守るべきもの ― 3 ―
「ねえ、ソフィー!いつになったら魔法使いハウルに会えるの?僕、どうしても叶えてもらいたいんだよ!」
テーブルに置かれたスープ皿にパンを浸すと、その碧眼の少年はすがるようにソフィーを見つめた。
今頃モーガンはどうしてるかしら?
離乳食、ちゃんと作ってくれてるかしら?
その碧眼にモーガンを重ね見て、ソフィーはくすっと笑ってしまう。
「あんたって、昔からそんな風に食べてるのね。」
机の上に盛大に散らかすパンくずや、サラダに混ぜたピーマンやパプリカを綺麗に避けて食べるハウエルに、ソフィーはわざと顔をしかめて見せた。
「好き嫌いしちゃダメよ。」
フォークにピーマンとカリカリに焼いたベーコンを一緒にさして、口元へ運んでやるとハウエルは恨めしそうにソフィーを見た。
「・・・これ食べたら、ソフィー、魔法使いにあわせてくれる?」
こんな交渉の仕方もこんな小さな頃からなのね、と呆れながらも微笑みが零れる。
ソフィーの持つフォークをその右手ごと両手で掴むと、ん!ときつく目を閉じて口にピーマンを含み、涙を瞳の端に浮かべながらもぐもぐとなんとか3回ほど噛み、十分ではないだろうにそのまま喉を鳴らして飲み込んだ。
「食べた!」
涙目で何とか笑うハウエルに、ソフィーはミルクの入ったカップを差し出すと、ふんわりと微笑んだ。
「凄いわ!ハウエル。頑張ったわね!」
頭を撫でると、心から嬉しそうに可愛らしく笑う。
ああ、あんたやっぱり黒髪の方が可愛いわよ。
「ソフィー、ピーマン食べれた!」
「ええ、ホントね。偉いわよ、ハウエル」
さあ、残りのパプリカも食べちゃおうね?
ソフィーが空になった皿を集めて立ち上がると、ハウエルがそのエプロンの端を掴んで必死な表情でソフィーを引き止めた。
「ソフィー、魔法使いハウルに会えないの?ピーマン食べても会えない?」
ソフィーは困ったように微笑むと、しゃがみこんで椅子に座ったハウエルと目線を同じにする。
なんて傷付いた、悲しそうな瞳。
そっと柔らかな黒髪に指を差し入れて、ゆっくりと胸の中に抱きしめるとハウエルは「ソフィー?」と無邪気な声をあげた。
「ごめんね、ハウエル」
あんたにハウルは会わせられないのよ・・・。
レティーから聞いたことがある。
いかに偉大な魔法使いでも、むやみに魔力を使いすぎては危険なものがあるのだということを。
過去にその禁忌を破った魔法使いたちは、悲しい結末を迎えたのだとも。
そう、例えば。
過去や未来に行くことは、禁じられている。
魔力を乱用して、人の過去や未来を勝手に変えてしまうことは誰が考えてもいけないことであるし、何よりリスクが大きすぎる。
過去や未来の自分が今の自分に出会ってしまったら、そこから均衡が崩れる。
今まで積み重ねてきた時間が壊れてしまう。
自分に関わる時間の摂理が崩れてしまうと、今在る自らに関わる存在が消えてしまったり、出会うはずの運命も、もしかしたら自らの存在そのものがなかったことになってしまう・・・。
つまり、ハウルにとってはカルシファーやマイケルやソフィーとの出会いも、その出会いからなるモーガンも、そしてハウル自身の存在も、このインガリーから消してしまいかねないのだ。
それはどうしても避けなければいけない。
何より恐ろしいのは。
この過去から来たハウエルを・・・禁忌を犯していることすら気がついていないハウエルを・・・無事に過去に送り返せなければ、結局は今のハウルは存在できないのだ。
そのハウエル自身は、ハウルに会いたいという。
願いはただひとつ。
事故で亡くしてしまった両親を生き返らせたいと。
どうやってインガリーの、しかも彼にとっては未来に存在するはずの『魔法使いハウル』を知ったのかはわからないが、ハウエルは必死に探していたのだ。
迷い込んだインガリーの地で、『インガリー1の魔法使い』を。
二人を出会わせるわけには・・・いかない・・・。
ソフィーはぎゅっとハウエルを抱きしめる腕に力を込める。
花屋にこの少年が訪れた瞬間、空気が震えた。
ソフィーには、この漆黒の衣装を身に纏った少年が誰で、どこから来たのかがすぐに理解できた。
愛しいこの存在は、深く傷付き、悲痛なまでの願いを訴えていた。
その想いは、この魔法の存在する世界では強大な力を発揮していた。
それは契約に似た力で。
この地にハウエルを縛り付ける。
ここでは少年の存在は許されないものであるにも関わらず、その内側に流れる圧倒的な魔力はその摂理を捻じ曲げて。
そしてその強すぎる願いは、自らの命を削っているかのようで。
何がこの少年をここに呼んでしまったのかわからない。
ということは、この少年を帰す方法もわからないのだ。
こんなときに頼りになる夫には・・・頼れない。
それは彼の命も奪いかねない行為なのだから。
ソフィーは迷路のようなこの状況を打破する方法を見つけられず、とにかくこの少年の悲しみを癒すことを優先させることにした。
この選択が正しいかどうかを考える暇もなかった。
ただ、傷ついているハウエル少年もわがままで臆病なハウルも愛しくて仕方なかったのだ。
「あたしって欲張りね。今のハウルも過去のハウルも悲しい想いをさせたくないなんて。」
自分にはなんの力もないことは重々承知していた。
それでも抱きしめずにいられなかった。
愛しい人を失う悲しみを知っているから。
突然奪われた愛しい人を甦らせたいと願ってしまう、この少年の気持ちをただ否定するなんてできなかった。
神をも恨むほど、それはどうしようもない絶望で。
幼いこの少年にとって、今はすでに生きる世界が根底から崩れてしまったのだから。
「ソフィー?」
胸に込み上げる切なさで、ソフィーの目尻には涙が溜まっていた。
何とかこの少年をもとの世界に帰したかった。
少しでも心に負った傷を癒して。
両親が亡くなってから、ハウエルはまともに食事を摂っていなかった。
ようやく、ソフィーが一緒ならと食べてくれるようになった。
笑顔も、見せてくれるようになった。
悪夢にうなされて、飛び起きるその時にそっと手を握って抱きしめてやると、安心したように眠る。
「ママ・・・」
呟くその言葉がようやく声を発しだしたモーガンにも重なり、ソフィーは何度も額にキスをする。
「今日は何をしようか?お絵かき?散歩?お弁当持って出かけようか!」
ソフィーはハウエルを抱きしめたまま、明るい声で話しかける。
「本当!?」
腕の中から顔を覗かせて、ハウエルが声をあげる。
「ええ、本当よ?お弁当、何がいいかしら?」
「ソフィー、ママみたい・・・ママもよくお弁当作って・・・僕とミーガンとパパとママと・・・お出かけしたよ・・・」
ハウエルが笑顔でぽつりと呟いて、突然ソフィーの腕の中で気を失った。
「ハウエル!?」
それはもう、禁忌を犯すこの少年に・・・時間がないことを示していた。
4へ続く