時をかける少女
n a m e
〜それは言霊
「あーつまんねぇな。こんな雨ばっかじゃ、キャッチボールもできねーよ」
両腕をダラリと垂らし、机に突っ伏すようにしている千昭が、窓の外を恨めしそうに睨んだ。
「仕方ねーだろ、梅雨なんだから。」
「梅雨ってなんだよ。ジメジメしてて鬱陶しいんだよっ!」
「お前、どこの国の住人だよ?」
「あぁ?決まってんだろ、ニホン・ジャパン・シマグニーだよっ」
「だったら、こんなの毎年のことだろーが」
「あーもーうるさいなっ!気が散るってば!」
功介はメガネを少しずり上げると、ぐだぐだと愚痴る千昭から「もー!!」と頭を掻きむしる真琴へと視線を移した。
「で、真琴はさっきから何やってんだよ?」
休み時間だというのに、珍しく辞書を広げて忙しなくシャーペンをカチカチ鳴らしている。
「え〜?これ、何?どうゆう意味?こんなのわっかんないよっ」
功介の言葉なんてまるで聞こえていないように、真琴は教科書と辞書とを見比べている。
千昭はそれまでの拗ねたような表情から一変して、がばりと起き上がると、功介が覗き込む隣から、真琴の机を見た。
「・・・古典?まさか、お前、昨日までの課題、提出しなかったの?」
功介は呆れながら呟いて、「悪い?」と睨む真琴にでこぴんを喰らわせた。
「ったたたた・・・!だって、功介、ノート見せてって言ったのに、見せてくれなかったじゃん!」
「あったりまえだ。涎たらして授業中に寝てる、真琴が悪いんだよ」
「も〜!なんで昔の人って、こんなに難しい言葉遣いしてんの?漢字多すぎ、意味違いすぎ、あたしは今を生きてんのよ?昔の言葉なんて知らなくても、別に困んないのにぃ〜!」
「おいおいおい」
「うひゃひゃひゃ、真琴、それ俺も大歓迎。漢字知らなくてもじゅーぶん生きてける!」
「小学生レベルの漢字がわかんない千昭と一緒にしないでよ!」
「なんだとぉ、真琴」
「お前ら、いい加減にしろよ。ほら、真琴、いいからやれよ」
子どもの喧嘩のようだ、と功介が溜め息を吐くと、しかし、真琴は急に真顔になって二人の親友に向き直る。
「でもさ、漢字は大事だよね?」
「はあ?」
「なんだよ、真琴?」
怪訝そうな二人をまじまじと見つめ、真琴は真っ白なノートに文字を書き始めた。
紺野 真琴
津田 功介
間宮 千昭
3人の名前を書くと、真琴は嬉しそうに笑って「ね?」と首を傾げた。
「何が?」
「お前、ついに頭イカレた?」
わけのわからない二人は顔を見合わせ、不安そうに眉を顰めると真琴の顔を覗き込んだ。
「ちがーう!ほら、なんの授業だっけ?言霊思想って習ったでしょ?」
「言霊?」
「そう」
首を傾げる千昭に、真琴は思い切り頷いて見せる。
「言葉に命が宿るってやつだろ。」
「そう!」
椅子の背もたれに片腕をかけながら、功介が言うと、真琴はいよいよ嬉しそうに頷いた。
そして再びノートを持ちあげると、名前の書かれたソレを二人の目の前にぶら下げた。
「ね、こうやって見ると、名は体を現すって本当だな〜って思うよね。」
「名は・・・何?」
「名は体を現す。人の名前や物の名称は、実体そのものをよく表現しているってことだ。」
功介の言葉に千昭が曖昧に頷くと、「でね!」と真琴はニヤニヤしながら顔を近づける。
ノートを机の上に置き、自分の名前に丸をつけると、得意げに二人を見た。
「あたしなんて、真琴、でしょ。なんていうの?真実の真に、琴でしょ〜?
琴の音のような繊細で美しい・・・って、もう〜ぴったりだよね!」
「はあ?」
「どこが?」
思い切り不満気な表情の二人を無視して、真琴は続ける。
「でね、でね、功介はさ、"功績を称える"の功でしょ、努力とか工夫とかして手柄を立てるって、なんか功介っぽくない?」
「う〜ん、なんとなく?」
「ぽいんじゃなくて、俺はいつもちゃんと努力してんだよ!」
「そして、千昭!」
真琴は千昭の名前に丸をつけると、頬杖をしてにこにこ笑った。
「漢字読めない千昭だけど、数学はめちゃくちゃ得意でしょ?数字の千。それだけじゃなくて、千って永遠って感じもするよね!?そして照明の照。明るく照らす太陽っていうか、万年太陽?あたし太陽って大好きなんだよね。」
暑苦しそうだな〜なんてひとりごちて、笑う真琴に、功介が柔らかく微笑む。
千昭は片手で首をかき、照れたような表情を浮かべた。
「紺野、とか、津田、とか、間宮だって、昔の祖先の仕事だったり、生まれ育った場所を示してたり、調べると意外と面白いんだよね〜。」
「お前、それ中学の時、歴史の時間中にやってて怒られただろ?」
「そうだっけ?」
真琴と功介のやりとりを眺めながら、千昭はリストバンドを見つめた。
――自分の名前が、そんな風に解釈されるなんて、千昭は思っても見なかったから、それはとても新鮮でこそばゆいものだった。
(俺の名前・・・漢字には、そんな意味があったのか。)
漢字などというものは、すでに消えうせてしまった自分の時代に、千昭は急に寂しさが込み上げた。
今まで、記号くらいにしか感じていなかった"漢字"。
普段の生活から、切り離された存在。
何故、こんなメンドクサイものが名前に使われているのか、千昭は理解できなかった。
名前に刻まれた、長い時間の中で密やかに息づいてた様々な想いがそこに宿っているなんて、考えたこともなかった。
(この時代には、ちゃんと意味があったんだ。)
「だから、あたし、結構漢字好きなんだよね〜」
それは真琴にとって深い意味などなく、まして意図して話しているわけではなかったが、確実に、千昭の何かに触れる言葉だった。
千昭は胸に込み上げる不思議な感覚に、功介に視線を移した。
「琴線に触れるって、知ってるか?心の中の糸が何かによって震えることなんだけどな。
琴っていう字、真琴の琴だ。」
「わっ、こんなことしてる場合じゃなかった!!」
予鈴が響く中、泣きそうになりながら辞書をめくりだした真琴を見つめ、功介は千昭に語りかけた。
「普段、どうしようもない馬鹿だけど、こいつの名前も、体を現してて、そして、言葉に命が吹き込まれてるんだよな。」
功介の言葉に、千昭は「功介ってば、ロマンチスト〜!」と笑って見せた。
心の中では、静かに頷く自分が居るのを意識して。
「うわ〜ん、これじゃ課題倍にされちゃうよ〜!」
「言霊宿った!真琴、それきっと本当になるぞ」
「ええええ!?」
頭を掻きむしる真琴に千昭は意地悪く言いながら、ふっと目を細めて見つめた。
―― 太陽は、お前だよ、真琴。
真琴の言葉が、暗くよどんだ自分の未来まで、明るく照らし出したような、そんな気持ちになって、千昭は目を閉じて微笑んだ。
窓の外の雨は、いつしか止んで、水たまりに太陽の光りが反射しだしていた。
千昭は校庭の水たまりに視線を落として、小さく呟いた。。
「もっと一緒に居たいなぁ」
「何か言ったか?」
振り向いた功介に「なんでもねーよ」と答えて笑った。
もうすぐ、夏が来る。
もう少し、もう少し。
こいつらと、一緒に。
――それは千昭が密かに言霊に託した願い。
2007,8,2
top
other top