Troublesome Tornado
一足早いハッピーエンド written by 梓音
「ハウル! ハウエル・ジェンキンス!」
興奮したように寝室に飛び込んできたカルシファーの呼び声に身体を起こしたのはソフィーだった。
「どうしたの、カルシファー。まだ起きる時間じゃないでしょう?」
うっすらと明るくなり始めたばかりの空を窓の外に認めた彼女が眠そうにそう言うと、目の前の悪魔は焦れたようにこれだけ騒いでもまだ寝ている魔法使いを睨む。
「起きろよ、まぬけ! もうすぐあっちのおいらが来るぞ!」
「何だって!」
がばりと起き上がった彼に遅いんだよ!と喚きながらも、カルシファーは一緒に持ってきたらしい水鏡を2人の前に翳した。
『生きてる! おいら自由だ!!』
くるくると変わっていく映像がぴたりと止まった途端に聴こえた叫び声と共に瞬く間に水鏡から消えた青白い輝きに、ハウルは大変だ!とクローゼットへと向かい適当な服を着始める。
「ハウル!」
「ソフィー、マイケルを起こしてきて! 彼が来る前に準備しておかないと! カルシファー、お前も手伝え!」
「判ってるよ!」
慌てたように言いたいことだけを言って駆け出していった夫と火の悪魔をソフィーは呆然と見送る。けれども階下から再度同じことを大声で頼むハウルの声に溜息をつくと、手早く着替えてマイケルを起こしに部屋を出た。
「いったい何だって言うのよ。」
何でも良いから動きながら食べれるものを作ってくれ!
マイケルと共に居間に降りてきた彼女は待っていたかのように飛んできたハウルの言葉にサンドウィッチを作ったが、その後マイケルも巻き込んで床に訳の判らない魔法陣を描き込んでいる夫に不満そうに尋ねた。
「向こうのカルシファーが自由になることと、あんたが床に落書きすることの何が関係があるの。」
「重要なのはあっちのカルシファーが僕たちのところに向かってるという事だよ。」
片手にソフィーのサンドウィッチを持ちながら器用に陣を描いていた彼は妻の疑問に答えながらもマイケルにあれこれと指示を加えている。そのたびにばたばたと城中を駆け回る弟子の姿はとても生き生きとしていた。
何なのよ、いったい
「帰れるんだよ、ソフィー」
あんたと僕がいるべき本来の世界へね!
何もかもを知っているようなマイケルに思わず彼女の脳裏に浮かんだ思考を読んだかのようにハウルが答えてきてソフィーは驚いて振り向いた。
「帰れるってどういうこと? ここの天候は判らないって言ってたじゃない!」
「カルシファーに持たせた珠があったろう。あれでこっちとあっちのカルシファーを繋いでいたんだよ。」
「繋いでいた?」
「そう。だから我らが火の玉親分だけは何でもお見通しってわけさ!」
僕たちをここへと連れてきた時と同じ天候を見つけることもね!
得意げに答えながらハウルはマイケルの仕事の点検を済ませていく。時は刻々と迫っている。チャンスは一度きりで間違いは許されない。
緑の瞳を真剣にして一つ一つの設定を確認していく夫の様子にソフィーも邪魔にならないように端のほうに座りサンドウィッチを食べながら、初めからこの人はそれを考えてカルシファーにあの珠を渡していたのね、と考えているとバタンと大きな音を立てて入口の扉が開かれる。
「ハウル、来たよ!」
「ソフィー、おいら自由になったよ! 流れ星に戻ったんだ!」
様子を窺いに外へと出ていた悪魔と一緒に飛び込んできた輝きはそう叫ぶとソフィーの元へと嬉しそうに近寄ってきた。きらきらと七色に色を変えるもう一人の悪魔に彼女は顔を綻ばせる。
「あんたのおかげだよ、ありがとう、ソフィー!」
「いいえ、これはあんたのとこのソフィーの力だわ。」
あたしはそうなりやすいようにほんのちょっぴり手を貸しただけよ
そうでしょう?と笑いながら答える彼女に煌く悪魔は照れたように体を揺らす。しかし直ぐに思い至ったように居心地が悪そうにあちこちを見回していた瞳を彼女に戻した。
「おいらあんたたちに言わなくちゃいけないことがあったんだ!」
「条件が揃ったことならもう話したよ。」
興奮したように叫ぶ彼にあっさりともう一人の悪魔が答え、早く早くと先ほどハウルが描いていた魔法陣の中に呼び込んだ。
それに青白い輝きだった悪魔は元の赤い姿に戻ると素直に青い炎の隣に並ぶ。
「では、始めようか。」
目の前に揃った赤と青の悪魔を前にハウルが静かに口を開く。
「いよいよ帰れるんですね!」
「そうだよ。準備は良いかい、お前たち。」
「おいらはいつでもいいぜ!」
「おいらも!」
「いいかい? これから僕が竜巻を起こすからお前たちは外と内の両方から結界を張るんだ、良いね?」
言い含めるように言ったハウルは即座に返ってきた返事に小さく頷くと、様子を窺っている妻と弟子を振り返った。
「大人しくしてるんだよ、ソフィー。マイケル、怪我しないようにどこかに掴まって。」
「はい、ハウルさん」
素直に頷く弟子を確認すると、ハウルは小さく呪文を詠唱していった。指示を受けた悪魔たちは既に配置についているのか、彼女の眼に届くところにはいなくなっている。
大丈夫かしら・・・
心配そうに見つめるソフィーの前で夫が描いた魔法陣が白く浮き上がり、ハウルの額にもじっとりと汗が浮かんだ。いつも使っているものとは勝手が違うから大変なんだわ
そう思っていると、ごおっと大きな音が響き渡り、窓の外に見覚えのある竜巻が映る。
「カルシファー!」
瞳を開けたハウルが叫ぶと同時に城が赤と青の色合いで染まり、ゆっくりと浮き始めた。
「ハウル!」
竜巻へと近づいていく城を見つめながらぐらりと傾いだ夫に思わず駆け寄った彼女にハウルはすぐに身体を立て直してソフィーを振り返った。
「ハウル、大丈夫なの?」
「平気さ、ソフィー。あとは流れに沿うだけだからね。それよりあの竜巻に入ったらあのカルシファーとはお別れだよ。挨拶してあげたら?」
待ってるみたいだよ?
ぐったりとそのままマイケルが引っ張ってきたソファに座って、そう軽口を叩く夫に彼女は窓に寄っていく。ぱちぱちと雷を従えた竜巻よりも少しずれた場所に赤い炎が浮かんでいるのが見えた。
「ソフィー!」
「カルシファー、ありがとう!」
「おいらも! また来たらお礼するよ!」
「・・・・縁起でもないことを言わないで欲しいね。」
くるくると空を回りながら消えていった悪魔の捨て台詞に背後のハウルが不機嫌そうに呟く。それに苦笑しながら近づいたソフィーはそのまま夫の隣に腰掛けた。
「顔色が悪いわよ。」
「直ぐに良くなるさ、心配ない。」
「また城が粉々になるの?」
「ならないよ。その為にこっちのカルシファーに結界を頼んだんだ。ここを通り抜けるまで持ってくれる。」
そして通り抜けた後は僕たちのカルシファーが持たせてくれる
悪戯っぽく付け足された言葉に振り返ると、暖炉の悪魔が得意そうに身体を揺らした。それにほっと息をついた彼女はハウルにそのまま抱きしめられる。
「通り抜けるよ、ソフィー。しっかり掴まって。マイケルも!」
耳元に落ちてきた声と同時にがたがたと城が揺れだした。窓の外を見ると荒れ狂う風が直ぐ傍に映っている。
息を飲んで外を見つめる妻を抱きしめながらハウルは再び防御呪文を唱え、タイミングを計る。完全に竜巻の内部に入った城は来たときと同じように底に向かって落ちていく。
通り抜けたときに魔法の質が変わる。それを見極めなければ
じっと見つめる先で城が鈍い音を立てて底に沈んでいくのを感じた彼は城にかかっていた異世界の魔法を解除し、彼の世界の魔法に切り替えた。
「カルシファー!」
「もうやったぜ、ハウル!」
傾く身体を支えながら叫ぶと直ぐに返ってきた悪魔の返事に彼は微笑む。
「やるじゃないか、火の玉親分」
「そりゃ2回目だからね。」
軽口を叩き合う2人にソフィーも眼を開けた。城の揺れも行きのそれと比べたら驚くほどに静かだったけれど、身体がありえない方向へと傾くのでハウルから手を離せない。
「ちょっと! どうなってるのよ、これ!」
「重力バランスがおかしいんだよ、ソフィー。あと少しだから僕にしっかり掴まっておいで!」
嬉しそうに囁かれる言葉にさっきの弱りっぷりは嘘だったのかと思わず思った彼女だったが、実際椅子にしがみ付いてるマイケルが宙に浮いているのを見つけると身震いしてしまった。冗談じゃないわ!
「着いたよ、ハウル!」
ずずず、と泥に取られて沈んでいく足のような感触に再び眼を閉じたソフィーの耳にカルシファーの明るい声が響き、瞼の向こうが明るくなった。
「ソフィーさん、見てください!」
キングズベリーですよ!
嬉しそうなマイケルの声に顔をあげた彼女は夫の腕を抜けて窓へと駆け寄った。
窓の外はあの日と同じく足下に白い山脈があり、はるか南の彼方には見慣れた王宮がきらきらと輝いて見える。
「帰ってきたの・・・?」
「そうだよ、ソフィー!」
やっと僕たちの世界にね!
呆然と呟いた彼女にハウルがおかしそうに返していると、玄関の扉ががちゃがちゃと音を立て始め、勢い良く開け放された。
「姉さん!」
「ソフィー姉さん!」
「レティー! マーサも!」
飛び込んできた二人の妹は瞳を円くしているソフィーに駆け込んだ勢いのまま抱きついた。
「ああ、姉さん、心配したわ! ここのドアを何度開けようとしてもちっとも開かないんだもの!」
「そうよ、ベンからこの城の気配が消えたって聞いた時は心臓が止まるかと思ったんだから!」
本当に良かった!
そういって泣きながら抱きついてくる妹たちにソフィーもやっと帰ってきたと実感する。ごめんなさい、と囁くとマーサとレティーはううんと首を振りながら一層彼女に抱きついた。
「大変だったな。」
あっという間に妻を奪われて呆気にとられているハウルにサリマンが苦笑する。
「サリマン」
「こちらも大変だった。王に他国の侵略では無いと何度も説明させられたよ。」
「そりゃまた・・・・でも僕たちの苦労に比べたら大したこと無いよ。」
肩を竦めて答えるハウルにサリマンは更に苦笑した。詳細はいずれ聞かせてくれとの同僚の言葉に後でねと素っ気無く答えたハウルは未だに離れない姉妹の傍へと近寄っていく。
「いい加減に僕の奥さんを返してくれないかな、お嬢さん方。マーサ、そろそろマイケルのことを思い出してやったほうが良いんじゃないの?」
皮肉っぽく付け足すとマーサははっとしたようにマイケルへと駆け寄っていった。
途端に顔を輝かせて再会を喜び合う夫の弟子にソフィーは苦笑する。
「ほら、レティーも。」
「酷いわ、義兄さん! あたしがどれだけ心配していたのか知ってるの!」
「知らないね。でももう十分だろう。足りないってんなら明日以降にしておくれよ、レティー。僕はとても疲れてるんだ。」
「何ですって!」
睨みあって言い合う夫と妹の言葉にソフィーは深々と溜息をついた。まったくこの2人ときたら! 感傷に浸ることも出来やしない!
振り返ると妹の夫も困ったようにソフィーを見ている。
しょうがないんだから!
「その辺にしてよ、二人とも。レティー、悪いけど今日はもう帰ってちょうだい。詳しいことは明日話すわ。ハウルじゃないけどいろいろなことがあってあたしも疲れているの。」
「だそうだよ、レティー」
優しく付け足されたサリマンにレティーはしゅんと項垂れて、でもすぐに明日は絶対よ!と言い残しながら帰っていった。その後姿をふうっと息をついて見送ったソフィーの耳にすっかり上機嫌になって一部始終をマーサに話していたらしいマイケルの声が届く。
「そういえば、向こうのハウルさんとソフィーさんはどうなったんでしょう?」
カルシファーは自由になったし
不思議そうに首を傾げる彼の横で、そこが重要なんじゃない!とマーサがじれったそうに叫んだ。
「そんなの決まってるさ。」
そういえば確認しなかったわ、と首を傾げた妻の顔を覗き込んでハウルは小さな恋人たちに断言した。確証があるわけではないけれど、間違ってはいないはずだ。
期待に満ちた6つの瞳を見回して、ハウルは得意げに宣言する。
「きっと僕たちみたいに末永く幸せになろうって今頃誓い合ってるよ!」
November 21, 2005