胸に刺さった小さな棘  - 6 -イラストつきばーじょん





廊下に出ると、階下から響き渡る声に、ソフィーは知らず身構えた。
明るく屈託のないファニーの声。
マイケルが冷や汗を流しながら相手をしているのが目に浮かぶ。
ハウルが横目でそんなソフィーをちらりと見やると、わざとらしく大きな声をあげた。
「マイケル、手伝って!」
「はい!ハウルさん!」
弾かれたように立ち上がり階段を駆け上がって来たマイケルに、ソフィーは「ありがとう」と微笑んだ。
「ソフィーさん!寝てなくて大丈夫なんですか!?そんな真っ青な顔してるのに・・・!」
ハウルの手から積み上げられていた包みを幾つか受け取り、マイケルは何度もソフィーに視線を送った。
「大丈夫よ。」
「おい、早々に引き取ってもらえよ?おいらソフィーと話が出来なくて、とっても退屈だったんだ!」
いつの間に暖炉から抜け出てきたのか、カルシファーがソフィーの目の前でくるりと青い炎を回転させる。
「おまえの相手なんて、後々!まずはぼくがソフィーを独占する権利があるんだけど。」
「何言ってんだ!それはソフィーが決めることだろ!役に立たない魔法使いはひっこんでなよ」
「うるさい!この青びょうたん!さあ、ソフィー、あんたはどっちを選ぶんだい?」
ハウルとカルシファーのやりとりに呆れながら、マイケルはぽつりと呟く。
「眠るのが最優先だと思いますけど・・・・」
「黙りなさい!マイケル。」
「煩いぞ、青二才!」
師匠と悪魔に同時に振り向かれて、マイケルはソフィーの背中に隠れた。
いつものソフィーなら、「静かにしなさい!」と怒鳴るところであるのだが、今はこんなやりとりにさえ、優しさを感じて心が満たされていくのを感じていた。
それが何故なのか、簡単な答えなのだがソフィーにとって、この城の生活の中では当たり前すぎて、深く考える必要などなかった。
「遅くなってごめんなさい」
階段を降りながら言い争いを続ける一行に、ソフィーはくすくすと笑いながらファニーの前に立った。
「それで、ソフィー、どう?出来上がったかしら?」
期待に満ちた顔に、ソフィーは頷いた。
「お気に召すかは・・・わからないけど。」
ファニーはいつのまに用意してあったのか小さな呼び鈴を取り出すと、それを鳴らした。扉の外側で誰かが規則正しくノックする。まるで城の扉の前で、聞き耳を立てていたかのように。
「ファニーのお付きのやつらだ」
カルシファーが言って、慌てて暖炉に潜り込む。
ソフィーが扉を開けると、男が2人立っていて、大きな箱を差し出した。
わけもわからず受け取ると、男たちはハウルとマイケルが持っていた包みを受け取り、待たせてある馬車の中に運び込んだ。
思わず呆然と見つめる魔法使い一家であったが、ファニーは満足そうに頷いている。
首尾よく運び終えたのを確認すると、まだ口を開けたままのソフィーに向き直った。
「さあ、ソフィー。あなたをお披露目しようと思うの。それに着替えてちょうだいな。」
ファニーがにこにこと悪意のない顔で告げる。
「マダム!?」
ハウルは空っぽになった手でファニーの伸ばしかけた腕を遮るように、ソフィーを抱きしめた。
「折角、精魂こめて作ってくれたんですもの!やっぱり、本人が行って正当に感謝されるべきじゃない?」
誇らしげに告げるファニーに、ハウルの表情はわかりやすく変化した。怒りのそれに。
「ソフィーは疲れてます。寝ずに作ったんですよ?休息が必要でしょう?」
ソフィーはハウルの腕がきつく締め上げるので、その視界にはハウルの服しか映らなかった。
心臓が、冷たく重くなっていく気がして、箱を胸の前で抱きしめながら、右手でハウルの服にしがみついた。
「大丈夫よ、馬車の中で充分に休めるわ。それに、向こうへ着けば侯爵夫人がもてなしてくださることになってるもの。」
「そういうことではないのですがっ!」
ソフィーの手が微かに震えていることに気づき、ハウルはまるで小さな子どもを抱きしめているかのような錯覚に陥った。
いや、ソフィーは小さな子どもに戻っていた。
ファニーの前では、強烈な呪いがソフィーを子どもの頃に戻してしまうのだ。
自らに掛けた、呪い。
それは、この三日で確実にソフィーの心に浸透してしまった。
ハウルが恐れていた通りに。

【いい子でいなくちゃ】
【母さんの言うことを聞かなくちゃ】

このままじゃ・・・ソフィーは自分の気持ちを押し殺して生きてしまう!
その呪いが、次第に強くなっていくのを・・・・ぼくは防ぎたかったのに!
これは、自分で、ソフィー自身がちゃんと自らの呪いを壊さなくちゃならないんだ。
幼い頃から唱え続けた、恐ろしい呪いを解いていい時だ。
・・・・ただ問題は、呪いが強くなりすぎて、そうすることがファニーや亡くなった父親に対しての裏切りになると、思いこんでしまっていることだろう。
ソフィーにとって、家族との約束が、亡き父との約束が、今まで心のよりどころとなっていたんだ。
━━わかってる。
だけど、まだ、ぼくたちじゃ代わりになれないのかい・・・・?

恐怖で震えるハウルの腕の中で、ソフィーはゆっくりと握り締めた服から手を離した。ファニーは「困った旦那さんだこと!」と苦笑している。ファニーにとっては、魔法使いのいつもの我儘と映っているのだろう。
「・・・ソフィー、あんた・・・!」
「さあソフィー、着替えて。」
「・・・わかったわ。」
ソフィーはハウルを見上げて微笑んだ。
━━微笑んだつもりであったが、それは泣き顔に近かった。
「ちょっと・・・!」
一瞬、もっと強く抱きしめようと、力加減を緩めると、ソフィーは箱を抱えてするりとハウルの腕から逃げ出し、階段を上りだした。
「ソフィー!」
慌ててハウルが追いかけるのを、マイケルとカルシファーはどこか祈るような気持ちで見つめていた。
嬉しそうに笑顔をふりまくファニーとは好対照に。





寝室に消えたソフィーがドアを閉める前に、ハウルの長い足がドアの中に滑り込んだ。
「行く必要はないと思うんだけど?」
感情を抑えようとしながら、しかし切羽詰ったように言うハウルに、俯いたままのソフィーが小さな声で呟く。
「着替えるから・・・出て行って。」
「やだね。ぼくは随分我慢したんだよ?・・・・・・あんたほどじゃないけど・・・・・・」
出て行ってくれないだろうとソフィーは確信していたので、溜め息を吐いてボタンを外した。
ベットの上に広げた衣装箱には、ドレスと装飾用の真珠の腕輪。それに可愛らしい靴とバックが揃えられていた。
ファニーの用意したそれは、淡い桜色をしたサテン地の、シルエットの美しいドレスであった。
ソフィーはハウルに背中を向けると、体中が赤くなるのを感じながらも、肌をさらしてドレスを身に纏った。
「言い方が悪かったかな?」
黙々と着替えるソフィーの背中に、ハウルは静かに問いかける。
「ソフィーは、本当に、行きたいの?」
一言一言、はっきりと紡がれた言葉に、ソフィーは華奢な肩紐を持ち上げる指を凍りつかせた。
「本当は、疲れてるよね?3日間、籠りきりだったんだ。食事をして、ゆっくり休んで、話もしたいだろう?」
コツ、と一歩ハウルが歩み寄るのを感じて、ソフィーは箱の中の真珠を腕に巻いた。
「そもそも、どうしてファニーの申し出を断らないの?」
肩に掛けるショールを持つ手が震えた。
「なんで、ソフィーはそんなに【いい子】でいなくちゃいけないのさ?」
「ハウル!」
ソフィーは大きな声で言葉を遮ると、肩を震わせながら呟いた。
「・・・行かなくちゃいけないの。ファニーの為よ。」

そうよ、ファニーの顔を潰しちゃいけないわ。
ファニーの願いは叶えてあげなくちゃ。
父さんの願いだもの。
私の大事な父さんの願いだから・・・・

胸にズキンと痛みが走った。全ての感覚を麻痺させるような、鈍く深い痛み。

「いい子にしてなきゃ・・・お父さんが・・・困るの。悲しそうなお顔するの。だから・・・あたしは・・・・新しいお母さんのお手伝いをしなくちゃ・・・・ちゃんと、お手伝いしなきゃ・・・」

はっとして乱暴に振り向かせたソフィーの瞳は、愛を知らずにいた過去のハウルのように、綺麗だけど生気のない、ガラス玉のように変わっていた。
いっぱい怒って、いっぱい笑って。
感情を豊かに表す瞳が。
自分の気持ちを上手く伝えられずに苛立ちながらも、くるくると表情を変えてストレートに伝えようとするソフィーが。

感情を押し殺してしまう!

ぷちん、と、何かがハウルの中で弾け飛んだ。

ガタンと大きな音をたてて、ハウルはソフィーをベットに押し倒すと、激しく口付けた。
無言であかがね色の髪を結わえていたリボンを解き、深く深く口付ける。
「っ・・・・!?ふっ・・・うっ!」
息をつかせないほど口付けて、ソフィーが驚いたように身を捩ることさえ力でねじ伏せた。
「っん・・・!ハウっ・・・・!」
「あんたが、自分でその胸にささっている棘を抜かないなら、ぼくが抜いてあげる。ぼくのこと以外、何も考えなきゃいい!」
首筋を舐め上げられて、ソフィーは悪寒が走るのを感じた。
ハウルの瞳は今までになく冷たく光り、ソフィーの肌をなぞる舌は執拗なまでに離れなかった。
「イヤっ・・・・!ハウルっ・・・!」
胸元に這わされた舌の感触が、ソフィーの瞳にいつもの光りを取り戻させていた。
「んっ・・・やぁ!ハウルっ!やめて!ハウルっ!!」
ぎりっと手首を押さえつけられ、痛みで涙が零れる。
「やめて!ハウル!こんなの、イヤ!!」
どん、と思い切りハウルを押しのけて、ソフィーは胸元を押さえた。
「なんで、こんなこと・・・!!・・・ハウルの馬鹿っ!もう当分口を利かないわ!」
涙を手の甲で拭いながら、ソフィーは押しのけられてベットの端で倒れこんでいるハウルに向けて叫んだ。
「馬鹿!ハウルの馬鹿っ・・・・!イヤだって言ったのに、やめてって言ったのに・・・・!」
泣きながら怒った所為だろうか?やはり寝不足な為だろうか?ソフィーは頭がくらくらするような気がした。
「行きたいわけ、ないじゃない・・・!帽子だって、引き受ける前にせめて打診くらいしてほしかった・・・!あたしだって、大事なものがあるんだから・・・!家族とすごす時間を削ってまで、帽子を作るなんてイヤよ・・・!」
言いながら、溢れるてくる様々な感情に混乱し、涙が止らなくなってうつ伏した。もう、自分が何を言っているのか、さっぱりわからなくなっていた。
そして唐突に、城の住人たちの先ほどの会話が甦ってきた。

「ソフィーさん!寝てなくて大丈夫なんですか!?そんな真っ青な顔してるのに・・・!」
「おい、早々に引き取ってもらえよ?おいらソフィーと話が出来なくて、とっても退屈だったんだ!」
「おまえの相手なんて、後々!まずはぼくがソフィーを独占する権利があるんだけど。」
「何言ってんだ!それはソフィーが決めることだろ!役に立たない魔法使いはひっこんでなよ」
「うるさい!この青びょうたん!さあ、ソフィー、あんたはどっちを選ぶんだい?あんたはどうしたい?」
「眠るのが最優先だと思いますけど・・・・」
「黙りなさい!マイケル。」
「煩いぞ、青二才!」

あたしのことを考えて心配してくれる。あたしを必要としてくれる。
【いい子】の私じゃなくて、ありのままのあたしを。
ああ、だから。
心が温まっていくんだ。
【長女】でも【泣かないいい子】でもなく、あたし自身を。
そして、いつだってあたしの答えを聞いてくれる。
『さあ、ソフィー、あんたはどっちを選ぶんだい?あんたはどうしたい?』


「くっくくくっ」
押し殺したような笑い声に、ソフィーははっとして顔をあげる。
「ソフィー、自分で何言ってるかわかってる?」
むくりと起き上がり、目の端に溜まった涙を指で掬いながら、美貌の魔法使いは笑っていた。
ドンドン!とドアが勢いよく叩かれて、ソフィーはびくっと体を強張らせる。
「ちょっと!ハウル!ソフィーに何してるの・・・!」
先ほどの騒ぎは、階下まで聞こえていたのだろうか?
ファニーが慌てたようにがちゃがちゃとドアノブに掴みかかる。いつの間に掛けたのか、しっかりと鍵がかかっていて、ファニーは再びドアを叩く。
「まだ何もしてませんよ。」
ハウルはドアの向こうにくすくすと笑いながら言い、猫のようにソフィーに近寄ると、そっと頬を撫でて呟いた。
「・・・さっきはごめん。怖かった・・・?」
覗き込むようにソフィーを見つめて、ハウルは鼻先にキスを落とす。
「ハウル!ここを開けなさい!ソフィーに何してるの!?さあ、もう出かけないと!夫が待ってるのよ!」
ファニーの金切り声にハウルが肩を竦めてみせる。
頬に触れている手にそっと自らの手を重ねると、ソフィーはすぅっと息を吸い込んだ。
「お母さん、あたし、行きたくありません。あたしも、夫を待たせてるんです。もう3日も・・・!」
ソフィーの言葉に、ハウルは満面の笑顔で抱きしめると、そのままベットに押し倒した。
「何言ってるの・・・・!ソフィー!?」
「娘夫婦の寝室前で盗み聞きなんて、ちょっとはしたないと思いませんか。サーシェヴェラル・スミス夫人。今日はお引き取りください。ぼく、3日もお預けだったんですよ!?それとも、興味がありますか?」
わざとおどけるハウルの言葉に、ソフィーが髪を引っ張って抗議する。ドアの前のファニーは真っ赤になって、しかし溜め息をついてドアから離れた。
「・・・そうね。悪かったわ。夫婦の時間まで、奪っていたのね。無粋な真似をしてごめんなさいね。」
ファニーの声は呆れた様子であったが、どこかおもしろがっている風にも思えた。
「ソフィー、それじゃあ行くわね。本当にありがとう。」
ハウルの腕の中からもがくように、ソフィーは上半身を起こして遠のきかけたファニーに言った。
「ファニー母さん!・・・・ハッター帽子店は、もう、とっくに店じまいしてるの・・・・今度はジェンキンス生花店の仕事しか請けないわ・・・!」
ソフィーの言葉に、ファニーはそっと微笑んで頷いた。それは紛れもない、母親の微笑。
「わかった。それじゃあ、あなたの最愛の人に宜しくね。・・・まったく、王室付き魔法使いが、今日は休みだったとはね!」
階段下で祈っていたマイケルとカルシファーが、顔を見合わせて笑った。
「カルシファー、今日もサリマンさんに伝言送ったほうがいいみたいだよ?」
「冗談じゃない!おいらは伝書鳩じゃないぞ!」




胸の中にあったもやもやが、いつしか消えていることにソフィーは気がついた。
ソフィーを腕に閉じ込めながら、ハウルはまるで呪いをかけるかのように呟く。
「あんたは、いつだって知りたがりで、おせっかいで、掃除が好きで。頑張りすぎなんだよ。もっとぼくに甘えて我儘言ってもいいと思うよ・・・?あんたはまだ、10代の娘さんなんだからね?」
ソフィーは涙が溢れてくるのを感じて目を閉じた。
ハウルの腕の中で安心して泣けることに、今更気がついた。だけど、それを素直に伝えられなくて、ソフィーは憎まれ口をたたく。
「自分のことよりも誰かのことで一生懸命になるのは・・・もう、あたしの性格なのよ。可愛げがないけど、仕方ないわ。」
口を尖らせて言うと、ハウルはまた笑った。言葉とは裏腹に、瞳は『ありがとう』と告げていたから。
「そんなあんたも大好きさ。なんでかわかるかい?ぼくはあんたがあんただから好きなんだ。どんなあんたでも、ソフィーがソフィーであるから、ぼくはあんたを愛しているよ。」
ソフィーが大好き。
だから。
「もっと甘えてよ。わがまま言って。」
何度も啄ばむようなキスをして、ハウルは桜色のドレスに手をかけた。

幼い頃から胸に刺さったままだった、小さな小さな呪いの棘は、光りの中で砕け散った。








end