Troublesome Tornado
魔法の代償 written by 梓音
マーサに会いに行っても良いでしょうか?
はにかみながらそう尋ねてハウルの許可をもらったマイケルが嬉しそうに出かけたあと、ソフィーとハウルも買物をかねて近くの港町へと降り立っていた。
「カルシファー、大丈夫かしら・・・」
昨日、今日と使い慣れないこちらの魔法を駆使していたらしい火の悪魔は、ひとり城に取り残されることに特に異論も言わずに暖炉でまどろんでいたのを思い出して、ソフィーは心配そうに呟く。今日は新鮮な魚だからなるべく火を使わないものにしなくちゃね、と傍らの夫に話し掛けると彼は不機嫌そうにソフィーを見た。
「大丈夫に決まってるだろう、ソフィー? あいつは僕なんかよりよっぽど耐性があるんだから。こっちにきてから甘やかしすぎなんじゃないの?」
「だって暖炉から出ようともしないじゃない。あんなふうになったのなんてあたしがカカシを怖がって城を早くしてって頼んだとき以来よ?」
「普段楽な暮らしをしてるからなまってるのさ。少しくらいこき使った方がカルシファーのためにも良いんだよ。」
それよりも同じくらい魔力を使っている僕を気遣ったら?
しっかりと繋がれた手を振り回しながら甘えるように覗き込んでくるハウルにソフィーは呆れる。困った旦那様だわ
手を引かれるままに港沿いの店であれこれと買物をしていた二人は荷物を先に城へと送ると港沿いの道をそぞろ歩いた。
「たまには良いわね、こういうのも。」
潮風を受けて髪を押さえるソフィーはそう呟く。のどかな風景と静かな波の音は花畑とはまた違う安らぎを感じさせてくれる。どこへ行きたいとハウルに聞かれてこの場所を選んだ自分をソフィーは誉めたくなった。ハウルは嬉しそうに彼女を覗き込んで緑の瞳を期待にきらきらと輝かせる。
「ねえソフィー? まだまだ時間もあるみたいだからいろんなところに行こうよ!」
せっかくの良い天気なんだから、少しくらい遅くなったって良いだろう?
言って抱きつく夫をソフィーは呆れたように見た。この人ってほんと変わらないわ
そう思いながらも否定する気にもなれずに彼女は彼と歩いていく。市場を抜けて買い物客でごった返す通りから抜けようとしたとき、背後の人々の悲鳴が聴こえ、道を行く人が一斉に港へと走り出した。
「何かしら・・・?」
「行こう、ソフィー」
「ハウル・・・?」
振り返ろうとした彼女の肩を抱いて足早に歩き出したハウルにソフィーは首を傾げた。通り過ぎる人たちの叫び声から、この国の軍艦が攻撃を受けて戻ってきたのだと判る。
「ねえハウルったら! いったいなんなの!」
「僕たちには関係の無いことだろう? 折角のデートが台無しだから場所を変えよう!」
「だからってあんた早く歩きすぎよ!」
もう少しゆっくり歩いて!
抱えられるように歩いているソフィーは息切れをさせながら夫を睨んだ。ハウルは聴こえないとでもいうようにまっすぐに前を見たまま歩き続ける。傷ついた軍艦が港に姿を見せたと同時に2方向からおびただしいほどの魔力が近づいてくるのが感じられる。一刻も早く離れなければ。
「ハウル!」
「もう少しだから我慢して、ソフィー」
じわじわと迫る魔法の気配に気づかせないようハウルは傍らの妻に笑いかけた。
「空襲だ!」
誰かの叫び声と共に爆音が響く。逃げまどう町の人に道をふさがれてハウルは舌打ちをした。この非常時に!
「ソフィー、掴まって!」
叫ぶと同時に彼は腕をふるって風を起こし、止めない足をふわりと乗せる。
「ハウル! 飛行機が!」
「大丈夫、彼らには見えないよ。それより早く離れよう。」
やがて来る魔法使いたちになるべく見つからないうちに
魔法を使ったからもう無理なんだけどね、心の中で呟いて彼は少し離れた場所にある丘に降り立った。
「着いたよ。大丈夫かい、ソフィー?」
驚かせてごめんよ
済まなそうなハウルの声にソフィーは顔を上げる。大丈夫か、ですって?
「今度は何なの、ハウル? 本当のことを言ってちょうだい。」
悪戯っぽく嘯く瞳が実はまったく笑っていなかったことを彼女は気がついていた。ハウルは困ったように彼女を見ていたがきつくなった視線に観念したように肩を竦める。
「あんたは変なところが聡いね、ソフィー? まあもうそろそろやってくるだろうから覚悟を決めてもらうには打ってつけだけどさ。」
「覚悟って・・・!」
「ほら来た。」
僕の後ろに隠れておいで
見つめるハウルの視線の先を見ると黒い翼を持った大きな鳥がこちらに向かって何十羽もやってくるのが見える。よくよく目を凝らせばそれらは足が2本あり、人間が変化したものだと判った。
「何なの、あれ・・・!」
「この国の魔法使いだろう。軍艦が戻ってきたから偵察に来たんだよ、きっと。」
隣の国の魔法使いもいたんだけど、追い払ったみたいだ
続いた言葉にソフィーはぞっとした。ハウルやサリマンもインガリー王に要請されて戦場へ赴いたり、情報収集に出かけることはある。けれども、いま目の前に迫ってくる魔法使い達のように姿を変えているところは見たことがない。まるで化け物の群れのようだわ
この世界は戦争のたびにこんなことをするの?
「ハウル・・・!」
「大丈夫だよ。離れないで、ソフィー」
自分達の周りにまやかしの結界を張り終えた頃に、ばさりばさりと音を立てた異形の魔法使い達が彼らを取り囲むように降りてきた。
「何者だ。」
「ただの観光客さ。あんたたちにもあっちにも係わり合いになる気は無いよ。」
だから放っておいてくれないかな
笑みを浮かべて言い放ったハウルの言葉に周りの魔法使いたちがざわめく。隠れるように彼の後ろに立ちながらハウルの心臓がどくどくと速く鳴っているのにソフィーは心配そうに夫を見上げた。ハウルは内心の怖さなどおくびにも出さずに目の前の魔法使い達を相手に口元に笑みまで浮かべてみせる。
「さあ早くあんたたちのボスに報告に行ったら? こんなところで油を売ってる暇があるならさ。」
再び、ざわ、とどよめいた奥から一目で高位の魔法使いと判る男が進み出てきた。彼はじっとハウルとソフィーを見、ゆっくりと口を開く。
「確かに我々とは関わりを持ちそうにないな・・・だが、危険だ。」
この世界にはありえない異質の魔力など無い方が良い
言い切ると同時に叫び声をあげて目の前で変化していく魔法使いにソフィーは悲鳴を上げそうになる。まるで内側の皮を裏返すかのようにその身をまわりの魔法使い同様に変えた彼は獰猛そうな大型のイヌの姿を取った。今にも飛び掛ってきそうなそれを見て、ハウルは肩を竦める。
「どうやら話の判る人はいないみたいだね。」
相手の実力を見極めることも出来ない三下の集まりのようだ
冷たく嘯いた彼の言葉に険悪な空気が生まれ、襲い掛かろうと彼らが動いたのを確認してソフィーはハウルにしがみつく。
「逃げるよ、ソフィー」
耳元で小さく彼の呟きが聴こえたかと思うと、ハウルは低く呪文を唱える。ごうっと音を立てて風が吹き荒れ、まわりの魔法使い達を翻弄しだしたのを確認するとハウルはソフィーの手を引いて走り出した。
「ハウル、追いかけてくるわ!」
振り返ったすぐそこに迫るイヌの化け物にソフィーが叫ぶ。
「大丈夫だよ! 僕たちの後をつけられないようにしてるから!」
「でも!」
まっすぐに自分達を目指している様子はとてもではないが、惑わされている風には見えない。ハウルもそのことに気が付いたのか再び呪文を唱え始めた。惑わせないのならせめて危険のない状態にしなければ。
町を抜け、近くの沼地のほとりまで来た頃に漸く追っ手を撒けたことが判ったハウルは息を切らしてしゃがみこんだソフィーの傍に倒れ込んだ。
「ハウル?」
「怖かったよ、ソフィー」
上手く逃げ切れて良かった・・・・
甘えるように擦り寄るハウルにソフィーは苦笑する。
「そうね、お疲れさま、ハウル」
「うん・・・もう少しこのままでいて。」
ごろりとそのまま彼女の膝に乗ってきたハウルに仕方ないわねとソフィーは息をつく。気持ちが良さそうに瞳を閉じるハウルの額に滲んでいた汗を拭き取りながら、彼女は先ほどのことを考えていた。
「こっちの魔法使いは変身するのね・・・・」
「僕たちのところだってそういう魔法はあるよ、ソフィー。彼らなんかよりよっぽど安全な方法でね。」
見下ろすとハウルは考え深そうに緑の瞳を翳らせる。どういう意味かしら、とソフィーが口にしかける前にハウルが再び口を開いた。
「こっちでは悪魔との契約は当たり前みたいだ。可哀想に、彼らはもうもとの姿に戻ることは無いだろう。」
そのうち自分が誰だったかも忘れるだろうからそれまでの苦しみだろうけどね
「そうなったらどうなるの?」
「どうもならないよ。意識も無くなって契約した悪魔に乗っ取られるんだろうから、良くて他の魔法使いの使い魔になるってもんだと思うよ。」
自業自得過ぎて泣けもしないね
自嘲ぎみに呟いたハウルはそのままソフィーの腰に抱きついた。
「ハウル?」
「あんたがいて良かったよ、ソフィー」
泣いているような声に彼女は眉を潜めた。おかしいわ、何だか素直すぎる
「ちょっとあんたどうしたのよ・・・ハウル!」
顔を上げさせようと触れた頬の熱さにソフィーは瞳を見開いた。すごい熱!
「大丈夫だよ、ソフィー」
「大丈夫って・・・全然大丈夫じゃないじゃない!」
慌てて彼女は近くの沼まで持っていたハンカチを濡らしに走った。そっとのせるとハウルから吐息が漏れる。いつもなら死にそうだの、何だのと騒ぐ彼が大人しいことにソフィーは心配そうに覗き込んだ。
「あんた具合が悪かったの?」
「違うよ。」
答えて彼は原因はあれ、と腕を持ち上げる。その指先を辿った先にいる不恰好な犬を見てソフィーは首を傾げた。
「あの犬がどうして原因なの?」
「ソフィー、判んないの? あれ、さっき僕たちを追ってきた犬だよ。」
「なんですって?」
近寄ってくる犬をソフィーは凝視する。垂れた耳に間抜けそうな顔と先ほどの獰猛さとは似ても似つかない。
「性質を逆にする魔法をかけたんだよ、そうすれば大人しくなるだろうから。ただ、この魔法は時に干渉する高度なものだから理に触れちゃったんだ。」
しばらく寝てれば戻るからあんたは傍にいてよ
伸ばしてくる手に負担がかかるってこういう意味だったのね、と彼女は溜息を吐いた。
そうして彼のもとへと戻ろうとすると足元の犬が不安そうに見上げてくる。もとはあんなに怖そうな魔物だったのにとんでもなく無力になっちゃったわね。ハウルの話だともう元にも戻れないというし、なんだか気の毒なことだわ
そう思ってソフィーはせめてこの元人間の使い魔が路頭に迷わないようにと話し掛けた。
「帰りなさい、あんたのいた場所へ。戻れば何か良い事が待っているに違いないわ。だからあたしたちのことは忘れて戻るの、判った?」
言い終わると犬はヒン!と一声鳴いて一目散に駆け出していった。それを見送ってソフィーはハウルの傍に座り込む。頬に触れると先ほどの熱が嘘のように引き始めていた。
「ソフィー?」
「もう少ししたら戻れそうね・・・・でももう無茶はしないでちょうだい。」
あんたに何かがあったら怖いわ
今更ながらに思い出して震える声を抑えて話すソフィーにハウルは困ったような顔をする。
「ごめんよ、怖がらせて。そうだ、明日はキングズベリーに行こうか。」
「王都だなんてとんでもないわ! 今日みたいなことがあったらどうするのよ?」
もう止めてって言ったでしょう?
睨みつけたソフィーにだからだよと笑いかけてハウルは起き上がった。身体の具合はもう正常と変わりは無いけれど、心配そうに寄り添うソフィーなんて滅多に見られないからもう少し具合の悪いふりをしていようと、寄りかかってみる。ソフィーは文句は言わずにハウルを抱きしめるように腕を回した。
「今日のことでこっちの魔法にもう少し精通した方が良いって思い知ったよ、ソフィー。キングズベリーの王立図書館ならそういったものがたくさんあるだろうからね。」
だから明日は王都へいこう?
強請るように見つめるとソフィーはしぶしぶ頷いた。確かにもうあんなハウルは見たくないもの
だけど、と彼女は起き上がってソフィーにべったりと懐くハウルをもう一度倒して頭を膝の上に乗せた。
「まだ顔色が良くないわ。あんたの言う通り時間はたっぷりあるんだし、夕方までここにいましょう。」
そばにいるから寝ちゃいなさい
言って彼女は羽織っていた肩掛けをハウルの上に掛けなおした。
「出来ればキスも欲しいな、ソフィー?」
「元気になったらね。」
悪戯っぽく付け足された言葉に呆れながらもソフィーはほっとした。良かった、いつものハウルに戻ったわ
ハウルはソフィーの言葉を聞くと約束したよ!と嬉しそうに笑ってそのまま瞳を閉じる。程なくして寝息が聞こえ、疲れていたのねとソフィーは彼の額にキスを落とした。
「・・・魔法の理からあんたが開放されますように。」
どんな魔法もあんたを傷つけることがないように、と低く囁いて、そのまま二人はソフィーの言葉どおり夕暮れまでそこに留まるのだった。
August 16, 2005