Troublesome Tornado
辿られる過去 written by 梓音
ちょっと散歩してくるよ、と花畑に歩いていったハウルと別れて戻った城の中が、出かける前とまったく同じ雰囲気のままなことにソフィーは呆れた。
「マイケルったら! いつまで落ち込んでるのよ!」
「ああ、ソフィーさん、帰ってたんですね。お帰りなさい。」
「何とかしてくれよ、ソフィー! こいつずっとそこに座ってたんだぜ! おいらせっかくマイケルにとっておきを見せてやったのにさ!」
湿っぽくて嫌になるよ!
暖炉からふわりと浮き上がって、彼女の元へと文句を言いながら近づいてきたカルシファーの言葉にマイケルがぼんやりと顔を上げる。
「あんなの慰めでも何でもないよ、カルシファー。むしろ余計に落ち込んじゃったじゃないか。何で僕ばっかり・・・・」
「ねえ、あんたたち何の話をしているの?」
それにとっておきってなんなの?
目の前で交わされる会話にソフィーが不思議そうに首を傾げると、あれですよとマイケルが例の水鏡を指差した。そこにはマルクルと呼ばれた幼い少年とカルシファーが仲良く話しながら、ハウルに出されたのだろう課題を懸命に解いている姿が映っている。
「あれが何?」
何かあんたが落ち込むことがあるの?
視線を戻すと違う違うと火の悪魔が笑い出した。それにマイケルははあっ・・・とまた溜息をつく。いったい何なのよ?
眉を潜めた彼女にカルシファーは今見せるよとおかしそうに答えて、水鏡の周りを1回転する。すると石を投げ入れたように映像がぼやけ、ついで浮かんだのは年老いた老婆と椅子に座って暖炉に突っ伏すハウルだった。
「ようく見てくれよ。」
見逃したら損するぜ!
言ってけらけらと笑って城の中を飛び回る火の悪魔を尻目にソフィーはじっと鏡を覗き込んだ。腰にタオルを巻いただけの姿でぴくりとも動かないハウルの姿は見覚えがある。
『美しくなければ生きていても仕方ない・・・』
「これって・・・!」
「そうさ! こいつもとんでもない自惚れ屋だよ!」
髪の色くらいでここまで騒ぐのはどこの世界でもハウルだけさ!
憎まれ口を叩く悪魔の向こうで鏡の中のハウルはじわりじわりと緑のねばねばを生み出していった。向こうのカルシファーの絶叫が聴こえる。床に広がっていくねばねばにあれって掃除が大変なのよね、と彼女は初めてそれを目にしたときの事を思い出して独りごちた。それにしても美しくなければ生きていけないなんて、酷い言い様だわ。本気で思っている分、ハウルより性質が悪そう
「これ、いつのことなの?」
泣いて外へと消えてしまったソフィーを呼びにマルクルが駆け出していく姿を呆れて見ながら、彼女はこの城の火の悪魔を見つめた。それに天井高く上がっていたカルシファーはふよふよと降りてきて、考え込むように炎を揺らめかせる。
「昨日の昼ぐらいかな。おいら一人で見ていてつまんなかったから。そのあとすぐにマイケルが帰ってきたから見せたかったんだけど、部屋に行っちまったから今日見せたんだ。」
おいらが魔力を駆使して残してやったんだぜ
自慢げに体を大きくしてどうだい?とオレンジの瞳を揺らめかせたカルシファーにソフィーは苦笑した。緑のねばねばなんて嫌いなはずなのに、よっぽど暇だったんだわ。あとでたくさん町の話をしてあげなくちゃ!
異質な世界の異質な悪魔であるために、カルシファーはハウルが施した結界より外へ出ることができない。さすがに事の重大さを判っているのか、暖炉に縛り付けられていた頃のような不平不満は言わないものの、やはり退屈なのか帰ってくるたびに待ちかねたように城の中を飛び回ってソフィーに外での話を彼は強請っていた。話を終えるたびに良いなあ面白そうだなあと暖炉でまどろむカルシファーにいつもお留守番ご苦労さまと微笑みかけるのが最近のソフィーの日課になっている。
「でもどうしてこれでマイケルが落ち込むの?」
「おいら知らないよ。」
再び話を戻したソフィーの言葉に、見せたらまた溜息つき始めたんだ、とくるくると回りながら答えるカルシファーをマイケルは恨めしそうに見た。
「当たり前じゃないですか、そんなこと。ハウルさんやソフィーさんやカルシファーはいるのに、僕はいないんですよ? おまけに昨日見に行ったレティーはレティーさんでもマーサでもないし・・・・」
まるで僕はこの世界では必要がないって言われてるみたいですよ!
ぶつぶつと呟いた彼はおまけにと溜息をもう一つつくと昨日戻ってきてからずっと塞ぎこんでいた鬱憤を晴らすかのように顔をあげた。
「がやがや町の噂ときたら! マーサという女の子がハウルさんに心臓をとられたっていうんですよ?」
なんだか関係がないって判っててもハウルさんの首を絞めたくなりましたよ!
言って再び机に突っ伏したマイケルの様子にソフィーとカルシファーは顔を見合わせる。
「そんなの本当かどうかなんて判らないじゃない? ハウルの噂だってあんたが流したものだったんだし・・・」
第一そのマーサっていう娘がマーサなのかも判らないのに。
呆れたように口にしたソフィーにマイケルはそれはそうですけど、と納得がいかないような声で呟き、再び大きな溜息をつく。重症だわね
どうりで今日は留守番をすると言ってきかなかったはずだと彼女は納得した。昨日の出かける前までは、ハウル同様にこっちの魔法に興味津々だったのに。
「でもいなくて良かったかもしれないわ、マイケル。言い忘れたてたけど、こちらの魔法使いサリマンは女の人だったもの。」
そういうのも嫌じゃない?
言って隣の椅子に腰掛けた彼女は今日の出来事を簡単に二人に話しだした。初めはでもちゃんと名前があるんだからと、そっぽを向いていたマイケルも話が進むうちに段々と表情を変えていき、最後は耐えられないというように笑い出した。
「そんなにその人、怖かったんですか!」
「そうね、ハウルも荒地の魔女みたいだったって言ってたもの。」
どう?と首を傾げると、マイケルはすっかり元気を取り戻したようで、彼女の意見に大きく頷く。
「そうですよね! 僕ずいぶんとつまらないことに拘ってたんだな、ありがとうございます、ソフィーさん」
「元気出たみたいね。」
「ええ、すっかり。そうだ、カルシファー、さっきのもう一度僕に見せてくれないかな? 今度は笑えそうな気がするよ!」
他人事なら面白いもんね!
そう言って水鏡のほうへと行ったマイケルと文句を言いながらも笑い足りない悪魔のコンビに笑みをこぼしていると、背後の扉が開いて両手にたくさんの珍しい花を抱えたハウルが入ってきた。
「ただいま、ソフィー。お土産だよ!」
「花摘に行ってたの? だったら一緒に行ったのに。」
受け取りながら彼女は不満げに鼻を鳴らした。調べものがあるっていうから邪魔になるかと思って戻ってきたのに!
そう思って不服そうに見つめるソフィーにハウルは苦笑する。
「違うよ、ほんとに調べもの。これはそこで見つけたんだ。」
珍しいだろう?
見てごらん、と言われてみると、確かに城の近くには無い花ばかりが腕の中にあった。あっちには無いものばかりだからあんたの実験に使いなよと面白そうに覗き込んでくるハウルをソフィーは見上げる。
「どこにあるの?」
「それは秘密。教えたら最後あんたは行かずにはいられないだろう?」
だから教えないよとさらりと返されてソフィーは顔をしかめた。良いわ、絶対に探してやるから!
「それより、マイケルは随分とご機嫌みたいだけど、そんなに面白いことでも見えるの?」
暖炉の傍で火の悪魔と一緒にお腹を抱えて笑っているマイケルに朝と随分違うじゃないかとハウルが不思議そうに尋ねるのに、ソフィーは彼の手を引いて件の映像を見せた。
マイケルが頼んだのか、カルシファーが面白がってやっているのか、鏡の中のそれは繰り返し同じ場面を見せていた。
城を揺るがすような絶叫に始まり、髪を鷲掴みにしてソフィーに迫る姿、そして暖炉に突っ伏しねばねばを出し始め、マルクルがソフィーを呼びに外へと走る。
「なんだい、これ。」
「あんたが昔やってたことよ。どう? 少しは自分の馬鹿さ加減が判った?」
判ったらちょっとしたことでねばねばは止めてよね!
傍らの夫に意地悪く毒づくとハウルは彼女以上に意地悪な笑みを浮かべてソフィーを見た。
「ソフィー、勘違いしてない? 僕がねばねばを出すのは絶望しているときじゃないよ?」
だいたい絶望したときにはあんたが真剣に慰めてくれるし
意味ありげな視線を向けられてソフィーは顔を紅くした。ああやっぱりこの人のほうが性質が悪いんだわ!
「あんたってほんと最低だわね。」
「でもあんたにはぴったりだろう?」
溜息混じりの言葉に嬉しそうに返ってくる返事を彼女は無視した。そろそろ夕食の支度をしなくちゃと台所へとそそくさと消えていく彼女をハウルがおかしそうに見送る。そうして、性懲りも無く映像を見て笑い転げる弟子を呼んだ。
「ずいぶん楽しそうじゃないか、マイケル? その様子なら昨日僕があげた課題もすぐに終わるだろうね?」
「ハウルさん!」
映像に熱中するあまり、師匠が帰ってきたことにも気がつかなかったらしい彼の弟子は慌ててしどろもどろの言い訳をすると、あっという間に部屋へと駆け上がってしまう。そうして二人っきりになった居間で彼は相棒の悪魔を睨んだ。
「人をだしにするとはえらくなったもんだよ、ええ、青びょうたん! 僕の言ったことをやってないってんなら水でもかけてやろうか。」
「毎日毎日鼻の下伸ばしてソフィーと出かけるあんたに言われたくないね! おいらは優秀だから、あんたのことだってちゃんとやってるさ!」
ほら!と不機嫌に青く燃えた悪魔は先ほどのように水鏡の周りを一巡りした。すると同じように映像はぼやけ、違うものを映し出す。
「ちょうどあんたたちが出かけた後くらいのだよ。」
「へえ・・・」
鏡の中には身なりを調えたソフィーとシーツを身体に巻きつけたハウルが話し合っている。内容から察するに彼女は彼の母親として王宮に行くらしい。
それを見て今日のソフィーが足を踏み入れようとした小部屋の魔法陣を思い出す。どう見ても好意的な魔法では無かったが、ソフィーが釣られなければ不発のなるはずだった自分たちにとは思えない。となれば。
「あれはもしかしたらこれのためかもしれないな・・・」
「何の話だい?」
「いいや、他には何かあるかな。」
「あるぜ。」
首を振って先を促したハウルにカルシファーは一度大きく炎を揺らめかせると、その映像を映し出した。
『ねえ、君はどう思う?そこから見てる気分はどう?僕は、やっぱり魔物かい?』
ずれていた目線がぴたりとハウルに向かって合わされ、問いかけるように紡がれた言葉を彼は無言で見遣った。
「おいら、もう心臓が無いけど心臓が止まるくらい驚いたよ!」
「まあ、遠からずばれるだろうとは思ってたから良いよ、カルシファー。それにしても魔物、ね・・・」
「魔物がどうかしたの?」
考え込んだ彼の後ろからあがった声に振り返るとソフィーが不思議そうに見ていた。手に持った盆には冷えた紅茶が乗っており、彼が摘んできた花が浮かべられている。
問いかけるような視線を向けるとソフィーはふふと口元を綻ばせた。
「良い香りだから勿体無くて。もう少しかかるからこれでも飲んでてちょうだい。」
お菓子もあるからマイケルも呼んできて
言いながらテーブルに置いた菓子を2・3個宙に浮くカルシファーに食べさせた彼女はいつのまにか変わってしまった水鏡を見て、夫を振り返った。
「それより魔物ってなんのこと?」
「たいしたことじゃないよ、ソフィー。こうまでやってることが同じだと自分に化けた魔物みたいだと思ってさ。」
でもこの魔物にあんたはあげないけど
冗談めかして顔を近づけてくるハウルに馬鹿言ってないでマイケルを呼んできなさい!とソフィーが紅い顔で怒鳴ると彼は笑って2階へと上がっていく。それをもう、と見つめていた彼女は、映像を今の状態に戻したらしい火の悪魔を振り返った。
「あの人が言ったことはほんとうでしょうね、カルシファー?」
「おいら知らないよ。ハウルがいつだって不正直なのはあんたが一番知ってるだろ。」
おいらはあんたたちの喧嘩に巻き込まれたくないんだよ
そう言いおくと彼は追及を逃れるように暖炉に戻って瞳を閉じる。その様子を無言で見ながら、ソフィーは2階から音を立てて夫と彼の弟子が降りてくるまで心配そうに水鏡を見ているのだった。
September 11, 2005