻が何かから逃げ隠れしている姿と言うのは珍しいものでした。
いつもなら、どちらかと言うとこの役割は、奥さんを怒らせてしまった時、構って欲しさに色々趣向を凝らす師の方なのです。
「大きな物音も立てないでね?今、沢山のハウルが私を探してるはずなの」
ソフィーはくるりとした大きな目を道具の陰から少しだけ覗かせ、入り口の向こうの方を見遣ります。
「そうですか」
何気なく相槌を打ってから、おかしなことを聞いたとやっと気付きました。
「沢山のハウルさん…?」
師が増殖しているとでも言うのでしょうか。
一人だけでも強烈な個性なのにそんな恐ろしい光景。思わず想像して身震いします。
「そうなのよ。かくれんぼ、ですって」
呆れ、疲れた声でソフィーは、眉をしかめます。
「ほら、今日あの人休みだから朝から暇してたでしょう?ずっと纏わり付いて来てて鬱陶しくって、ちゃんと話も聞いて無くてね。私ったら掃除に夢中で上の空で答えてしまったの」
『ソフィー、ソフィー。ああもう!さっきからまともに僕の話も聞いてないんだろう。そんなに一拭きごとに窓が綺麗になっていくのが嬉しい?振り返ればそんな窓なんかより綺麗で眺めがいのある夫がいるってのにさ! あんたが構ってくれないとせっかくの休みも何の意味も無い。出かけるのが今日は無理って言うならせめて、家の中で出来ることをしないかい? 童心に返ってかくれんぼとか』
夫のいつものとめどない台詞を、完全に聞き流しながら。ただ、何も返さないのは彼をますます不機嫌にして後々面倒なことになると分かっていましたので、適当に「ええ」とか「そうね」とか、「まあ良かったわね」など、相槌だけ打っていました。
それを、肯定ととったのでしょう。
『それは良かった。だけど、ただのかくれんぼじゃつまらない。二人きりでは盛り上がらないしね。ああ、そうだ!こうしよう』
一人で何やら納得したと思えば、いきなり背後からぽん、という軽い煙が立ち上がりました。
驚いて振り返った瞬間、ソフィーは手にしていた磨き粉とぞうきん一式を全て落としたことにも気付きませんでした。
『ソフィー、これらはどれも僕だけど、鬼なのはこの僕だけだから。上手く見分けて捕まらないように気をつけて』
絶句する奥さんを前に、麗しく礼をしたのは、紛れも無く彼女の夫達。
金の髪を柔らかく揺らし、その間から悪戯っぽい光をたたえた緑の瞳で、彼らは皆一斉に極上の笑顔で彼女の髪、腕、頬、あらゆる所にキスを落としたのです。
かくれんぼの開始の合図の代わりに。
「信じられないでしょう!?ハウルったら、自分の幻をいっぱい生み出したのよ。それにどうやら少しずつハウルの持ついろんな面を分けてあるみたいで、やたらと子供っぽいハウルもいれば、お嬢さんを口説く時のように紳士的なのもいるし、その上…物凄くその、色っぽいのもいるの」
ソフィーがそう口にした時、やたらと頬が上気したのを見逃しませんでした。
きっと本気になった時の師の分身に、何やら迫られたのでしょう。もちろん、その分身だけではなく、全て師の分身なのです。
きっと愛する奥さんを見つけるなり、口説いたり抱きしめたり、口付けたりするに違いないのですから。
「もう、鬼が一人だなんてとんだ嘘だわ。これじゃあ、誰にだって見つかるわけにはいかないじゃない!」
真っ赤な顔で憤りを示しますが、それが間違いでした。
うっかり大きな声になってしまったのを、ハウルの一人が耳にしてしまった様子。
がたり、と倉庫の扉が開いて、何者かが入ってきた気配がしました。
ソフィーは急いで身を縮こまらせ、影からはみ出しそうなマイケルをぎゅっと引き寄せました。
「うわっ!ちょっ…ソフィーさん!?」
思わず抱き合い密着する姿勢となったことで、マイケルも赤くなりながらつい慌ててしまいます。
こんな光景、師に見つかりでもしたら!
しかし、ソフィーはひたすら見つからないようにすることのみ集中しているようで、少年の必死の訴えに微塵も気付いてはくれません。
「ソ、ソフィーさん、まずいです、これは。 ちょっととりあえず僕の手をそのえっと」
胸に当たらない位置に移動させてくださ…
とは、恥ずかしくて言うことが出来ませんでした。しどろもどろに、どうにかソフィーの体から少しでも離れようと身を捩った拍子にうっかり、後ろにあった渦高く積み上げられた箱に頭をぶつけてしまいました。
「うわあ!」
「きゃあ!?」
悲鳴が重なり、上から降ってきた本やら箱に襲い掛かられ、ちょうど入ってきた影の前に、二人折り重なって倒れこむ格好。
騒音と埃が収まると、一瞬、沈黙が降りました。
驚くほど気まずい空気に、ソフィーもマイケルも固まったまま。
「…かくれんぼ中に、弟子と奥さんが不倫してるとは、さすがに思わなかったんだけど」
ひたりと静かな瞳で見据えられて、蒼白な顔で少年はわたわたとするしかありません。
このハウルがどのハウルなのかはさっぱり分かりませんが、どのハウルにしたって、ソフィーに関しては激しいヤキモチ焼きに違い無いのですから。
「うわわ、違うんです!そのこれはソフィーさんが隠れようとして僕が課題をしようとしてほらあの朝ハウルさんが僕に言ったあの」
纏まらない言葉を、無表情に聞き流す師の迫力に押されながら --- 男の自分が見てもとてつもなく美しい師は、感情を殺した顔をすると本当に背筋が震えるのです---マイケルは弁解を試みましたが、
「とりあえず、早く離れなさい」
一言で遮られてしまいました。
わたわたとソフィーの上を離れると、ハウルは片足をついて、妻に手を差し出しました。
ソフィーは決まり悪そうに、その手を受け取ると、引き上げられて立ち上がります。
「…言っておくけど、私は別に、あんたの言うとおりにかくれんぼをしていただけよ!」
口を尖らせて訴えますが、ハウルの手にいざなわれてそのまま抱き寄せられる形に、耳元へ低い声を聞きました。
「でも、妬かされたお詫びにキスくらい貰ってもいいだろう?」
答える間もなく、塞がれた唇に伝わる熱。
ソフィーは混乱しました。このハウルはどのハウルなのでしょう。
いつもよりも鋭く、強引な気もするハウル。でも、そんな彼の一面もちゃんと存在することを知っています。
彼は驚くほど色々な面を持つ、不思議な人。
子供のように聞き分けに無い駄々っ子な一面、狡猾で大人、打算的な一面、隠された寂しさと切なさをたたえた一面、無邪気に愛を向ける一面…
どれもこれも、ソフィーを呆れさせ、同時に愛しく思えるもの。
彼の生み出した分身もハウルには違いないのでしょうけれども、やはりそれでも。
キスをされるのは本当の本人であって欲 ---
「んん・・・!」
確かめたくて、抵抗するように逃れようとしますが、構わず送り込まれる愛情に脳の奥が麻痺したよう。
目の端に涙をためて見上げた顔に、ふと一番見慣れた悪戯っぽい色が、淡い緑の瞳に映りました。
ソフィーをそっと離すと、奥さんの顔を覗き込んで微笑います。
「そんなに切なそうな顔をされたら、つい意地悪したくなってしまうじゃないか」
夫のこの顔に、ソフィーもようやく確信が持てました。
「もちろん、本当の僕だよ。決まってるだろう。たとえ僕の分身でも、ソフィーの唇を奪うなんて許せるわけ無いんだから」
子供のような無邪気さと、悪戯を成功させた喜びと、愛しさと…、1人でこんなに奥深い表情をするのは、あの幻の中でも本人だけ。
結婚して毎日過ごした今でもまだ時に初めて見せる一面を持つ、つかみどころの無い、本当に手のかかる愛しい旦那様。
ソフィーは呆れたように一つため息をつくと、きっと眉を上げて言いました。
「もう、こんな馬鹿なかくれんぼ、二度としないんだから!」
腕の中の奥さんに、ぽかぽかと胸を叩かれながら笑う師を、取り残されたように1人眺め、
(ああ、こういうのを俗にバカップルって言うんだろうな…)
しみじみと嘆息して、倉庫の片付けに戻りました。
end
ココさん素敵なSSありがとうございましたvvココさんの素敵サイト→そらのかご