Troublesome Tornado
消えない焼印 written by 純
ハウルはバスタブに疲れた身体を沈めて、今動き出した様々なことを頭の中で整理しはじめた。
今起きていること。成すべきことは何だろう?と。
それは思いもかけずに、この城へ転がり込んできていた。
重い足を引きずるように階段を上ると、擦り切れた感情がひりひりと痛んだ。空っぽのはずの心臓に押し寄せる波。
「ハウルさん、おかえりなさい!王様から手紙がきてますよ。ジェンキンスにもペンドラゴンにも。」
マルクルがどこかほっとしたような顔で駆け寄ってくる。その顔には得体の知れない存在にちょっと怯えているようだ。
ハウルはその存在に目を向けた。
その老婆は、カルシファーを従えてフライパンをのせているところだった。
思わず、大きな声で「見つけた!」と叫びたくなって、ハウルは口をつぐんだ。
これは、街であったあの少女。
僕の記憶の中で唯一の宝物。『ソフィー』にどうしても繋がる少女。
何故だろう?昨日別れてから何があったんだ?
恐ろしく強い魔力が働いていて、ハウルは引寄せられるように近づいた。
何かが作用している。
これは偶然なんかじゃないだろう?
体中で感じる強い魔力は。
昨日この城で感じた魔力。
悪意はなさそうだったし、どこか懐かしい・・・自分に似たものを感じていた。
同じで異質。
だからあえて詮索もしなかったのだが。
その魔力を帯びたものが、ここへ集結しているのだ。
あの少女が老婆になり、そして厄介な物も持ち込んでいる。
彼女が使っているのだろうか?杖からも同じ力。
そ知らぬフリを決め込んだ、この老婆は自分からは話せない魔法をかけられている。
様々な情報がハウルの頭の中でパズルのようにあてはめられていく。
「カルシファー、よく言うことを聞いているね」
思わずフライパンの下敷きにされているカルシファーに声をかける。
お前はもう気がついたんだろう?
「おいらをいじめたんだ!」
フライパンの下から小さく顔を覗かせて、カルシファーは声を荒げた。
「誰にでも出来ることじゃないな。あんた誰?」
素っ気無く訊ねて、ハウルはその口から待ち望んだ名前を聞けることを願った。
「・・・あ・・・私はソフィーばあさんだよ。ホラ!この城の新しい掃除婦さ!」
ソフィー。
その名前を耳にした途端、どこか安堵に似た空気が流れ、ハウルはそっとその皺くちゃの手に握られていた大きなスプーンを絡めとった。
ようやく、君は訪れてくれたんだ。
まだ、約束の未来は先のようだけど。
奇妙な食事が始まると、ソフィーは怪訝そうな表情を浮かべながらも自らもベーコンエッグを口に運ぼうとする。
ハウルはひとしきりソフィーにかかっている魔法を紐解いていたが、どうやら荒れ地の魔女は強力な魔力の欠片を手入れたのだろう。ソフィーにかかっている呪いのほとんどは、簡単に解けるものばかりであったが、どうやらその手に入れた魔力を利用している。解けない魔法は彼の魔法だからだろうか?
そして、先ほどから発している禍々しい魔力の源を思案する。
怖がらせないように、ハウルはソフィーに笑顔で語りかけた。
「で、あなたのポケットの中のものは何?」
ソフィーはどきっとして口に入れかけた黄身を皿の上に落としてしまう。
何のことだかわけのわからないまま、ソフィーはスカートのポケットを探るように手を差し入れた。
何か入っていることに驚きながら、それを引っ張り出す。
「何かしら?」
真っ赤な紙切れが現れると、ハウルは目を細める。
「貸して」
ハウルの指に紙があたった瞬間、何かが弾けてスパークしその紙は広がりながら机の上に落ちた。机の上で文字が火を噴き机を焦がした。
ゆっくりとその焼印を眺めると、それが自分を手に入れるための呪いであることを知る。
ここに残してはおけない。
この城には・・・近づけられない。
ならば。
ハウルは右手をかざすと、その焼印を自らの掌に移す。
それがソフィーに向けられた呪いでなかったことに安堵しながら。
激痛が掌から体中を突き抜ける。
黒い煙があがりジュウッと肉の焼け付く音と匂いがたちこめる。
荒れ地の魔女のその黒い邪悪な力を全て身体の内に取り込んで、ハウルは冷笑を浮かべる。
机にあった焼印は見事に拭い取られ、代わりにハウルの手は赤黒く焼けた。
「凄い!消えた」
マルクルが身を乗り出して声をあげる。
ハウルはその掌を見られないように左手で襟を掴むと、上着の下に腕を隠す。
「焼け焦げは消えても、呪いは消えないさ。」
ハウルは立ち上がり、浴室へと向かう。
体中でくすぶる、邪悪な炎を鎮めるために浴室へと向かった。
焼け焦げた手の平が痛む。
荒れ地の魔女の呪い。
どこから手入れたのか、もっと強大な魔力を利用した・・・黒い呪い。
もう逃げられない。
じっとかざして見つめて、それでもハウルはにやりと笑う。
ソフィーが居るというだけで、言葉に出来ない感情が渦巻く。
まだこの感情を何と呼ぶのかわからない。
僕は心無い男だから・・・。
立ち込める湯気がハウルの表情を覆い隠す。その蒼い瞳には涙が浮かんでいたのだ。
呪い用の棚から呪い粉を取り出し、ハウルは髪に振り掛ける。
少しでもよく見せたいなんて。あんなお婆さんに。
くすっと笑みを零し呟く。
「カルシファーに笑われるかな」
ハウルはバスタブからでると、空っぽの胸をとんと叩いた。
August 09, 2005