卑怯なシアワセ






畳んだ洗濯物を渡そうとソフィーはハウルの寝室の扉をノックした。
風呂上りのハウルが髪を濡らしたまま扉を開けたので、ソフィーはその手をひっぱってベットに座らせた。
「あんたはまた風邪でもひくつもりなの?」と声を張り上げながら畳んだばかりの柔らかなタオルでその髪を拭きだす。
ハウルは嬉しそうに頭を垂れて、ソフィーの怒鳴り声とその声とは裏腹な優しい指の動きにそっと瞳を閉じた。
「まったく、あたしは洗濯物を置きに来ただけなのに。こんなことならハウルが入浴中に、さっさと運んでおくんだったわ。」
ソフィーはぶつぶつと不満気に呟いていたが、ハウルはただくすくすと笑っていた。
ぺたっと張り付くようだった金色の髪をタオルで挟み、ぽんぽん優しく叩いては水分をとっていく。くいっと髪を引かれるのが心地よい刺激で、ハウルは手を伸ばしたいのをぐっと堪えた。せっかくの時間を終わりにしたくなかったから。
「そういえば乾燥粉はどうしたのよ?」
ソフィーは不意に思い出し、頭からタオルを被せてめちゃくちゃに頭を撫でる。
ハウルは幸せな時間が終わったことにがっかりしながら、息を吸い込むと恨めしそうに言った。
「あんたまた棚をいじくっただろう?気がつかなかった?あの箱の上に何か載せなかったかい?」
ソフィーは棚をきれいに拭こうと、ラベルが腐食して読めなくなった包みをその箱の上に載せたのを思い出した。
「ちょっとだけ、ずらしたかったの」
ソフィーはそう言いながら、それを元通りにしたかどうか覚えがないことに気がつき、恐る恐る訊ねる。
「それが・・・どうかした・・・?」
「あれね、中身が染みてたよね?」
「ええ、ちょっとどろっとしてて、その下を拭きたかったんだもの。」
大体棚を呪い粉で汚すから掃除したくなるのよ、とソフィーが言うとハウルはやれやれと肩を竦めた。
「あれが乾燥粉にかかって使い物にならなかったんだよ。まあ害はないからいいんだけどさ。」
確かに、染みたらいけないからほんの少し!と思っていたのだが、そのどろどろの溶け出したものがこびりついていた棚を磨き上げると、その隣の棚が気になった。そうして棚を全部磨き上げソフィーは満足して、その包みを元に戻すことを忘れてしまったようだ。
「だから今日は乾燥粉がなかったんだ。」
ソフィーはぐっと言葉につまり、タオルを握り締めて「ごめんなさい」と呟いた。
「お陰でこうして拭いてもらえたから、ぼくは嬉しいんだけどね!」
もう乾燥粉を買うのはやめようかな、とハウルが子どものように笑うので、ソフィーはどうしていいかわからずに慌てて立ち上がった。
「もう乾いたから平気ね!」
どうにもハウルのこの笑顔には弱いらしい、と自覚していたので、また何か言い出す前にこの部屋から出なくちゃ!と思ったのだ。
案の定、ハウルは寝室から出て行こうとする恋人をなんとかここに留まらせようと思案していた。だから自分に背を向けたソフィーに慌てて声をかけた。
「ねえソフィー!あんたの寝室は寒くはない?」
ソフィーは怪訝そうに立ち止まり、ハウルを見つめて溜め息をついた。
「いいえ。あたしの寝室は狭いもの。それにお風呂に入って温まってから眠るから平気よ。」
だからあんたも早く寝たら?
ソフィーはそういいながら扉に手をかける。
「ソフィー!ぼく湯冷めしたんだけど、ぼくが眠るまで・・・側で温めてくれない?」
「な・・・・!」
慌てて言った己の言葉に、ハウルは自分でも思わず口を押さえて赤面してしまう。
これは、ちょっと露骨すぎたかもしれない・・・そう思ったが、それでもやっぱりソフィーを引き止めたくてじっとソフィーを見つめた。
ソフィーはみるみるまっ赤に頬を染め、眉を吊り上げた。
「そ・・・んなこと、できるわけないでしょ!」
「だって、ベットが冷たいんだ!」
「何言ってるの!?子どもじゃあるまいし!」
「風邪ひいちゃうよ!」
「もっと冷えちゃうでしょ!早く・・・!」
「お願いだよ、ソフィー!」
ゆっくりと歩み寄るハウルは情けない表情で、ソフィーは頭の中で乾燥粉をダメにしたことを呪った。
濡れたタオルを右手に握り締め、左手を背後のドアノブに彷徨わせる。
「早く寝なさい!」
ドアノブを掴んで慌てて背を向けると、ハウルの冷やりとした手がソフィーの左手に重ねられた。
「ね、冷たいだろう?」
ハウルを背中で感じて、ソフィーはまるでそこに貼り付けられるように動けなくなってしまったのだった。



「あったかくて気持ちいい。」
ソフィーはハウルのベットの上で、瞬きも忘れカチコチになって座っていた。
ハウルはそのソフィーの腰にしがみつき、ソフィーの腿に頭を載せて目を閉じていた。
ようやく少し動くようになってきた頭を総動員させるかのように、ソフィーはようやく目を瞑った。
心臓が激しく胸を叩きだし、ゆっくりと瞳を開けたその先で子どものように頬をすり寄せるハウルに、信じられないくらいの愛しさが湧き上がった。
が。
小さく一つ息を吐き、心の中で何度も何度も心臓を壊す勢いの鼓動を落ち着かせようと呪文のように呟いた。

これは子ども。ただの子ども。ほら、レティーやマーサが夜中に怖い夢を見ると、こうやって潜り込んできたでしょう!?

それは、ハウルを意識すればするほどに。
強く強く。

「・・・ソフィー?」
ハウルがそっとソフィーを潤んだ瞳で見上げ、その見開かれたソフィーの瞳に指を伸ばしかけた。
その瞬間。
「か・・・かわいいっ!ああ、もう、あんたってなんてかわいいの!?」
「へ?」
ソフィーが先程までの緊張と戸惑いと恥ずかしさの入り混じった表情を急変させ、歓声をあげてハウルを胸に抱きしめた。
「ソ・ソフィー・・・?う、嬉しいけど、気持ちいいけど、て、あれ!?」
ぎゅっとハウルを胸に抱きしめたあとは、いそいそとベットに潜り込みソフィーはハウルの腕を引いて一緒に横になる。そして、愛しそうに髪を梳くと、額にキスまで落とした。
「さあ、ハウル。一緒に寝ましょうね。」
「え?あれ?なんで?どうして?」
ハウルはとてつもなく不自然なこの状況に、あれだけ望んだソフィーの身体を両手で押しのける。
「・・・ハウル?」
ハウルはその押しのけた手を凝視して、悲鳴に似た叫び声をあげた。
「ソフィーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!なんでぼくをこどもにしちゃったの・・・・!」
ソフィーは涙を滲ませるハウルを抱きしめると、なだめるようにポンポンと背中を叩く。
「わざとじゃないわよ!本当よ?」
「これじゃ、あんたを抱きしめて眠れないじゃないか!」
「あら、だって温めてほしかったんだものね?このほうがしっかりと温められるわよ?さ、一緒に眠ってあげるから、ね?ハウル」
「酷いよ、ソフィー」
普段ハウルには見せたこともないような笑顔を向け、ソフィーは小首を傾げる。
「じゃあ一緒に寝るのやめる?」
「やだ。」
即答するハウルに苦笑して、ソフィーはまた額にキスを落とす。
「それじゃあ、寝ましょう?」
あんたとなら一緒に寝てあげるわよ?
くすくすと笑うソフィーにむっとしながらも。
ハウルはとんとんと、ゆっくりとしたリズムで優しく胸を叩くソフィーの掌に、そっと瞳を閉じた。



静かな寝息をたてるソフィーを見上げると、小さなハウルはむくりと起き上がり髪をかきあげ、悔しそうにソフィーの頬に触れた。
小さな自分に嫉妬してしまう。こんな無防備で可愛らしい姿を自分には・・・大人のハウルには・・・ソフィーは見せたことがないのだから。
「・・・でも、おかげで・・・こうして一緒に眠れるんだけど・・・」
ゆっくりとソフィーに口付けて、ハウルは愛しい人の寝顔をしばらく見つめた。
「・・・今は・・・これで我慢してあげる・・・」
ベットに再び潜り込んだハウルは、ソフィーの胸に顔を埋めると複雑な表情・・・いや、とても幸せそうに微笑んで。
小さく呟いた。






        end