Troublesome Tornado



王室付き魔法使い written by 梓音




インガリー王立図書館。
初代国王が国の一層の繁栄を願って建てたと言われる王宮に隣接したこの建物は、ソフィーやハウルの世界と同じく重厚で歴史を感じさせる石造りのものだった。無料で開放されている一般的な書物の奥の、資料室のさらに奥に魔法書の類は置かれているとの司書の言葉に、どこの世界も同じなのねと思いながらソフィーはハウルと共に歩いていく。
「こちらにお名前をお願いします。」
なにぶん取り扱いには注意の必要なものもありますので、と再度入口で呼び止められハウルがすらすらと書き込み始めたのをソフィーは覗き込んだ。
魔術師ジェンキン、と相変わらずの汚さで書き込まれたノートの文字に彼女は訝しそうにハウルを見たが、彼は悪戯っぽく笑うだけで奥へと向かってしまう。開かれたドアの向こうは一般書籍と同じだけの広さのフロアがあり、ところどころで見るからに魔法使いだという出で立ちの者が真剣に書物を読みふけっていた。
「こっちだよ、ソフィー」
通りがかりに数冊の書物を取りながらハウルが示したのは、このフロアでも最奥の閲覧席で四方を古魔法の書籍で囲まれた、他の閲覧席からはちょっとした死角となる場所だった。
「まるで隠れ家ね。」
ぐるりと見回して感じたことを告げるとその方が都合が良いと彼はあっさりと認めた。
「なるべくなら目立たないほうが良いからね。ここならそうそう誰も来ないからゆっくりできるよ、ソフィー。古い魔法は余程の力の持ち主でなければ扱うことは勿論、解読すら不可能だからさ。」
王室付き魔法使いくらいしかここは利用しないだろうね
「偽名を使ったのも目立たないためなの?」
「違うよ。折角だから久々に別人になろうかと思ったんだ。そのほうが面白いだろう?」
置かれたランプをつけながら、持ってきた書物を机の上に積むハウルにソフィーは声を殺してさっきのことを訊いてみると、彼は楽しそうに答えた。あんたは変わらないけどねと面白がるような響きの返事に疑わしそうな視線を向けながらも、特にすることもない彼女は早速というように魔法書を読み始めたハウルをぼんやりと眺める。
緑の瞳を真剣に走らせる姿は、普段の様子からは想像もつかないほどに大人っぽくて彼を魔法使いらしく見せる。ぱらりぱらりとページを繰っていく神経質そうな指先を見ながら、ベンと二人で仕事をしているときもこんな感じなのかしらと彼女は思った。何だか意外にこの人、真面目らしいし。
ハウルは持ってきた書物を見事な速さで読破していく。読み終わったものを反対側に積んでいくのに、彼女は手を伸ばして1冊を取り出し表紙を見た。たいした厚みもないそれはマイケルが良く読んでいるような初歩的なもので、魔法の仕組みや歴史などの総論について述べているもののようだった。次に手に取ったのはそれよりは実践的なもので、そのあとは本の厚さも増していき、どんどんと専門性を増しているようだったので彼女は彼の本の詮索を諦めて改めて周りを観察することにする。
国一番の蔵書量を誇るこの場所は、国一番の博物館でもあるようで、要所要所の壁や柱に歴代国王が戦争で他国から持ち帰ってきた美術品が無造作に飾られている。たしかあれって盗まれないように王室付き魔法使いが魔法をかけているのよね。こっちでもやっぱりそうなのかしら
邪な気持ちで触れるとくっついて手が離れなくなるのだと前にハウルから聞いていた彼女は誰かやってみてくれないかしらと本棚の影から様子を見ていたが、そういった不埒者はそう現れるものでもなく、もくもくと読んでいる本に集中する閲覧者たちに彼女は退屈そうに息を吐いた。
こんなことなら一般書籍のフロアで待っていれば良かった
言語や通貨は同じだということはここ数日で判っていたのでソフィーは心底そう思った。あたしだって本は大好きだから、あっちだったら楽しめたのに。
ちらりと視線を夫に戻すとハウルは最後の本を読んでいるところだった。素晴らしい分厚さのそれを読み終わるまで何をしようかと思っていると、足元に何だか柔らかいものが当たる。
「あんた・・・!」
見下ろしたそこには昨日の犬がソフィーに甘えるように身体を摺り寄せてきている。ソフィーが気がついたことに気づくとヒンヒンと鳴きながら書棚の一角へと走っていく。
「駄目よ! 見つかったら殺されちゃうわよ!」
愛玩動物の入場は禁止します、との注意事項を思い出して慌てて追いかけると、犬は慣れているように短い足で最下層の段に並べられた1冊を奥へと押した。するとぽっかりと開いた黒い入口が現われて彼女は驚いたように瞳を見開いた。これってもしかして王宮へ繋がっているのかしら・・・
「ハウル・・・はまだ駄目そうね・・・」
振り返ってぴくりとも動かない夫にソフィーは溜息をついた。そうして彼女が来るのを待つように入口のそばで佇む犬を睨みつける。
「昨日の仕返しを考えているって訳じゃないでしょうね?」
だったら酷いわよ?
途端にヒンヒンと必死に首を左右に振る犬に彼女は笑ってついていく。退屈しのぎにはなりそうだし、そんなに遠くに行かなければ大丈夫よね。ハウルがあの本を読み終わる前に戻れる範囲で見てきましょう
そっと足を踏み入れると目の前には豪華な絨毯の敷かれた廊下が広がっていた。予想していた通り、王宮の一角のようだったが人の気配はあまり無く、異質な空気が漂っている。そこを当然のように歩いていく犬の後を追いかけながらソフィーは考える。これと同じ仕掛けと雰囲気を彼女は彼女の世界で知っていた。
それは入口はやはり図書館の最奥で、繋がる先は王室付き魔法使いの私室。
いついかなるときにも迅速に利用できるようにと専用の書庫のほかに王立図書館の利用も優先を認められている彼らはそこに辿り着くための余計な手間を省くための抜け道を魔法で繋げることを王から許可されている。ハウルからそれを聞いていたソフィーは彼に用事があるたびに、王宮の階段と長々と続く部屋から部屋の移動に嫌気が差していたのでよく利用していたから覚えている。
「あんた王室付き魔法使いだったの?」
先を行く犬に話しかけると彼は首を傾げて走っていった。あまり奥へ行ってはさすがに誰かに出くわすのではないかと心配しながら追いかけるとある部屋へと辿り着く。
こじんまりとした広さのそこはフロアの真ん中に椅子が一脚ぽつんと置いてあるだけで何の変哲も無い。控え室にしてはちょっと暗いわねと不思議に思いながら一歩を踏み出そうとすると誰かに腕を掴まれて彼女は心臓が止まりそうになるほど驚いた。
「一人で出歩くのはなしって言ったはずだよ、ソフィー」
「ハウル・・・驚かさないでよ・・・」
兵士かと思ったじゃない!
振り向いて相手を確認してくたりと力の抜けたソフィーをハウルは抱きしめる。
「間に合って良かったよ、ソフィー」
「ハウル?」
「あの仕掛けは時間制限つきだったんだ。あと少し気づくのが遅れてたら、あんたどうなっていたと思う?」
おまけにこんなところでまた余計な興味を持っちゃってさ!
皮肉っぽく付け足された言葉にソフィーは背後の椅子を振り返る。別に変わったところはない。首を傾げた妻の様子にハウルは腹立たしそうに床を指差した。
「あんたは見えないだろうけど、ここにはおかしな魔法が仕掛けられてる。床の魔法陣だけじゃ作動はしないみたいだけどね。」
「どうなるの?」
「さあね。でもろくなもんじゃないさ。」
言いながらハウルは彼女をこんなところに連れ出した原因を見つけると睨みつけた。
「僕の奥さんを誑かしたのはこいつかい?」
無力になるだけじゃ足りないみたいだね
腹立たしそうに毒づきながらの言葉に犬は怯えたように奥へと消えた。あ、と追いかけようとしたソフィーをハウルが止める。 「離してよ、ハウル。あの仔がいないと帰り道が判らないじゃない!」
「いたって同じだよ。あの通路は往きのみの道だった。あんたはあいつに騙されたのさ。」
「騙された? でもどうして・・・」
「珍しいお客さまだこと。」
割り込んできた声に振り返るとそこにはさっきの犬を従えた初老の女性が豪華な車椅子に座って二人を見ていた。物音ひとつしなかったことに驚くソフィーの隣でハウルがソフィーをさりげなく背中に隠してじっと目の前の人物を見返した。
息苦しいほどの沈黙がしばらく続いたあと、突然現われた老女は足元の犬に何かを確認するように見遣ってからゆっくりと頷き口を開いた。
「あなたがたからは異質な魔力を感じますね。昨日はこの者が相手をした方でしょう。よろしければお話を聴きましょう。」
言ってキイキイと動き出す車椅子の向こうで、お仕着せの少年がどうぞと丁寧に頭を下げる。問い掛けるようにソフィーがハウルを見ると、彼は軽く頷いて彼女の手をとり、進んでいった。
案内されたそこは屋内なのに植物が溢れていてソフィーは思わず感嘆の声を漏らした。見たことの無いものばかり。水はどうやって与えているのかしら?
辺りを見回してそんなことを考えている間に、老女は定位置らしい日差しの良く当たる場所に落ち着くと、まず昨日のことですが、と穏やかに話し出したのでソフィーは視線を戻してハウルの後ろから様子を伺う。ぴしりと伸びた背筋と意志の強そうな口元は彼女の雰囲気を厳しいものに見せて、ハウルの師のペンステモン夫人を思い出させる。
あの犬も随分と慕っているみたいだし、魔法使いには違いないのだろうけど。
あれこれと考えるソフィーの横でハウルも静かに相手を観察しているようだった。彼女はそのことに気が付いているのかいないのか、昨日のことを手短に話すと二人に向かって笑顔を向けた。
「この者をわたくしのもとに返してくれて助かりました。とても優秀な部下でしたから。」
お疲れでしょう、椅子にどうぞ
言いながら指し示された目の前の椅子をハウルは首を振ることで断る。目の前の人物からは並々ならない魔力を感じた。おそらく彼らが図書館に入った時点から気がついていたはずだ。それをあたかも偶然に起きたハプニングのおかげだとでも言うような口ぶりなのが信用ならない。相手も特に強要するつもりはないのか、特に何も言わず話を続ける。
「事情はだいたい判っています。あなたがたは何がお望みかしら?」
出来ることがあれば答えますよ
静かな問いかけにハウルはにこやかに応対しながらも、申し出には首を振った。
「何も望んでませんよ、マダム。僕たちはこの世界に干渉するつもりはないし、することは許されない。それはご存知の筈ですが?」
「確かに。昨日のことはこの者の浅慮に過ぎた行動から起きたことですので咎めるつもりはありません。あなたのおっしゃっていることも至極最もなことと受け止めています。ですが今は戦時中なのです。不穏分子は一掃しなくては。」
「僕たちを処分すると?」
淡々と交わされる会話の殺伐さにソフィーはハウルを見上げた。彼は彼女に決して喋るなと目配せして、再び目の前の人物に視線を戻す。底の見えない瞳はまるでかつての荒地の魔女のようだ、と吐き気を覚えたが、表情は変えずに相手を見返した。
ハウルの言葉に老女はわざとらしく瞳を瞠り、ゆっくりと首を振る。
「そのようなことは考えておりません。次元の違う者に手を出す危険性は良く判っています。」
「でしたらこれ以降は、そちらも僕たちに干渉しないことをお約束して頂きたいですね。」
その方が互いのためでしょう
すぐにハウルが返すと老女はじっと彼を見た。
見詰め合うハウルと相手の間に火花が見えるようだわ、とソフィーは無言を守りながら思う。彼女の手を握り締めるハウルの力が強くなる。それだけで彼女にも目の前の女性との会話がとても危うい均衡の上に成り立っているのだと判った。
そんな二人の様子をしばらく見つめていた老女はやがて深々と溜息をついた。足元の犬が気遣うようにヒンと鳴いた。
「・・・・判りました、お約束しましょう。あなたがたには決して手を出さないように配下のものに伝えておきます。」
きっぱりと言い切った彼女の言葉をハウルは瞳を細めて聴いていた。そうして再度にこりと笑みを浮かべて優雅に腰を折る。
「ありがとうございます、マダム。こちらも決して干渉しないと約束しますよ。」
「ありがたいこと。ではもうお帰りなさい。案内させましょう。」
言って彼女が腕を一振りすると奥から先ほどの小姓が出てくる。
「お帰りです。送って差し上げなさい。」
「はい、先生。どうぞ、こちらへ。」
「行こう。」
ハウルに促されて足を向けた彼女はそっと後ろを振り返る。視線の先で老女は不思議な笑みを浮かべてハウルとソフィーを見つめていた。
「ああ、そうだったわ。お名前をお訊きしてもよろしいかしら?」
部屋から出るときについでというようにかけられた声にハウルは立ち止まる。きたか
「わたくしはサリマン。マダム・サリマンと呼ばれております。」
告げられた名前にソフィーは瞳を見開いた。サリマンですって?
驚く妻の肩を抱いてハウルは振り返る。そうして万が一のためにと用意した名を口にした。
「魔術師ジェンキンと申します。こちらの彼女は僕の妻です。」
「お若い奥様ですこと。お名前はなんとおっしゃるのかしら。」
視線を向けられて答えようとしたソフィーはきつくなった彼の腕に口をつぐんだ。ハウルは彼女を抱き寄せたまま、マダム・サリマンに微笑みながら視線を傍らの小姓に意味ありげに流す。
「ご容赦を、マダム。男が一人でもいる場所では僕は彼女の名を教える気は無いのですよ。」
「まあ、大変なご主人だこと。奥様は大変ですね。」
ではごきげんよう
笑い混じりの言葉を最後に背後の扉は閉められた。
「こちらが一般口への出口になります。」
お気をつけてお帰りください
そう言って小姓も去っていくとハウルはソフィーの手を引いて、足早に王宮を抜けて近くの公園へと向かい、ベンチに腰を下ろした。
「もう良いよ、ソフィー」
知りたがりのあんたには随分辛かっただろう?
悪戯っぽく覗き込まれた彼女は取りあえず夫を見返した。
「大丈夫、ハウル?」
あたしのせいね、ごめんなさい
申し訳無さそうな彼女にハウルは苦笑した。
「あんたの詮索好きは今に始まったことじゃないんだから、そんな顔しないで、ソフィー。食えない相手だったけど本人が言っていた通り、こっちの魔法使いはもう僕たちに干渉をしてこないよ。」
だからこれで良かったんだよ
言って彼はそのまま話題を変える。
「それよりマダム・サリマンだってさ、ソフィー。サリマンが聴いたら何て言うと思う?」
きっと言葉も無いだろうね!
おかしそうに笑うハウルにソフィーも微笑む。
「そうね、見ものだったかも。あんたが言う通り、こっちとあっちは少しずつ違うみたいね。」
「そうだよ。だから早く帰ろう?」
僕たちの本当の世界にね
早く戻ってあんたに甘えるだけの生活に戻らないと耐えられないよ!と抱きつくハウルにソフィーは苦笑した。
「あたしもそう思うわ。こっちに来てからあんたが優秀な魔法使いに見えてしょうがないんだもの。」
「惚れ直した、ソフィー?」
「いいえ。いつものあんたの方があたしには良いんだって再確認しただけよ。」
くすくすと笑って答えると背後のハウルは余程意外だったのか黙り込んだ。振り返ると緑の瞳が驚いたように瞠られていて、珍しくこの人に勝ったわ、とソフィーは鼻を鳴らす。
「さあ、用事も済んだんだし帰りましょうよ、ハウル。」
マイケルとカルシファーがお腹を空かせて待っているでしょう?
留守番を頼んだふたりを引き合いに出すとハウルはがっくりと肩を落としてソフィーを恨みがましそうに見る。
「あんたさ。ここまで雰囲気を作っておいてそれはないんじゃないの?」
せっかく当分の脅威は無くなったっていうのにさ!
拗ねたような言葉にソフィーは嬉しくなる。やっぱりハウルはこの方が良いわ
そう心の中で呟いた彼女は、もう少しここにいようよ、と駄々をこねる夫を叱りつけながらも彼に付き合ってもう一度ベンチへと戻るのだった。










守りの指輪 (written by 純)に続く


Troublesome Tornado Menu

back





August 26, 2005