Troublesome Tornado
ソフィーの決心 written by 純
「さあ、君のハウルが待っているよ?」
ゆっくりと両手が差し伸べられ、ソフィーは両手をのせた。
ああ、ハウルってなんで指先まで綺麗なの。こんなとこまで似てるなんて。
可笑しくなってソフィーが吹き出すと、ハウルはその右手の指先を持ち上げてそっと口づけた。
「ハウ・・・!」
「これはね、お呪い。君が君のハウルにちゃんと謝れるように。」
今練習したことを忘れちゃだめだよ?
ウィンクして見せるハウルに、ソフィーはむくれながらも素直に頷く。
「きっと、今頃・・・君のハウルは必死になって探しているよ。」
黒髪がさらっと流れて、今度は左手の指先に口付ける。
「これは、こちらの世界で使った魔法を辿られないようにする呪い。」
いまや熟れたトマトのように真っ赤になっているソフィーを前に、ハウルはくすくすと笑うだけ。
「ああ、ごめん。これは君のハウルを敵にまわすつもりでしたんじゃないよ?」
だって君たち、サリマン先生にまで関わっていたなんて。
危険すぎるよ。
「〜〜〜っ!わかってるわ!」
ソフィーがいつもの調子で言い返すと、ハウルはとても嬉しそうに蒼い瞳を細めた。
「貴女が・・・幸せそうでよかった。」
その言葉に重ねた、銀の髪の少女を思いハウルは言いようのない切なさに包まれた。
本当に、ソフィーが幸せでよかった。向こうの僕は全身全霊をかけてソフィーを守っている。
ソフィーは急に悲しげに揺れるハウルの瞳に、少しためらった後、握り締められていた両手をほどき、頬を挟むとパンと小気味よい音を響かせて叩いた。
本当に、どうしようもないわね!
「いた・・・!」
「あんたも!ハウルも、ソフィーを幸せにするんでしょう!?」
燃えるようなあかがね色の髪を揺らして、ソフィーは真剣な顔でハウルの頬に手を置いたまま告げた。
「あんたは。ハウルは、どんな姿になっても、ハウルだから。」
だから、あんたのソフィーはあんたを見捨てやしないわよ。
あたしだって、同じだもの。
ああ、早くあたしのハウルに会いたい。あんたもこうして不安がってやしないかしらって気が気がじゃないわ・・・。
目をまるくするハウルにソフィーは微笑む。
「あんたは魔王になんてなりゃしないわ。例え心が支配されても、あんたのソフィーがあんたを正気に戻してくれる。」
ソフィーの両手に手を重ね、ハウルはゆっくりと瞳を閉じて大きく息を吸い込む。
「・・・お願いがあるんだ・・・。」
「なあに?」
ハウルはゆっくりと瞳を開けると、まっすぐにソフィーを見つめて言葉を紡いだ。
「もしも、僕が。」
結界の空気が揺れる。
ああ、ハウルが近づいている。ソフィー、君に最後の願いを。
「心を失って・・・魔物に成り果てても・・・どうかソフィーの元へ辿り着けるように・・・祈って欲しい。」
言って、涙が零れた。
魔物になっても・・・ソフィーの側に居たいと願う己の浅ましさに嫌気が差しながらも。
願わずにいられない。
ソフィーはぎゅと抱きしめて、囁くように告げる。
「あんたもやっぱり、ハウルなのね。」
臆病なくせに、どこまでもソフィーの為に。
そうか、見境なしに突っ走る・・・あたしを守るために・・・ハウルは極力あたしを遠ざけたかったのね。ごめんね、ハウル。
震えるハウルを抱きしめて、ソフィーは心を込めて告げた。
「どんなことがあっても、あんたはあんたのソフィーの元に辿り着く。そう、たとえぼろぼろになったとしても。」
力強く紡がれた言葉に、ハウルは深く息を吸い込んで。
「ありがとう」
心底ほっとしたように、口元を綻ばせた。
目に見えない糸がくいっと結界に引っかかる。
なんて必死な想いだろう。ごめんよ、ハウル。さあ、君のソフィーを返してあげるね。
ソフィーの背中をポンと押すと、よろけるように花園へ駆け出した。振り返ることも忘れて、ハウル目指して。
「もう、ハウルから離れちゃダメだよ。君に掛けた呪いは、サリマンの魔法の発動を全て僕に向けるから。あの人は・・・危険だから。」
暗闇の中でも、まっすぐに愛しい人に向かって駆けて行く、その後姿にそっと呟いた。
私・・・なんて夢を見たのかしら・・・。
ベットの上で、先程見た夢に頭を振る。
先日の魔王姿のハウルといい、今の・・・魔法使いの夢といい。
私の頭の中は、どうなってしまったんだろう?
「年をとると、こんな不思議な夢を見るのかしら・・・?」
呟いて掌を眺めると、節くれだった骨ばった指先に溜め息をつく。
「こんな姿で、どうやってハウルを守れるかしら・・・」
きらりと朝日を受けて輝く左手の人差し指の指輪を見つめる。
夢の中で、私は魔法使いに頼んだのだ。
この魔法を解いて、と。
あの時は、指先に炎が灯ったかのように見えたけれど・・・。
「・・・特に変わってないわよね?」
それでも、胸にしまっていた痛みが少し軽くなった気がした。
私を護ろうとしてくれるハウル。
今までだって、私はハウルに言葉にできないほどの物を与えてもらったのに。
これ以上、彼の負担になりたくはない。
「夢だとしても、私にはちょうどよかったかもしれない・・・」
うじうじとしていても、私は何も守れないわ。
私には今、大事な家族ができたのよ。
マルクルとおばあちゃんと、カルシファー。そうね、ヒンもカブもハウルが言うところの「ややこしい」家族。
でもね、ハウル。
あなたがいたから、私たちは家族になれたのよ?
わかってる?
あれほど不安だった夜は明けたのよ。
「私は、もう護られるだけでいるのは・・・卒業しなくちゃ。」
窓の外の昇り行く太陽に、両手を握り締めて宣言した。
しかし、ソフィーはまだ気がついていなかったのだ。
サリマンの魔の手が、ソフィーに確実に忍び寄っていることに。
ソフィーは主の戻らない城を彼の話したような花屋にするべく、花園へ花を摘みに出かけた。
昨晩、魔法使いに出会ったのも・・・ここだったような気がしたが、それは昨日ここへハウルが連れてきた所為だろう。
扉を開けるまで、もしかしたら軍艦がうろうろしているのではないかとほんの少し不安になったが、カルシファーは「誰も居ないよ」と教えてくれた。
「ハウルは・・・?」
「・・・おいらがこうして燃えてる間は、あいつだって生きてるってことだ!」
そう答えるカルシファーが、心配そうにソフィーを覗き込んだので、ソフィーは笑顔で、そう!と答えた。
「ただ不安がるのはやめましょう。」
清らかな水のせせらぎを眺め、ソフィーは城から運んだバケツに花を入れた。
戦時中ということもあり、おおっぴらに店を開けることはなかったが、さっそく店にはお客が来て、老婦人がこの荒んだ時だからこそと花を買って行った。なんとも言えない幸福感が胸に込み上げ、ソフィーは涙が零れた。花を抱えた老婦人を見送ると、今度は配達の依頼が舞い込んだ。
「誕生日のプレゼントに」
一輪の花を届けようと、マルクルが変装して店に出ると、一台の車が止った。
「あら!あなた、ここで何をしているの!?ソフィーは?ここに戻ってきたと聞いたのよ!?」
その派手な化粧と大きな瞳に迫られて、マルクルは慌てて城に居るソフィーの元へ走る。その後を追うように、ゆっくりと・・・煌びやかなドレスの夫人は店内を通り抜けた。
周囲を確認するように、その人は中庭へと続く扉も通り抜け、マルクルがしがみつくソフィーを凝視した。
「おかあさん・・・・」
「ソフィーーーーーーーーー!」
涙の再会は、しかし、サリマンに仕組まれたもので。
家族という安らぎに、ありがたさを感じていたソフィーには、己の母を疑うことなど・・・考えられなかった。
だから、見送りの時には心をこめて言った。本当に幸せになって欲しいと思ったから。
この戦時下で、生きて幸せに。・・・父さんのぶんも。
「お母さん、幸せになってね」
「ありがとう、ソフィーもね」
・・・サリマンという人間を。
知っている人間が、ここには今一人しか居なかった。
荒れ地の魔女は、ソフィーの母親が何気ない素振りで置いていった手提げをちらりと見た。
ああ、たまらない!あそこからはあたしの好きな魔力が詰まってる!
サリマンのヤツ!
荒れ地の魔女はウキウキとした足取りで手提げを掴むと、どこにそんな元気があったのか、また足早に暖炉の前の椅子まで駆けてその中を覗き込む。
そんな様子を眺めていたヒンが何かを感じて慌ててソファーの下に潜り込む。
ぐいっと手を入れると、ぐにゃりとした感触に触れる。
「のぞき虫かい。サリマンも古い手をつかうね!」
怯えるヒンを気にも留めず、荒れ地の魔女はカルシファーに向かって虫を投げ込んだ。
「カルちゃん、燃して!」
「ああ!?」
驚いたカルシファーが声を上げたその口に、のぞき虫は投げ込まれた。
ボムッという何かが体の中で弾けたような鈍い音が響き、カルシファーから煙があがる。
荒れ地の魔女はサリマンが忍ばせた、感覚を狂わせる煙草の煙を思い切り吸い込むと、その一吸い毎に奪われた魔力がみなぎるような錯覚に陥った。
そう、サリマンは内側からハウルを攻めることにしたのだ。
彼がようやく手に入れた家族を。
何よりもかけがえのない・・・ソフィーを。
October 11, 2005