鋼の錬金術師
Go back to the starting point
汽笛が鳴り響き機関車は大きな軋ませるような音を立てて、それほど乗降客の居ない片田舎の小さな駅を後にした。
黒い塊が目の前を通り過ぎるのを、どこか複雑な表情で見送っていた少年が大きく息を吐いた。
肩をがっくりと落とす少年は、金色の髪をわしゃわしゃとかきむしり「うがーーーーーーっ!」と喚いたかと思うと、また溜め息を吐いて肩を落とす。
・・・・・ああ、気が重い・・・・・。
どんな困難な旅であっても、弱音を吐かないと、それ相応の覚悟はできていたはずだったのだが。
まるでその場に杭を打たれて動けないかのように、少年は自らの足を動かすことができなかった。
特に左足は、なんの不都合もないはずなのに、奇妙に痛む。
国家錬金術師の試験でも、これほどのプレッシャーを感じはしなかった。
・・・強いて言えば、彼の師匠と次に対峙する時には、同じような気持ちになるかもしれない。
少年はそう考えて、一人ガタガタと震えた。
こ、殺される・・・!
その場面を想像しただけで、金色の負けず嫌いな瞳が恐怖で歪んだ。
しかし、その瞳は次第に細められて・・・ゆっくりと・・・閉じた。
少年は、必死に心に流れ込んでくるのを防いでいた懐かしさを━━不意に受け入れた。
久しぶりに降り立ったリゼンブールは、青葉が生い茂り、羊たちが食む青草が風に揺れている。
何も変わらない。
ここはいつでも、自分たちの生まれ育ったままでいてくれる。
ダブリスで修行した後、ここへ戻って来たときの胸のわくわくを思い出して、少年は苦笑した。
怖い物なんて、何もなかった。
自分たちが失うものは、もう何もないと・・・信じていたのだから。
それから、失うことになるものの大きさには気づかずに。
ああ、それでも・・・。
少年は雲一つない青空を見上げた。
帰ってきたんだ。俺たちの故郷に・・・。
風はどこよりも柔らかく、草原を渡って届く空気はどこまでも澄んでいる。
『おかえり』
『おかえり』
耳元をかすめる風たちが、そう囁いているような気がして、少年はぎゅっとトランクを握る左手に力を込めた。
いいのか?俺たちは・・・ここを・・・捨てたんだ・・・ぞ?
静かに目を閉じて、また耳を澄ます。
『おかえりエドワード』
『おかえりアルフォンス』
やはり風はそう囁いているように感じて、少年はガラにもなく感傷に浸っている自分に苦笑した。
ダメだ、やっぱり、まだ帰れない。
この優しさに、ずっと包まれたくなってしまう。
いつでも優しく迎え入れてくれるなら、今でなく、やっぱり自分自身を、アルフォンスの体を、取り戻してから・・・。
じゃなきゃ・・・いけねえ。
「アル、やっぱり・・・・」
エドワードは傍らに居るはずの、彼の弟に声をかけようと見上げて、もうとっくに改札を出ようとしている鎧甲冑の大きな背中に駆け寄った。
「アル!」
「おかえり、久しぶりだね。半年・・・それよりもっと長かったかねぇ?」
改札口で声を掛けられ、アルが「ただいま」とどこか嬉しそうな声で答える。
自分より遥かに大きな弟の腕を掴もうとして、咄嗟に動かそうとした手が動かず、トランクを放り出して左手を伸ばした。
「アル!」
「どうしたの?兄さん。切符なくしちゃったの?」
「そ、じゃなくて・・・!」
「エドワードじゃないか!おかえり。元気にしていたかい?」
ホームから改札口へと歩いてきた駅長が、転がったトランクを拾い上げ、後ろから声をかけた。
「・・・ただいま。」
ばつの悪い笑顔を浮かべ、左手でトランクを受け取ると、エドワードは駅長に小さな声で呟いた。
「なんだい、エド、元気がないじゃないか?本当に切符をなくしたのかい?」
エどワードは首を振り、改札のおばさんに切符を手渡し同じように「たただいま」と小さく呟いた。
「あの小さなエドがねえ。国家錬金術師だなんて・・・・」
駅長は年の割りにしっかりとした背中に呟いた。
アルフォンスは駅舎から出ると、思い切り両手を広げた。
この体になってから、どうしても大きすぎて目立つこの姿になってからは、心なし小さく振舞うようになった。
肉体的な疲れを感じることはなくても、背中を丸めて小さくなっている気持ちで、どこか鬱屈としていた。
しかし、ここは人の目を気にしなくていいのだ。
姿かたちが変わっても、ここはやはりアルフォンスにとってすべてを受け入れてくれる場所であること、それに変わりないのだ。
そう思うと、まるで生身の体に戻ったような気がするほど、心が軽やかになった。
もちろん、現実はそんなに甘くなくて、実際元に戻れるのがいつなのか、わかりはしなかったのだが。
エドワードが感じたのと同じように、アルフォンスもこの片田舎の優しい空気に包まれて涙が出そうだった。
素直に、嬉しくて。
そんなアルフォンスとは対照的に、エドワードは気が重くて思わずその場にしゃがみ込んだ。
「兄さん?」
いつまでたっても駅前でしゃがみこんでいる兄に気づき、アルフォンスは不思議そうに駆け寄った。
「もう、兄さん!さっきからどうしたの?早く行こうよ。久しぶりのリゼンブールだよ?」
「・・・俺たち、まだここに戻って来ちゃいけないよな?」
うな垂れたまま顔を上げることが出来ず、エドワードは呟いた。
「まだ、ここを出て、一年たってないんだぜ?」
まだあの日の燃える盛る炎の熱さと、煙の匂いが漂っている気がする。
あの日、彼らの変わりに泣いてくれた幼馴染を思い浮かべて、エドワードは瞳を伏せた。
「仕方ないよ。」
アルフォンスは大きな冷たい鎧の手を、そっと小さな背中にのせた。
そこに体温は感じられなかったが、いつでも真っ直ぐに突き進むエドワードの小さくても強い意志を感じる背中が僅かに震えていることに気づいて、言葉を飲み込んだ。
「どんな顔して・・・行けばいいんだよ?まるで、逃げ帰ってきたみたいじゃねぇか?」
エドワードがぽつりと漏らすと、ぴくりと大きな指先が反応して紅いコートが翻るほどに思い切り背中を叩いた。
「イッてぇーーーーーーーーーーーー!」
地面にのめり込むほどの力で叩かれ、エドワードは両手をついて体を支えようとしたが、右手がくずおれて地面に突っ伏した。
「おまっ!何すんだよ・・・!もっとぶっ壊れったら!」
あいつになにされるか、わかったもんじゃねえ!!
エドワードは顔についた土を袖口で拭って立ち上がり、文句を言おうとアルフォンスを見上げた。
「なんだよ!兄さんらしくないじゃないか!そりゃ、僕ら、まだ目的は達成してないけど、仕方ないよ!そんな恰好のまま、旅が続けられると思ってるの!?」
「・・・・・・っ」
二の句が継げず、エドワードは黙って右手を見つめた。
機械鎧のその腕は、人差し指以外動かなかった。
シリンダーが丸見えになっている箇所もある。
先日行った街で、ちょっとばかり暴れすぎてしまった所為で・・・少し・・・いや、だいぶ壊してしまったのだ。
「派手に暴れたからね、兄さん。」
困ったように呟いて、アルフォンスはエドワードの脇にあるトランクを持ち上げた。
「ばっちゃんに見てもらわなくちゃ。ウィンリィに怒られるのは・・・・仕方ないよ。」
スパナを振り上げて怒る幼馴染を思い浮かべて、アルフォンスはくすくすと笑い出した。
「・・・・・・・・なんか、俺たちって、ちっとも前に進んでねーよな。」
ここはスタート地点で、ゴールの場所。
だからまだ、帰ってきてはいけない場所のはずで。
それでも、多分、俺たちに許された、たった一つの場所。
「振り出しに戻る、か?」
エドワードはアルフォンスを見上げ、彼にとっては見慣れた悪戯をした後の、何ともいえない笑顔を浮かべて訊ねた。
「そうだね、『一回休み』ってとこじゃない?」
終わりの見えない旅であっても、少しの休養は許されるよ。
アルフォンスは明るく言って歩き出した。
「あ、でも、その機械鎧壊したこと、ちゃんと謝ってよ?兄さん無茶しすぎなんだから」
「うるせー!しょーがねえだろっ!あん時はなあっ」
少年たちは真っ直ぐに歩いた。
心の中に在る、唯一の故郷を目指して。
end
2006、5,28
カップリングは・・・・あれ、エドウィンではなくエドアル??(笑)
リゼンブールに初めて戻ってきた二人、ということで・・・。
本当は、この後のやりとりを書きたくて打ち始めたのですが、まとまらなくなりそうでやめました。
todoさんに捧げます。
・・・もちろん、この後ウィンリィのスパナが飛んでくるでしょう(笑)