Troublesome Tornado



トラブルは忍び足でやってくる written by 梓音




ソフィーは朝からご機嫌だった。窓を開ければ雲ひとつ無い良いお天気でまさに洗濯日和だったし、いつも同じものでもね、と多めの卵で作ったオムレツはどれもてかてかと綺麗に仕上がってテーブルの上に乗っかっている。たくさんの卵の殻と奮発してもらったチーズの欠片でカルシファーはご機嫌に『フライパンの歌』を歌って、彼女も合わせるように身体を揺らしてくるくると動いていた。
ああなんて素敵な日かしら! きっと良いことがあるに違いないわ!
「おはようございます、ソフィーさん」
「おはよう、マイケル。これで終わりだからテーブルに持っていってくれる?」
渡されたサラダボウルを慎重に持っていく見習いの少年をにこにこと見送っていると後ろから伸びてきた手が優しくソフィーに巻きついた。
「おはよう、ソフィー」
「おはよう、ハウル。早かったのね。」
準備はできているから早く顔を洗ってらっしゃい
振り返ってにこりと微笑う妻にハウルも機嫌よく頷き、ソフィーに顎に指をかける。
「その前に、おはようのキスが欲しいな、愛しい奥さん?」
甘えるような緑の瞳に彼女もそっと瞳を閉じる。毎朝のこととはいえ、「うわあ・・・・」と恥ずかしそうに眼を手で覆うマイケルと「毎日毎日良くやるよな!」と毒づく暖炉の悪魔。すべてはいつもと同じであるはずだった。
ハウルの唇がソフィーの唇に重なろうとしたそのとき、異変は起こる。
「ハウル! なんかが近づいてくる!」
大きな塊だよ!
さっきまで呆れたようにぽっぽっと火を吐いて遊んでいたカルシファーの切羽詰った声がしたかと思うと、がたん!と大きな音を立てて城が揺れ動いた。
「きゃあっ」
「ソフィー!」
ぐらりとよろけた彼女をハウルは抱き寄せるとソフィーもしっかりとつかまる。マイケルはと見回すと彼もテーブルの足に捉まって無事なようだった。
「なんだ、何が起こっているんだ、カルシファー!」
「竜巻に巻き込まれてるんだよ!」
「竜巻だって! そんな馬鹿な!」
ぐらぐらと揺れ続ける城の中でハウルは叫ぶ。ここは国境近くの北の山脈。平地ならともかく標高数千キロメートルのこの場所で竜巻だって!?
「振り切れ、カルシファー! 僕も手を貸す!」
「ダメだよ、ハウル! 良くない魔法がかかってる! おいらにもそれ以上は判らないよ!」
不安そうに揺れる火の悪魔にハウルは舌打ちをする。窓の外にはカルシファーの言うとおり景色を歪ませるほどの風が吹き荒れていた。そこから時々雷のようにきらきらと光が迸るのが見える。
「ハウル!」
怯えたようなソフィーの声があがり、めりめりと木の割れる音がしたかと思うと花屋へと通じていた廊下が大きな音を立てて粉砕した。
「カルシファー! とにかく城の維持を続けるんだ! 僕はこの竜巻を食い止めるから!」
マイケル、カルシファーに薪を与えて!
指示を出すとすぐにマイケルはよろよろと暖炉に近づき、カルシファーへと大量に薪を落とす。それを確認して素早く呪文を唱えて城の周りに薄い結界を張り、さらに呪文を唱え続けた。
竜巻とは風の塊。ならば止めさせてしまえばいい。
逆のベクトルを指し示す魔法を唱えたハウルだったが、詠唱途中で弾かれるように自分の魔法が消え去ったことに驚いて瞳を見開いた。
「きかないぞ、カルシファー!」
「魔法の仕組みがおかしいよ、ハウル! おいらダメかもしれない!」
憎まれ口ばかりをたたく悪魔の弱音に腕の中のソフィーはぎゅうっとハウルに抱きついた。震える妻の額に接吻けを落としてハウルは同じくらい怖い気持ちを押し隠す。仕組みの違う魔法。それが示唆する意味はただひとつ。
「しっかりしろよ、火の玉親分! 僕とお前がいればどんな魔法だってどうにかなる! ともかく城の崩壊だけは避けろ!」
「判ってるよ!」
やけくそのような叫びと共にハウルもあらゆる防御呪文を唱えだす。どうかどれでも良いから当たるように! ソフィーも彼の腕の中で城中に向かって叫びだす。
「あんたはあたしたちを守ってくれるんでしょう? いい? 1人でも傷つけたらダメ! 仕組みなんてあんたには利かないんだから! わかったらさっさとあたしたちの言うことをききなさい!」
呼応するように城は揺れを少しだけ抑えた。ほうっと息をつく妻にハウルは抱きつく。
「すごいよ、ソフィー! ああ、あっちの世界にはあんたみたいな力は無いんだね! これで何とかなりそうだ!」
「あっちの世界って、どういうことなの?」
「あとで話すよ! さあ振り落とされないように僕にしっかりつかまって! どうも逃げ出すのは無理なようだから僕らを捕まえたこの竜巻の招待にあずかろうじゃないか!」
いつのまにか外は真っ暗で動く城はゆっくりと底の方に落ちていく。その底がどこかに繋がっていることにハウルは気がついていた。通り抜けるときの衝撃に耐えられるように全員の周りに緩衝魔法をかける。
「マイケル! どこかにしっかり捕まっておくんだ! カルシファー! 全魔力を注げ!」
叫ぶと同時に全身がばらばらになるほどの圧力を感じる。
「ハウル! 苦しい・・・!」
「ソフィー、がんばって。あと少しだよ!」
「ハウルさん! 見えました!」
窓辺に寄ったマイケルの叫びが届くと同時に視界が一気に明るくなった。眩しさに眼を閉じた彼らの耳に城が大きな音を立てて地面に激突する音が聞こえ、穴の開いた場所から全員が投げ出される。
「いったあ・・・・」
「大丈夫ですか?」
結構な高さから落とされたはずなのに、ハウルの魔法のせいか、それともソフィーが城に言い聞かせたから特に怪我も無く地面に投げ出されたソフィーは差し出された白い手袋の主の手をつい取ってから驚いたように見上げる。
「あなた、誰なの?」
「僕はこの国の王子です。怪我はありませんか、美しいお嬢さん。」
豊かな金髪をふわりと風に流した青年はソフィーと同じくらいの歳に見えた。ゆっくりと優しくたたされたソフィーは自分が城からかなり遠くに投げ出されたことに気がついて慌てて振り返る。
そこには無残に魔法が解けてばらばらになった城のなれの果てが映っていた。
「ハウル! マイケル! カルシファー!」
駆け寄る彼女の視界の向こうで黒髪の少年がゆっくりと起き上がる。ついでふよふよと浮く青い炎。
「ハウルは? ハウルはどこ!」
『全魔力を注げ!』
臆病な彼の言葉とも思えない厳しい声が耳に残っている。ああ、あの人はどこ
「ソフィーさん!」
城の残骸をどかせて夫を探す彼女にマイケルが大声で叫ぶ。振り返った先には映った金の髪の青年にソフィーは駆け寄った。
「ハウル!」
地面に投げ出されたハウルはぴくりとも動かない。
「死んじゃったんですか?」
「馬鹿なこといわないで!」
恐る恐ると呟かれたマイケルの言葉にソフィーは涙声で叫び返す。ハウルはこんなことで死んだりなんかしないわ!
胸に耳を当てるととくんとくんと鼓動が聞こえてソフィーは彼の頭を抱きしめた。
「ああ、良かった。良かったわ、ハウル・・・!」
「魔力の使いすぎで意識が飛んでんだよ、ソフィー。あんたが呼べばすぐに起きるよ!」
おいらもへとへとさ!
青ざめた色がいつもより薄い悪魔はそれでも彼女を安心させるようにそう言った。それに彼女は首を振ってハウルの頭を膝に乗せる。偉いわ、ハウル! 怖かったでしょうにあたしたちの為に身体を張って。
「いいの、寝かせてあげなきゃ!」
優しく金の髪に指を滑らせて眠る夫を見ていたソフィーはそういえばとあたりを見回した。草原ばかりが延々と続く何も無い大地。高くそびえる山脈は見覚えがありそうで、どこか違和感を感じるもの。
ここはどこなのかしら?
「ねえカルシファー? ここはどこ? インガリーじゃないわよね?」
「あなたがたはインガリーの方たちですか!」
明るくかけられた声に全員が振り返るとそこには先ほどソフィーに話しかけていた青年が立っていた。上等な服でにこにこと微笑む姿は地の果てのような場所で見るには胡散臭すぎる。
「あの、どなたですか?」
「この国の王子様ですって。」
警戒心をむき出しにするマイケルにソフィーが答えた。さっき言ってたわ、と素っ気無く言った彼女の手を再び取った彼はソフィーの膝の上に乗るハウルを全く気にかける様子も無く、にこりと微笑む。
「インガリーよりお越しのお美しいお嬢さん。お名前を聞かせていただけませんか?」
「ソフィーです。ソフィー・ジェンキンス」
「ではソフィー。どうか僕と一緒に王宮にお越しください。見ればあなたの住まいは廃墟も同然だ。しかもこんな辺境で。さぞお困りでしょう?」
あそこに馬車を待たせているんですよ
にこにこと話しかける相手にソフィーは眉を寄せる。なんなの、この人
「結構です。夫もいますし、ご心配には及びませんわ。」
「しかし、彼は目覚める様子も無いではないですか!」
寄る辺ない女性が独りこんな荒地でいるなどさぞ心細いでしょう?
切々と訴える自称『王子様』にマイケルとカルシファーはひそひそと話し合っていた。
「寄る辺ないって・・・僕たちもいるんだけどね・・・」
「あいつソフィーと結婚する前のハウルみたいだな!」
どっちにしろあいつそろそろ目を覚ますぞ
火の悪魔の言葉にマイケルはぎくりとソフィーの膝元を見遣った。そこにはうるさそうに眉を潜める師匠がいる。その上では相変わらずソフィーを口説く王子と困ったように捕まれた手を引き離そうとしているソフィーがいる。
まずい
そうマイケルが思った瞬間、ハウルの瞳はぱちりと開き、頭の上で起こっている事態をじっと見つめていたかと思うと指をすいっっと振った。一瞬のうちに姿を変えられた目の前の王子の姿に今まで以上に強く相手を振り払う。
「! いや!! あっちに行ってよ! 近寄らないで!」
あたしはカブが大嫌いなんだから!
力の限り叫んだソフィーの言葉には魔力が宿り、彼はあっという間にはるか遠くへと消えていった。遠くに見える馬車も何故だか彼の後を追いかけていく。一部始終を見たマイケルははっとことの重大さを悟ってハウルとソフィーに近寄った。
「ハウルさん! なんてことするんです! あの人はこの国の王子なんですよ!」
僕たちをインガリー人だって知ってるんだから戦争になりますよ!
脳裏を過ぎったのは金の髪の可愛らしい恋人。ああ、マーサ。またハウルさんのせいで大変なことになっちゃったよ・・・・
マイケルの悲鳴交じりの叫びも不機嫌なハウルには全くきかない。眼を覚ました彼に良かったと抱きつく妻を優しく抱きしめながら腹立たしそうに毒づいた。
「良いんだよ、マイケル。ああいうやつには当然の報いさ。本当の恋の相手からのキスでもとに戻れるようにしてやったんだから、むしろ感謝してほしいくらいだよ!」
「だからって何もカカシに!」
しかも顔はいつかの事件を思い起こさせるカブ頭。
「当たり前だろう! あいつはソフィーに近づいたんだ。きっとまた来るに決まってるさ。だからソフィーの嫌いなものにしたんだよ。」
そうすれば絶対に無理だからね!
勝ち誇ったように言うハウルはああせいせいした!と叫んで、服についたほこりを払い、あたりを見回した。
「カルシファー」
「あんたの予想通りだよ、ハウル」
静かに周りを見つめるハウルに火の悪魔はふわっと寄ってそう言った。
「そうみたいだね。何にせよ、これをどうにかしないとなあ! 僕たちが出かけている間修理を頼むよ。」
「おいら1人で! 退屈で死にそうだよ!」
それにあいつらがきっと来るに決まってるよ
不満たらたらの悪魔にそうだねとハウルは考え込み、そうだとマイケルを満面の笑みで振り返ったので、彼は師匠の言葉を予想して溜息をついた。
「僕も残るよ、カルシファー」
一緒に頑張って修理しよう
「さすが、マイケル! 僕の弟子だけあるよ。カルシファー、お前の言うとおり確かにこのままだと不都合だから、とりあえず空に浮かばせよう。手伝って!」
「あんたはいっつもおいらをこきつかうんだ!」
「カルシファー、お願いね。」
「ちぇっ ちぇっ ソフィーまで!」
しょうがないなあ
言いつつハウルとカルシファーはガラクタと化した城に近寄り呪文を唱えた。初めは何の反応もしなかった城がだんだんと形を取り戻して、ゆっくりと上がっていく。
「あとはお前ひとりでも大丈夫だろう?」
「あんたたちはどうするんだい?」
「僕とソフィーはインガリーに行って来るよ。ここの魔法の仕組みが判らなくちゃもとの世界に帰れないからね!」
その言葉にソフィーはハウルがここに来る直前に言っていたことを思い出して彼の顔を覗き込んだ。
「そうよ、あんた、着いたら説明するって言ってたわ! 元の世界ってどういうこと?」
「ここは平行世界なんだよ、ソフィー」
いくつもある僕たちの世界と似て非なる世界
「ウェールズみたいな場所のこと?」
「違うよ。ここはもう一つのインガリーさ。ウェールズがあるかまでは判らないけど、この世界にはこの世界の僕とあんたが存在してる。」
「この世界のあんたとあたし?」
「そうだよ。ここはね、ソフィー。僕たちが選ばなかった道のひとつさ。だから少しずつ何かが違う。時間かもしれないし、僕とあんたは出会ってもいないかもしれない。だから魔法だって僕らの世界のものとは仕組みが違うんだ。」
だからそれを確かめに行かなければ
「行けばどうにかなるのね?」
「うん。仕組みが違うということはこの世界にも魔法が存在するってことだからね。だからそれを僕と一緒に探して欲しいんだ。」
良いかな、ソフィー?
見つめる緑の瞳にソフィーは微笑む。今更何を言ってるのかしら! そんなこと当たり前じゃない!
「行くわ。ここのあんたも見てみたいし。やっぱり魔法使いでろくでなしなのかしら?」
「酷いな。じゃああんたもやっぱり掃除ばっかりの灰色ネズミちゃんかもね!」
とにかく行ってみよう
言ってハウルは壊れた隙間から7リーグ靴を二足取り出した。ソフィーは受け取って彼にならって靴を履く。
「あの眼くらましのマントは?」
「必要ないね。僕たちのことなんて誰も知らないってのに老人と馬になるなんてごめんだよ!」
えらそうに言い切ったハウルにソフィーもそれもそうねと思い直した。そうして留守番を頼む火の悪魔と夫の弟子を振り返る。
「それじゃあ行って来るわ。なるべく早く戻ってくるから、城をお願い。」
「はい、気をつけてくださいね、二人とも。」
「帰ったらおいらと話すのを忘れるなよ、ソフィー!」
「ええ、もちろん。」
そうして彼女は待っているハウルのもとに用心して近づく。気をつけなくちゃ。この靴とはどうも相性が悪いから
「行こうか、ソフィー」
出された手にソフィーはぎゅっと手を絡ませる。
「じゃあね!」
叫んで一歩を踏み出した二人はあっという間に聳え立つ山脈の向こうへと消えていった。







「再会へのプロローグ(written by 純)」に続く

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June 20, 2005