時をかける少女



graduation







「在校生代表、津田功介」

壇上で凛とした声を響かせ、功介が頭を下げるのを真琴は欠伸をかみ殺しながら眺めていた。
悠然と壇上から降りる功介は、堪えきれず大きな口を開けた真琴を見咎めると眉間に皺を寄せた。
慌てて居住まいを正すけれど、司会を務める教頭にもその大きな口の中を見られたようで、マイク越しに「ん、んっー!」と言葉にならない警告をおくられる。
隣に座る友梨までも、「こらこら」と肘で小突いてきた。
送辞も終わり、長い長い卒業式も後は卒業生からの答辞と歌を残すだけ。
真琴は「へへへ」と愛想笑いを浮かべ、自席に戻ってきた功介にげんこつを食らうと「ったー!」と小さく呻き両手で頭を押さえた。

耳に届く涙交じりの言葉は周囲の涙も誘い、そこかしこですすり泣きが響く。
涙を誘うような卒業生の言葉が続く中、真琴はまだ痛む頭を擦りながら、講堂の窓の外を見つめた。
春はすぐそこまで来ているのだろうけれど、旅立ちの日には似つかわしくない曇り空は寒々しさを伝えるだけ。

「桜、は、まだ咲かないよね〜・・・?」
「今咲いたら入学式の頃寂しいじゃん」

真琴の呟きに友梨が小さく答える。

「・・・だよね」

窓の向こうで揺れる桜の木の枝には、蕾が見える。

「咲いてた・・・そっか、咲いてたんだ」
「え?」
「なんでもない、なんでもない」

片手を顔の前でひらひらさせて、真琴は笑って見せた。
珍しくパリッとした服装の福島が、渋い顔をしているのが見え、友梨は「ひゃあ」と小さく悲鳴をあげ口を噤んで前を向いた。
真琴はそ知らぬふりでまた窓の外に視線を移す。
曇り空の下、健気についた蕾。
去年も同じように窓の外を眺めていたが、気がつかなかった光景。

(千昭、桜が咲くよ?)

そっと心の中で呟きながら、真琴は桜の花が満開だったあの日を思い出していた。

千昭が転校して来た日のことを。

(――満開だった桜が・・・散りだした頃だったよね。
千昭がここに来たのは――)

目つきの悪い、無愛想な転校生。
転校してきて早々に加藤たちと喧嘩していたことを思い出し、真琴は思わず苦笑する。

(福島に紹介される千昭をいきなり「ガラ悪っ!」って言ったんだよね〜・・・)

そんな風に、もう何度も反芻させた記憶を引きずり出し、千昭と功介と3人で過ごした4ヶ月を思い出す。
あんなにキラキラと輝いていた日々はない。
今でも、ひとつひとつの言葉が、息遣いが、鮮明に蘇る。

(・・・でも、千昭、もういないんだ・・・)

ふと、ここしばらく流れることを止めていたものが瞳に集まりだして、真琴は唇を噛み締めた。
気がつけば周囲は皆立ち上がり、ピアノの伴奏が流麗に響きだしている。
顔を上げることができず、真琴は座ったまま俯いて、恐らく怪訝そうな顔で見下ろしている友梨や斜め後ろの功介の視線から逃れるようにぎゅつと目を瞑った。
瞼から溢れてしまった雫が握り締めた手の上に落ち、びくりと体を震わせる。
卒業生を送る歌声が流れ出すと、ついに堪えきれなくなった瞳から、涙がぱたぱたと音を立ててスカートの上に落ち始め、せめて嗚咽だけは洩らすまいと、真琴は奥歯を噛み締めた。





あれほど寒そうだった校庭は、雲を押し退けるように照りだした太陽の光で、暖かく感じられた。
さんざん泣いて瞼を腫らしてしまった真琴は、卒業生を見送るでもなく、中庭に半ば放心したような状態で座り、濡れたタオルを両目にあてていた。

「なんだ?真琴、3年に好きな奴でもいたのか?」

からかうような声は、だけど心配そうな響きが篭っていて真琴はそのままの姿勢で「いないし」と不貞腐れたように唇を尖らせた。
「だよなあ」と笑いを含んだ声が頭上で響き「悪かったね!」と返せば、お決まりの溜め息まで聞こえた。
風が吹きぬけ、正門の方から聞こえるざわめきを運んでくる。

「功介、答辞カッコよかったじゃん。あれは果穂ちゃんも惚れ直すね」
「お前、ぜっんぜん聞いてなかったくせに。見えてんだよ、ちゃんと」
「うわっ、バレたか」

功介は立ったままそんな真琴を見下ろし、苦笑すると空を見上げた。

「・・・真琴、おまえ・・・」

何か言いかけたその背後から、「津田〜、そこに紺野いるかぁ?」と、福島の声が被った。
真琴は目に乗せていたタオルを手に取って、目の前に立つ功介に視線を向ける。
「・・・ひでえ顔」
「うるさい」
顔を顰めた功介に言い返し、真琴は「・・・式の間、そんな目立ってた?」と近づいてくる担任の足音に少し肩を竦める。

「どこいったんだ、あいつは?」

福島の問いかけに、観念したように立ち上がった真琴は「いまーす」と片手をあげて見せた。
突然目の前に現れた真琴に驚いたように立ち止まると、福島は「なんだ〜?お前、3年に好きな奴でもいたのか!?」と、泣き腫らしたと一目でわかる真琴に、地球外生命体でも見るような顔をされる。
「だーかーら、そんな人いないってーの!つーか、そのありえねぇって顔はなんで!?」
同じ言葉を投げられて、真琴がむっとした顔で功介と福島を睨みつけると、二人ともおどけたように肩を竦めてみせた。

「で、こいつがどうかしたんですか?」
功介の言葉に福島は「あ?ああ!」とポケットに手を入れて何かを掴むと「ほら」と真琴にむかって拳を突き出した。

「・・・なに?」
「頼まれてたんだよ、これ渡せって」
「誰に?」
「いいから、はよ手ぇ出せ!」

真琴は不安そうな視線を功介に向け、功介も首を傾げ思案顔で拳を見つめた。
いつまでも手を伸ばせず躊躇っている真琴に業を煮やしたのか「さっさとしねーと捨てちまうぞ!」と声を荒げる福島に「わーった!わーったからっ、捨てないで」と真琴は両手を差し出した。
ごくりと唾を飲み込み、自分の掌をじっと見つめる。
「手間かけさせやがって」とぼやきながら、福島はそっと指を開いていき、真琴の掌にコロンと何かを転がした。

(――――えっ!?)

一瞬、チャージ用のくるみに見えて、真琴は息を飲んだ。
心臓がドキンと跳ねて、束の間動きを止めたように感じる。
目をしばたかせて、もう一度自分の掌を覗き込む。

(・・・あ、なんだ、違う・・・ってか、当たり前だよね、もうないんだから・・・。)

その場にへたり込みたい心境。
ほっとしたような、残念なような複雑な気持ちだった。

(わかってる。あのくるみがもう1つある筈ないって、わかってる。・・・なのに、なんで、こんな寂しくなるの――?)

掌に落とされたのは、学生服のボタンだった。

「・・・学ラン持ってない、けど・・・?」
ぼそりと呟いた真琴に、踵を返して歩き出していた福島は、「間宮のだ」とボタンを落とした掌を顎で杓った。

「千昭?」
「なんで?」

功介と真琴は同時に言って、二人揃ってぽかんと福島を見つめた。
無意識に胸の前でボタンをしっかりと握り締めた真琴の指は、微かに震えている。

「転入してきたばっかの頃、あいつ喧嘩ばっかしてただろ?いつだったか胸倉掴まれてとれたみたいでな。」

どこか懐かしそうに話す福島に、授業の何倍もの熱心さで耳を傾ける真琴に功介は思わず噴出していたが、そんなことにすら真琴は気づいていない様子だ。


『間宮、ボタン、落ちてるぞ!』
喧嘩の仲裁に借り出された福島の足元に転がってきたボタンを拾い上げると、千昭は『あぁ?』と不機嫌そうな顔をあげた。
そうして自分の学ランを掴んで見下ろして『あいつら・・・』と不穏な言葉を吐き出して眉を顰めた。
『んなのいらねーよ』
『いらねえって、お前なー、ちゃんと前閉めてろよ。・・・・おいおい、だってこれ第二ボタンじゃねえか。』
『はあ?』
『第二ボタンってのはな、卒業の時に好きな女にくれてやるもんじゃねえか』


「って、言ったんだけど、あの野郎『関係ねえ』って受け取りもしないで帰りやがって・・・」

福島の言葉に耳を傾けてた真琴と功介は「いつの時代の話ぃ!?」「昭和の古きよき時代だろ」と声をあげて笑い出した。

「お前ら笑いすぎ。」
「だって〜!」
「まあ、待て待て。それで、あいつ真琴にそれやれって言ったの?喧嘩って転校して来たばっかの頃に?」

あいつどんだけだったんだよ!と笑いを堪えるように震えている功介の言葉に、福島は「その時じゃねえぞ、頼まれたのは」と頭を掻いた。
「?」
真琴は首を捻り、掌にあるボタンを見つめた。
「どういう意味っすか?」
功介も不思議そうな声で福島に訊ねる。

「ボタン、そのまま俺が預かってたんだよ。あいつ本当にいらねえとか言ってるから。職員室のデスクに放り込んであってな・・・で、思い出したんだよ。転校するって言いに来たときにさ。」


『ほら、これ、おまえんだろ。最後だからな、持ってけよ』
『・・・』
『なんだ?俺に記念に持っててもらいてえか?』
『・・・それ、』
『?』
『3月になったら、卒業式に真琴にやって』
『はあ?』
『卒業式だよっ!毎年あるんだろ!?』
『あるけど、間宮、あのな』
『だから、そん時に真琴に渡してくれって言ってんだよ!』


「そう言ってあいつ真っ赤になって職員室から出て行ったんだよ」
お前らそういう仲だったんか?

福島はにやりと笑って「とにかく、渡したからな」と呟き「講堂の後片付け手伝えよ!」とぷらぷらと右手を振って、校内に入って行った。
真琴は握り締めていた掌をゆっくりと開いた。
その場に残された真琴と功介は、ただ無言でボタンを見つめていた。

「・・・卒業って」
「・・・まだ俺たち卒業じゃねえし」

しばらくして、2人はぽつりと呟いて顔を見合わせた。

「千昭らしいな」
「千昭らしいよね」

顔を顰め苦笑しながら、真琴はまた涙が込み上げてくるのを感じていた。

("いつの時代?"なんて言ったけど・・・)

功介は穏やかな微笑を浮かべ、ついに流れ落ちた涙を左手で拭う真琴の頭を抱え込んで、ぽんぽんと撫でた。
その力加減は絶妙で、真琴はぎゅっと功介の学ランの裾を掴んで「う〜っっ」と呻き声をあげて泣き出した。

「千昭のやつ、どんだけ真琴のこと好きなんだよ?って感じだよな」
「・・・・・ボタンもらっ・・・て う、うれし、いっ なん・・・て おもわっ・・・・かっ・・・た!」
「素直ってーか、千昭って可愛いとこあるよ、な?」
「ふ・・・え〜ん!」


(ねえ千昭、ちゃんと受け取ったよ。)


真琴は目を閉じて、ボタンを両手で握り締めながら心の中で呟いた。
この気持ちからは、いつまでも卒業できないんだろうと―――予感しながら。



2008,4,3






仲良くさせていただいている、真夏のビビンバ丼さんのお誕生日プレゼントとさせていただきます。
おめでとうです〜!お待たせしてこの内容・・・ちあまこ?という感じですが、う、受け取ってくだされば幸いです。
いえ、返品可です。
・・・って随分前だし、その上時間が丸っと1ヶ月遅れてる内容ですみません><




top

other top