うる星やつら




ある初夏のできごと






「ただいま〜」
あたるは言いながら靴を脱ぎ、台所へ直行した。
「かあさん」
辺りをを見回すが、家の中はシンと静まり返っている。
「なんだ、誰もおらんのか。」
汗を腕で拭いながら、冷蔵庫を開けてみるが寂しいことにほとんど空の状態である。
「しけた冷蔵庫だな。」
ということは、買い物にでも出かけたのだろう。
持ち上げた麦茶のボトルは中身がほとんどなく、冷たい飲み物を欲していたあたるは口を大きく開けて逆さにしてみる。
あーんと口を開けて待つが、ぽたりぽたりと数滴落ちてくるだけで、乾いた喉を潤すほどではない。
「なんでこんなもんが入ってるんだ?」
あたるは渋々コップを手にとると、水道の蛇口をひねり水を注ぎ入れぐいっと一気に飲み干した。
その水道水は生ぬるく、ガールハントが空振りで終わったこともあいまって、あたるはがっくり肩を落とした。

今日は珍しくラムも居ないというに。

「うち、明日は弁天とおユキちゃんと買い物に行ってくるっちゃ。」
「ほー、そうかそうか。」
窓から夜風が入り込んで、ラムの髪を揺らす。
「ダーリン、うちがいないからって、ガールハントもほどほどにするっちゃよ?・・・っ、もーこの部屋一匹蚊がいるっちゃ・・・!えい!」
「うっとおしい、飛び回るな。」
「窓あけてると、蚊が入ってくるっちゃ・・・!えいっ!このっ!」
蚊を追いかけて狭い部屋中を飛び回るラムが、「ダーリン蚊取り線香は?」と尋ねる。
「しらんわい。」
「あ〜っ!この蚊"キュウコウ蚊"だっちゃ!」
「ふざけた名前じゃ」
「宇宙蚊だっちゃ。}
小指の先ほどの大きめな虫が動きまわり、パチン、パチンと手を叩いてラムが追いかける。
「こいつに咬まれると、大変だっちゃ!」
周囲を飛びまわるのが煩わしくて、あたるは背を向けて漫画に集中した。
「蚊より、おまえの方が悪いわい」
「何言ってるっちゃ!こいつは血と一緒に運も吸いとるっちゃよ!?」
結局、意外と動きの早かったその蚊は捕まえられず、ラムは地団駄踏んでいた。

昨晩のことを思い出し、あたるはぶつぶつ言いながら階段を上った。
「せっかくの"鬼の居ぬ間"だというのに、あまりの暑さに女の子も出歩いとらん。」
開け放たれた窓から、熱風が吹き付ける。
「まだ6月だというに、なんちゅー暑さじゃ」
どかりとテーブルの前に座り込んで、その上に突っ伏した。
「ったた」
後ろ首に痛みを感じ、振り向くと、昨日ラムが追い掛け回していた蚊が丸々と太って窓から出て行くところだった。
「まだおったのか」
後ろ首に手をあてると、少し腫れて熱を持っている。
「キュウコウ蚊って言ったか?」
今日はついてない。
いや、今日も、か?
ふと、水滴を感じて顔をあげる。
目の前に、良く冷えている瓶がある。
「・・・なんじゃい、これは?」
持ち上げて底から覗いてみる。
それには、ちょうど炭酸飲料のようにシュワシュワと気泡が浮かぶ薄いピンクの液体が入っている。
側面には見覚えのない文字。
「ラムのか?」
あいつ、もう帰っとるのか。

以前、ラムの置いておいたジュースを飲んでボロボロ泣かれたことがあった。
あの時は、泣いてしまったラムに、よほど飲みたかったのか!と罪悪感を感じたのだが、随分経ってから、あれは目薬だったと聞かされた。

しかし、今日の瓶は、あの時のものではない。
それに良く冷えていて・・・とても美味しそうに見える。
あたるは角度を変えてみたりして瓶を眺めていたが、にやっと笑って蓋に手を掛けた。
「お、すぐ開いたわい」
蓋を開けてみると、瑞々しい林檎に似た香りが漂ってくる。
「・・・これは大丈夫そうだな」
あたるはゴクゴクと飲み干すと「ぷはーっ」と満足そうに口を拭き、瓶を置いた。
「んまいっ。」
「あーダーリンっ、何飲んでるっちゃっ!!」
「おう、ラム。もらったぞ。」
ラムは両手に何か得体の知れない機械を抱え、窓から室内に入って来ると、飲み干した瓶をぷらぷらと振るあたるの目の前にその機会を放り投げ、腰に手をあてて大声をあげた。
「それ、うちのだっちゃ!」
「ケチくさいことをいうな。」
もう飲んでしまったわい。
ケケケ、と笑うあたるの首筋に、ラムはハートマークに似た腫れを見つける。
「ダーリン、首、どうしたっちゃ・・・・それは・・・・"キュウコウ蚊"の咬み痕・・・・!」
窓の外からドッドッドッという爆音と共に、弁天の声が響く。
「なんでい、おめえんとこの亭主は変わったもの飲むんだな」
「本当ですわね。あれって飲むものでしたかしら?」
「弁天さま〜!おユキさ〜ん!」
立ち上がって両手を広げて向かうあたるに、ラムが呆れたように宙であぐらをかいて見ている。
「ホントだっちゃ。地球人の味覚、おかしいっちゃよ。これは・・・」
「ささ、再開の抱擁を!」
あたるが窓から身を乗り出して抱きつこうと腕を伸ばしたその瞬間、弁天とおユキは顔をしかめ、バイクを急上昇させた。
「うわっとっとっ」
抱きしめ損ねて、落ちそうになるあたるのシャツを引っ張ったラムも、凍りついたように息を止め、あたるを室内に放り投げて窓の外に出た。
「いったーーーーーーー!なんだっちゅーねん!」
あたるは思い切り机の角に頭をぶつけ、涙目になりながら窓枠から身を乗り出して、空に向かって叫んだ。
「おい、ラム、なんのつもりじゃい!」
「ダーリン、うち、しばらく帰らないっちゃ。」
ラムは口元を押さえ、心なしか顔色も悪く、よろよろと弁天のバイクの留まっているところまで飛んで行く。
「おい、ラム、大丈夫かよ?」
弁天がラムを抱きかかえるようにしてバイクに引き上げると、おユキの前に座らせた。
「おい」
その体の急変に、あたるもさすがに心配になったのか、空の一行に向かって大声を張り上げる。
「ラム、いいのかよ?」
「いいっちゃっ。ダーリン、気をつけるっちゃよ」
早く離れるっちゃ!
爆音が響いて、弁天のバイクは成層圏の向こうに消えた。
訳がわからず、取り残されたあたるは「なんのこっちゃい?」と眉を顰めた。
しかし、すぐに手をぽんと打ち、「しばらくラムが居ないということは、邪魔されないということじゃないか」と一人ごち、うしし、と笑った。



朝になっても、ラムはあたるの部屋を訪れなかった。
教室に入り席に座っても、ラムは現れない。
「どうやら、本当にしばらく帰らんようだな」
ぼそぼそと独り言を呟き、うしし、と笑うあたるに、しのぶと終太郎が歩み寄った。
「おはよう、あたるくん」
「ラムさんは?」
「知らん」
あたるはすかさずしのぶの腰を抱くと「しのぶ、今日は朝から美しい。さあ、デートしよう」と迫る。
「朝から邪魔だ!」
竜之介にカバンで頭を叩かれ、しのぶには思い切り机にねじ伏せられるが、あたるはすぐに起き上がり、
「竜ちゃん、今日という日は、君の為にある。愛の誓いを・・・」
と口付けを迫ってみせる。
「だーかーら」
竜之介は両手であたるの顔を押しのけると「邪魔だって言ってんだろ〜!」と思い切り突き飛ばす。
刀の柄を握り締めた終太郎が、鞘から刀を抜くと、そのままあたるに向かって振り下ろす。
「何をする、殺す気か!」
あたるは両手で刃を挟み、斬りつけようとする終太郎に怒鳴りつける。
「ラムさんはどうした」
「知らんわい!しばらく帰らん。」
「きさま〜っ!ラムさんに何をした!」
「何もしとらんわいっ!」
再び斬りつけようとした終太郎から逃げるように、あたるはぽ〜んと飛び上がり、その顔面を踏みつけると、教室から飛び出した。
「待ていっ!」
「誰が待つか」
追いかけてくる終太郎に舌を出すと、目の前に温泉マークの姿が見えた。
「諸星っ、何しとる!もう始業時間・・・」
「そこをどけっ!」
あたるは刀を振り下ろす終太郎を、温泉マークを盾にしてかわす。
緊迫した雰囲気が漂う中、しかしその前を歩いてきたランを見つけると、あたるはしゅたっと駆け寄っていく。
ランはあたるに気づき、「あら、おはよ・・・」と笑顔で挨拶をしかけたが、思い切り後ずさり口元を覆って顔を真っ青にさせた。
「蘭ちゃ〜ん」
抱きつこうとするあたるを思い切りどつき返し「きゃーーーーーっ!!!」と悲鳴をあげたかと思うと、踵を返し走って逃げた。
「???」
同じような反応を、昨日のラムや弁天もしていたことを思い出し、あたるは自らの手をじっと見つめた。
「諸星っ」
温泉マークが怒り心頭で走りよって来たので、両手を突き出してみるが、あっさりと両手を掴まれる。
次の瞬間にはYシャツの襟を掴まれ引きずられるようにして教室に入った。
「これじゃないのか」

授業中、あたるはくるくると鉛筆を指先で回しながら、昨日と今日の出来事を思い返し、一つの仮説を立て、一瞬青ざめたがすぐに気を取り直してニヤついた。
「にゃはは」
あたるは嬉しそうに笑い、終業時間を待った。




「なんでか知らんが、ラムはわしに近づけんらしい。」
あたるの仮説はこうだ。

理由はわからないが、ラムはあたるに近づけないということ。
それはどうやらラムだけでなく、弁天やおユキや蘭にもあてはまるということ。
しかし、地球人には特にそのようなことはないようだということ。
ただし、この状態がどれほど続くのかはわからない。
「明日どうなるかわからんからな。」
あたるはとにかく今日ならば、ラムの電撃をくらわずに女の子に声をかけられるのでは?という嬉しい考えに浮かれているのだ。

あたるは嬉々とした表情で手帳片手に女の子に片っ端から声をかけて回る。
「ねえ、そこのきみ!一緒にお茶のまない?」
「やあよ、あんたみたいに軽そうなヒト」
「いやだなあ、ぼくほど真面目なオトコはいないよ〜。」

「わー!美しいお姉さま!ぼくとデートしませんか?」
「急いでるのよ、ごめんなさい」

「かっわいい、きみ!一緒にあそばない?」

「電話番号おせーて!」

その様子をモニターで見ていたラムは、肩を震わせてボタンを押した。
「ダーリン、いい加減にするっちゃっ!」
大音量で声が響き、あたるは驚いて空を仰いだ。
ラムの宇宙船が、上空に見える。
しかし、ラム自信が降りてくる様子はない。
「やはり近づけんようだな。」
くふふ、と含み笑いをして、あたるはどこからか拡声器を取り出し、上空にむかって声を張りあげた。
「こんなチャンスは中々ないんでな、好きにさせてもらう!」
べーっと舌を出して見せ、何事もなかったかのようにあたるはまた女の子に駆け寄っていく。
「ダーリン!」

その様子を映すスクリーンの前で、ラムは電気を放電しながらわなわなと震えていたが、電話の音と共に画面が切り替わり、おユキが映し出される。
『ラム、やっぱり地球人の体質の問題の所為ですって。薬問屋に問い合わせたんだけど・・・』
おユキの説明に聞き入っていたラムは、大きく溜め息をついて「ありがとうだっちゃ」と電話を切った。
そして再びガールハントにいそしむあたるを見つめ、にやりと笑った。
「・・・・今のうちだっちゃよ。」
画面に映し出されるあたるは、ただただ嬉しそうに女の子を追いかけていた。




帰宅したあたるは満足そうに手帳を眺め「明日は了子ちゃんの学校まで行こう」と、にやついていた。
「相変わらず、しまりのない顔やの〜」
窓からフワフワと宙を泳ぐようにして入ってきたテンが呆れたように呟く。
「ジャリテン、おまえ平気なのか?」
あたるは不思議に思いながら、テンを見つめてはっとする。
「もしや、もうこの天国が終わるんじゃなかろうな!?」
「なにゆうてんねん。おんどりゃ、ここのとこの暑さのせいで、ますますおかしなったんとちゃうか?」
テンはそのまま階下に向かおうとして、振り向いて告げた。
「そや、ラムちゃんまだ当分こられへんゆうとったぞ。」
その言葉に安堵し、あたるは再び手帳を眺めてにやついた。
「もうすぐ地獄に落ちるんやって、教えるのやめとこー」
テンは台所で夕食の支度をするあたるの母親のところへ向かいながら、呟いた。




「おはよーかあさん。」
今日もいい暑さだね!などと満面の笑みを浮かべながら、あたるは階下に下りた。
すると、あたるの母親は急に真っ青になり「いやー!」と叫び、ちゃぶ台をひっくり返して家から駆け出した。
呆気にとられた父親とあたるは、ぐちゃぐちゃになった朝食を見つめた。
「・・・も、もしや・・・!」
あたるは嫌な予感がして、慌てて玄関のドアを開けた。
「不吉じゃ!」
錯乱坊がどアップで迫り、あたるは驚いて玄関に尻餅をつく。
「お前の顔が一番不吉じゃ!」
あたるは聞きなれたその台詞より、頭に浮かんだ恐ろしい事に恐怖を感じて玄関を飛び出した。
「きゃーーーーーーーーーー!」
「いやーーーーーーーっ!」
通学・通勤で道を歩く人の・・・女性だけが大きな悲鳴をあげて逃げていく。
「こ、これは・・・・・!」
絶句するあたるの頭に、テンが泳ぐように近づき、にやにやと笑う。
「おまえ、当分、女の子に近づけんぞ。」
「どういうことじゃ」
テンを捕まえようと手を伸ばすが、捕まえられず、偶々通りかかった女子生徒が一際大きな叫び声をあげて逃げて行く。
「なにがどうなってるんじゃ!!」

「懲りないヤツだな。」
「効力はどれくらいなんだ?」
「多分・・・一週間くらいじゃないかって」
ラムとラン、そして弁天とおユキは、スクリーンに映し出された、あきらめ悪く女の子に近づいては絶叫と共に逃げられるあたるの姿に、溜め息をついた。
「蚊避け用の薬なんて飲むからいけないっちゃ。」
「地球人のほうが効き目が遅かったわね。」
「しっかし、蚊にしか効かんはずの薬が、諸星のやつの体の中で化学反応おこしちまうとはな。」
「蚊はメスしか吸血しないから、メスにだけ効くって書いてあるけど・・・」
「ダーリンには、いい薬だっちゃ!」
ラムは呆れながら呟いた。

「運も急行下、だっちゃ」

可哀相な愛しいダーリンを見つめ、ラムは微笑んだ。





おわり!







2007,6





相棒こと海が好きさんへのお誕生日にプレゼントしましたv
ギャグセンスのなさを痛感したお話でした〜><