ハウルとカルシファーの出会い
契約
頭が痛い。
ミーガンの怒鳴り声がいつまでもいつまでも、耳にこびり付いているようだった。
いや、もしかしたら、耳の中にミーガン自身が入り込んで怒鳴っているのかもしれない。
「あんたが大学に行くのを援助したのは、まともな仕事について欲しかったからなのに!」
昨晩言い争った所為か、今日のぼくの体は冷たい雨の中で試合をした後のように、疲れきっていた。そう、しかも最悪の試合運びで惨敗した気分。
気分転換に夜を一緒に過ごした女の子は、今朝起きて思わずベットから逃げ出したくなるような・・・・。
「ミーガンそっくりな口の悪さ!」
ぼくは向こうへ持っていく本を5冊まとめて、手を使わずに紐でくくりながら毒づいた。
溜め息が盛大に出るのは、何も憐れなインガリーの娘の所為ではないけど。
-- うるさく言われることはわかっていた。
ぼくがミーガンやガレスの望むような職にはつかず、あちらで『魔術師ジェンキン』として開業したんだから。
大学の論文だって、教授はユーモアたっぷりにこきおろしてくれたけど、ミーガンとガレスにしたら、「そんなことに4年も大金を!?あんたの気楽で楽しい学生生活の為に!?」と目を剥いていた。
今回だって、まあもちろん『魔術師』なんて職業は、こちらではイカサマ・ペテン師の常套句だ。
「あちらでは、人々の尊敬を集める職業だよ!」なんて言ったところで、今度こそ病院送りさ。
「ミーガンが怒り狂うのは目に見えている。」
ぼくがそんな話をしようものなら、憐れなその瞳の奥が怯えていることにとっくに気がついていた。
物心ついた時から、ミーガンにとってぼくは異端なんだから。
だから、誰も居ない今日を選んだ。
何も、お互いに憎しみ合う必要はない。
理解しあおうなんて、そんな夢を見る子どもではないのだから。
ぼくには、ここに居場所がなかった。
それだけのこと。
ぼくは、大きな袋の口を呪文で開くと、束ねた本をするりと入れる。
ぱらぱらとめくって中身を確かめて、ぼくは本棚の一列を指先で動かし、新しい紐を操りまたくくる。
最悪な気持ち。
なのに、ここでの学生生活がとても役立っていることに苦笑した。
あちらでの魔法の構築は、ここでの科学と融合させることができる。
それ以上に、こちらで言い伝えられてきた伝承や古いしきたり、不思議な出来事、ぼくには見えて他の人には見えないもの達の息遣い、言葉の操り方。
ウェールズの何もかもが、発想と努力で魔法に結び付けることができる。
こちらでは、努力したって爪弾き。
それが、どうだい?
むこうじゃ、先生も認める魔法使いさ!
ぼくの中で息づく魔力がうずうずするほど、学生生活で得たものは多かった。
学ぶことが楽しかったし、あちらで魔法の修行をするのも面白かった。
ラグビーも、結局は魔法を使うのに必要な体力や精神力を高めるのに大いに役立った。
集団生活に馴染めないぼくを、まるで見抜いていたかのように。
感情を上手く隠しさえすれば、冗談を言ったり飲み歩くことも楽しめた。
ぼくはここで人との付き合い方も身につけたのさ。
ペンステモン先生は、こうなることもお見通しだったのだろうか?
学生生活の終わりが近づくと、先生は仰った。
「ハウエル、貴方はあたくしの最後の弟子。貴方は存分に吸収しているし、誰より魔法に関する知識とその方法を身につけたわ。悲しみを乗り越える力も、もう少しすれば、手に入れられるでしょう。・・・これから、貴方が生きていく場所を・・・そろそろ定めねばならないわね。」
先生は初めて会った頃から比べると、その放つ気品や圧倒的な魔力はさておき、顔の皺には老いが刻み込まれ深まり、筋張った掌は使い込まれた皮の手袋のように見えた。
「ここのところ、貴方の素行の悪さが時折耳に入りますよ?」
おかしいな、誰にも素性を話したりしてないのに。内心びくびくしながら、ぼくは「なんのことでしょう?」ととぼけて見せる。
「貴方の世界のご婦人方はどうか知りませんけどね?こちらでは、簡単に夜を過ごしたりしてはいけないわね。結婚を考えているわけでは、ないでしょうに・・・」
「まさか!結婚なんて!」
考えたことなんて今まで一度だってないってのに!
キツイ視線になんとか耐えながら、ぼくは話題を逸らそうと、ウェールズに戻らないことを告げる。
先生はどこか悲しそうに瞳を曇らせ、でも同時に口の端は少し嬉しそうに綻んだ。
「それなら、貴方をベンジャミン・サリヴァンに合わせなくてはいけないわね?」
それは、先生がしばしば口にする名だ。
ぼくと同じ、ウェールズから来た人間。今は王室付き魔法使いになっている・・・。
嘘みたいだね。こちら側に来てまで、誰かに支配されるなんてまっぴらだ。
「ペンステモン先生、ぼくは魔術師として開業するつもりです。」
「『ペンドラゴン』としてですか?」
何か含みのある声で訝しげに覗きこまれ、ぼくは心臓がきゅっと縮こまるような気がした。
ペンステモン先生の眼力は、時にミーガンのような居心地の悪さをぼくに感じさせる。
まるで、ぼくの名前が嘘であると見抜いているような・・・そう感じて冷や汗が背中を伝った。
でも、ぼくは顔に呪いをかけてきたことを思い出して胸を撫で下ろした。笑顔が引きつることはないだろう。
「いいえ。『魔術師ジェンキン』としてです。ポートへイブンで開業しようと思います。あそこには、幸い魔術師が居ないので。ああ、先生の領地がすぐ近くにありますね。」
ペンステモン先生は杖をぎゅっと握って、大きな溜め息をついた。
「・・・貴方ほどの魔力の持ち主を・・・あたくしは見たことがありませんのに・・・」
暗に先生が言わんとしていることを感じていたぼくは、さっと立ち上がって礼をした。
「ぼくに王室付き何とかは、務まりません。それでは先生、次の高等魔法の授業でお会いいたしましょう。」
逃げ出すように歩き出したぼくの背中に、先生は呟いた。
「逃げ出すことから、そろそろやめなさい。そんな風ですから、あたくしはあなたが闇に捕らわれるのではないかと・・・・」
再び振り返り笑顔を向けて、ぼくは憂い顔の先生にお辞儀した。
「悪魔に捕らわれるより前に、ぼくが従えて見せますよ」
ますます曇る老婦人の顔は、あえて見えないふりをした。
「なんだか、どこに居ても、ぼくって諸悪の根源?」
かなりの本を詰め込んだはずだけど、ちっとも片付かない部屋に、また溜め息が出る。
ふと、微かに震えるぼくの心のレーダー。
ああ、もうすぐミーガンが帰ってくる。
「やばい!早く出なくちゃ。」
今鉢合わせしたら・・・・
「お腹の子にも悪いよな。」
指をパチンと鳴らして、袋を消すとぼくは室内の散らかりように舌打ちする。
でも、いつものことさ。
「また泥棒みたいに散らかして!」そんなミーガンの声が聞こえるようだ。
「それでも、会って怒らせるよりはマシ。」
階段を駆け下りながら、鍵の束をジーンズから引き出して玄関に飛び出す。扉を閉めて鍵をかけ、また違う鍵を取り出した。
もうすぐそこまで、ミーガンの気配が迫ってる。
ガレスと二人、これから生まれてくる子どもに会いに病院に行ったのだから。
そんなシアワセな気持ちを壊したくない。
角を曲がり、車が家の前に滑り込んできたその時に、ぼくはウェールズへの扉を閉めた。
真っ暗な湿原を見下ろす丘に寝転んで、ぼくは星空を眺めた。
独りぼっち。
ぼくは、どこを歩いているんだ?
求めてなどいないと言い聞かせたところで、胸を鋭く抉るのは、それが辛く感じるのは。
・・・やっぱり、ぼくは昔のまま。弱虫のまま。
インガリーに戻ったぼくは、ご婦人を誘う気にもなれなかった。
キングスベリーで酷い雨に降られ、ぼくは心も体も冷え切ってしまった。
体の中の鉛が、雨を吸って一層重くなった気がした。
ぼくは、どこに居ても半端なまま。
寂しい。
「一緒に居てくれるのは・・・やっぱり悪魔くらいしかいないのかな・・・?」
自虐的に笑って、瞳の端に溜まったものが零れ落ちないように大きく目を見開く。
そんなぼくの目の前で、きらきらと瞬く星が、一瞬激しく光りを放ち一斉にぼく目掛けて落ちてきた。
そうか、今は流れ星のシーズンだ。
「空が落ちてくる・・・」
落ちてきた星たちは、ぼくの涙?
呟いたぼくのほんの鼻先で、一際小さな星が落ちて行くのが見えた。
大きな星たちから引き離されて、慌てて追いかけていく、小さな星。
何故だろう?ぼくは立ち上がって、足元に無造作に投げていた、この前作り上げたばかりの七リーグ靴を履いた。
『流れ星を捕まえていけないのよ。彼らは命が尽きる時、地上に落ちる。死にたくないと叫ぶ声は、破滅への誘い。彼らの運命を変えてはいけません。』
いつだったか、先生はそう言った。
「面白い。その破滅の歌声を聞いてみよう!流れ星はぼく自身だ。あのはぐれた小さな流れ星は、ぼくそのもの。」
好奇心と同情と。
哀れみと優越感。
ぼくは、流れ星目指して駆け出した。
あれに追いつけたなら、ぼくはこの憂いから解放される!
それは直感。
悲鳴をあげ、湿原に落ちて行く流れ星たちを横目に駆けながら、ぼくは小さな星に手を伸ばす。
「おいらに構うな!」
突然現れたぼくの指先に捕まるまいと、流れ星は怯えて叫んだ。
コレハボクダ!
「死にたくないだろう?まだ、生きていたいんだろう?」
ぼくだからわかる。お前はまだ生きたいだろう?
ああ、そうだ。ペンステモン先生の知らない、ぼくの故郷で語り継がれたやり方で、ぼくはこいつを生かしてやる!
思わず、にやりと笑ったぼくを星はぎょっとした顔で見て「あ!」と小さな悲鳴をあげた。
「捕まえた。さあ、ぼくは魔法使いだ。お前の願いを叶えてやろう。いろんな方法があるんだ。」
「ほ、ほんとだな?」
ぼくは試したかっただけなのかもしれない。
「・・・悪魔との取引は、何か大事なものを捧げるんだ。お前を生かしてあげる。ぼくの心臓をあげるよ」
「あ、悪魔ってなんだ?おいら、ただもう少し生きていたいだけなんだ!」
ゆっくりと呪文を呟き、ぼくは自分の左胸に指を差し入れて心臓を抜き出した。
「さあ、おまえはこれで死なずにすむよ?」
「・・・・じゃ、じゃあ、おいらはお前に力を分けてやるよ!」
にっこりと微笑み、静かに流れ星に・・・ぼくの心臓を近づける。
「契約完了だね」
流れ星は目を見開いて・・・その体が青く光りだし揺らめくと、内側から魔力がほとばしった。
「ああ、やっぱりぼくの心臓は赤くなかったんだ?あんたを悪魔にしちゃった。」
「おいら、あんたじゃないぞ。カルシファーってんだ。」
ぼくの掌の上で燃える青白い炎--火の悪魔は、大きく口を開いて言った。
「ああ、胸が空っぽだ。」
少しばかり上着に着いていた血を魔法で拭い去ると、ぼくはそっと胸に手をあててみた。
鼓動は、ない。
あの鉛のように重かった・・・ぼくの胸。羽が生えて、どこかに飛んで行ってしまったみたいだ。
「心がないって、案外いいものかもしれないね!」
目の前を覆っていた薄いベールも外れたような気がした。
「これから、ぼくたちはいつも一緒だ。宜しく頼むよ?火の悪魔!」
ミーガンの声もペンステモン先生の悲しそうな顔も、消えていった。
その時は、それが一人で居る辛さを分け合えるからだと・・・ぼくは気づかなかった。
ただ、苦しい逃げ道のないゲームに終わりがきたように、そう思ったんだ・・・。
end
捏造しすぎです。