「そして――父と錬金術の縛めを下ろし・・・・・リザ・ホークアイ個人になるために」
そういった君の瞳には、戦争というものがもたらす狂気の沙汰を一人で背負うかのような悲壮さが浮かんでいた。
それはこの、焔の錬金術を私に託したことの――
"皆が幸せに暮らせる未来を信じて良いですか"
罪を一人で背負うかのように――。
Blaze Up
「どれ位焼けば死ぬか・・・あるいは生活に支障がないか、火傷の深度も範囲も思いのままになってしまった。皮肉なものだ・・・この戦いで人を焼くのに慣れすぎた。」
錬成陣の描かれた手袋を知らず握り締めた。
イシュヴァールの子どもの為に作った墓の前で、まっすぐに私を見つめる彼女に迷いは見られなかった。
「しかし・・・今ここで?」
言いながら、私は鍛えられた軍人であるとはいえ、華奢なつくりの彼女の肩に視線を向ける。
小さく震える背中。
――そこに刻まれた焔の錬成陣。
背負いたくて背負ったのではないであろう。
それでも、このまま彼女に背負わせておくということは、生きながら業火に焼かれるのと同じことのように思えた。
"それでも、この国の礎のひとつとなって皆をこの手で守る事ができれば――幸せだと思っているよ"
"皆が幸せに暮らせる未来を信じて良いですか"
あの時の言葉が、ずくりと胸に刺さった。
青臭い夢を泥臭く血生臭くして、それでも上を目指すことを決めた今だからこそ。
彼女はこの血塗られた道から遠ざけて置きたいと思う。
「今、ここで。この場所で。錬金術でたくさんの民の命を奪った――イシュヴァールで。」
言って、彼女はゆらりと立ち上がった。
まるで背中に描かれた錬成陣が、自ら燃え上がっているかのように。
「マスタングさん、お願いします。」
私は何も言わず、静かに手袋に指を通した。
彼女があえて【マスタングさん】と呼んでいることもわかっていた。
焔の錬金術の秘伝を授けた者として、人として懇願しているのだ。
軍属という新たな見えない鎖で、すでに彼女も縛られていると・・・感じていたが。
「・・・君が、一人の人間として、解放されるなら。」
目を閉じて、深呼吸をした。
私がゆっくりまぶたを開けると、じっとその時を待っていた彼女はこくりと頷き、軍隊仕込みのきっちりとした動作で背を向けた。
「償いにもならない、自己満足でしかない、それでも貴方に、頼むしかないのです――」
ぎゅっと両手を握り締め、震える声を隠すように彼女は告げる。
毅然とした姿の奥深く、彼女の根底には父親が倒れた時に見せた、人の死への戸惑いと恐怖が蠢いている。
感情の麻痺していくこの戦場で、彼女は心を殺して引き金を引いていただろう。いや、引き金を引く度に心が死んでいくのだ。悲鳴をあげながら。そうして、戦場ではたくさんの命と心が死んでいく。
「私の背中を焼き潰して・・・」
「・・・わかった。」
右手を構え、親指に人差し指と中指を合わせる。
ヂッと電気が走るような感覚とともに火花が生まれる。
"その夢・・・背中を託していいですか?"
託された背中、そして夢
震えが体中に走った。
あの白い肌を焼くことに、彼女の信じた夢を託された背中を守れなかったことに、突然恐怖を感じた。
指先には焔が蓄積されている。
指を擦れば、彼女の願いは叶うだろう。
戦場では、躊躇せずに発動させた錬金術。
しかし、このたった一人の女を前にして、私は戸惑わずにはいられなかった。
固まったように己の指先を見つめ、彼女の言葉を反芻する。
傷付いた羽、どこまでも飛んでいけるはずだった翼。
いつしか軍服の背中にボロボロの翼が重なって見えていた。
その翼に・・・私が火を点ける・・・。
「・・・マスタングさん?」
はっとして、小さな背中を強張らせている彼女に焦点を合わせた。
見慣れた、砂埃と硝煙の染み付いた軍服。
不安に思ったのだろう、彼女は一瞬こちらを見ようと緊張を解いた。
「そのまま、動かないで。」
肌を焼かれる痛みを甘んじて受けようと、その瞬間の衝撃に備えている後姿をこのまま長く見ていることはできそうになかった。
私の言葉に再びピクリと体を強張らせ、彼女は振り返らずにその場に留まった。
心の中で、そっと「すまない」と呟く。
言葉にしなかったのは、彼女はそんな言葉を聞きたいわけではないと知っていたから。
「後悔は、まだ待って欲しい。」その言葉もぐっと飲み込んだ。
彼女がこれからどう生きていくのか、それは彼女自身が決めることなのだから。
パチンという乾いた音を響かせて、焔を走らせた。
直接、肌だけを焼き潰す。
「っ・・・・・・・・・・!」
人肌の焼ける独特な匂い。
右手を下ろして、私はその嗅ぎなれた匂いに一瞬息を止めた。
なるべくダメージの少ない方法であるとは言っても、痛みがないわけではない。
まして、刻み込まれたあの錬成陣は、表面を軽く焼く程度で済むわけでないのだ。
腕を回して自らを支えていた彼女は、その場に片膝をつくと、大きく息を何度か吐いて、痛みを逃そうとしていた。
「さあ、もうこれでいいだろう。今すぐ冷やしたほうがいい。」
駆け寄ろうとする私を制して、自嘲的な笑みを浮かべた彼女はよろよろと立ち上がった。
「大丈夫です。この程度の痛み、少佐の手を煩わせるほどのことではありません。」
立ち止まった私に、彼女は痛みなど感じていないかのように襟を正し、ブーツを鳴らして敬礼をした。
「戦場では、このくらいの怪我は、怪我のうちに入りません。――私のような士官学校生の願いを聞き遂げてくださって、ありがとうございました。」
「何を今更、そんなことを言っているんだ!戦争は終わったんだ。いいから背中を見せなさい。君の背中は深度2以上の・・・」
「いいえ。これは、戦いで受けた傷ではありません。だからこそ、少佐にご心配いただく事ではないのです。――私の、不注意から受けた火傷です。私に押された、刻印です。これは、私が一生感じていくべき・・・痛みなのです。」
「それはっ!」
「失礼致します。寄宿舎に戻るトラックが出てしまうかもしれません。少佐も、お迎えのようです。」
彼女が見つめた先に視線を移すと、ディーノという私の部下が手を振っているのが見えた。
「それでは、お先に失礼します。」
冷や汗を滲ませながら、彼女は虚ろな瞳に悲しみを色濃く残し、足早に私の前から去っていった。
その後姿に、私は手を伸ばしかけてやめた。
手袋を外し、右手で握り締めた。
「・・・もしも君がこのまま留まるなら。」
私は君に背中を預けよう。
遠ざけておきたいと思いながら、それでも彼女が軍に留まるというのなら。
君が感じていくべき痛みが、これ以上酷くならいように。
この地獄に身を置くなら、私がいつでも守れる場所で。
「少佐、そろそろ出発です。」
「今行く。」
瓦礫の街はすでに火が消えかかっていた。
しかし、私の中で静かに燃え上がったものがある。
ここでの多くの民の悲劇と、自分の無力さ、そして一人の女と昔交わした夢。
それは激しく長く、これから私を焼き続けるだろう。
今はそれを無視して、イシューヴァールの惨状から一歩を踏みだす。
"皆が幸せに暮らせる未来を信じて良いですか"
風に乗って、君の声が聞こえた気がした。
2007/8/5作成
web 2009/11/11 up
リサと大佐の関係が好きです。
原作が厳しい展開なので応援もこめて!