Troublesome Tornado
もうひとつの城 written by 梓音
見えてきた町に降り立つとソフィーはすぐに7リーグ靴を脱いで普通の靴に履き替える。
「貸して、ソフィー」
見ればハウルも靴を履き替えて、片手に持っていた。言われるままに渡すと彼はあっという間に靴を掌サイズの大きさに替えてポケットにしまう。
「さっきも思ったけど、あんた魔法が使えるじゃない。」
それでもここの魔法を調べる必要があるの?
不思議そうに尋ねるソフィーにハウルは肩を竦めた。
「これくらいの魔法は仕組みの理に縛られないからね。でも次元を超えるほどのものはやっぱり無理なんだ。」
実行しようとすれば通常の数倍以上の力を使う上に、術者は無事では済まないんだよとの言葉にソフィーは今更ながらに今の事態の異常を思い知る。深刻そうに眉を寄せる妻の様子に、大丈夫だよとハウルは微笑んだ。
「でも・・・」
「心配は失敗したときにしようよ、奥さん。それより周りを見てみなよ。ここはがやがや町みたいじゃないかい?」
こんなに賑やかなのはインガリー広しと言えどもここだけだよ!
言われて見回すと確かに見覚えのある町並みだった。行きかう人々も何かがあるのか街の中心へと駆けて行く。通りのそこかしこにおめかしをした妙齢の娘さんたちがきゃあきゃあと言いながら楽しそうに歩いているのを見て、今日は何かのお祭りかしら、と首を傾げた。
「行ってみようよ、ソフィー」
なんだかとても楽しそうだ!
嬉しそうにそう言ったかと思うとハウルはソフィーの返事も聞かずに彼女の手をとり、人々が歩いていく方へと向かった。
「ちょっと! あたしたちは遊びに来たんじゃないのよ!」
早く帰るってマイケルたちに言ったじゃない!
「ちょっとくらい良いじゃないか。それにすぐに戻ったって城はまだまだ修理中で僕たちは邪魔だよ。だいたいあんた、そんなに簡単に見つかると思ってんの?」
振り返り、覗き込まれてソフィーは詰まる。叫びながら歩いていたせいか、二人は結構目立っていたらしく、あちこちから視線が飛んできてそれも居心地が悪い。
「どうなの、ソフィー?」
楽しそうに見つめてくる緑の瞳に彼がこの状況を楽しんでいることに気がついたソフィーは夫を睨みつける。何よ、あたしは本気で心配してるのに!
「思って無かったわよ。だけど二人とも心配してるかもしれないでしょう!」
あたしだって心配だもの!
叫んでソフィーは繋いでいた手を振りほどいてすたすたと歩き出した。ソフィーと呼ぶ声にも無視をしていると、道の隅で一部始終を観察していたらしい娘さんがきゃあっと叫んで、置き去りにしたハウルの元へと駆け寄っていった。眼の端でそれを捕らえた彼女は余計に足を早める。
あんたなんて一生ここでちやほやされていると良いんだわ!
怒りに任せて歩いていたソフィーは眼に飛び込んできた曲がり角という曲がり角をすべて右左と交互に曲がっていく。石畳の落ち着いた裏通りは人気が少なく、彼女はほっとしていた。
それにしても
漸く立ち止まったソフィーは辺りを見回した。表通りの楽しい雰囲気とはまるで正反対な光景に息を飲む。町のあちこちから上がる黒い煙は何なのかしら? それとあの不思議な飛行機は何かしら?
至るところに見える窓にはためいているのがどうやらこの国の国旗らしいことにも気がついていた。もしかして出かける前のハウルのせいでこうなったのかとも考えるが、それにしてはこの被害は迅速すぎる。しばらく考え込んだけれども、いくら似ていても違う世界のことなんて判るはずがないしと早々に諦めた。
「そんなことよりここがどこかってことよ!」
口に出してさらにソフィーはそう思った。
「迷ったのかい、お嬢さん?」
「え?」
「良かったら案内するよ?」
振り返った先にはさっきまではいなかった筈の兵士が二人。にやにやと笑いながらソフィーの行く手を遮るように立っている。その雰囲気に人気がないこともあり、彼女は一歩後ずさった。
「そんなに怖がらなくてもいいよ、俺たちはこの国を守る勇敢な兵士だよ?」
なあ?
そう言って同僚の方に手を回す姿は善意溢れると言い難い。ああもう、どうしてこんなときにあの人はいないの!
伸びてくる手を避けつつソフィーは後ずさる。結構です、と叩き落とすと面白そうに口笛を吹かれて眉を潜める。
「気が強いなあ。気に入ったよ、お茶でもどう?」
「結構って言葉の意味をあんたたちは知らないのかい?」
「ハウル!」
彼らの後ろに見える金髪にソフィーは兵士を押しやって駆け寄った。
「ソフィー、あんた迷子になる癖があるんだからいきなりいなくなるのは止めてくれないかな。」
心配で死にそうだったよ!
滅多に見せない怒りの色を浮かべた緑の瞳にソフィーは項垂れる。そうよ、ここは違う世界だって判っていたのに。考え無しはあたしのほう、ハウルのことを怒れないわ
「ごめんなさい。もうしないわ、ハウル」
「ぜひそうしてもらいたいね!」
この埋め合わせはしてもらうからね、ソフィー?
しゅんとしたソフィーにさっきまでの怒りを消したハウルが冗談めかして言うのをソフィーは微笑って頷く。良かった、さっきは少し怖かったもの
「ハウルだって? まさか魔法使いハウルか?!」
あの動く城の!
叫んだ兵士たちは表情に恐怖の色を浮かべてあっという間に去っていった。今の今まで存在を忘れていたソフィーはあっけに取られて見送る。そうして同じように彼らを見ている夫を見上げた。
「あんたってここでも動く城の魔法使いなのね。」
「そうみたいだね。あんたのおかげで貴重な情報が得られたわけだ。ありがとう、ソフィー」
だけど、今後は1人になるのは無し
珍しくきっぱりと言い切られてソフィーはばつが悪そうに頷く。
「じゃあ、行こうか。」
「行くってどこに? ここのあんたの城に行くの?」
「そんなのあとあと。埋め合わせをしてもらうって言っただろう、ソフィー? あんたに置いてけぼりを食らわされたせいで僕も貴重な情報を得たんだ。」
生き生きと瞳を輝かせるハウルにソフィーは嫌な予感を覚えた。繋がれた手は今度はしっかりと握られて決して振りほどけないように掴まえられている。そうして迷いもなく、ずんずんと進んで行くハウルが着いたよ、と立ち止まった先は着飾った人で溢れかえった町の中心部だった。
「今日は五月祭なんだ、ソフィー」
あんたと僕が出会った運命の祭りの日だ
嬉しそうに彼は言って、優雅に彼女に腰を折る。
「ちょっとだけで良いから参加していこうよ。」
「あんたってそればっかり!」
呆れて腰に手を当てて見上げたソフィーはそれでも口元を綻ばせて頷いた。
「では、奥さん。お手をどうぞ。」
「気障ったらしいわね!」
差し出された腕に毒づきながらもソフィーは腕を絡ませた。上空の飛行機からはらはらと舞い落ちる花びらやカフェで華やぐ恋人たちを見ても気後れしないでいられるなんて、なんて素敵なんだろう!
「ほら、ソフィー。あれを見て!」
指差す方向に立つお店の名前にソフィーは瞳を見開いた。『チェザーリ』!
見上げる妻に彼は悪戯ぽく笑い、覗いてみようと促した。どきどきと胸が高鳴る。あそこにいるのはレティーかしら? それともマーサ?
そう思った彼女の頭に影がかかり、ソフィーは何気なく空を見上げ、眼にした光景に瞳を見開く。
「ハウル!」
あれ見て!
空に釘付けの妻の様子にハウルも彼女が指差す方向を見上げた。そうして見つけたそれにへえと感心する。
そこには一組のカップルがダンスを踊るかのようにゆっくりと空を歩いていた。ふわりふわりと歩く姿はまるで重力を感じさせない。
「なんなの、あれ! それにあの上着!」
やっぱり仕組みが違うんだなあと違うところで感心するハウルをソフィーは揺さぶった。楽しそうに微笑いあっている男性の上着は赤と灰色のもので、随分前にソフィーがはさみでバラバラに刻んだ目の前の夫が持っていたものとそっくりだった。
「あれがこの世界のあんた・・・?」
「みたいだね。一緒のお嬢さんは誰だろう? ソフィーかな?」
「判らないわ。ここからは顔までは判らないもの。ねえ、それよりどうして誰も気がつかないの?」
あんなに不自然なのに!
目の前の不思議な光景にソフィーは頭がパニックになりそうだった。仕組みが違うと言っていたハウルの言葉の意味が漸く実を持って彼女の中にしみこんでいく。
「不可視の魔法を同時に使っているんだよ、きっと。それより見てごらんよ。彼女はやっぱりソフィーみたいだよ!」
チェザーリの2階で女性を降ろした様子にハウルはそう結論付ける。彼女の髪が太陽に透けて僅かに朱みがかかって見えた気がした。彼らは何事かを話し合っていたようで、その後『ハウル』は人々の中へ飛び降りるとあっと言う間に見えなくなる。
「追いかけなきゃ!」
城の位置が判らないわ!
走り出そうとしたソフィーをハウルは腕の中に抱きしめる。店の前という公衆の面前の代表のような場所での行為にソフィーは怒ったようにハウルを見たが、見上げた夫の緑の瞳が思った以上に真剣だったために口をつぐんだ。
「大丈夫だよ、僕たちも誰にも見えない。」
だから静かにしておいで
耳元に囁かれた声の硬さに彼女は言われるまま彼の腕の中で固まっていた。ハウルはじっともう1人の自分が消えていった場所を見ていたが、暫くするとほっと息を吐く。
「もう大丈夫だよ、ソフィー」
不安にさせてごめんよ
額に接吻けを落とす夫にソフィーは漸く口を開く。
「いったい何だっていうの。」
「近くに悪い魔法を感じたんだ。ここの僕を狙っていた。」
淡々と話すハウルにソフィーはぞっとする。動く城、ハウル、悪い魔法。
「まさか荒地の魔女までいるなんてことは無いわよね・・・?」
「どうかな。その可能性もあることは考えておいた方が良い。」
「そんな・・・!」
思い出される出来事にソフィーは言葉を失くす。
「ただの可能性だよ、ソフィー。それより店に入らないかい?」
誤魔化すように微笑うハウルに彼女はそれが事実に近いことを悟った。だったらこんなとこでぐずぐず出来ないじゃない!
「城に行きましょう、ハウル!」
「ソフィー?」
「そんなこと聴いたら急がずにはいられないじゃない!」
ほら、早く!
叫んで彼女は近くの男性にハウルの城の居場所を聞き始めた。驚いたような顔を浮かべる相手からじれったそうに情報を聞き出す妻の様子に溜息をつく。
「あーあ、言わなきゃ良かった・・・」
これで初めに逆戻りだ
真面目な彼女とせっかく気兼ねなくデートが出来るはずだったのに。しかし戻ってきたソフィーの話を聴いたハウルは妻の望みを叶えるべく、動く城へと向かうために7リーグ靴を元の大きさに戻すのだった。
June 24, 2005