このお話は、以前はがき企画と銘打ってリクエストをもとに作成し、
ご希望された方に配布いたしました冊子に掲載したものです。
今まで公開しておりませんでしたが、少しばかり加筆してアップします。

ダイアナ女史のご冥福をお祈りいたします。





素晴らしき日々





柔らかな日差しの中で、目を閉じたハウルはそっと腕を伸ばしました。
最愛の彼の妻は、ほんの少しはにかんだように笑いながら、その手を握り締めました。
その手の温もりに安堵したように、ハウルはゆっくりと瞳を開けました。
二人の間には、二人だけの穏やかな時間が流れていました。

「ああよかった。あんたがここにいて。」
「ここにいるわよ?どこに行くっていうのよ?」

くすっと笑うソフィーのその頬に、刻み込まれた幸せの印が浮き彫りにされて、ハウルはぎゅうっと手を握り締めました。

「ソフィーは本当に僕を幸せにしてくれるね。」

涙が出そうな懐かしさに胸を締め付けられて、ハウルはソフィーの頬を撫でます。
ソフィーはその手を優しく包み込むと、ちょっと唇を突き出して悪戯っぽく笑いました。

「あんたはずるいわね。いつまでたっても若いままよ?あたしなんて、これで二度目のおばあちゃん。」

ベットに横たわるハウルの頬にキスをすると、ソフィーは苦笑しました。

「二度目の方がチャーミングだよ?ソフィーばあさん。」
「あら、またあんたのお手柄にするつもりね?『僕が一緒に居たからだ』とか言うつもりでしょう!」

ハウルはゆっくりと起き上がると、ソフィーの皺くちゃになって筋張った両手にキスを落としました。
その握り返すハウルのほそくてしなやかだった指も、今では皺くちゃになっていました。

初めて二人が出会ってから、60年の歳月が流れていました。

様々なことがあり、喧嘩も仲直りも、出会いも別れもありました。
その度に、二人は手を携えて乗り越えてきたのです。

「ソフィーのお陰で、こんなに幸せな気持ちを知ることができたんだね。」
「どうしたのよ?あんたがそんなこと言うなんて!」

ソフィーはハウルの色の抜けた銀に近い白髪に指を通して、驚いたように目を丸くしました。

「いつだって、そう思っていたよ。今、言わなくちゃと思ったんだ。・・・ソフィー、ありがとう。いつでもあんたの笑顔に・・・満たされていたよ。」
「あら、ハウル!」

ソフィーは喉の奥から込み上げてくるものに耐えながら、瞳をしばたかせて流れ落ちそうになる涙を瞳の端に留めました。

「あたしだって、またおばあちゃんになって、今度はあんたもおじいちゃんで。どれだけあんたとこうして過ごせたことが嬉しかったか・・・今感謝でいっぱいだわ。」
「僕はあんたにもらった命で、かけがえのない【想い】を知ったよ。こんなに輝いて、愛しい日々が待っているとは、こちら側に来たときには考えなかったから。」

今、もしも。

このまま永遠の眠りが訪れても、神様とやらに感謝したいくらいだね。

静かに瞳を閉じるハウルに、ソフィーはぴしゃりと言いました。

「ハウル、あんた、あたしを置いてどこへ行くっていうのよ?」

あんたが逝ってしまったなら。
あたし今度は前より元気なソフィーばあさんになって、また恋をしちゃうわよ?

ハウルは、はっと目を見開いて、ソフィーを力いっぱい抱きしめると小さく唸りました。

「それはダメ。あんたはいつまでも僕だけのソフィーだよ。」
「だったら、この手を離さないで。今更こんなおばあちゃんを 心から愛してくれる人は見つからないでしょうからね。」

ソフィーの言葉に、ハウルは心の中で呟きました。

"そんなことはないよ"と。

ソフィーを愛している人は、自分以外にも多くいることをハウルは知っているからです。
それでも、と思います。
自分が一番、ソフィーを愛しているのだと。
それだけは、譲れない思いでした。


・・・愛しい人。
もしも僕が先に逝っても。
あんただけは、これからも輝いて。
もしも、僕より素敵な人が現れたら。
・・・僕より素敵なら仕方ないや。


ハウルの瞳には、自分と一緒に年を重ねたソフィーに、あかがね色の髪をした少女の姿が見えていました。
それはまるで、あの頃と変わらずに。
年老いたソフィーの姿に、可愛らしい灰色ねずみの少女が透けて見えていた時のようで。


最後はあんたのとびきりの笑顔を見たいから。
もしかしたら、さっきの言葉がお別れの挨拶。
独りぼっちは怖いけど、あんたが手を握っていてくれるなら・・・臆病な僕でも旅立てるかな?
でも、もう少し、もう少し。
あんたとこの輝く世界で生きていたい。
手を伸ばしたその先に、愛しい人が握り返してくれるこの心の天国に・・・。


「愛しているよ。いつまでも。」


ソフィーを抱きしめながら、ハウルは生まれて初めて感じる穏やかな気持ちに包まれていました。
あの日出会った少女と共に過ごした歳月に、癒されていたことを知りました。
最後にソフィーを微笑ませるには、どうしたらよいか、そんなことを考えている自分に気がついて。
そして、ハウルは満足そうに微笑みました。


毎日がぞくぞくするような、この素晴らしき日々は。
なんて愛に溢れていたんだろう。
うっかり連れて行きたくなる衝動を最後の魔法で隠さなくちゃね。
それくらい、あんたを愛しいんだよ?
どうか伝わりますように。
愛しい君が、眠りにつくその時は僕が迎えに来るからね?
その時は、またあの時のように声をかけよう。


ねえ、あんたは覚えているかい?







end (2011,5,9 web up)