Troublesome Tornado
ただひとつの花 written by 梓音
手を取られた感覚にぼんやりとまどろんでいた彼女は傍らを見上げた。視線の先ではハウルが彼女の片手をじっと見つめていた。
「・・・何してるのよ。」
「別に。」
そう答えながらもハウルは不機嫌そうに彼女の手を見つめ、それから思いついたようにもう片方の手も取って目の前に翳した。両手を取られて身動きが出来ないソフィーが訝しそうに様子を伺っていると、彼はそのまま彼女の指先を含み、何事かを呟いた。するとぱりんと何かが壊れるような音が立つのに魔法をかけられていたことを思い出す。
『こちらの世界で使った魔法を辿られないようにする呪い。』
確か彼はそう言っていたはず。
「解けたよ、ソフィー」
指先にキスを落としながら彼女を見るハウルにソフィーは溜息をつく。
「勿体無い・・・・折角の好意を無にするなんて。」
「こんな魔法なんて必要ないだろう?」
あんたには僕がいるんだから
面白くなさそうに呟かれた言葉に彼女は呆れた。万能じゃないって言っていたのは誰かしら!
それに、とソフィーは先程のハウルの話を思い出して、意地悪く口を開いた。
「だったらあんたがかけた魔法も今頃ハウルが解いてるかもね。」
彼女を捜しているときに間違って呼び寄せてしまった『ソフィー』にかけた呪いを皮肉ると彼は肩を竦める。
「別に構わないけど? 僕は頼まれたからやっただけでそれをどう生かすかは彼らの問題だからね。」
あとの事なんて知ったことじゃないさ
言って彼は傍らの妻を抱き寄せた。あれは全てこの腕の中の彼女のため。だからあちらのソフィーにかけた呪いを彼同様に『ハウル』が消してしまうのならそれがその呪いの行く末なのだろう。
あっさりと答えた彼を不満そうにソフィーは見ていたが、やがて諦めたように彼に寄りかかった。
「魔物になんてならないわよね?」
脳裏に浮かぶ揺れる瞳で話された内容を思い出してソフィーはハウルを見上げた。彼は彼女の質問にくすりと笑って緑の瞳を細める。
「さあね。でもここのソフィーも随分と意思が強そうだから何とかなるかもしれないね。」
さすがはソフィーだよ、と可笑しそうに付け足されて彼女は顔をしかめる。どういう意味よ?
睨み付けるとハウルは彼女のあかがね色の髪に指を滑らせながらそれ以上を話そうとはしなかった。
「もう! あんたってそうやって結局はぐらかすのね!」
「はぐらかしてないよ。ただこれ以上は僕たちが介入して良い問題じゃないだろう?」
機嫌を損ねたソフィーにハウルはきっぱりと言い切った。
「こっちの僕が望むのはあのソフィーの手だけだろうし、あの娘さんを守るのは僕の役目じゃ無い。」
「ハウル・・・」
「考えてごらんよ、ソフィー。あんただって同じ立場にいたら手を出されるのは嫌なんじゃないの?」
諭すように続けられた内容に彼女は考え込む。確かに嫌かもしれない。それが真剣で大切なものであるのならなおさらに。
「納得した?」
黙り込んだ妻の様子にハウルが確認するように尋ねると彼女は不承々々頷く。何だか負けを認めるような気がしてくやしかったが彼の言っていることは事実だった。
そうね、あたしじゃ彼は救えないわ
心の中で呟きながらソフィーは隣で機嫌を取るように髪に接吻ける夫に頭を預けた。あたしが守りたいと思うのはこの人で、彼じゃない。
ハウルに心臓を戻したときほどには必死になることはできないだろうから
耳に届く鼓動に彼女は瞳を閉じる。小屋の中で抱きしめた彼の胸からは何の音も聴こえなかった。心臓が無かったときのハウルに抱きしめられたことは無かったから、そんなことを気にしたことは無かったけれど、鏡の向こうのソフィーはそんな思いもするかもしれない。
「辛いでしょうね・・・きっと。」
ここの二人は何だかとても愛し合っているようだし
思わず零れた声にハウルが首を傾げているのが伝わってきてソフィーは顔をあげて、彼の胸を指差し、あのハウルからは何も聴こえなかったのだと言うと彼女の夫は黙り込んだ。
「ハウル?」
「あんた、何でそんなこと知ってるの。」
「頼まれたのよ。さっき話したでしょう? 何が起こっても『ソフィー』のもとに辿り着けるように言ったって。」
「聴いたよ。でも何でそれをわざわざ心臓の音が聴こえるほどの距離でやらなくちゃいけないんだい?」
僕はずっとあんたのことばかりを心配していたのに!
不機嫌に言って起き上がった彼はそのまま妻を上から見下ろす。その瞳を見上げた彼女は溜息を吐いた。
「別に何もされてないわよ。」
「魔法をかけられていたじゃないか。」
「あんたがさっき解いたじゃない。」
「だから無かったことにしろって?」
「いい加減にして、ハウル」
苛立たしそうに返る返事に彼女はうんざりとした顔を浮かべて夫を見る。
「彼が好きなのはこっちのソフィーでしょう。あたしはただ彼女と同じ位置にいるから放っておけなかったんでしょうよ。」
あんただって同じようなことをさっき言っていたじゃない
睨みつけると彼はふうと溜息をついた。まったくソフィーは判っていない。
確かに『ソフィー』を見て彼も妻を思い起こしてあれこれと心を砕いたが、『ハウル』のように彼女に接吻けようとは思わなかった。それだけを見たって相手が彼女を必要以上に思っているということが判るだろうに、この、娘さんときたらこんなときまで思い込みで瞳を曇らせてるときた!
「なに? まだ何か言いたいの?」
無言のまま責めるような、また心底呆れたような表情を浮かべた夫にソフィーはこれ以上言うようなら、との思いを込めて見つめ返すと、彼は諦めたように息をついた。
「ハウル?」
「今回は害が無いから見逃すよ、ソフィー。だけど今後は彼らに関わるのは一切無し。」
判ったね?
緑の瞳を強くして宣言した彼にソフィーは瞳を円くして見つめ返した。嫌だわ、本当に嫉妬してるのかしら・・・・
けれども彼に言われなくても彼女も関わる気は無かった。ハウルの言葉ではないけれどこれ以上口を出す権利は流石に彼女も思いつけない。しかし。
「約束するわよ。だからあの鏡は残しておいてよ?」
消したら許さないから!と続けたソフィーにハウルは肩を竦める。
「奥さんの詮索好きに口を出す気はないよ。だけど見るだけだよ、ソフィー?」
念を押すハウルにソフィーも頷く。今日みたいなことはまっぴら!
明日からはマイケルと一緒に見ようと決心した彼女は顔に落ちてきた影の主の額に手を置いて避ける。
「ハウル」
溜息混じりに呟くソフィーに間近からハウルは面白そうになに?と答えた。
「あんた、寝ようってさっき言ったじゃない。」
「寝るよ。もうちょっとあんたと過ごしたらね。」
何たって今日は何でもきいてくれるという約束だしね!
見つめてくる瞳はけれどもまったく笑っていない。
「あんたもしかして・・・」
ずっと怒っていたの?
恐る恐る尋ねる妻にハウルは綺麗に微笑んだが彼女の言葉は否定しない。
「もうちょっと付き合ってくれるよね、ソフィー?」
言いながら降りてきた唇にソフィーは抵抗を諦めた。何だか判らないけど、仕方が無いわ。今日ばかりは悪いのはあたしなんですもの
・・・ちょっとばかり理不尽な気もするけれど。
「・・・限度は考えてよ。」
明日もやることはたくさんあるんだから、と毒づきながら覆いかぶさってきたハウルの背中に腕を回す彼女の脳裏に浮かぶのはこの世界の彼らだった。
いつかあの二人にもこんな時間が来ると良い
そう願ったのを最後にソフィーは目の前の彼に再び翻弄されるのだった。
October 24, 2005