to know love





けほけほと乾いた咳が室内に響き渡り、苦しげな息遣いが聞こえる。新妻は扉の前で慌てて駆け寄り、両手に抱えていた桶を落としてしまう。自分の失態に舌打ちしながら、執事のマンフレッドを呼び、ごめんなさい!と謝り代わりの桶を持ってきてと頼みながら、主・・・サリマンが横たわる寝室に急いだ。
咳はなかなか治まらず、苦しそうな声が聞こえてレティーは扉を勢いよく開ける。

一度咳き込むと、なかなか治まらないのに・・・!

愛しい夫の咳はケンケンと肺が痛くなるような咳に変わり、苦しそうに口元に握り締めた手を置くと、大きなな体をくの字に折り何とかこの苦しさから逃れようとしているようだ。
レティーはベットに駆け寄り、ああ!ベン!とベットサイドに膝を折ると、苦しそうな背中をさする。
まだ熱もあるのだろう。寝間着越しに伝わる体温はレティーの手のひらを熱くし、じっとりと汗ばんではりつく寝間着の替えも必要なことに気づく。

「奥さま、お持ちしました。」

マンフレッドがワゴンに水の入った桶と水差しを持って寝室の中に入ってくると、眉を顰めて苦虫を噛み潰したような顔をする。ヒュウ、と息を一飲みしてようやく治まった咳にレティーは胸を撫で下ろす。

「お辛いでしょうに。風邪は魔法ではどうにもできませんからね。ハウル殿からうつったのでしょう。あの方の風邪は性質が悪い。」

レティーに濡れたタオルを手渡すと、ポケットから透明な包みに入ったタブレットを取り出し水差しの隣に紙切れと一緒に置くと、長年この館で執事を務める、あまり愛想のよくない細面の召使は溜め息をつく。

「さすがに、ハウル殿も悪いと思われたのでしょう。今しがた、これを弟子に持たせて寄こしました。旦那様に飲ませるように、と。」

指をパチンと鳴らすと、そこにはサリマンの替えの寝間着が現れる。レティーは義兄からの、読みづらい癖のあるメモに目を通す。一瞬興味深そうな視線をレティーは感じ、マンフレッドを見上げるが、その時にはすでに召使らしく少し視線を逸らし、余計な詮索などするわけがないと、次の言葉を慎ましやかに待っている。レティーは頬を赤らめながらサリマンへと視線を移し、恥ずかしさを隠すように指示を出す。

「ベンの着替えを手伝って頂戴。私は汗を拭くから、あなたは着替えさせて。」




どれくらい時間が経ったのか、目覚めた魔法使いは仄かにろうそくの灯る室内で目を凝らす。まだ朦朧とする意識で、それでも体を起こそうと腕に力を込めると、胸の近くに重みを感じ、そっと腕を伸ばす。柔らかな髪に触れ、それが妻であるとわかるとサリマンは柔らかな微笑を浮かべて頬を撫でる。
不意に喉と肺を空気で刺激されて、サリマンは再び咳込むと心配そうにベットカバーを握り締めうたた寝していたレティーは、がばりと頭をあげる。

「ベン!大丈夫!?」

上体を逸らし、レティーの反対側へ顔を向けて咳込む夫の背をさすりながら、レティ−は涙目で尋ねる。
咳込みながらも、片手で大丈夫、とレティーを制止すると大きく息を吸い込み体を起こして、枕に寄りかかる。

「まだ横になっていたほうが・・・」
「もう、大分いいんだ。ありがとう、レティー。」

小さく咳をしながらも、瞳を潤ませる妻の頭を撫でてにっこりと微笑む。頬に触れる大きな手に少しばかり安堵して、レティーは両手で自分の頬に触れる魔法使いの手を包み込む。

「それよりもすまない。今夜は・・・連れて行くはずだったのに。」

サリマンは咳をする時よりも苦しそうに眉間に皺を寄せ、レティーに懺悔する。

「ようやく、ゆっくりと時間をとれたのに。・・・すまない、レティー。私が風邪なんて引いたばかりに・・・。ソフィーたちと行って来てもよかったんだよ?」

君が楽しみにしていた・・・花火だったのに。
そう言ってレティーを覗き込むと、そんなこと!と目を見開き、レティーは弱々しく苦笑する愛しい人にしがみつく。

「先生が・・・ベンが元気でいてくれることのほうが、大事だわ!花火は・・・それは楽しみにしていたけれど、ベンと一緒に観たかったんですもの。あなたと一緒でなければ、意味がないのよ?」

それに、姉さんたちと行ったって、義兄さんに邪魔者扱いされるだけだわ!そんなのこちらからごめんよ!
レティーが、ね?と悪戯っぽく見上げると、情けなく微笑んでいたベンもそうだね、と頷く。

「そんなことより、まだ横になっていたほうがいいわ。それとも、お腹がすいた?」

レティーの言葉に優しく首を振ると、サリマンはベットにレティーを腰掛けさせ、自分の前に座らせるとしぃっと唇に指をあてる。

「ベン?」

何事か、と胸の前で手を組みサリマンがゆっくりと呪文を唱えだすのをレティーは見つめる。
不安そうなレティーに思わずくすっと笑みを零しながら、サリマンは手のひらに神経を集中させる。


ちりり、と熱が手のひらに走り小さな光りが弾け出し次第に大きなものへと変化していく。

「レティー、君と二人だけで観る花火だ」
「まあ!」

感嘆の声を漏らし、レティーはサリマンの手のひらで弾ける色鮮やかな火花に目を輝かせる。

「・・・愛在るものに魔力は宿る、か・・・」
「え?」

サリマンが呟いた言葉に、レティーは手のひらの花火を見つめたまま不思議そうに尋ねる。

「君が飲ませてくれたんだね?」

静かに火花が終息していくのを、名残惜しく見つめていたレティーは手のひらの中で最後の光源がぱちりと跳ねて消えると拍手したい気持ちでサリマンを見つめる。

「唇から、水とタブレットの苦味と・・・君の魔力が流れ込んできた」

サリマンが再びろうそくの明かりだけになった室内で囁くと、レティーはどきりとして口を押える。
先程、花火で照らされたワゴンの上に広げられた紙切れには、見慣れた同僚の崩れた筆跡。


愛しの義妹殿へ

今回の風邪はあんまりにもキツイので、あっちの世界で薬を貰ってきたよ。
僕はお陰で元気になったけど、もう一人の魔法使いは重症だ。
飲ませてあげて。多分、あんたの旦那様も新薬は嫌うから、そうだね、寝ているうちにでも
飲ませてみて。方法はあんたが考えて。
愛在るものに魔力は宿るから、あんたの愛が回復には一役買うと思うよ!
とにかく、試してみて!                            優しい義兄より!


「ありがとう、レティー」
いつもなら真っ赤になっているだろう魔法使いは、静かに妻を抱き寄せるとその額に口付けを落とした。
偶には風邪引きもよいものだ、と彼の義兄のような思いを隠して。

唇から確かに伝わった思いが、心を満たす。
どんな薬より、確実に効く魔法の薬。







end









絵チャでのお約束!相棒とお題を共にしたココさんへ捧げます!