Troublesome Tornado



運命の悪戯 written by 純




ソフィーに伝えられない決心と共に、この花園を訪れたのは自分への戒めのつもりだった。
これでソフィーは何とか暮らして行けるだろう。
マルクルとすっかり毒気の抜けた荒れ地の魔女と。
ああ、あのカカシだってソフィーを守るために身体を張るだろう。
彼女の持つ魂の清らかさは、そこに居る者を癒していく力がある。
魔法とかそんなものではなく、それは天から与えられた不思議な癒しの力。
温かな感情に包まれて、泣きたくなるほどの郷愁を込み上げさせる。
そして甘えたくなる。
きっと、その天性の力の所為で。
ソフィーは辛い思いもしただろうに。
サリマン先生に送り込まれたあの犬も、ソフィーの天性の力に癒されるのではないか?あの人の下に居たよりも遥かに心安らぐことを知ってしまうだろうから。
思わず笑みが零れてしまう。
あんな元気な老婆は見たことないよ。
自分の事を忘れてるときだけ、若返るなんてさ。
なんてやっかいな魔法だろうね。
いつだって、誰かの為に一生懸命になって。
・・・。
僕が何者か知った上で、それでも逃げ出さずに居てくれた。
これからは、僕がソフィーを大事にしてあげたかったのにな。
どうもそうもいかないみたいだ。
カルシファーは・・・どうなるだろう・・・?
最悪、僕がどうにかなっても、カルシファーは存在できるのだろうか?
「万が一その時は。」
カルシファーに身体を明け渡してもいい。
僕を暗黒の魔王が支配しても、カルシファーならソフィーに悪いようにはしないはずだ。きっとソフィーを守ってくれる。
・・・僕の心臓がある限り、ソフィーを悪いようにはできない。
ソフィーを守ってくれるなら、それだけでいい。
ソフィーと共にいることで、心をなくしたはずの胸が静かに息づく。
その感覚に・・・夢を見過ぎたようだ。
僕が居なくても、ソフィーは寂しくはないだろう。
そう、せめて僕を覚えていてくれればいい。この花園で花を摘むときにでも。

軍艦を沈めるために使った黒い力は、限界を訴える身体を蝕んでいく。
羽がまだあちこちに残る姿は、不気味でしかなった。
痛みが体中を支配して、頭の中がガンガンする。
花園の中に佇む水車小屋で。
僕は肌に残る羽を幾つか力任せにむしりとる。
「っ・・・!」
痛みが駆け抜けても、ほとばしる血が赤いことにほっとする。
こんな姿で帰るわけにはいかないだろう。
彼女が心配するだけだ。
静かに夕暮れのオレンジ色と、その向こう側には青い闇が迫っていた。湖の上で星たちが瞬きだすのも、もうすぐだろう。
清らかな水の流れる音は荒々しい感情の高まりを沈めてくれる。
今の身体には幾分小さくなったベットに寝転がり目を瞑る。
体の中から魔物の血が消え往くのを静かに待ちながら・・・。
息を殺してまるで存在を隠すように。
ゆっくりと、羽が消えて行く。
むしった羽の傷跡からは、まだ血が流れていたけれど。 辺りが暗闇に包まれだした頃、その空気が乱れた。
愛しさと切なさの溢れる存在。何かに傷付いて感情が揺れている。
カチャリ、とドアノブがまわされて急いで飛び込んでくる。
そして、ほっと息をつく。
ああ、もう一人の。
僕がここに居ることを知らずに、あかがね色の髪に隠れるようにしてその人は呟いた。
「ここなら泣けるわね・・・」
「どうして泣くの?」
思わず声をかけて立ち上がる。
驚くその姿にちょっと微笑んでしまう。
ゆっくりと近づいて、覗き込むようにその人を見つめた。
「泣いてる顔はあなたには似合わないよ。」
そうだった。自分の事ばかりに気をとられてたけど、この人たちも大変だったんだよね。
「僕で良かったら話し相手になるよ、異世界のお嬢さん」
「ハウル・・・・!」
座り込んでいる少女に手を差し伸べる。
多分、異世界の、もう一人のソフィーに。
「僕の名前を知ってるんだね。」
カルシファーを通して流れ込んできた、もう一つの魔力の持ち主。
僕の手に警戒したように身を引かれて、苦笑する。
「なんで・・・?」
呟くその唇が震えていて、僕はますますいたたまれない気持ちになる。
彼女がここに来た理由はともかく、僕は彼女の問いに答える。
「ここはね、僕の秘密の小屋なんだよ。まさか異世界のお嬢さんが訪ねてくるとは思わなかったんだけどね?」
僕が腰に手をあてて小首を傾げると、ソフィーの瞳が大きく見開かれて、先程羽をむしった血の流れる腕を掴んで僕を跪かせると、悲鳴に似た声を上げた。
「あんた怪我してるじゃない!このまま放っておいたら、化膿しちゃうわ!」
ソフィーは慌ててエプロンから真っ白なハンカチを取り出すと、そのハンカチに優しく語り掛ける。
「さあ、もう痛くなんてないはずよ。あんたは肌を優しく包んでくれるもの。ばい菌なんて寄せ付けちゃダメよ。わかってるわね、あんたならできるはずよ!?
こんなに綺麗な肌に傷なんて残しちゃダメよ!?」
慈しむようにそっとハンカチで傷口を覆うと、ハンカチの両端を結わえてポンポンと叩く。
「これでいいわ!」
にっこりと微笑んで見上げて、呆気にとられてる僕と視線がぶつかると、ソフィーの顔から今度はさーっと血の気が引いて行く。 「ふふ。」
僕は一人で表情をくるくると変えるこのソフィーに、思わず吹き出してしまう。
「な、なによ!」
「ん?ふふ、なんでもないよ。ありがとう、優しいお嬢さん。」
なるほど、彼女の言葉には魔力が宿りこのハンカチは途端に癒しの布へと変化していく。
ハンカチに口付けして見せると、あかがね色の髪と同じように真っ赤になる少女の瞳の端から、先程から溜めていた涙がポロンと零れる。
「なにがあったの?」
緊張の糸が切れてしまったのだろう。ソフィーはびっくりした様子で自らの瞳から零れる涙を両手で受け止める。そうして、不安そうに見つめると何度もためらった後に重い口を開いた。
「どうしたらいいのか、わかんないの。」
「うん?」
「あたしじゃなんの役にも立てないってわかってる。でもね、守られるだけなんて。守られてる方がずっと不安。だからって酷いことを言ってしまったわ。隠し事をされても・・・仕方ないわね。」
あたしったら考えなしだから。
あれほどハウルに釘を刺されたのに、また魔法を使ってしまったんですもの。
「困ったね、貴女の涙には僕も弱いようだよ?」
どうしても力になりたくなるのは、『ソフィー』だからなのかな?
息を呑むソフィーを見つめる。ああよかった。僕に心臓があったなら、きっと好きになっていた。ううん、ソフィーに出会っていなかったら、きっといつものように手に入れたくなってただろう。でも、このソフィーはこの世界の者ではない。まとう空気が違うのだ。
幼い頃、叔父に教えてもらったことがある。
この世には、平行していくつかの異世界があるのだと。そして、そこにはもう一人の僕がいる。何かの均衡が壊された時や、神のような選ばれし者には、そこを行き来する力もあるのだという。
例えばそんな偶然が自分の身に降りかかっても、決して異世界の者とは深く関わってはいけないと。自らの意思で来たのだとしても、戻れなくなってしまう、と。
「悪魔と契約を交わすことも禁じられていたけれど。」
「え?」
思わず声に出してしまって苦笑する。
「どうしたら泣き止んでくれるのかな?抱きしめたりしたら、貴女のハウルに悪いものね?」
「・・・!どうして『ハウル』を知ってるの?」
ハウルだけじゃないよ。カルシファーだって貴女の名前だって知ってる。
「僕だって、魔法使いだよ?貴女のハウルがそうであるように、僕にだってそれなりの知識があるよ。それに、君たちは僕のテリトリーに忍び込んで、コソコソ何かしてたよね?」
ソフィーの手をとって、椅子に座るように促すと今度は大人しく手を乗せて促されるまま腰掛ける。その瞳はまだまだ警戒心でいっぱいだったが。
「きっと、貴女のハウルも守りたいんだ。大切な人には・・・知らせたくない関わらせたくないこともあるんだ。怖いからね、ソフィーを失うなんて怖くて仕方ないもの。」
弱いとこなんて見せたくない。甘えてしまう。どこまでも。
僕の身を盾にしても守りたいだなんて、知られたくない。そんなことは。
「あんたって・・・」
くすっと笑い声が響いて、知らず作ったハウルの握りこぶしを・・・ソフィーがそっと両手で包み込んだ。




「おやすみなさい、おばあちゃん」
そう言って扉を閉めると、ソフィーはカルシファーに訊ねる。
「・・・ハウルは大丈夫かしら?」
カルシファーはちょっと顔を曇らせて、天井を見上げる。
「おいらが元気ってことは、あいつも大丈夫ってことだろうね。」
カルシファーの言葉にほんの少し安堵して、ソフィーは見慣れた室内をぐるりと見回した。
「ありがとう、カルシファー。あんたが守ってくれてるのね。使い魔がうようよしてるって、おばあちゃん言ってたわ。」
ソフィーが笑顔を向けると赤い炎がごうっと大きくなり、火の悪魔はくすぐったそうに「よせやい!」と横を向く。
「それじゃあ、眠るね。おやすみなさい、カルシファー。」
「安心して眠りなよ!ソフィー!」
ソフィーは使い慣れた作業部屋に戻るとベットに入った。
「・・・恋・・・ね・・・」
ソフィーはそっと呟いて、溜め息をつく。
「ハウルの力になりたい。でも、私にできることなんて・・・何があるっていうの?こんなおばあちゃんの私に・・・。」
眠りが訪れるのは早かった。引越しやら何やらで知らずに身体が鉛のようになっていた。その姿は本来の少女の姿に戻っていた。
「ハウル・・・どうか、無事で・・・」
その時、夢の中でソフィーを呼ぶ声が聞こえた。よく知っているようで、知らない声。愛しくて仕方なくて必死に呼びかける声。
『ソフィー!どこに居るの!?ソフィー!』
私はここよ?貴方はだあれ?
『何言ってるんだい!ぼくはあんたの夫だろう?あんた夫の名前も忘れたの!?』
パチパチとカルシファーが薪を爆ぜるその中心で何かが大きく光る。
「な、なんだ!?」
その光りは扉を通り抜け、眠るソフィーを包み込んだ。
『ソフィー!ソフィー!』
慌てた様子の声がソフィーの頭の中に響いて。
まるで両腕に抱えられるような感触に驚いて目を開けたときには・・・金髪をさらさらと顔の上に落とされながら、碧の瞳が大きく見開かれていたのだった。










重なる愛しさ(written by 梓音)に続く


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September 30, 2005