忘れないで
「ソフィー、愛しているよ!」
掃除をしようと腕まくりを始めた奥さんに、後ろから抱きつきハウルは頬にキスしました。
「もう!今日はどうしてそんなにしつこいのよ!」
ソフィーはいちいち赤くなる自分に嫌気がさしながらも、やっぱり頬を染めてしまうことに泣きたくなりました。そんなソフィーの反応は気にせず、嬉しそうに唇も強請るハウルに真っ赤になった奥さんは箒を振り降ろしました。ハウルは器用にその愛しい奥さんの唇を奪うと、箒をかいくぐり呆れている弟子の元へと駆け寄りました。
「もう!いい加減にしてちょうだい!今日は一体何の嫌がらせを思いついたの!?」
ソフィーは箒の柄を下にして、どん!と床を叩きました。
「あんたがいちいち照れるのが面白いんじゃないか?」
カルシファーも呆れたように煙突から顔を出して、笑います。ソフィーはもう!と、マイケルの後ろで何食わぬ顔で呪いの課題を作り始めるハウルを睨みつけました。
「いい?ハウル!あたしはこれから掃除をしたいの!邪魔しないで頂戴ね!」
ソフィーは腰に手をあてて、課題用の羊皮紙を顔の前でひらつかせながらにやりと笑うハウルに舌を突き出しました。
まったく!ハウルときたら!あたしに仕事をさせないつもりかしら・・・!
あちこち床に散らばった魔法書や書類をソフィーは苦々しく思いながら拾いあげます。
「ねえ、奥さん!あんたの奴隷働きは、どれくらいの時間で終わるのさ?」
バケツに水を張り、デッキブラシも用意するとハウルが至極まじめな顔で、ソフィーの手にした大事な書類を慌てて受け取りながら尋ねました。
「・・・・?何で?」
「どれくらい?20分?」
「だからどうしてよ?」
「一時間??」
「まさか!これからここを掃いて、床に久しぶりに水を撒いてゴシゴシデッキブラシで洗うのよ!その後はワックスもかけたいわね!」
ソフィーがイキイキとした表情で今日やろうと思っている仕事を指折り数えていると、ハウルはあからさまに不機嫌な表情に変わりました。
「一時間後でも56%だってのに!?」
ハウルは凄く打ちひしがれたかのように椅子に座りました。
ソフィーは何のことかわからずに首を傾げます。
碧眼を曇らせながら、絶望だ!とわめきだす旦那を前にして「ネバネバはやめてよ!?」と叫びました。
「せめて20分で終わらせられないの?」
「どうせソフィーは僕の気持ちなんてわかりゃしないさ!」
「20分でも42%だよ!?信じられない・・・!」
「もう・・・どうしよう。このまま長期の・・・一週間なんて遠征はないよね?」
まるでマーサやレティーの小さな頃そのままに口を尖らせて、ハウルはぶーぶーと文句を言っています。
ソフィーは一人で勝手に打ちひしがれるハウルに、ついには癇癪をおこしました。
「だから、あんたの言っていることがわかんないのよ!何のことなの!?42とか一時間とか!あたしにはさっぱりわからないわよ!!」
「ああ!もう20分たったね!」
癇癪をものともせず、椅子から立ち上がるとソフィーの前に立ち、ハウルは膝を折って囁きました。
「ソフィー、愛しているよ!」
「だから!なんの嫌がらせなの!?」
ソフィーが真っ赤になってハウルの口付けに両手で抵抗するのを横目に、作業台の上で開かれたウェールズのものらしき本をマイケルは覗き込みました。
「エビングハウス氏の忘却曲線で見る時間と忘却率
ええと、人間の記憶は20分後におよそ42%を忘れ、1時間後でおよそ56%、9時間後で64%を忘れてしまう・・・
減少率はその後緩やかになり、6日後には76%を忘れてしまう・・・と。
ああ!それで!!」
マイケルは思わずポン!と手を叩き悲鳴に近い声をあげているソフィーと嬉しそうにキスをするハウルに視線を移しました。
「ソフィー、あんたはおっちょこちょいだから、こんな大事なことを忘れちゃわないように、僕が反芻してあげるからね!そうすると忘れる確立は大幅に減少するんだ!」
ああ、恋って盲目・・・。
ハウルの言葉を聞きながら、マイケルはそっと本を閉じて苦笑していましたが、カルシファーがにやりと笑って言いました。
「マーサはどれくらい覚えているんだろうな?今日でちょうど一週間か?」
結局掃除ははかどらず、慌てて城を飛び出して行ったマイケルが、ほくほく顔でチェザーリのパイを持って帰ってくるまで、ハウルはソフィーを抱きしめていました。
「ソフィー!愛しているよっ!」
僕を愛してることを忘れないでね!
end