Troublesome Tornado
束の間の休息 Written by 梓音
駆け寄ってきたマイケルの泣きそうな顔が見えると戻ってきて良かったとソフィーは心底思った。
「ただいま、マイケル。カルシファーもお疲れさま!」
すっかり元通りになったのね
見上げた城はもうほとんどの修復は終わったようで、細かい場所を残してほぼ元通りになりつつある。すぐに夕食の支度をするから、とソフィーが言うとマイケルはほっとしたようにしゃがみこんだ。
「僕、今日はもう何も食べれないんじゃないかと思っていたんですよ・・・」
「ごめんなさいね。お昼はどうしたの?」
「カルシファーが朝食を復元してくれたのでそれを食べたんです。いくらなんでも何も食べないのは身体に悪いって。」
「だってマイケルのやつ死にそうな顔してたんだ! おいらが辛気臭いのが嫌いなのを知ってるくせにさ!」
だからあんたが散らかしたのを戻したんだよ
照れ隠しのようにソフィーの周りをふよふよと飛んで言い訳をする火の悪魔に彼女はふふと笑いかける。
「すごいわ、カルシファー。あんたのために上等のベーコンとブランデーを買ってきたの。あとで好きなだけあげるからもう少しだけ頑張ってもらえるかしら?」
夕食の支度にあんたがいなくちゃ締まらないでしょう?
悪戯っぽく付け加えたソフィーの言葉に火の悪魔は考え込む。
「おいらと話してくれるのもつけてくれたら、おいら何でもきいたげる。」
期待に満ちたオレンジの瞳にもちろんよ、と笑いかけるとカルシファーは嬉しそうに身体を膨らませ、すぐに城の煙突から中へと消えていった。その様子を見送った彼女は苦笑しながら面白く無さそうに見ていた夫を見上げる。
「よっぽど退屈だったみたいね。」
「甘やかしすぎだよ、ソフィー。何が何でもきいたげる、だ!」
「ハウルったら。あたしたちも早く入りましょう。あんたにもブランデーをあげるから支度が終わるまで我慢して。」
そう言って覗き込む妻にハウルは感激したように抱きついた。
「ああ、奥さん! やっぱりあのブランデーは僕のためなんだね?」
「違うわよ! カルシファーのためってさっき言ったでしょう!」
「あの、何でも良いんで早く何か作ってください、ソフィーさん」
放っておくとこのまま二人の世界に入ってしまいそうな師匠夫妻にマイケルはすばやく言葉を挟む。大まかな修復はカルシファーの魔法だったがそれ以外の場所は全てマイケルが修復をしたので彼は心身ともにへとへとだった。疲れきったマイケルの様子にソフィーとハウルはバツが悪そうに顔を見合わせたあと、彼を伴って城に入った。すっかり綺麗になった居間を通り抜けると、カルシファーはすでに上機嫌に台所でフライパンの歌を歌いながら待っている。ハウルに持ってきてもらった荷物から手早く材料を取り出した彼女はすぐに支度に取り掛かった。
「こっちのハウルやあんたに会ったかい?」
頭を下げながら尋ねてくるカルシファーに彼女はちょっとだけね、と答えてすぐにフライパンを乗せて炒め始める。厚めに切ったベーコンを要所要所でカルシファーの口に放りこんで、次々と出来上がる料理を皿に盛って居間へと戻ると、そこにはハウルとマイケルが大きな樽に薄く張った水の水面を食い入るように見ていた。
「なにしてるの?」
覗き込んだ彼女の瞳についさっき訪れたもうひとつの城の埃だらけの部屋が映り、彼女を驚かせた。
「カルシファーは上手くやったみたいだよ、ソフィー」
水晶球の映像を投影させてるんだ
言いながらハウルは何事かを呟いて呪文を追加する。すると樽の水は張った厚さを保ちながら鏡のように宙に浮いた。固定されたそれにマイケルは感嘆の声をあげ、ソフィーはもっと近くで見ようと近寄った。向こう側が透けて見える水面が映像を映している。ソフィーが恐る恐る触れてみるとそれはひんやりとして氷のように固くなっていた。不思議そうな彼女に透明度だけを残して固体にしたんだとハウルが説明した。
テーブルに並べられた暖かな料理にちらちらと視線を流しながらもマイケルは熱心にそれを覗き込んで、あれはうちと同じものだ!とかあれは知らない植物だ!などとぶつぶつと言いながら、映し出される部屋に人影がないだろうかと見てまわっているようだったがそこはソフィーとハウルが訪れたままの状態だった。
「誰もいませんね・・・・」
「ハウルが帰ってきたはずだけど・・・お風呂かしら。」
「そのうち出てくるよ。それより食べよう。僕はもう耐えられないよ!」
不思議そうな弟子と妻の様子に肩を竦めてハウルは宣言する。その声にテーブルへと飛びついたマイケルを見てソフィーも休めていた手を動かし始めた。食事が始まるとあっという間に消えていく料理に彼女は嬉しさと申し訳なさ、そして変わらない風景にほっと安堵の息をつく。
ご馳走様でした!と満足そうに笑みを浮かべて皿を流しへと運んだマイケルはすぐにハウルの下へと戻って彼が突如始めた魔法講義に耳を傾けていた。仕組みの違う魔法という通常ならば知識だけで終わるものをせっかく肌で感じられるのだからとハウルは楽しそうにマイケルにあれこれと説明している。その普段と変わらない様子に気楽なもんよね、と毒づきながらもいつのまにか安心しきっている自分に夫の策略にまんまとはまったことに気が付いてソフィーは悔しそうに顔をしかめた。本当にあの人には敵わないんだから嫌になるわ!
鼻を鳴らしてこっそりと毒づいた彼女は汚れた食器の片付けに精を出すことにした。
「こっちのおいらはどうだった、ソフィー」
普段は水をつかっていると来ないくせに彼女の目の前に唐突に現れた火の悪魔がふよふよと浮いて興味深そうに尋ねてきたのにソフィーは驚いて瞳を瞠る。
「あんた暖炉にいなくていいの?」
「氷が溶けるから来るなってハウルが言ったんだ。いいから教えておくれよ、ソフィー」
おいらと話してくれるって約束したじゃないか
じれったそうに赤く青く色を変える火の悪魔にソフィーは苦笑する。あんたも災難ねえ、と話しかけながらもう一つの城の悪魔を思い出した。
「そうね・・・・あんたは青いけどあっちのカルシファーは赤かったわ。」
「じゃあおいらのほうが熱いんだ!」
得意そうに身体を膨らませる炎にソフィーは微笑う。
「あんたの話をしたら羨ましがってた。自由になりたいって昔のあんたみたいなこと言ってたわ。」
ハウルの心臓も持っていたの、と内緒話のように付け足すと目の前の悪魔はぴたりと動きを停止する。
「こっちでもおいらはあんな重たいものを持たされてるのかい?」
「そうみたい。あんたとハウルみたいに上手くいくと良いんだけど。」
食器を水切りにおいてソフィーはそう締めくくった。カルシファーはおいら知らないと返事をするとそれ以上は訊かずに居間へと消えてしまった。暫くして彼女も居間へと向かうとマイケルもハウルはすでにおらず、暖炉でくつろぐカルシファーと相変わらずあちらの城を映し出す水鏡があるだけだった。
「あの二人はどこかしら?」
「ハウルは風呂だよ。マイケルはもう休むってさ。」
定位置に戻ったカルシファーはのんびりと答える。ありがとうと言いながらソフィーはソファに座って水鏡を見つめた。炉床の炎しか動くものの見えない室内は本当に昔を思い起こさせる。
あの杖が役に立っているといいのだけど
ぼんやりと眺めていた彼女は、ここに戻る前にハウルに頼んで町で買った杖をこの城の近くに落としてもらったことを思い出した。動く城に火の悪魔、心臓の無い魔法使いとあまりにもかつての自分達と酷似した状況に、彼女はこちらでの自分も同じようになるのではと思ったので。城のあった場所はごつごつとした岩や木の根が突き出して今の自分でも歩き辛かった。だから買物にがやがや町に戻ったときに真っ先に買ってハウルに頼んだのだ。
「思い過ごしならそれで良いのだけど・・・・」
「何が?」
「ハウル・・・」
傍らに座って柔らかく抱きしめてきた夫をソフィーは見上げる。髪から滴る水滴に彼女はもう!と溜息をついてタオルを取ってくると乱暴に拭き取った。
「痛いよ、ソフィー」
「我慢なさい。嫌なら今度からちゃんと自分で拭いてくるのね!」
ええ?と不満そうな夫の声にやっぱりわざとだったのね!と文句を言いながら恨みがましそうに見つめる緑の瞳を睨むと彼はじゃあ我慢するよと彼女の胸にもたれかかった。
「それで? あんたは何を考えて憂鬱そうに見ていたんだい?」
眼を閉じて続けられたことにソフィーは驚く。見下ろすとハウルは静かに彼女を見ていた。
「・・・大したことじゃないわ。あんたに頼んだ杖がちょっと気になっただけ。」
肩を竦めて答えた彼女は彼の髪を手ぐしで梳きながら呟いた。
「あたしはあんたと出会うようになるのかしら。」
「出会ってたじゃないか。僕たちの時とは随分違うけど、かなり運命的な出会いだよ。」
戻ったら同じことをしてみようか?
悪戯っぽく笑う夫にソフィーも微笑む。冗談じゃないわと返す彼女にハウルはだったらあんたも早く風呂に入っておいでとバスルームに視線を流した。
「そうだよ、ソフィー。おいら今日はくたくただから早く休ませてくれよ。」
「そうね、そうだったわ。ごめんなさいね、カルシファー」
「早く出ておいでよね、ソフィー? 僕が待ちくたびれないうちにさ!」
上機嫌に手を振る夫の言葉にソフィーは赤くなる頬を隠すようにしてバスルームに飛び込む。その後姿を確認して楽しそうにしているハウルを火の悪魔はじっと見つめた。
「あんた、またはぐらかしたね。」
「そうでもしないとソフィーは首を突っ込みかねないじゃないか。」
心配そうに水鏡を覗き込む妻の顔を思い出してハウルはあっさりと返した。かつての自分達を重ねてあれこれと思い悩んでいるのかもしれないが、ここはあくまで別の世界。あのハウルもソフィーも自分達の過去でも未来でも無いのだから。
「僕達が最優先にすべきは元の世界に帰ることさ。そうだろう、カルシファー?」
「うん、おいらもそう思う。」
頷く炎にハウルは感謝するようにグラスに注いだブランデーを悪魔の上に少し垂らした。途端に嬉しそうに炎を大きくする相棒にハウルは言い聞かせる。
「お人好しのソフィーがお節介を始める前に帰れるように頑張ってくれよ、火の玉親分!」
「おいらばっかり! あんたこそちゃんとソフィーを止めろよな!」
憎まれ口を叩く悪魔に彼は出来る限りはね、とはっきりしない返事を返して目の前の鏡を見る。水鏡の中は相変わらずの無人のままだったが何か強力な呪いを持ったものが近づいてくるのが判る。
「全ては明日かな。」
呟いてハウルは水鏡を一振りで消し去ると、そろそろ出てくるらしい物音を立てているバスルームへといそいそと向かうのだった。
July 12, 2005