A secret feeling ― 8 ―
微かな震えは指先から体中に広がり、ハウルは<ソフィー>の華奢な肩に頭を預けると目を瞑る。
<ソフィー>は躊躇いがちにハウルの腕に手を伸ばし、そっと触れる。
伝わる振動は・・・感情の現れ。
なんでだろう?この腕の中はとても心地好い。
泣きたくなるほど胸が苦しいのに、ずっとこうしていたくなる。
「・・・僕が言うのもおかしいんだけど・・・」
背中越しの声はくぐもって、小さく弱々しくさえ感じる。
「<ハウル>がなんでこんなことをしたのか・・・思い当たることはない?城を出て行くって言ったの・・・もしかして初めて?」
こんな役回り・・・僕には似合わないんだけど・・・<僕>のためなら仕方ない。
何と言っても、<ソフィー>のこんな顔見ていたくないし。笑ってくれなきゃ、僕の心が壊れちゃうよ・・・。
「・・・・・そうかもしれない・・・私、しぶとくここに居座っていたから。いつもは、『出て行って欲しい』って言われても聞こえないふりしていたもの。」
くすり、と<ソフィー>は笑い、ハウルの腕に触れる指先に力を込める。ハウルはその指先の力強さに・・・体の震えが治まるのを感じる。<ソフィー>の指先にも不思議な力を感じる。
「<ハウル>は元に戻った私を見て、驚いていた。思えば、あの瞬間<ハウル>の感情を初めて見たのかもしれなわ・・・・。
あれが最初で最後。その後は顔を背け、『もう用はないだろう』って言われたわ。私が構わずここに留まると、あの人はまるで、私が存在しないかのように振舞った。食事を用意しても食べない。話しかけても答えはない。私を見ること
のないガラスのような瞳。・・・それでも・・・」
「君は傍にいたかった?」
ハウルのその言葉に、何かが弾けたように<ソフィー>はくるりと向きを替え、ハウルの胸に抱きつく。
「自分でも馬鹿げてると思うわ。でもね、見ちゃったのよ。私が・・・私が活けた花に・・・あの人は微笑むの。私に背を向けたまま・・・鏡に映ったあの人の微笑み!心のないはずの<ハウル>が微笑むのよ?・・・私は思ったの。
『私を愛してくれなくてもいい。あの人が微笑むことができるなら、それだけでいい』って。
そうして毎日花を飾って・・・少しでも・・・あの人が幸せを感じてくれるなら!」
私には絶対に見せない笑顔。それでも、私は嬉しかった。鏡が見せた・・・<ハウル>の心。
ハウルの胸にソフィーの嗚咽が響く。
何て不器用なんだろう?気持ちを素直に伝えることがどんなに大事か、気がつかなかったのかい?
大事な人を手放したら二度と微笑みさえ出来なくなること。
愛する人が微笑むなら、すべてを犠牲にできることを・・・。
気がついていたはずなのに、それでも隠し通すつもりだったのだろうか?愛しい想いを。
<ハウル>、君は花に込められた<ソフィー>の想いに微笑んだんだろう?
「・・・でもね、限界がきてしまった。昨晩・・・覚悟を決めて・・・<ハウル>に向き合おうとした。もちろんあの人は無視したけれど。私はそこで、どうしても振り向いてほしくて・・・花に微笑むあなたを見てると言ってしまった・・・」
ハウルは<ソフィー>の話に耳を傾け、優しく髪を撫でる。
「<ハウル>は酷く冷たく笑うと・・・花瓶の花を引き抜いて、床に放り投げた。・・・・私は・・・・それが自分に思えたわ。
ずっと、鏡越しに・・・私は花を自分に置き換えて・・・微笑を向けられていた気がしてたのね。もう・・・それすら望めない。
だから『明日、城を出ます』って伝えたの。」
<ソフィー>はそっとハウルの胸を押して、涙で濡れた顔を見せないように俯くと背を向ける。
「・・・<ソフィー>、<ハウル>が微笑んでいたのは、間違いなく君にだ。僕が言うべきじゃないことはわかってる。本当は本人が伝えるべきだからね。でも、どうやら<ハウル>は僕以上に臆病でぬるぬるうなぎみたいだから。」
ハウルは<ソフィー>の肩を掴み振り向かせると、涙の雫を指で掬う。
「ああ、こんなに泣かせてしまって!まったく、あきれちゃうけどさ。・・・・・・・・<ハウル>は君を失うことを恐れたんだ。
どうしたらいいのかわからなくて・・・・。自分は傷つけることしかできず・・・酷いことしか言えず。
新しく芽生えた気持ちに戸惑って。鏡が映し出した本当の自分に自分が驚いたんだろうね。
そして『出て行く』って君に言われて・・・耐え切れなくって。・・・自分が逃げ出しちゃったんだ。
本当に出て行って欲しかったら、こんなことしないだろう?」
僕が言ったところで仕方がないことだけど、今、君を城から出て行かせるわけにはいかないからね。
臆病な<ハウル>は、君を失ったら生きて行けやしないんだから。
ハウルは苦笑して、<ソフィー>の額に口付ける。
「信じられないかもしれないけど・・・・。<ソフィー>、もう一度・・・<ハウル>にチャンスを与えてくれないかな?
君が鏡越しに見たのは<ハウル>の本当の姿だから。君が活けた花にさえ愛しさを感じて微笑んだ。
正直に気持ちを打ち明けられずに、花に愛を注いで居たんだ。<ハウル>は僕よりずっとロマンチストだね。
<ソフィー>・・・君は物事の本質を見極めることのできる人だもの。
そして、何より・・・心を与えてくれる存在。どんな僕でも愛してくれる。・・・違う?」
最後の一言は懇願だった。
お願いだよ<ソフィー>。どんな僕でも愛して?
弱くて臆病で、ソフィーがいなきゃ生きていけない、不正直な<ハウル>を変わらず愛して。
僕は<ハウル>だから。
やっぱり同じようにソフィーを愛して、求めているから。
額を押さえて・・・真っ赤になった<ソフィー>は・・・また涙を一粒零すと・・・美しく微笑む。
「可笑しいわね。あの人と同じ顔で、そんなことを言われるなんて・・・。」
その微笑みは、ハウルがこちらに来て初めて見る本当の笑顔。
「・・・不思議ね?私、かなり傷付いていたのよ?もう笑えないって思うくらい。・・・でも。」
<ソフィー>の瞳には・・・いつもハウルが見ている・・・何事にも手を抜かないまっすぐで力強い輝きが宿る。
「あなたの言う通り。・・・結局嫌いに何てなれない。私も・・・逃げただけ。傷つけられることが怖かった・・・・・。
もう一度・・・<ハウル>にぶつかってみるわ。・・・・それからでも遅くはないわね?」
「もちろんだよ<ソフィー>!」
そう言って、ハウルは<ソフィー>を思い切り抱きしめる。ああよかった、と呟きながら。
「そうだ、もう一つ。」
ハウルはそう言うと、<ソフィー>を抱きしめる腕を解きにっこり笑って手を繋ぐと、カルシファーの居ない暖炉に歩み寄り、灰を一つまみソフィーの手のひらに載せる。
「<ソフィー>、<カルシファー>を呼んでくれないかな?きっとあいつも寂しがってる。」
ハウルがそう言うと、<ソフィー>は嬉しそうに微笑んで灰に向かって話しかける。
「<カルシファー>、戻ってきて頂戴?私、話し相手がいなくて寂しかったわ。」
<ソフィー>がそう言うと、ハウルはそのまま城の扉を開けて何事か呟く。
急に強い風が巻き起こり、あっという間に灰を空高く舞い上げる。
ハウルはそれを見送ると、扉を閉め、<ソフィー>にまた蜂蜜のような笑顔を向ける。
「これで<ハウル>が戻る時には、<カルシファー>も戻るよ。・・・・・・さあ、お別れの時間だね?」
繋いだ手を、<ソフィー>はぎゅっと握り締めハウルの碧眼を覗き込む。
「私は・・・<ハウル>を上手に愛せるかしら?」
<ソフィー>は不安そうに困ったような笑顔を見せる。
「そのままでいいんだよ?<ソフィー>なんだから。<ソフィー>じゃなきゃダメなんだから!」
ハウルはくすっと笑い、そうそう、と付け加える。
「時々は怒って服を切り刻んじゃえばいい!きっと<ハウル>はまだまだ上手く気持ちを伝えられないかもしれないからね!
いい加減、素直になりなさいって!」
<ソフィー>はくすくすと笑いながら「あなたはそうされてるの?」と悪戯っぽく問う。ハウルは笑顔で頷いて見せる。
「僕のソフィーは怒った顔がとっても可愛いんだ!」
<ソフィー>は眩しそうにハウルを見つめ、静かに尋ねる。
「あなたはどうして、私たちのことに真剣になってくれるの?」
「それは・・・<ソフィー>が幸せであって欲しいから。向こうのソフィーは僕が幸せにできるけど、君を幸せにできるのは<ハウル>しかできないからね。もちろん、君が幸せなら<ハウル>も幸せさ!僕は我がままだから、<ハウル>が幸せじゃない
なんて考えられないよ!」
ハウルは当たり前とばかりに、さらりと告げる。
そうして、<ソフィー>の頬にキスすると耳元で囁く。
「<僕>を愛してくれてありがとう」
<ソフィー>は背伸びしてハウルの首筋にしがみつくと
「<私>を愛してくれてありがとう」
と囁き、そっとハウルの唇に口付けた。
9へ続く