babyish conduct
「ぼくたちって、これからいっしょに末永く暮らすべきなんじゃない?」
そう言ってソフィーを縛り付けたのは、ぼくのほう。
あれからまだ、一週間しか経っていない。
それなのに、ぼくは今も見知らぬ女性に声をかけてまわる。
「美しいお嬢さん、ぼくと一緒に紅茶でも飲みませんか?」
ぼくの微笑みに相手のご婦人は頬を赤く染めて、値踏みするように視線を走らせる。
「ええ、よろしくてよ。貴方のお名前は?」
ぼくはその白い手をとって、確かめるように指先に口付ける。
「ぼくの名は、カイン。」
真っ赤になって、それでも手は引っ込めたりせず、うっとりとぼくを見つめるそのご婦人は、恋の駆け引きをしたいとうずうずしてる。
それなのに、ぼくはどこか冷めた気持ちのままその腰に腕を廻す。むせかえるほどの香水の匂いに、思わず息を止める。
・・・こんなに密着しても。
ぼくは歩き出したその足先を路地裏へと向けて、人込みを抜け出す。
「どこにあるのですか?貴方が紅茶をご馳走してくださるお店は?」
少しばかり戸惑いの滲んだその声に、残酷なほど心臓は静かで。
「ここですよ。貴女の美しい唇に、ぼくの香りを楽しんで欲しくて」
そのつんとした顎に手をかけると、身をかがめてキスを落とす。
驚いた顔をしながらも、やがて、うっとりと目を閉じるその表情にぼくは寒気すらしだしていた。
心臓が戻っても。
やっぱり、堕ちた女性にはときめかない。
声をかけるその瞬間、手に抱いたその時は、確かにわくわくしてたのに。
「・・・カイン・・・」
唇を離すと、甘えるようにぼくの胸元に頬を寄せ、名前も知らないそのご婦人は、もっと、と瞳を輝かせて強請る。
「ああ、失礼。これから仕事があるのをうっかり忘れてた。」
ぼくの心臓が少しも早く打たないのを気がつかないのだろうか?
「そんな!カイン、貴方が仕掛けてきたのに。」
「それは・・・」
ぼくは酷く気持ちが落ち込むのを感じながら、そのご婦人に微笑んだ。
「あなたの唇も、ぼくを欲しがっていたからですよ?気持ちよかったでしょう?」
「なっ・・・!」
「ああ、さっきぼくたちを少し若作りな青年が凍りついたように見つめてたけど?」
貴女の知り合い?
ご婦人は、慌てて周囲に瞳を走らせると、不安そうに口元を押さえ、ぼくを睨みつけて大通りへと駆けて行く。
その後姿を見送って・・・ぼくは唇に付いた紅を無意識に拭う。
そして、大きく溜め息を付いた。
「・・・ぼくは一体・・・何をしているんだ?」
* * *
城の中からは明るい笑い声が響き、ソフィーがマイケルに皿を出して! とか、カルシファーに火加減を注文する声が聞こえる。
その声が、最近までしわがれた声で90歳のばあさんだったんだから。
ぼくは扉の前で、回れ右してうな垂れる。
心臓が、急に暴れだすのは何故だろう?
ぼくは一体、どうなってしまったんだ?
あの時・・・心臓が体の中に戻ったとき、確かに感じた愛しさは、随分前に失くした感覚。
目の前に飛び込んできたうねる様なあかがね色は、まるで突然訪れた恋を祝福する花束のように、ぼくを覆いつくした。
呪いが掛けられていた少女が、あの時ぼくが声をかけた娘さんだったことは、ぼくの戻ったばかりの心臓を『なんて運命的!』と、ときめかせた。
『逃がすな!』
頭の中の声に従って、ぼくはソフィーを捕まえた。
ソフィーは、どうだったんだろう?いいとこなんて見せた覚えがない。
情けなくてだらしなくて、そんな姿を曝け出してきたのに。
彼女は笑って答えてくれた。
なのに、ぼくは試さずにいられない。
『本当に、ぼくはソフィーを好きなの?』
『ソフィーは本当にぼくを好きなの?』
試して試して。
それが、本当の想いだと確信できるまで。
ぼくはソフィーと進めない。
「はあ・・・。」
大きく溜め息をつくと、寄りかかっていた扉が開き、ぼくは内側によろけるように転がり込む。
「何やってるの?」
「ソフィー!」
倒れ込んだぼくに、呆れたように腰に手をあてて彼女は苦笑する。
「また何か買い込んで来たの?」
こんなとこで何時間立ってるつもり!?
そんな憎まれ口を言いながら、はにかむ姿にまた心臓が跳ね上がる。
「そんなんじゃないよ。」
ぼくは思わず目を逸らして、不思議そうに覗き込むソフィーから逃げるように立ち上がる。
このお嬢さんときたら、恐ろしく知りたがりで、ぼくの心の中まで暴こうとするから。
「それより、ソフィー。ぼくが居ない間、何か変わったことはなかった?」
おかえりなさい、とマイケルが笑顔で言えば、カルシファーは青い顔を曇らせて暖炉から飛び出してくる。
「・・・ハウル、お前!毎日何やってんだ!」
「しぃっ!ソフィーに聞こえちゃう!」
ぼくは「とくに変わったことはないわ」とスープ皿を手にして背を向ける彼女に聞こえないよう、ひそひそと告げる。
「さあ、夕ご飯にしましょう!ハウルも上着を脱いでちょうだい」
ソフィーはひらひらの上着を掴むと、そっと肩から滑らせるように上着を剥ぎ取る。
「今日もあんたはよく働いてくれたのね。お疲れ様」
ソフィーは上着に労いの言葉を掛ける。
――ずきんと胸に痛みが走る。
椅子に無造作に座るぼくに、カルシファーが「大バカモノ!」と毒づく。
急にさっきのことを思い出して、自己嫌悪に拍車がかかる。
「あんた顔色が悪いわよ?」
心配そうに白くて華奢な指先を伸ばして、ソフィーはぼくの髪に触れようとする。
ぼくは慌てて立ち上がる。
『ぼくに触れないで!』
「今日は夕ご飯はいいや。お腹すいてないんだ。それより、お風呂に入ってくる」
「ちょっと、ハウル!?」
「カルシファー、お湯を!」
「ああ、早く入っちゃえ!熱湯にしてやるよ!」
指先を宙に彷徨わせたまま、ソフィーの瞳に不安そうな色が宿る。
違うんだ、そんな顔を見たいわけじゃないんだ。
ああもう、どうして。
よろよろと頭を押さえながら歩くぼくに、マイケルが心配そうに駆け寄る。
「ハウルさん、風邪ですか?」
「大丈夫だよ。ちょっと眩暈がするだけ。」
浴室のドアノブに手をかけて、ぼくは少し勇気を出して振り返る。ソフィーは、深呼吸するとカルシファーに笑顔を向けた。
「さあ、カルシファー。あんたにもご馳走してあげるわ。」
その肩が少し震えている。
抱きしめたい。でも、出来ない。
ぼくはそっと扉を閉めた。
* * *
シャワーのカランを捻ると、熱い湯が白い蒸気をあげて勢いよく降って来る。
カルシファーは言葉どおりの熱湯を送ってよこした。
ぼくのしている、馬鹿げた行動に対する警告。
わかっているさ。
だけどね、ぼくは。どうにもできない。身動きがとれない。
ソフィーを抱きしめたい。
「ぼくはあんたを。 」
そこから先のことばを・・・ぼくはまだ告げられない。
探して探して、ようやく見つけた・・・。
今目の前の少女は、ぼくの気持ちを知っているのだろうか?
『こんなにも幼稚な想いを受けとめてくれる?』
試して試して。
まだ時間はある?
ソフィーだって、ぼくを好きかなんてわからない。
いつもいつも一緒にいて、あんまり情けないから頷いたのかもしれないし、それとも何度か助けてあげて、何だっけほら、ホラー映画を一緒に見ると怖くてどきどきしたのを恋愛感情と勘違いするってヤツかな?
・・・だとしたら、長くは続かない。
戻ったばかりの心臓がそんなことには耐えられないと悲鳴をあげる。
この想いが本物だったら、それからあんたがぼくの元を去っていったら。
ぼくの心臓は鼓動を止めるだろう。
――それくらいなら。
これ以上、深い入りしちゃいけない。
ぼくは、あんたに触れられない。
これ以上、気持ちのコントロールが効かなくなってからじゃ、遅い。
手遅れになる前に、どうか、これ以上本気になる前に。
ぼくへの気持ちに気づいて。
今ならまだ、逃がしてあげられる。
ぼくも、本当にこの想いが『恋』と呼べるのか自信がないんだ。
「ぼくは、どうして、こんなに臆病者なんだ?」
壁をドンと叩いて、ぼくはうな垂れる。
「支離滅裂もいいとこ。こんな感情、どこに隠れていたの?」
シャワーが肌を叩きつけるのをじっと受け止める。
焼け付く肌が、何を求めているかを無視して。
* * *
ぼくが浴室から出ると、城の明かりは落とされていて、暖炉でうつらうつらしているカルシファーの青白い炎だけが揺れていた。
「みんな寝たの?」
暖炉の前の肘掛け椅子に腰を下ろすと、カルシファーはちらりとぼくを見る。
「・・・ソフィーは、どうだった?」
「なんのことさ?おいら知らないよ!」
火の悪魔は薪を抱きなおし、ふん!と横をむく。
「なんだい、おまえ、ソフィーにそっくりじゃないか!」
くすくすと笑うと、カルシファーは大きく薪を爆ぜて睨みつける。
「あんた何のためにソフィーにあんなこと言ったのさ?おいらてっきりプロポーズしたのかと思っていたのに!」
「おや、おまえ、あのときはあの場所に居たのかい?」
足の上でひじを折り頬杖をついて眺めると、カルシファーは面白くなさそうに目を瞑る。
「・・・ソフィーが話していたんだよ!あの日の真夜中。それはそれは、恥ずかしそうに、嬉しそうに。
『あたしは、ここに居ていいのね?迷惑じゃないのね?ハウルを好きでいいのよね?』
って!おいら、あんなソフィー初めて見たのに。」
ぼくは驚いて身体を起こすと、目の前の炎を凝視した。
「ソフィーが?」
「それなのに、おまえは何してんだ?今までと同じ、あちこちの女に声をかけて!・・・あれは、あの言葉も、今まで女に言ったのと一緒なのか!?」
「カルシファー、それじゃあ・・・」
胸に膨らむ想いに、震えだす体を知らず抱きしめる。
「さあ、ソフィーにちゃんと答えろよ!」
カルシファーの言葉が、ぼくをすり抜けて背後に向けられて、静かに佇む気配に慌てて振り返る。
「ソフィー!」
そこには蒼白になって、唇を噛み締めるソフィーが居て、ぼくを食い入るように見つめていた。
・・・その両手でぼくの上着を抱えながら。
「ハウル、あたしったら、やっぱり考えなしだったみたい。」
唇ががちがちと音をたてて、ぼくの上着で顔を隠す。
「ソフィー!」
今、どんな顔をしてるの?
「あたしったら!あんた、行く宛てのないあたしを心配してくれたのに。あたしは勘違いしてたのね!」
声が上着に吸い込まれて、くぐもった声しか聞こえない。
「ソフィー!」
ぼくはソフィーに駆け寄って、その両手にそっと触れる。
流れ込む圧倒的な想いに、息を呑む。
心臓がまた苦しそうに暴れだす。
「・・・ハウル、ごめんなさい。あたしったら・・・・!」
ゆっくりと顔をあげたソフィーの瞳は真っ赤で、その端には涙が湛えられていた。
「・・・知ってたのよ。あんたが毎日ご婦人と会っていたこと。」
差し出された上着の・・・ひらひらとした袖口に禍々しい紅を見つけ、ぼくは冷たい氷を体中に流し込まれたような気がした。
「っ・・・!」
「あたしは、ここに、掃除婦として・・・」
搾り出すかのようなソフィーの声に、頭の中の何かが弾けとんだ。
ダメだダメだダメだダメだ!
「違う!ソフィー、ソフィー、ソフィー!」
震える肩を引寄せて、抱きしめてしまった。
もう隠せない。止められない。騙せない。
どんなに苦しくても、この存在を手放すことなんて、できっこない!
「ぼくはあんたを・・・っ。」
心臓が痛いほどに突き刺さる。それは、あんたを失う恐怖。
そんな恐怖感に耐えられず、ぼくから手を離してしまおうなんて。
できっこないのに!
だって、あんたはもうぼくにとって。
「ぼくはあんたを・・・愛してる」
ぎゅうっと強く抱きしめるほどに、腕の中のあんたへの想い・・・
愛しさが堰を切ったように溢れ出す。
「ごめん、ごめんね、ソフィー。怖かったんだ。あんたへの想いがなんなのか、心を傾けることに目を瞑って生きてきたから。」
もうずっと、誰かを愛することなんてないと思ったから。
こんなぼくをあんたが愛してくれるわけないと思ったから。
どん!と胸を叩くソフィーに慌てて腕を解く。
けほけほと苦しそうに咳き込むソフィーの腕を掴んで、ぼくは俯いて目を硬く瞑る。
ああ、こんなに酷い仕打ちをして。
あんたは許してくれないだろう。
それでも、ぼくは。
「ソフィーが好きだ。もう止められない。こんな情熱、ぼくは知らない!」
ぎゅっと握り締めたその指先に、ぽたぽたと何かが落ちて濡らしていく。
はっとして目を開けると、ソフィーが唇を噛んで涙を流していた。
「あんたって、ずるい!どうせこれも、あんたのお遊びなんでしょ!ふん!・・・それなのに、それなのに・・・・。」
絶望的な気持ちで、それでもしつこく手を離せずにいるぼくを見上げて、ソフィーは悔しそうに呟いた。
「あんたがあたしを嫌いじゃないことが・・・こんなに・・・嬉しいなんて!」
「ソフィー!」
思わずぼくまで泣きたくなって、ソフィーを抱えあげ、おでことおでこをぶつけて瞳を覗きこむ。
あんたはぼくに堕ちてくれたの?
ねえ、それなのに、ぼくの鼓動はどんどん速くなる!
「・・・ぼくって案外、執着したらしつこいみたい。ソフィー、覚悟はいい?」
覗き込んだソフィーは、花が綻ぶように笑い、ぼくの首にしがみ付いた。
「あの日から、とうに覚悟していたわ!わがままで臆病な、魔法使いさん!」
(おわり)
web up 2009,10,16
ハウル原作アンソロの原稿です。
うわー懐かしい。
これは<恋をはじめる二人のリハビリ日記>(2005,8,30〜9,11)の第一弾として(自分の中で)打っていたものです。
この後日談的なものが
真実と噂の時間差―ハウルsaid―
真実と噂の温度差―ソフィーsaid―
温度の伝わる時間―そして恋を始めよう!
なのです。
よろしければご一緒にお楽しみください。