僕は願う。君の声が聞きたいと。 ― 2 ― 





ばたばたと城へ駆け込んで来た足音に、カルシファーはうつらうつらと心地よいまどろみを邪魔されて不機嫌そうに声をかける。
「なんだよ・・!今度はどこの魔女が攻めてきたんだい?」
眠い目を擦って答えを待つが、すぐ近くに寄って来たその人物からの声は返ってこない。
不思議に思って目を開ければ蒼白な顔色のソフィーが、炉格子に顔をつけカルシファーを覗き込んでいる。
「どうしたんだよ?あんた顔色が悪いぜ?」
薪から身体を離して浮かび上がると、ソフィーの前に浮かび声を待つ。
しかしソフィーは喉を押さえて、必死に口を動かしカルシファーに何か訴えているが・・・何も聞こえない。
「ソフィー・・・あんた・・・」
カルシファーが何かに気がつき話しかけると、廊下を慌てふためく足音と城主の声が響く。
「ソフィー、どうしたんだい!?どこか調子が悪いの?」
その声には心配で堪らない様子が窺えて、朝食時に怒鳴りあった妻に対しての苛立ちなど微塵もない。
ソフィーは、はっとして立ち上がり階段へと走り出す。
「ちょ・・・!待ってよ!ソフィー!!」
ハウルは慌ててソフィーの腕を掴み振り向かせると、両手で肩を掴む。
「ソフィー、怒ったの?僕がご婦人方に囲まれてたから?」
ハウルは嫌がって振り払おうとするソフィーを無理やり押さえ込んで、顔を覗き込もうとする。
「それとも、まだ口を利く気になれない?」
ソフィーは顔を絶対に見られまいと必死に抗い、両腕に力を込めて振り払う。
「ソフィー!!」
ハウルの腕から逃れて、ソフィーはエプロンドレスを蹴り上げるように階段を駆け上がり、寝室の扉に手を伸ばす。
急に目の前で風がおこり、ソフィーが目を細めると扉の前で泣きそうな表情のハウルが現れる。
「!!!」
伸ばしかけた手をソフィーが引こうとした瞬間、ハウルはしっかりとその手首を握り締め自分の胸に引き寄せる。
「ごめんよ、奥さん!僕が悪かったよ。あんなこと言って、あんたを怒らせたかった訳じゃないんだ」
腕にしっかりと華奢な身体を抱きしめて、ハウルはソフィーの髪に顔を埋める。
「お願いだから、ソフィー!あんたの顔を見せて!」
それでもソフィーは頭を横に振り、ハウルの胸を押し続ける。

どうしてだろう?ひどく不安で堪らない。
どんなに言い争ったって、こんなに不安になることなんてないのに。
・・・ソフィーの声が聞けないことが・・・不安で仕方ないなんて。

今までだって何度も言い争って「もう口を利かない」と宣言されても、ソフィーは結局呆れたように声をかけたり、
もっと怒って大声で怒鳴りつけたりするのだ。
ハウルはそんなソフィーがたまらなく愛しくて、わざと怒らせたりするくらいだ。

いつだって、あんたは僕を気に掛けずにいられない。僕がそうであるように・・・・そうだろう?

ハウルはソフィーの背を壁に押し付け自分の身体で逃げ道を奪うと、半分怒ったような気持ちで無理やりソフィーの顔を
上向かせる。
ソフィーは勝気な瞳に涙を湛えてハウルを睨みつける。
「ねえ、奥さん。僕はあんたに怒鳴られないと落ち着かないみたいなんだ。・・・だから声を聞かせて?」

「イヤよ」でも「バカ」でも、何でもいい。声が聞きたい。

ハウルの瞳が寂しげに揺れるのを見て、ソフィーの唇がそっと開き、ハウルはほっとしながらその口元を見つめる。
「・・・・」
ソフィーは振り絞るように声を出そうとするが・・・・やはり声はでない。
「ソフィー?」

瞬間、碧眼に飛び込んできたのは、気の強い愛しい妻の・・・・涙。
きゅっと目を瞑り、唇を噛み締めてソフィーは涙を零す。
ハウルは思わず息を止め、ただ呆然とソフィーを見下ろす。胸がズキンと痛み、目の前が暗くなる。

ちょっと待って。ソフィー、なんで泣いてるの?
確かに大人気ないことしちゃったけど、僕も悪かったけど。
もう僕と話すのすらイヤだって言うのかい?

「・・・ソフィー、本当に僕のこと・・・嫌いになっちゃったの・・・?」
ハウルが震える声でそう言うと、ソフィーは切ない顔でハウルを見上げ、再び口を動かすが・・・諦めたように口を閉ざす。
ソフィーの身体を押さえつけていたハウルの・・・体中から力が抜け、拘束を解く。
「・・・・」
ソフィーは、口を押さえて寝室に駆け込む。
勢いよく閉まる扉をただ見つめながら、ハウルはその場にへたり込む。

ああ、どうしよう。
まさか、本当にソフィーが・・・僕を嫌いになっちゃうなんて・・・。

ハウルはキツク締め付ける胸をシャツ越しに押さえる。

ここのところ、王様のストランジアへの戦の相談に飽き飽きしてたからって・・・ソフィーにイライラをぶつけちゃったから・・・。
ソフィーはきっとイヤになっちゃったんだ・・・。

ハウルは頬を熱いものが伝うのを感じ、そっと触れる。
自分の瞳から涙が零れる。
闇の精霊を呼び出すこともできないほど、衝撃を受け自分が泣いていることにようやく気がつく。
「おい、ハウル!」
カルシファーが心配そうにハウルを覗き込み、ハウルはゆっくりと瞳をあげる。
「カルシファー・・・あんたの言う通りだったよ・・・ソフィーが・・・ソフィーが・・・」
「落ち着けよ!ハウル!あんた、本当にわかんなかったのか?」
カルシファーが呆れたように、情けなくうな垂れるハウルの前で炎を大きくする。
「・・・・?どういう意味だい?」
一条の光を求めるかのように、ハウルはカルシファーにすがりつくような表情になる。
「ソフィーは声、出せないんだよ」
「えっ?」
「あんたそれでも魔法使いかよ!ソフィーの声は封じ込められてるんだよ」
「・・・・!まさか・・・?」
ハウルは扉を見つめて、ゆっくりカルシファーに視線を移す。
「・・・確かに・・・でも・・・・?」
情けない夫の表情だったハウルの顔が、幾分魔法使いらしい鋭気を顔に戻す。
そっと目を瞑り、静かに手を扉の向こうのソフィーの気配にあてる。
火の悪魔は困惑した表情を浮かべ、炎を捩り細くなる。
「そう、ソフィーだけの呪いじゃないんだよ。もちろんあんたの呪いでもない」
「魔力は凄く微量なのに、なんでだろう?ソフィーを縛り付けている・・・?僕でもなくソフィーでもない。でも・・・?」

それよりも・・・

ハウルは、凍っていた心臓がゆっくりと温かくなっていくのがわかる。
「・・・・よかった・・・ソフィーは僕のことを嫌いになったわけじゃないんだね!」
思わず大きな声で叫ぶと、カルシファーがやれやれと溜め息をつく。
「この厄介な状況で、本当にお目出度いヤツだな!」






        3へ続く