意識下の欲情


Essence of a strawberry ― それはほんの少しのきっかけ






慣れた匂い、馴染んだ匂いに混じって、どこか甘い香りがした。
オレは横になっていたソファーから思わず起き上がって、鼻をひくつかせて周囲を見た。
床に寝そべっていたデンは、そんなオレに気づいて目を開けると、不思議そうに首を傾げている。

この家では、いつもオイルの匂いがする。
幼馴染のこの家では、オレの体の一部と同じ匂いが染みこんでいる。

でも、今日は、その匂いに混じって甘い香りが漂っていた。
甘くて、酸っぱいような・・・?

「?」
「どうかしたの?兄さん。」
オレがその匂いの元を探すべく、義足をふらつかせながら立ち上がろうとすると、アルフォンスが片手にコップを持って現れた。
「喉渇いてると思って。牛乳・・・・」
「誰がそんな白い悪魔の液体を飲むかっ!」
「またそんなこと言って。ぼくは『牛乳しかなかったから、水を持ってきたよ』って言おうとしたんだよ?」
確かに、アルフォンスが持つ氷を入れたグラスには、オレのダイキライな白い液体は注がれていなかった。
「お、サンキュー。ほんとアルは気が利くよな。」
オレはすとんとソファーに座りなおして、左手を差し出した。

受け取りながら、アルフォンスの大きな鎧の指を見つめた。
グラスの冷たさと共鳴して水滴がついている。
ちょんと触れた指先は、冷たく冷え切っている。
こんな何気ない瞬間に、小さかった生身のアルフォンスの指先を思い出して胸が痛む。

早く、アルを取り戻したい。
あの扉の向こう側から・・・。

オレが苦笑してグラスを見つめていると、アルフォンスは再びうつ伏せになって目を閉じたデンの傍らに座り、優しく頭を撫でた。
「・・・・・・兄さん、少しは牛乳も飲んだほうがいいよ?またウィンリィと身長差が広がったんじゃない?」
「ぶっ・・・・!」
口に含んだ水を思わず吹きだす。
「うわっ!汚いなあ。」
「おまっ!なんだよそれ!身長差って・・・・・・・!」
弟からのあまりの言葉に、オレが怒りやらプライドやらでパニックしていると、アルフォンスはキッとオレを見据えて言い放つ。
「だって、兄さん。知ってる?ニックもジョンもついにウィンリィの身長を抜いちゃったらしいよ!?二人とも、兄さんと変わらないくらいだったのに、いいかい?去年からの一年で、なんだからね?兄さん覚えてるかわかんないけど、二人とも僕より一つ下なんだからね?」
「うるせいっ!!わーってるよ!あいつらが年下だってこと!」
「このあたりで、ぼくらと年が近い男で、ウィンリィより背が低い子は居なくなったってことなんだよ!?」
「だから、それがなんだってんだよ・・・!」
オレが怒鳴って言い返すと、アルフォンスは大きな肩を落として、これみよがしな溜め息を吐いた。
「兄さんって、どこまでも鈍感だね。そんなんだから、いつまでもちっこいまんまなんだ。」
「ぬわんだと!だーれーがーウルトラ豆つぶどちびかーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
「ぼくはそこまで言ってないけどね。」
大体、鈍感と身長となんの関わりがあるんだよ!と叫ぶオレに、アルフォンスはしれっと言い返した。
「兄さんがそんなんじゃ、ウィンリィも愛想尽かすからね?」
「だから、なんでさっきから、あいつの名前が出てくんだよ!?」

今まで俺たちの声にも動じず寝そべっていたデンが、何かを感じたように立ち上がり、開いていた扉に向かってとてとてと歩き出した。
デンは均衡状態を保ったまま睨み続けるオレたちを一度眺め、体を器用に扉に添わせて閉めた。
それを合図に拳を繰り出すと、アルフォンスは顔の前でオレの拳を受け止めて、ぎりぎりと力を込めた。
「ウィンリィは身長だけじゃないんだよ?変わったの。」
「ああ!?」
立ち上がった鎧の胴に蹴りを入れるべく、オレは重心を左足にかけた。
ぐらりとしてから、義足だったことを思い出しそのままバランスを崩しかけた。
アルフォンスは離しかけたオレの拳をぐいっと持ち上げ、転がる代わりにオレは情けないけど片手を持ち上げられてで宙吊りになってしまう。
くくくっとアルフォンスはその状況を笑う。
「兄さん、可愛いよ。まるで捕まった宇宙人・・・・」
「甘いんだよ!」
そのままこの体制を利用して、反動をつけて蹴りを見舞う。
「どっちが!」
アルフォンスは左手でオレの足を掴むと、今度はひっくり返して宙吊りにした。
「くっそ!降ろせ!!!アル!手ぇ離せ!」
「いいの?それじゃ。」
バタバタと左手を振り回すオレを見下ろして、アルフォンスは足首を掴んでいた手を「遠慮なく」と言いながら離した。
勢いよく床に叩きつけられ、オレは「イッテぇぇええええええええ!」と叫んでしまう。
ずきずきする頭に、今度はどすどすという足音が聞こえて、壊しかねない勢いで扉が開くと、後頭部に激痛が走った。
瞳に星が瞬く。声にならない痛みに、思わず呼吸まで止った。
「っっ・・・・・!」
床にスパナが転がる。
「てめっ!何しやがる!」
「うるさいわよ、人が寝ないであんたの手足、修理してるってのに!!あんたたち、ここを壊す気なの!?」
ウィンリィがクマのできた目で睨みつけて、腕を組んだ。
その後ろから、デンとパイプを加えたピナコばっちゃんがいかにも可笑しそうに部屋に入ってくるのが見えた。
「ケンカするなら外でしなさいよ!」
「だってこいつが・・・」
「兄さんが鈍感なのがいけないんだよ。煩くしてごめんね、ウィンリィ。」
アルフォンスは言って床に転がったスパナを拾い上げると、ウィンリィに渡して肩をすくめて見せた。
「アル!おまえっ・・・・!」
「だいたい、あんたの馬鹿でかい声ばっかり響いてんのよ!?エド!!」
ウィンリィは腰に手をあて、頬を片手で拭った。オイルがついて滲んだ頬は、見慣れたもので、アルフォンスが言った、身長以外に何がどう変わったというのかわからずに、まじまじと見つめた。

髪は、伸びた。でも、オレも伸びた。
整備士としての腕前も、うん、オレがメンテナンスを一任してるんだ。上達していてもらわなくちゃ困る。

「な、なんのよ!?」
静かになったオレに、ウィンリィは気味悪そうにあとずさる。

スパナ使いも常に命中させるようになった、・・・けど、んなの上達したって、なんもオレにとって嬉しくねえし!

不意に、またあの甘い香りがして、何故かわからないけど胸がどきんとして目を見張った。

これは、イチゴ?

その香りは、どうやらこの幼馴染から放たれていて、オレは無意識にその香りを吸い込んでくらくらした。
「アル、どうしよう。打ち所が悪かったみたい・・・・!」
「大丈夫だよ、兄さんの頭は石頭だから。」

唐突に、今までオイルの匂いしかしなかった幼馴染を別の存在に感じて、オレは頬が熱くなるのを感じて左手で口元を覆った。

確かに打ち所が悪かったのかもしれない。
ウィンリィから仄かに香る、甘ずっぱいイチゴの匂い。
それが頭の中で今まで微かにしか感知しなかった・・・・いや、感知していても気づかないフリをしていた感覚を刺激した。
これは、風呂上りのウィンリィから香った、清潔な石鹸の匂いに戸惑った時に似てる。
でも、この甘酸っぱい香りは、まだ昼間の、オイルにまみれている幼馴染を別の何かへ変えていく。

「・・・・エ・・・ド?ご、ごめんね?」
胸が苦しくなって、何も言えずにいるオレに、ふわりと、いつものオイルの香りが舞い降りて、ウィンリィの指先がおずおずと頭に触れた。
「そんなつもりじゃなかったんだけど、思わず力が入っちゃったのよ。ゴメンね?」
しゃがみこんだウィンリィの胸元に目が行き、オレの顔は多分今までで一番熱くなった気がした。

――こういうことか?アル!?

「どうしよう、性格は元から悪いからいいとしても、こいつの唯一の取り柄の頭の良さをダメにしちゃったかも・・・!」
とんでもないことを言いながら、ひたすら頭をさするウィンリィを、オレはどうしていいかわからずに、声を荒げて振り払った。
「おう、国家錬金術師さまの頭脳をどうしてくれんだよ!?今年の査定が通らなかったら、支払いできねーんだからな!」
「えええええええ!?」
「凶暴女め!」
「なんですって・・・・・!」
義足でなんとか部屋から出ると、背後から何かが飛んでくる気配がしてひょいっと身をかがめてかわした。
スパナが廊下の壁にぶつかって落ちた。
「待ちなさいよ!エドワード・エルリック!」
「誰が待つか!殺される!」
オレたちが駆け出した室内で、ばっちゃんとアルフォンスがやれやれと苦笑しているだろう。


「ばっちゃん、いつの間にシャワーなんて浴びたの?しかも、イチゴの香りなんてさせちゃって。随分若返った感じだね。」
「さすがアルは女心を喜ばすのが上手いねえ。これは、あたしの客がくれたもんさ。ストロベリーのボディーソープなんだってさ。苺が好きなヤツだったからねえ・・・。あたしはこれからちょっと用事があってね。出かけてくるよ。急ぎの修理だってのに、悪いねえ。」
アルフォンスはくすくすと笑って「大丈夫」と請け合った。
「ちょうどいいよ。兄さんには少し休息が必要だったんだ。イロイロ、考える時間がね。」



リゼンブールの青空の下、響く幼馴染の怒鳴り声に、どぎまぎしてたなんて、内緒だけど。
―こんな些細なきっかけで、イチゴの香りがしただけで。
出てきちゃダメだ。オレの感情なんて、今は必要ねえ。

まだ、気づきたくない。
この幼馴染への・・・・
特別な感情は、今はまだ。





 end



2006,6,18



今日はピナコばっちゃん、旦那さんのお墓参りなんです^^
密かに愛してやまない、機械鎧同盟管理人様へ捧げます(こっそり・笑)