時間差攻撃!ラスト
温度の伝わる時間
がやがや街は、夕食の食材を買い求める人々や、昼下がりの一刻をおしゃべりで楽しむ人々で賑わっていた。
午前中の華やかさや夕方の喧騒とは少し違う、どこかのんびりとした時間。
そんな穏やかな空間に、その少女は駆け込んで来た。
少女はこの街で一番の噂の的である、ジェンキンス生花店から駆け出してきた。
この街の人はよく見知った、ソフィー・ハッター嬢。
帽子屋の三姉妹の長女。
腕が確かだった帽子屋の店主が亡くなってから、裏方で不思議な帽子を作っていた少女。
後妻のファニーが再婚すると、いつの間にか花屋に代わり美貌の店主と老婆、そして少年が切り盛りする珍しい花に溢れた花屋になった。このがやがや街に、少女が再び姿を現した時には、眩しいほどの美しさで輝いていた。
美しさは昔から認められてはいたものの、如何せんソフィー自身が陰鬱に内に籠り、自信なんてものは持ち合わせていなかった。しかし、花屋の店員としてこの街に戻ったときには、ソフィーの纏う空気ががらりと変わり、年頃の、ハッター家の姉妹が美人ぞろいであると再確認させるような明るさを身につけていたのだ。
なんといっても、この花屋の主人の美しさには及びもしなかったが、それでも街のレティー崇拝者達や以前から密かに焦がれていた男たちにとってこの上なく可愛らしくなったソフィーに、魂を奪われる者は多かった。
この美しい店主と店員は街の人々の興味を惹いたが、誰一人して二人は親戚だと思って疑わなかった。
ジェンキンス生花店につい最近まで働いていた老婆が主人の伯母と言っていたことや、その老婆がソフィーにどことなく面差しが似ていたということも手伝い、ジェンキンス氏とソフィー嬢が親戚関係であると合点していたのだ。
店主は今、噂の持ち上がっているご婦人を虜にしては捨てる男だと、街のご婦人方は色めき立っていた。
魔法使いハウルの悪名高き頃を思い出し、彼の魔法使いよりも身近の花屋の店主の見目麗しさに「ジェンキンスさんなら、私だって遊ばれたいわ!」などと声をあげるのだ。
だから、今、ソフィーが泣きながら店を飛び出して来ても、せいぜい店主と店員の喧嘩くらいにしか思わなかった。
店のドアを乱暴に閉めると、ソフィーは嗚咽を堪えて駆け出した。
とにかく、この場所から離れたかった。
自分の居るべき場所が見つからない。
ようやく始めようとした恋は、なんて簡単に壊れてしまうのか。
過去など気にしない。今のハウルが好き。
それでも、もたげる不安はどうしたらいいの?
あたしは、恋することに慣れてない。持て余す感情に戸惑いが先に立つ。
あんたのように、上手くできない。
噂如きに翻弄されるのは癪だけど、確かなものなんて何もないもの。
どうやって、みんな目に見えない気持ちを信じあえてるの?
噂にもならないほど、あたしたちは不釣合いだというのに。
「ハウルの馬鹿っ」
息が苦しくて、走るのを止めた。
涙を手の甲で拭うと、辺りを見回した。
どこに自分がいるのかわからないほど、涙で視界が滲む。
「ソフィーさん、どうかしたんですか?」
見知った声に呼び止められて、ソフィーはゆっくりとその声の主を振り仰いだ。
常連客の一人で、時計屋の一人息子。
いつもは人好きする柔和な笑顔が、心配そうにソフィーを覗き込んでいた。
「びしょ濡れですよ!?傘をお貸ししましょうか?」
そう言って傘を傾けられて、初めて気がついた。
「あ、雨・・・」
にわか雨に、街のあちこちで軒下に避難するご婦人方の空への不満の声が聞こえる。
「あんなに晴れていたのに。」
まるであたしの心の中のよう。
ソフィーはぐっと唇を噛み締めて、足元を見つめる。
「ソフィーさん、さあ、お送りいたします。早く着替えた方がいいですよ。風邪を引いてしまう。」
腕をつかまれて、ソフィーは弱々しく首を振る。
「・・・帰るところは・・・ないんです。あそこは、もう、あたしの居場所がないの。」
冷たい雨が追い討ちをかけるように、ソフィーの身体を冷やしていった。
自分をさらけ出せる、そう思ったのはついこの間のことのようなのに。
家族でいたほうが良かった?
恋人には・・・別れもある。
なんで気がつかなかったのだろう。
こんなに胸が痛むなんて。恋なんて、しなきゃよかった。
青年の手が包み込むようにソフィーに伸ばされたその瞬間、町中が振り向くほどの大きな声があがった。
酷く慌てて、けれどよどみなく。
「ソフィーに触れるな!」
雷に打たれたように、ソフィーは体が強張る。
それでも、視線はその声の方へ。
どうやらここはがやがや広場で、ソフィーは噴水の近くで立ち尽くしていたらしい。
広場へ続く大通りの真ん中で叫んだ、肩で息をする金髪で長身の男に、雨宿りをしている人々が一斉に視線を注ぐ。
あの買ってきたばかりのひらひらの服には、たくさんの泥が跳ね上がっていた。
「ハウ・・・・!」
「やっと見つけた」
ハウルは雨で顔にかかる金糸を手で払うと、ぎらりと碧眼を光らせ、青年を見据えた。ゆらりとハウルの後ろに炎が揺らめいて見え、周囲は思わず息を呑む。
ハウルはゆっくりとソフィーに視線を移し、静かに歩みだした。
一歩ごとに、ハウルの表情は切なそうに曇り、口が開きかけてはまた閉じた。
ソフィーは一瞬駆け寄って抱きつきたい衝動に駆られ、自分でも驚いて頭を振った。
ハウルは自由になりたいのよ!?
驚いている青年の手を振り払い、ソフィーはハウルに背を向けて走り出した。
「ソフィー!」
なんで逃げるの!
泣きそうな気持ちになりながら、ハウルもソフィーの後を追って走り出す。
ソフィーの三つ編みがほどけ、あかがね色の髪が目の前に広がる。
逃がさない。
「ぼくが、ウィングで活躍したって言わなかった!?」
腕をいっぱいに伸ばし、ピッチをあげて大地を蹴る。
ハウルは泥水を跳ね上げながら、目の前に広がるあかがね色のフィールドを駆けた。
「きゃっ・・・!」
ソフィーの腕を掴むと、力任せに振り向かせ、その大きな腕の中にすっぽりと仕舞いこんだ。
「捕まえた。ぼくの大事な・・・・」
ぎゅうっと力いっぱい抱きすくめて、それでもまた逃げ出されるのではないかと恐怖に支配されて、今更ながらにガタガタと震えが走る身体は、腕だけが別の生き物のようにますます力がこもる。
「離して・・・!」
ソフィーは懸命にその腕の中でもがきながら、胸を叩いた。
「いやだ。離さない。ソフィーは、ぼくのぼくだけの!」
思いはいつか、届くはず。
そんなことを言っていたら、この娘さんを逃してしまう。
そんなことは耐えられない。
さっき、ソフィーに手を伸ばす青年に、感じた殺意に似た感情。
独占したい、誰にもソフィーを触れさせたくない。
「ごめん、ソフィー。酷いこと言ってごめんよ。」
「あ、あんたは、一人になりたいんでしょう?あたしのように、口うるさい母親気取りの女・・・」
ソフィーは力なくハウルの胸を叩くと、こぶしを握り締める。
きつく抱きしめていた腕をほんの少し緩めると、ハウルは深呼吸してソフィーを覗き込む。
伝えなくちゃ。真実をたったひとつの思いを。
「ぼくは、あんたなしじゃ生きていけない。あんたが居なくなったら、この心臓は止ってしまう。
・・・泣かせるつもりなんてなかったんだ。
あんまり愛しすぎて、思いをぶつけ合うことが嬉しくて。
困らせた顔や怒った顔をぼくの為にしてくれることが嬉しくて。
酷い甘え方だって、わかってる。ぼくも戸惑っている・・・あんたが愛しくて仕方ない・・・。
・・・どうしたら信じてくれる?ぼくの心臓はあんたにだけ、どきどきするんだ。」
ハウルはソフィーの髪を一房掬うとそっと口付ける。
どうか、伝わりますように。この気持ちが本物だと。
願わずにいられない。
ソフィーは髪の先にまで神経が通っているかのように、びくんと身体が震える。
今、抱きすくめられている腕の中で、確かに速度を上げる鼓動が響く。
「ソフィー・・・」
ハウルの買ってきた新しい上着は、雨で濡れ泥が跳ね上がり、ソフィーの投げつけたパイでべとべと。
ソフィーはそのべとべとでぐしゃぐしゃな上着の中で、ついにくすくすと笑い出す。
「ソフィー?」
「あんた、なんて格好!せっかくの一張羅が台無し・・・。あたしの所為だけど・・・・。
それでも、あんたは見てくれを気にせず・・・追いかけて来てくれたのね・・・?」
ソフィーが静かに見上げると、ハウルの碧眼が穏やかに、その向こう側に激しさを隠すように揺らめく。
ハウルは静かに跪き、ソフィーの手をとるとそっと指先に口付ける。
「ソフィー、あんたに母親役なんて似合わない。あんたは、ぼくの可愛い恋人。」
ざわざわと周囲で声が聞こえたが、雨降る広場の中心で囁くハウルの声はとてつもなく甘く切なく、雨音をも霞ませた。
あれだけ冷たかったソフィーの体が、指先から温まる。
その熱が体中を支配する頃、ハウルは懇願するようにソフィーの足元に縋り付いた。
「・・・お願いだよ、ソフィー!ぼくらの城へ帰ってきて!」
「あーあ。ハウルさん、折角カッコよくいくと思ったのに。」
「まあ、いいんじゃないか?あいつららしいじゃないか!それより、さっさと帰ろうぜ!おいら消えちゃうよ!」
マイケルが慌てて傘をカルシファーの方に傾けて、苦笑する。
「あのハウルさんと一緒に暮らせるのは、ソフィーさん以外考えられないものね?」
「おいらたちも、ソフィー以外は考えられない、だろ?」
あんな我儘で悪魔使いの荒いヤツでも、幸せになって欲しいからな。
ソフィー以外にそれができるか?
カルシファーが心の中で呟いた声は、城の住人の心に直接響いた。
「風呂の湯でも沸かして待つとしようぜ!あいつら濡れ鼠だ」
雨の広場での出来事は、その日のうちにがやがや街中に広がった。
ジェンキンス生花店の店主とソフィー嬢は、それはそれは派手な喧嘩をする、恋人同士だということが。
end
そして「XXX」に続く・・・なんちゃって(笑)