Troublesome Tornado
星の子の奇跡 −前編− written by 梓音
こうなるんじゃないかと思ったわ
咳き込んだカルシファーが炎と一緒に吐き出した人物に圧し掛かられた状態でソフィーの脳裏を過ぎった考えはそんな冷静なものだった。
「いたた・・・酷いよ、ソフィー・・・」
「ハウル」
彼女の力では支えきれずに倒れこんだときにぶつけた額を押さえて恨みがましく呟かれた言葉は自分に向けたものではないことを確信して、彼女はゆっくりと彼の名を呼ぶ。まったく鍋をどけた後で良かったわ、今日のシチューは自信作だったんだから!
そんな関係ないことを思いながらもいつまでもどかない目の前の青年をそのまま彼女はじっと見つめて待った。黒い髪と蒼い瞳を持つ、ハウルが顔を上げてソフィーに気がつくまで。
「ソフィー! なぜ君がここに・・・!」
「それを訊きたいのはこちらだわ。とりあえずどいてもらえないかしら。重いし、ハウルももう直ぐ帰って来るでしょうしね。」
こんなところ見られたらねばねばどころの騒ぎじゃなくなるわ
あかがね色の髪を床に散らして見上げる彼女の言葉に、彼ははっとしたように横へと飛び退った。そこにきてあまりな出来事に固まって動けなかったマイケルが慌ててソフィーへと駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか、ソフィーさん!」
「遅いわよ。助けるならもう少し早く来てよ、マイケル!」
差し出す手に掴まって立ち上がった彼女は呆れたように鼻を鳴らして夫の弟子に不満を洩らした。顔を引きつらせながらもどこも痛くはないですか、と訊いてくるマイケルに軽く腕を動かして異常がないことを伝えると彼はほっとしたようだった。そうして困惑したように座り込んだまま呆然と辺りを見回しているハウルを見た。
「どうしてこの人がここにいるんでしょうか?」
「そんなこと知らないわ。カルシファーに訊いてよ。」
「ただいま、ソフィー!」
「ハウル!」
マイケルの疑問に肩を竦めて答えたソフィーは大きな音を立てて帰って来た夫の声に振り返る。にこにこと嬉しそうな笑みを浮かべて近づいた彼はそのまま妻にキスをして彼女を抱きしめる。
「会いたかったよ、奥さん! まったくあれからもう1ヶ月は経ったっていうのに王様は未だに僕に説明を求めるんだよ? いい加減にしてくれって叫びたくなったよ!」
あんまり頭に来たから身代わり人形を置いて帰って来たけどね!
そう言って疲れたと甘える夫にソフィーは溜息をつく。驚いたように彼らを見ている彼の存在を気がついていないはずはないのに、彼は綺麗に無視をした。
「早く言えよ、ソフィー。でないと話が進まないぜ。」
呆れたような悪魔の声にソフィーも頷き、懐く夫にお帰りなさいと囁く。すると彼は満足そうにただいまともう一度返して彼女に再度接吻けた。
「で、これはどういうことなの、ハウル?」
漸く落ち着いて、とりあえず話をとそれぞれが手近な椅子を引っ張って席に着くと、ちら、と視線を流して尋ねた彼女にハウルは肩を竦める。
「どういうことって僕にもさっぱりだよ、ソフィー。特に何かの呪いをしてた訳じゃないしね。あんたこそ心当たりはないのかい?」
言ってひたりと見つめた視線の先で、蒼い瞳の彼は思い出すように宙を見ながら首を傾げて口を開く。
「僕の方も特にないよ。ちょうど夕食時でソフィーの支度を手伝っていたから呪いに関わることはしていないし、正直判らないな。」
「お前はどうだい、カルシファー?」
「あんた、本気で言ってるのか、ハウル。まぬけにも程があるよ。おいらはこうなるんじゃないかって予想してぜ。」
考え深そうにしながら掛けられた魔法使いの台詞に暖炉の悪魔は心底呆れたというように元契約者を見た。それにハウルがむっとしたように睨み付ける。
「言ってくれるじゃないか、青びょうたん。僕が何を忘れているって言うのさ?」
「忘れてるだろ。こっちに帰ってくるときあっちのおいらにちゃんと珠を返して貰ってないんだから。」
馬鹿にしたように続けられたカルシファーの言葉にハウルがああそうだったと呟く。「珠ってあっちのカルシファーに持たせていたあの水晶のこと?」
思い当たるものといえばそれしかないソフィーの不思議そうな声に彼は困ったように頷いて、静かに耳を傾けていた異世界の魔法使いを見た。
「どうやらこちらに非がありそうだ。僕たちが置いてきたもののせいで道が出来てしまったんだろう。」
「そのようだね。僕もいつまでも放っていたのがいけないようだけど。帰る方法が見つかるまで置いてもらえないかな。」
夫の説明ですぐに察したらしい彼が頷き。続けられた申し出にハウルが仕方がないと了承したことを確認して彼女は立ち上がった。
正直ハウルたちの会話はソフィーにはさっぱり判らなかったが、そんなことはあとで夫にもう一度聞けば良いからとこの場は忘れることにした。
「お腹が空いたでしょう? 話もまとまったみたいだし、夕食にしましょうよ。」
突然の出来事にとにかく説明をとお茶だけを用意して聞いていたために、少し離れた場所で話を聞いていたマイケルがちらちらと料理に眼を向けていたことにソフィーは気がついていた。それもそうだと頷く夫とほっとしたような顔のマイケルにカルシファーにもう一度頑張ってもらわないとと思った彼女は急遽増えた住人へと眼を向ける。
「ハウルはどうするの?」
「なに?」
「え?」
「あんたじゃないわよ、ハウル。あたしが訊いたのはそこのハウルの方。」
同時に顔を上げた2人にすかさず答えたソフィーはそういえば同じなんだわと顔を顰める。彼がいつまでいることになるのかは判らないが、このままでは不便なことこの上ない。
何か判りやすい呼び名は無いかしら・・・・いちいち2人に返事を返されたら堪らないわ
そう思った彼女は異世界のハウルへと口を開いた。
「ねえ、あなたの名前はハウルだけ? 他には無いの?」
「それって偽名のことを訊いてるのかな? だったらジェンキンスとかペンドラゴンがあるけど。」
返ってきた言葉にソフィーは溜息をつく。ジェンキンスは駄目だわ。それにペンドラゴンも!
「他には? 名前の方は何か無いの? 同じ名前だと呼びづらいのよ。」
溜息混じりに更に尋ねると今のところはないと言われてしまったので彼女は肩を竦めた。彼に無いのなら、夫の名を変えるしかない。そう思って傍らを見ると彼女の言うことが予想できたのかハウルが嫌そうに彼女を見ていた。
仕方ないじゃない!
内心そう毒づいて、けれども顔はにこりと笑みを浮かべて夫を見る。
「食事にしましょう、ハウエル?」
「ソフィー!」
「あなたも食べるでしょう、ハウル? マイケル、お皿をもうひとり分準備して!」
騒ぐ夫と台所へと移動したソフィーはカルシファーを呼んですっかり冷めてしまったシチューを温めなおし始めた。
「どうして僕が名前を変えなくちゃいけないのさ!」
「いいじゃない。あんたのほんとの名前でしょう。」
「ソフィー!」
「だってジェンキンスとペンドラゴンよ? どう呼べっていうのよ。」
どちらも心当たりがありすぎて無理なんだもの
ぐるぐるとシチューをかき回しながら困ったように答える妻にハウルは溜息をついた。確かに彼女の言いたいことは判る。けれど。
「・・・寝室でまで呼び名を変えたら許さないよ、ソフィー」
「ハウル!」
思わず叫んだ妻に笑い声を上げてハウルは居間へと戻っていった。その後姿を見送った彼女はぶつぶつと悪態をつきながらシチューをかき回し続ける。
その後、彼女への意趣返しで少しは気が済んだらしい夫は食事が終わって、マイケルへの課題の答え合わせをすると、風呂に入って早々に寝室へと消えてしまったので彼女はほっとする。ねばねばにならなくて本当に良かった!
「これで大丈夫だと思うわ。」
「ありがとう、ソフィー」
ごめんね
部屋へと戻る前に結婚した後もそのまま出しっぱなしにしていた階段下のベッドのメイキングを終えて待っている蒼い瞳の彼へと言うと、異世界の魔法使いは申し訳なさそうにソフィーを見た。それに彼女は首を振る。
「良いのよ、あちらにいるときいろいろしてくれたからそのお礼だと思ってくれれば良いわ。」
「でもここは君の寝室じゃないの?」
ほら、と指されたベッド脇の棚には確かに彼女がここを使っていたときの装飾品が今も所狭しと並べられていることに、彼が困ったように尋ねるのをソフィーは笑って否定した。
「ここはもう使っていないの。だから気にしないでちょうだい。」
「だったら良いけど・・・・」
でも嘘だったら、となおも心配そうに見つめてくる蒼い瞳にソフィーはおかしくなる。随分心配性な魔法使いだこと!
「大丈夫よ、いまのあたしの部屋は2階にあるの。」
本当よ?と彼の瞳を覗き込んで答えると漸く安心したように微笑んだ。それを確認してソフィーも休むために足を2階へと向ける。
「お休み、ソフィー。良い夢を。」
「あなたもね、ハウル。お休みなさい。」
そのまま振り返らずに階段を上がっていった彼女はずっと背中に彼の視線を感じて苦笑する。自分の寝室を貸すなんてことするわけ無いのに、信用していないのね
「遅いよ、ソフィー」
くすくすと扉を開けるなり笑い転げるソフィーに彼女の夫は不機嫌そうに手を伸ばしてくる。近づいてきた彼女がその手を取ると彼はそのまま妻を抱きしめた。
「随分楽しそうじゃないか。」
「だって無駄な心配ばかりしてるんだもの。」
あたしはそんなに優しくなんて無いのに
言いながら彼女は階下の会話を夫に教えた。ハウルは黙って聞いていたが最後に気の毒にねと一言言って肩を竦める。
「気の毒ってどうして?」
「そういう風に考えるってことは彼の知るソフィーがそうだからじゃないの?」
おまけに彼女がひとりで眠ることに疑問を持っていないようだし
小さく続けた言葉はソフィーには聞こえなかったようで、彼女はわずかに首を傾げる。その瞳を見返しながら気の毒なことだと彼はもう一度心の中で思う。
「とにかく。」
「なあに?」
このままだと冷えちゃうよ、とベッドに彼女を引きずり込んだハウルの言葉をソフィーは促す。そのまま彼女の唇にキスを落としながらハウルは半分以上本気で呟いた。
「原因は判っていることだし、早々に彼にはお帰り願おう。」
December 05, 2005