恋愛ジャンキー
カウンターに物憂げに頬杖をつき、ソフィーは何度目かの溜め息をつく。
すでに店のバケツや桶は空っぽで、後は時間指定で頼まれた花束が2つあるだけで、開店休業といったところである。
マイケルは足の悪い老婦人の代わりに孫娘の誕生日祝いの花束の配達に出掛けている。
通りに面した窓からは爽やかな風が吹き抜け、ソフィーの頬を撫でていく。
賑やかな通りからは、ちらちらと店の中を覗く青年たちが見える。何度も行ったり来たりを繰り返し、不思議そうに覗き込むばかりだ。
・・・そういえば、今日は男性客が少なかったわね・・・。
ソフィーは苦笑して店内を見回す。
また、ハウルの呪いのせいなのね?
虫除けと称してこの店の中にはソフィーが知っているだけで3つの呪いが施されている。実際、いくつあるのかわからないが、とんだ営業妨害である。
ソフィーは瞳を閉じてまた溜め息。
どうしてあの人は・・・こんなに独占欲が強いのかしら・・・?
「自分にやましいところがあるから・・・あたしまで疑うのかもしれないわね。」
ぽつりと漏らした言葉が、まるで急速に育つ植物のように心の中で芽吹き、心を覆い尽くす。
「昨日の・・・あの香り・・・」
ここ数日・・・珍しく早く帰って来るハウルが、抱きついてこなかったことに心底驚いた。
いつも煩いくらいにひっついて離れないハウルが、帰宅後キスをせがみもしない。朝だって素っ気無く出掛けて行く。
昨晩などは、
『ただいま。奥さん。ああ疲れた!すぐにお風呂に入りたいんだ!カルシファー頼むよ!』
まっすぐに浴室に向かった。
タオルを届けに行った時に・・・ハウルのお気に入りの灰色と真紅の服からは、甘い香りがした。
瞬間、服を床に投げ捨てたい衝動に駆られるが、ソフィーは静かに息を吸い込んでそっと浴室から抜け出した。
「・・・浮気・・・?」
言葉にした途端、きゅうっと胸が苦しくなり、ソフィーの閉じられた瞳の端から涙が零れる。
だったら、どうだって云うの?もしそうなら・・・服を全部切り刻んで、そして、そして!!
カタン、と背後で物音がして慌てて涙を手の甲で拭う。
「ソフィーさん?」
「マイケル?早かったのね!お孫さんは喜んでいた?」
ソフィーは振り返らずに椅子から立ち上がり、店内の空になったバケツを集めだす。
「・・・どうかしたんですか?」
遠慮がちに尋ねるマイケルの言葉に、まだ少し胸に残っていた寂しさの欠片が・・・ちくりと刺さった。
「・・・ひどいわよね?あたしはここでハウルの呪いで監視されてるようなものなのに。あの人ときたら、好き勝手にご婦人と過ごしてるんだわ!」
ソフィーは重ねたバケツを見つめて唇を噛み締める。
「どうしたんです?急に。ハウルさんが何かしたっていうんですか?」
信じられない!とソフィーの背後に立つマイケルが驚いたような声をあげる。
「まあ、マイケル!あんたは昨日のハウルを見なかったとでもいうの?あたしに抱きつきもしないでまっすぐに浴室へ駆け込んだのよ?まるで証拠を洗い流すみたいにね!」
肩を震わせるソフィーは、俯いたきり。
「でも、ソフィーさん、いつも言ってるじゃないですか!ベタベタしないで!偶には引っ付かずにいて頂戴って・・・!それなのに、いざそうすると、あんたは疑うんだね!?」
「だって、いつもはいくら言ったって聞きゃあしないじゃないの!それに、昨日は・・・あの人の上着から甘いキツイ香水の匂いがしたわ!」
ソフィーは溜まらずその場にうずくまり、膝をだいてうわーん!と大きな声をあげて泣き喚く。
「ちょ・・・ソフィー・・・!」
「もういいわ!あんたもハウルもあたしの気持ちなんてわかりゃしないんだわ!あの人の心なんて、いつだって誰かで一杯なのよ!あたしはいつだってヤキモキするばっかり!怒って喧嘩して、ちっとも可愛くないんだもの!」
このまま放っておいたら、呪いの言葉が飛び出してくる!そう感じたのだろう、うずくまるようにして泣きじゃくるその小さな身体を後ろからぎゅっと抱きしめる。
「!!!!!」
まったく、そんなことで塞ぎこんでいたとはね!
びくっと震えたのは、その腕がよく知っているものだったから。
鼻をくすぐるのは・・・ヒヤシンスの香り。
ソフィーは体中から血の気が引いていくのを感じて、思わず涙も止まってしまう。
ど、どういうこと!?
泣き喚いたせいで頭がガンガンする。上手くまわらない思考回路に思わず頭を抱える。何故自分が抱きすくめられているのか理解できずに。それでも事実を繋ぎ合わせて愕然とする。
・・・ようやく出た言葉に、自分自身が驚いて。
「ハウル!」
そう言って振り向いた先には不機嫌そうな碧眼が輝いている。
「なんで・・・!?マイケルは・・・?」
ソフィーは辺りを見回し他に人影がないことを確認すると、いつの間にか扉も窓も締め切られていたことにようやく気がつく。
「なんであんたってそうなの?自己完結もいいとこだろう?あんなに詮索好きなくせに、どうして今は詮索しようとしないのさ?
あんたがあんまり嫌がったり恥ずかしがるから、我慢してたっていうのに」
ハウルはふうっと息を吐くと、涙で顔に貼り付いた髪をすくいあげ、苦笑する。
「・・・それに、僕を思ってくれてるのは、よーくわかったんだけど・・・。」
ハウルは壮絶な表情のソフィーの額に口付けて・・・その身体を腕の中に閉じ込める。これから起こる癇癪に備えて。
「マイケルの前では本心を話してるんだね?ソフィー!なんてひねくれた奥さんなんだろう!」
傷付いた!と言いながらもくすくすと楽しそうな忍び笑いが漏れてくると、ソフィーの顔は一気に赤くなる。
「・・・っ!ハウル・・・あんた魔法を使ったわね!?」
「奥さん、僕が魔法使いだって知らなかったの?声色を変えるなんて簡単な魔法だね!あんたにも教えてあげようか?」
しれっと答えるその口ぶりに、ソフィーは腕の中でじたばたと暴れる。
「なんてことを!あたしを騙して、さぞおもしろかったでしょうよ!」
「自分の悪口を聞かされてる気持ちがあんたにわかるかい?僕の繊細な心は張り裂けそうなくらいツラかったんだ!まして愛しい奥さんは僕が誰かを思っているなんて言うんだよ?この胸の中はあんたのことで一杯なのに!」
「服に染み込むほどの、甘い香りは誰がつけたっていうの?」
「ああ、ほらね!結局あんたはなーんにも聞いちゃいなかったんだ!僕はちゃあんと話したはずさ!先週から僕は「香り」を使った呪いを調合してるって!ああ、でも、もうそんなことはどうでもいいんだ。」
言葉に詰まったソフィーの顔を覗き込み、ハウルは無邪気な笑顔を見せると嬉しそうに髪に口付ける。
「あんな情熱的な告白、初めてだよね?それにソフィーの泣きかたったら!偶には冷たくしたほうがいいってことかな?ああでも、さっき匂いの呪いも完成させたからね!今から我慢していた分を取り戻さなくちゃ!」
「告白なんてしてない!泣いてなんていない!」
「嬉しいね。あんなに激しく泣き崩れるほど僕を好きだなんてね!あんまり可愛くって抱きしめちゃったよ!僕のソフィー、愛しているよ!」
「もう、離して頂戴!!」
ダメダメ、と構わずあちこちにキスを落とすハウルにソフィーは思い切り抵抗する。
恋愛ジャンキー(中毒)
自覚症状がなかっただけに、そのショックはソフィーにとって計り知れないもの。
ハウルから与えられる、様々な愛情表現。それは毒のようにゆっくりと体中に染み込んで、ソフィーの一部になってしまっている。貪欲な彼に応えるように、そんな彼を愛しいと感じるように。
物足りなく感じていたなんて・・・!
嬉しそうなハウルのキスは深められていく。
店の前の扉が開かずに、四苦八苦する弟子の存在を頭から消し去って。
中毒患者は恋の中。
end