このお話は、2006年秋に発行されたアンソロジー本「たまごくらぶひよこくらぶ」に参加した時の原稿です。
(完売済みだそうです)
ジブリ設定の子育て話。
挿絵を海が好きさんに描いていただきました。
可愛らしい挿絵は、海が好きさんのサイトにアップされていますv
まもってあげる。
モーガンが生まれて変化したことが幾つかある。
ひとつめ。
ソフィーが僕をかまってくれる時間が減ったこと。
これは仕方ないよね。なんていってもモーガンはまだ自分でできることがないんだから。必然的にソフィーは家族の世話とモーガンの世話で忙しいってわけだ。
まあ、それでも僕はソフィーを独り占めできるように色々画策するけどね?モーガンが生まれてからのソフィーはますますカワイイんだ。モーガンを抱きしめるソフィーの横顔は、僕に向ける笑顔とはまたすこうし趣が違って。
ああ、これが母親の顔なんだ・・・って初めて感じた。涙が出そうなほど、幸せな瞬間って、こんな感じなんだね。
ふたつめは、城を再び地上に降ろしたこと。
これは、僕もソフィーも同じように考えていたようで。
『幼いうちは、大地に近いところで生活させたいね』
『色々なものを息づかせる土の上で、いろんな経験をさせたいわね。』
二人同時に言って笑ったんだ。
僕らは歩けるようになったモーガンをあの花畑に連れて行こうと約束した。
そしてみっつめは・・・僕が再び鳥になったこと・・・。
これはソフィーには秘密。
僕は・・・不安で仕方ないんだ。
ようやく手に入れた愛しい存在と、家族。
戦争は終結したけれど、皆が同じ想いでいるわけでないことを知っているから。
だから僕は空を飛ぶ。時折訪れるどこかの国の脅威から家族を守るために・・・。
僕のこんな姿は、ソフィーには二度と見せたくはないから。
知られてはいけない変化なんだ・・・。
ただ僕は。この家族を守りたいんだ。
日も落ちて夕闇が迫る時間になり、城の中は美味しそうなスープの匂いが漂いだす。ここのところ頻繁に王宮に呼び出されるから、夕食の時間に城にいるのは、珍しいことだ。
甘いミルクの香りに包まれて、いつの間にできるようになったのかハイハイするその姿に、僕は眩しくて目を細める。ヒンとマルクルが後ろを同じように這って、時折振り返ってにこっと笑うモーガンを追いかける。揺り椅子に座って眺めるマダムも、カルシファーも。その小さなお尻が左右に揺れて一生懸命ハイハイする姿を微笑んでいる。そう、昔は恐れられた魔女と悪魔だなんて誰も気がつきはしないだろう。(カルシファーは相変わらず火の悪魔だけれども)「ああ、危ない!」なんて言いながら、暖炉から飛び出そうとするんだから。なんて優しい悪魔だろうね!
「さあ、みんな。ご飯にしましょう?マルクル、モーガンを連れてきてちょうだい?」
ソフィーの声が響くと、マルクルは立ち上がってモーガンを抱こうと追いかける。日に日にスピードアップするモーガンのハイハイにマルクルが四苦八苦する。追いかけっこのつもりでモーガンてば嬉しそう。
「さあ、いい子だね。マルクルを困らせちゃいけないよ?」
普段、あまり近寄ろうとしない・・・モーガンが僕の足元を通り過ぎようとしたとこをひょいと抱き上げる。
途端に、モーガンの笑顔は崩れて大きな愛くるしい瞳の端に涙の塊が浮かんできて。
あああ!失敗した!
大きく息を吸い込むと、モーガンは大きな声で泣き出した。
「ちょっと、モーガン!何もしてないじゃないか!」
僕は困ってよしよしとあやしながらも、瞳でソフィーに助けを求める。ソフィーは、困ったように肩をすくめモーガンを受け取ると、コツンと額をぶつけて、ちょっと怒って見せる。
「もう、モーガン。パパに抱っこされて泣くなんて。」
「不思議ですね。なんでハウルさんが抱くとモーガンは泣いちゃうんでしょう?」
マルクルはマダムの手を引いて椅子に座らせながら、首を傾げる。
僕はネバネバを出したいほど落ち込みながら、愛しくて憎らしいモーガンの、すでに笑顔になっている顔を恨めしく思う。
モーガンは、僕にはあの笑顔を見せてくれない。
何故だろう!?
泣きたくなるくらい寂しい。こんなに愛しくて仕方ないのに。
「あんたがソフィーを独占しようとするからじゃないか!?ライバルだと思ってるんだぜ!」
カルシファーが可笑しそうに身を乗り出す。言ってくれるよね、ホントにさ。
「ハウル、このくらいの赤ちゃんて、オトコの人に人見知りしたりするのよ。」
ソフィーが苦笑して僕の瞳を覗き込む。こうしてママの腕の中からなら、僕にも笑顔を見せてくれるのに。
「ハウルはそこらへんのオトコと違ってキレイなのにねえ。」
マダムがやっぱり可笑しそうに呟いて、僕は苦笑しながらモーガンに恐る恐る手を伸ばす。ためらいがちに、でも触れる小さな手に少し安堵して。僕はソフィーの頬に口付ける。
「ママはお前だけのものじゃないんだぞ?」
漆黒の暗闇を風を切るように飛ぶその姿は、愛しい妻には見せたくはない姿。
眼下に広がる町並みは、静かな眠りの淵に漂う。
あの家々の中では、小さな命が眠っているんだろうな。
身を裂くような想いに襲われて、顔をしかめる。
「・・・・っつ。」
突然、実体化した痛みに思わず目を瞑る。
音もなく近づいてきたそれは、僕の腕をかすめ見えない刃で斬りつけてきた。
「・・・ああ、もう戻れなくなったんだね?」
思わず呟いて、痛みの走る右腕を押える。ゆっくりと見据えた先には、隣国の・・・使い魔だろう。もとは人間であっだろうに・・・すでに原型を留めていない。
どうしてみんな戦いたがるんだろう?ようやく漕ぎ付けた停戦を崩そうとする者がいるのは・・・仕方がないことなんだろうか?
僕は、失いたくないんだ。
怖くて怖くて仕方がない。
僕を孤独から救った大切な家族を。
危険な目に遭わせたくない。
「だからごめん。」
静かに腕を振り下ろし、僕は怪物に祈りを捧げた。
「君もせめて・・・魂は救われますように。」
重い足取りで扉を開けると、ゆらりと暖炉の火が揺れる。暖炉の前まで歩き椅子に身を預ける。カルシファーは眠そうに片目を開けて、ぎょっとしたように身を捩り両目を開いたかと思うと、目の前に飛んできた。
「・・・また飛んだのか?ひどい顔色だぞ。 それに、あんた怪我してるじゃないか!」
僕はうなだれて、流れ落ちる金の髪の隙間からカルシファーの・・・優しい炎の揺らめきを見つめる。
「あんまり無茶するなよ。あんたのおっかない先生だって、無理しなくていいって言ったじゃないか。」
「カルシファー、ホントにいい悪魔だね。」
心底心配する響きに、僕はくすっと笑ってしまう。カルシファーは「ちぇっ!」と悔しそうに舌打ちすると、 暖炉に戻り薪に手を伸ばす。
「・・・ソフィーが悲しむだろ!・・・そんな傷付いた姿で。それとも泣かせたいのか?」
ズキン、と小さな痛みが胸に走り僕は頭を振る。
「オイラだって、いざとなればちゃんと守ってやるんだぞ?」
だから一人で頑張るなよ。そう言われて。
僕は慌てて立ち上がった。
「お湯か!?」
「ああ、シャワーを・・・。でも今日は冷たい水でいい。」
「流石にそのまま寝室には行けないもんな」
悪魔が嬉しそうに天井を見上げる。微かに響く子猫のような泣き声。僕が帰ると決まってモーガンは泣き出す。まるで獣の僕を嫌うように。
「せめてキレイに身を清めてから、奥さんとモーガンにキスしたいからね」
「ハウル・・・あんた泣いてるのか?」
「まさか!煙が目に入ったんだよ。」
勘のいい悪魔に内心舌打ちしつつ、僕はくるりと背を向けて足早に浴室へ向かった。
「参ったね。相当堪えてたなんて。」
シャワーが打ち付ける音にかき消してもらえることをありがたく思いながら、僕は少しの間泣き虫な魔法使いに戻る。モーガンが生まれても、僕はちっとも父親になんてなれてない。
モーガンが僕に抱かれるのを嫌がるのは、人見知りなんかじゃないんだ。
きっと、あの無垢な天使のような瞳には、僕がなろうとしていた魔物の気配が見えている。
傷付いた右腕にはまだ羽が残る。こんな魔物の腕じゃ、天使を汚してしまいそうで。
子どもが生まれたら、無条件で父親の自覚が芽生えるだろうって思っていたのに。僕は相変わらず、弱虫で臆病なままだ。ソフィーがいなくちゃモーガンを撫でることもできないんだから。
そんな風に考える自分にどこか滑稽なものを感じて、僕はくすっと笑ってしまう。
今日はやけに感傷的。僕ってほんとどうしようもないね。早くソフィーに暖めてもらおう。きっと今なら天使の寝顔が見れるはずだ。
「今日は王宮には行かなくていいんですか?」
久しぶりにマルクルの魔法の課題に付き合いながら、僕は頬杖を付いて中庭を眺めていた。
「ああ、サリマン先生がおやすみをくれたんだよ。『偶には家族ですごしなさい』って。」
「へえ、確か凄く怖いんですよね?王様の右腕ってくらいですもんね!ハウルさんを毎日呼びつけるから、ゆっくり家にいるのが不思議な感じです。」
「あの人も寂しいんだろうね。ああ、今度みんなで遊びに来てっていってたよ。モーガンを見たいんだってさ。マルクルにも礼を言ってたよ。ヒンを可愛がってくれてありがとうって。」
僕がそう言ってマルクルに視線を移すと、急に背筋を伸ばし緊張した様子で「はい!」と答える。
「いい子だね、マルクル。」
頭をくしゃっと撫でると、マルクルは嬉しそうに笑顔を見せる。
「あら、モーガン。シーツを引っ張っちゃダメよ。」
中庭から困ったようなソフィーの声が響き、僕はこっそり近づいてみる。そこにはモーガンがシーツを握り締め、立ち上がろうとしていて、ソフィーは洗濯籠を抱えて苦笑している。小さな手はしっかりとシーツを掴み、震える膝が不安定で思わず駆け寄ろうとして思い止まる。
僕が見ていることに気がついたソフィーは、「ちょっとお願いね」と言って星色の髪を耳にかけると、にこやかに次の洗濯物を取りに行く。モーガンは引っ張ると揺れるシーツにそれでも体重を預けて、なんとか立とうと必死だ。僕はゆっくりお日様の下のモーガンの近くまで歩いていき、その場にしゃがみこむ。立ち上がることに必死で、僕が傍に来ても今はそれどこれでないらしい。よろよろとよろめく姿に、僕はハラハラして何度も腕を伸ばす。頭が重そうに前のめりになり、バランスをとろうとして今度はお尻に重心が行き、ついに転んでしまった。
「あああっ!」
思わず声をあげて、慌てて口を押える。そっとモーガンを見るとばっちり目が合ってしまった。大きな瞳は不服そうに光り、口はへの字になっている。
「ソ・・・」
泣かれる!と思わずソフィーを呼ぼうとしたけれど、モーガンはまた目の前でひらひらと揺れるシーツを目で捉えて手を伸ばす。僕は思わず息を止めて、また腕に力をこめるモーガンに声をかける。
「うん、もう少しだ!しっかり掴んで・・・!」
「モーガンっ!もうちょっとだよ!」
「あ〜あ、シーツが草色になってるぜ!」
「上手、上手。あとちょっと!」
「ひんっ!」
いつの間にか僕の後ろにはみんなが集まっていてモーガンに声援を送ってる。モーガンはギャラリーに答えるように、むんずと掴んだシーツに顔を寄せて両腕の力を込めて・・・。
「わあぁ!立った!!」
初めてつかまり立ちを成功させたモーガンは、誇らしげに笑うと・・・僕に手を伸ばした。
「え・・・。」
伸びてきた小さな手に、一瞬驚き、手を差し出すのをためらうと、がくっと膝が折れモーガンはシーツを握り締めたまま後ろに倒れる。咄嗟に手を伸ばしてモーガンを抱きとめたけれど、僕らの上にはまだ干したばかりのシーツがバサリと落ちてくる。それはまだ干したばかりのびしょびしょで。思わず慌てて掻き分ける。
「なにやってんだよ!あんた魔法使いだろう!?」
ようやく顔を出すと、カルシファーのからかう声が真上から降ってくる。僕の胸の中できゃっきゃっと手を叩き、シーツの中でぐしゃぐしゃになった僕を見て・・・モーガンが笑ってることに・・・僕は・・・僕は。
「ソ、ソフィー!!」
僕はみんなの後ろにいるソフィーを見つけて、優しく微笑むその笑顔に励まされるように、ぎゅうっとモーガンを抱く腕に力をこめる。
ヤワラカクテ、アタタカイ・・・。
「ソフィーにお礼を言うんだね。」
「おばあちゃん!」
「マダム?」
マダムの茶目っ気たっぷりの笑顔の後ろで、真っ赤になったソフィーが洗濯籠を胸まで抱えあげ、顔を隠そうとしてる。
「ソフィーがね、サリマンと王様に直談判しに行ったんだよ。ハウルにゆっくり家族で過ごす時間を与えて欲しいってね」
マダムはウィンクして見せると、ソフィーの後ろに回りこみ、ぐいぐいっと前に押し出して僕らの前に立たせる。僕は胸の中で髪を引っ張ったり服を舐めたりするモーガンとシーツに絡まったまま、ソフィーに手を伸ばす。
「ソフィー?どういうこと・・・?」
ソフィーは困ったように座り込むと、僕の目を見て手を握って・・・告白した。
「・・・ハウル、モーガンが何で泣くか知っていた?」
今まで悩んでいたことを見透かされた気がして、僕は思わず無言で首を振る。
「モーガンは敏感に感じていたのよ?」
「・・・僕の魔性の力を・・・?」
ソフィーは心底驚いたように僕を見て、とびきりの笑顔を見せた後、洗濯籠を放り出して僕とモーガンに抱きついた。
「あなたの、痛いほどの、"守らなくちゃ"という思いによ。わからなかったの?あなたいつもどこかピリピリとしていたわ。笑顔が引きつるくらいに。」
「・・・え・・・?」
ソフィーは僕の胸の上でモーガンを撫で、僕の両頬を摘むと上に持ち上げる。
「ホフィー・・イハイ・・・」
「なんでパパは一人で頑張っちゃうのかしら?ねえ?モーガン?」
ソフィーは摘んでいた指をそっと僕の右手に動かし、服の上から恐る恐る触れる。昨晩傷付いたその腕を労わるように。
「お願いよ、無理はしないで。モーガンのパパは、あなたしかいないよ?」
その声は少し震えていて、僕は慌てて上半身を起こす。むずがるモーガンを左手に抱き、ソフィーの顔を覗き込む。
「・・・私の不安な気持ちも伝染させていたの。夜、あなたが、私たちを守るために・・・・っ」
そう言って口元を押えたソフィーを思い切り抱きしめる。ああ、なんてこと。そのことまでバレていたの・・・!?僕はただ・・・君たちを失いたくなかったんだ。泣かせるつもりなんてなかったのに・・・。
「悲しませてごめん。」
僕がそう言うと、ソフィーは涙を拭いてモーガンを抱き上げるて、僕の顔の上にモーガンを座らせた。
「うわあ!ソフィー、ちょっと・・・!」
「さあ、モーガン。これが本当のあなたのパパの顔よ。ね、怖くないでしょう?弱虫で臆病で・・・最高のパパでしょう?」
「あーぅ!」
不思議そうに僕のネックレスを引っ張るモーガンは、ふにゃっと笑って。
僕らはお互いに微笑んでシーツの上に寝転んだ。冷たくたってかまわない。こんな経験二度とできない!
そんな僕らを笑顔の家族が覗き込んでる。
「ハウル、あなたは・・・私たちがまもるから。」
きっぱりと告げるソフィーに皆がうなずいて。
胸がいっぱいの僕に、カルシファーが最高の言葉をくれたんだ。
「ハウル、あんた今"お父さん"って顔してるぜ!」
ああ、モーガン!君が生まれて一番の変化は、僕が父親になったってことだ!
なんて幸せな、大きな変化!
end
2006夏(web公開 2008,9,19)
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