僕は願う。君の声が聞きたいと。 ― 1 ― 





始まりはいつもと変わらぬ朝。
いつもと変わらない口喧嘩。
理由なんてたいしたものはなくて。

おはようのキスが短すぎるとか。
スープが熱くて飲めないだとか。

仕事に行くのにお洒落しすぎだとか。
朝から纏わりついて掃除の邪魔だとか。

傍から見ればじゃれあっているようにしか見えないような口喧嘩。
ただし、この口論が白熱していくことを傍から眺めている同居人たちはイヤと云うほど味わっている。
この2人の喧嘩には、長年一緒に暮らしている弟子も悪魔も辟易していた。
何故なら、子どものような我侭を言う夫はインガリー1の魔法使いハウルだし、その妻ソフィーは言霊使いの魔女である。
白熱してくると皿は飛ぶし、挙句の果てに呪いまで飛び交いだすから性質が悪い。
火の悪魔は紅茶でもかかったら堪らない!と暖炉の薪の下に潜り込み、弟子は自分の朝食を持ち暖炉の脇へ避難する。

「まったく、あんたのその性格どうにかならないの?なんだってそんなに可愛げないことばっかり言うのさ!」
「ぬるぬるうなぎのあんたに言われたくないわよ!それに可愛くないのは生まれつき!」
「またあんたの口癖だ!生まれつき!あんたが可愛くないのはその口からでる言葉だけさ!
今日はせっかく王室の仕事が休みだってのに。奥さんはなんてつれないんだろう!」
「うるさい!可愛くなくて結構よ!」
「ああ、もう!どしうてそうわからずやなんだ!僕の話を最後まで聞いた試しがないんだから!」
「あんたがあたしをこうさせるのよ?」
「僕が何をしたっていうのさ?あんたはただ怒っていたいだけさ。」
「・・・ハウルなんて、大っ嫌い!
「・・・その可愛くない口をしばらく閉じていたらどう?」
「あんたとなんか二度と口をきかないわ!」
ソフィーの投げた皿が、がしゃん!とハウルの足元で割れる。
はあはあと肩で息をしながら瞳に涙を溜め、ソフィーは花屋へ続く廊下に駆け出した。
ハウルは苦々しげにその後姿を見送ると、溜め息をついて椅子に座り込む。
「あんたやりすぎだよ。」
カルシファーが薪の下から顔を出してハウルに抗議する。
ことの始まりは、ハウルのくだらない我侭だった気がするからだ。
マイケルは「あーあ。これ元に戻す呪文なんだったっけ?」とぶつぶつ言いながら、皿の破片を集めだす。
「だって、カルシファー。ソフィーってば自分が何を言ってるのか、ちっともわかってないんだよ?」
非難の目をかわすようにハウルは俯き、目を瞑る。

ソフィーは簡単に言ってくれるけど。
臆病者の僕が「大嫌い」って言われることがどんなに怖いかなんて思いもしないんだ。

「どうせ、すぐに怒鳴りたくなるさ。ソフィーは結局、僕のことを放っておけないからね」
「自惚れてろ!痛い目みるのはいっつもあんただぜ!」
カルシファーは青白い炎をあげて笑い出す。
「言ってくれるじゃないか、火の玉親分!」
ハウルは椅子から立ち上がると、おもしろくなさそうに浴室へ向かう。
「カルシファー!髪を染めたいから、お湯をたくさん頼むよ!」
黒髪をひっぱりあげ、背中を向けたまま火の悪魔に告げる。
「いつもの事とは言え、派手な喧嘩の後始末はご自分たちでしてくださいよー!」
マイケルの大声が城の中でこだました。





ハウルがたっぷり2時間かけ、髪を見事な金髪に染め上げジャスミンの香りを撒き散らして花屋にでると、ソフィーは笑顔で
花束を作っていた。

いやになっちゃうよ。僕の奥さんは、僕以外の前ではあんなにカワイイ笑顔するんだもの。

ソフィーの作る花束は小さな花を寄せ集めた可愛らしいブーケで、どうやら両親の結婚記念日のお祝いにと幼い兄弟が
買いに来たらしい。
ハウルが微笑ましくその様子を眺めていると、ソフィーがその視線に気がつき顔をあげる。
思わず先ほどの喧嘩を忘れて近づこうとすると、ソフィーはふいっと横を向き、小さなお客にブーケを渡す。
そんなソフィーの態度に苦笑し「喧嘩中だっけ」と呟くと、マイケルがハウルのエプロンの端をひっぱり耳打ちする。
「ああ、ハウルさん。困りましたよ!ソフィーさん、本当に口を利いてくれないんです!僕にまでしゃべってくれないんですよ?」
確かににこにこと客に対応はしているが、その唇が開くことはなく客とのやりとりはマイケルがしている。

なんていじっぱりな奥さんだろう!

ハウルはマイケルの肩をぽんぽんと叩くと、さらさらの金髪を揺らして溜め息をつく。
「可哀相なマイケル。僕が手伝ってあげるから。可愛い奥さんは恥ずかしがって声もでないんだろう」
わざとらしく笑顔を向けると、以外にも・・・悲しそうなソフィーの瞳とぶつかり、ハウルは少々面食らう。

てっきり挑戦的な目で睨んでくると思ったのに!
・・・ああ、どうしよう。僕から謝ったほうがいいのかな。
でも、今回はソフィーのほうから声をかけてくるまでは・・・・

しかし、その瞳はまるでハウルの思ったことを見透かしたように鋭くなり、ハウルに背を向ける。

まあ、いいさ。どうせソフィーは癇癪をおこして、今朝のようにわめき出すんだから。

ハウルは背中を向ける愛しい妻から視線を店の外に移す。
窓の外ではちらちらとご婦人方が覗いて、嬉しそうに店の扉に向かっている。
「今日は珍しくご主人がいらっしゃるのね!」
明るい色のワンピースを着た女性が扉を開けると、あっという間に店内はご婦人方でいっぱいになる。
ハウルは珍しく、一人一人丁寧に接客し、そのたびに嬉しそうな歓声があがる。
「お久しぶりですね、マダム。今日はまた一段と美しい。このオリエンタルリリーの美しさと引けをとりませんよ?」
「まあ、ジェンキンスさんこそ相変わらずお美しいわ!ここのところお店に出ていらっしゃらないから、寂しかったんですのよ?」
「ああ、マダム。お許しください?私は研究していたんですよ。あなたのように美しい方に似合う新しい花の品種を。」

気障ったらしい言葉を並べてご婦人方に囲まれるハウルに溜め息を漏らし、マイケルはソフィーに尋ねる。
「ソフィーさん、いいんですか?ハウルさんきっとソフィーさんに怒って欲しいんじゃないですか?」

きっと「口を閉じていたら」なんて言っておきながら、構って欲しくてしかたないんだからハウルさん。
じゃなきゃ、ちらちらソフィーさんを見る必要ないもんな。

いつもなら呆れながらも「いいのよ、放っておきましょう!」という答えが返ってくるのだが、やはりうんともすんとも返事がない。
「ソフィーさん?」
流石に違和感を感じてそっと覗き込むと、ソフィーは喉を押さえ口をぱくぱくと動かしている。
「どうかしましたか?」
不安そうなマイケルの声に、ソフィーははっとして顔をあげ苦笑する。
そして、首をふるふると横に振ると慌てて城へと戻って行く。
「え、ソフィーさん?」
予想もしなかったソフィーの行動にマイケルも、ソフィーの様子を窺っていたハウルも驚いてしまう。

どうしちゃったのさ、あんたらしくないじゃないか!

ハウルはご婦人方を掻き分けようとして、反対にもみくちゃにされる。
「ああ、もう、さあ、何をお求めですか!?マイケル手伝って!」
ハウルは大きな声でそう叫び、すっと一瞬姿を消すと次の瞬間マイケルと入れ替わっていた。
ご婦人方は目をぱちくりさせて、廊下に向かおうとするハウルを呼び止める。
「ジェンキンスさん!」
「ああ、すみません。僕の可愛い奥さんの体調が悪いようなので。マイケル、後は頼んだよ!」
優雅さの欠片もなく、ハウルは慌てふためいて城へと駆け戻った。






        2へ続く