まだはじまったばかり





「何であんたってそうなんだ!」
瞳に冷たく鈍い光を宿し、ハウルはソフィーの腕を握り締める。それは、ソフィーが初めて見たハウルの怒り。
しっかりと見据えられ、ぎりぎりと締め上げられる腕が痛い。ソフィーは何とかハウルから離れようと、力いっぱい振り払おうとするが ハウルの力が強いのか、恐ろしさから声を奪われたのと同様に力も奪われたのか。振り払うことが出来ず、ただ瞳に涙を湛える。

そうやって、あんたは僕の痛みに気づきもしない!

ソフィーの困惑と恐怖の混在した表情は、ハウルの心の中にささくれだった傷を作り出し、ざわりと撫で上げる。

僕がどれほどあんたを愛してるか、あんたは知らなさ過ぎる。
その肌に触れるのも、髪にキスを落とすのも、僕以外であってはいけないのに。
無防備すぎるんだよあんたは!

「なんで、あんたの髪にあいつが触れてたの?その髪に指を絡め、口付けをして。あんたは僕のものなのに!」




「いいかい、ソフィー。あんた無防備に笑顔を振りまくんじゃないよ!?」
「何言ってるの!あたしは花を買いに来てくれるお客さんに感謝してるだけじゃない!」
王室に向かう恋人がいやにマイケルに目配せをして出掛けるようになり、ひと月ほどになる。毎朝くどいほどに、ソフィーに店を休んではどうかと言ってみたり、仕事を休むと駄々を捏ねてみせる。ソフィーはその度に同じ言葉を繰り返し、ぐいぐいと背中を押して送り出す。
身体を重ねてなお・・・いや、より一層ソフィーを振り回す。一時も離せないと訴えてみせたり、激しい独占欲を発揮して。
その日もそれは同じで-。

それは、ひとしきり客の引いた店先での出来事。
その男は常連客で。ここ一ヶ月ほど、三日に一度花束を買いに訪れる。

「あなたの笑顔がこの生花店での一番の売り物ですね」
歯の浮くような台詞を訪れる度に囁く、30代半ばのいかにも遊びなれた放蕩貴族。
毎日のように訪れる町の青年たちとは違い、その瞳には狩りを楽しむような鋭さがあり、マイケルはその男が店に訪れると緊張したようにソフィーの傍を離れなかった。
ハウルと言う美しさの代名詞のような恋人を持つソフィーでさえ、最初の頃は男のしなやかな魅力に戸惑っていたが。
さすがソフィーと云うべきか、今ではさほど動じずに応対していた。それをおもしろいと感じたのか本気になったのか、男は此処の所言動をエスカレートさせていた。

今日も、優雅に店先に現れるとさっそくソフィーに近づき声をかける。
「可愛らしい店員さん、あなたのように可愛らしい花を見繕ってくれないかな?」
そんな風にさらりと言うあたりが、マイケルには警戒心を抱かせるのだが、当のソフィー本人は社交辞令のつもりでまったく聞き流している。・・・普段同じような口調で愛を囁く恋人がいるからかもしれないが。にっこりと微笑むと、ソフィーはさっそく花を見繕いにかかる。
「どんな花がいいかしら・・・?」
「あなたのその美しい赤い髪に生える花がいいな。」
男はソフィーの三つ編みに手を伸ばすと、くすっと笑って引っ張ってみせる。
「これが解かれたあなたは、ますます魅惑的だろうね」
「ソフィーさん!この花束の仕上げお願いします!!」
マイケルが慌てたように、老人に頼まれて見繕っていた花をソフィーに向かって振り回し、引き離しにかかる。ソフィーが困ったように男を見咎めると、にやりと笑い男は髪を手放す。
「お待ちくださいね」
ソフィーは形ばかり微笑むとマイケルの方に脚を向ける。
「・・・っ!」
再び髪を引っ張られ、ソフィーが振り向くと・・・あかがね色の髪がはらりと広がる。
「な・・・」
「ほら、やっぱり・・・ここの店にある薔薇よりも美しい・・・」
男はソフィーの結わえてあったリボンを引き抜き、くすくすと笑い髪を一掬いするとその髪に口付ける。
「!!」
その大胆な行動にその場にいた誰もが絶句する。ソフィーが真っ赤になって、抗議の言葉を浴びせようと口を開けたまさにその瞬間。城に続く通路から・・・・・・・酷く静かで冷たい声が響く。
「僕の恋人に、一体何をしてるんだい?」
碧眼をぎらつかせて、壁に寄りかかるように腕を組みハウルが冷たい微笑を浮かべている。
マイケルは真っ青になり、思わず花束をぼとりと落としてしまう。暖かな雰囲気に包まれていた店内の温度が、急激に下がったような感覚に捕らわれ、その場にいた誰もがぶるりと震える。
「ハウル!あんた仕事はどうしたのよ!」
そんな中、ソフィー一人は背筋に走る冷たさを感じない様子で、驚いて声をあげると髪をなびかせてハウルに駆け寄る。
ハウルの瞳はある一点・・・ソフィーのリボンを握り締める男を見据えたまま、駆け寄るソフィーの腰に手を回し自分に引き寄せ、髪を乱暴に掴むと口付ける。
「・・・これは・・・失礼・・・。貴殿の恋人だなんて知らなかったんですよ」
圧倒的な存在感の前に、この男はかろうじて苦笑し言い返している。
「・・・あんたの顔は見たことあるな・・・【虫除け】を破ってこれるのは・・・そうか・・・ペンステモン先生のとこであったよね?侯爵殿」
ハウルに抱き寄せられてしまい、自分の背後であの男がどんな顔をしているのか、まして仕事を抜け出してきたであろう恋人の表情すらわからず、ソフィーは不安になる。
「悪いけど、僕の大事な恋人をあんたの毒牙にかける気はないんだ。王室でもあんたの遊び好きは有名だよ?こうして顔を見るまで誰かなんて忘れてたけど。・・・・店先で手荒なことはしたくない。大人しく帰ってくれないかな?・・・まあ、あんたがを相手にやりあう気なら遠慮しないけど・・・?」
言葉の中にいくつも魔力が潜んでいる感じがして、ソフィーはなんとかハウルの顔を見ようともがいてみるが、震える指先がしっかりとソフィーを押さえつけ動じない。
「まさか!その娘さんの魅力と魔力に引き寄せられただけだよ。貴殿とやりあう気などないさ」
「それはよかった。じゃあ、もう二度と現れないでいただこう。この花は僕だけのために咲いてるんだから!」
押さえた調子のその声は、恐ろしいほどの力がこもっていてソフィーにもようやく空気が冷たいことに気付く。

・・・一瞬空に浮いたような感覚に捕らわれ、足元に床の堅さを感じたときにはハウルの寝室の中だった。




「何であんたってそうなんだ!」
瞳に冷たく鈍い光を宿し、ハウルはソフィーの腕を握り締める。それは、ソフィーが初めて見たハウルの怒り。
しっかりと見据えられ、ぎりぎりと締め上げられる腕が痛い。ソフィーは何とかハウルから離れようと、力いっぱい振り払おうとするが ハウルの力が強いのか、恐ろしさから声を奪われたのと同様に力も奪われたのか。振り払うことが出来ず、ただ瞳に涙を湛える。
「なんで、あんたの髪にあいつが触れてたの?その髪に指を絡め、口付けをして。あんたは僕のものなのに!」
壁際にソフィーを追い詰め、ハウルはソフィーの揺れる瞳を見据える。
「・・・った!!」
ソフィーの髪を乱暴に掴みあげ、ハウルは苦しそうに額を寄せると・・・願いを込めるように瞳を閉じる。
空気が幾分和らぎ、ソフィーは内心ほっと息をつく。
「なんであんたはそんなに無防備に他の男に接するのさ・・・あんたに触れたくて堪らないヤツを・・・これ以上、増やさなで」
ソフィーの腕を掴んでいたハウルの手から力が消え、今まで言葉ごと封じていた力からも開放される。
「・・・ハウル・・・。」
「僕は言った筈だよ・・・ねえ、あんたはどうしたら僕の気持ちをわかってくれる?誰にも触れさせたくないし、誰にも見せたくない。あんたは魅力的なんだ。僕の気持ちわからない?」
「・・・それは・・・あんたの買い被り・・・よ・・・?・・・誰も・・・あたしなんて気にしちゃいないわ・・・?」
苦しそうに髪を握り締めるハウルに、そっと手を伸ばす。ソフィーの指先がハウルの指に重なると・・・手で払われる。
「ほらね、あんたはわかってくれない!・・・じゃあ、コレ見てよ!」
ハウルが指を一振りすると、どさどさとソフィーの足元に手紙やら小包が散らばる。ひらひらと舞いながらハウルの手に一枚のはがきが舞い込み、それをハウルが突きつける。
「コレは、全部あんた宛のものばかりさ。いいかい、全部だよ?一人じゃない。全部あんたに愛を囁くものばかり!」
「・・・ハウル・・・!あんた、あたし宛のものを・・・!」
「・・・・・・本当に、あんたを時々閉じ込めておきたくなる・・・・・!鈍感なソフィー、あんたが僕を狂わせる。」
涙を堪えていたのはソフィーの方であったのに・・・ハウルの碧眼から涙が零れる。ソフィーは怒り出したい自分を抑えて・・・ハウルに払われた手を強引に伸ばし、ぎゅっとしがみつく。
「時々・・・あんたをあたしの中に閉じ込めておきたくなる・・・臆病なハウル・・・あたしが心変わりするとでも・・・?」

『何であんたってそうなんだ!』?
でもね、わかっちゃいないのはあんたの方よ!ハウル、結局どんなあんたでも・・・

ソフィーは腕の中のハウルに背伸びして口付ける。
「あんたみたいな男を愛せるのはあたしだけ!あたしってどうしようもないみたい」

まだはじまったばかり。手に負えない魔法使いとの恋。





        end







切ないというか・・・ただのヤキモチ妬き・・・苦笑 海が好きさんに捧ぐ