Discount ticket
「遊園地に行きましょう!」
急にそんなことを言われたものだから、三十路前の青年は、少々肩の力が抜けるのを感じて溜め息を吐いた。
どうしても、どうしても会いたいというので、日差しが突き刺さる昼下がりに、貴重な休日に重い足を引きずって、勝手に決められた待ち合わせ場所――駅まで来たのだ。
自分を呼び出した相手――神崎直は、優待券のチケットを握り締め、期待に満ちた目で彼――秋山深一を見上げている。
まるで尻尾でも振っているように思えて、本当に尻尾がついていないか目を凝らしてしまう。
「・・・神崎サン」
「はい」
「遊園地って・・・」
「これ!新聞屋さんがくれたんですよ!ご優待チケット!」
一昨日もらったんです、と誇らしげにチケットを広げてみせる彼女に、秋山は天を仰いだ。
おいおい・・・
ご優待、なんて書いてあるが、たかだか300円ほどの割引券だ。
系列の遊園地の優待券とは、随分お安い。
「新聞なんてとってるの?」
「え?あ、いえ。今までとってなかったんですけど、新聞の勧誘でもらったんですよ!凄いですよね、こんなチケットくれるなんて」
「・・・それだけ?」
「はい?」
なんとなく、その勧誘に訪れた人間の前で、同じように嬉しそうな無防備な顔を見せたであろうこの少女が憎らしく思えてくるから、秋山はまた溜め息が漏れた。
「他にはなんにもくれなかった?例えば洗剤とか。商品券とか。」
「いいえ?”彼氏とデートにでも行ったら?”って、え、あ、いえ、あの、秋山さんは彼氏さんじゃないですけど・・・!」
あ、そう、彼氏じゃないんだ。
真っ赤になって両手を振る少女にそんな言葉が出そうになったが、秋山は少々眉を顰めただけで「それで?」と先へ促した。
ちょっとショックを受けた・・・なんて、気づかせてやらない。
「それで?君、何ヶ月契約したの?新聞なんて読めるんだ?」
まさか半年も契約してないだろうな?
呆れたような口調になるのは、もうこの少女と居るといたしかたない。
すでにオプション設定になっている。
馬鹿にしているとか、そういうものではないのだが、どうも保護者のような気持ちになってしまうのだ。
直は心外です!とばかりに頬をぷうっと膨らませ、拳を握ってみせる。
「物をいただいたんですよ?ちゃんと1年契約しました!」
「いっ!?1年!?」
「それに、お父さんと暮らしてた頃は、ちゃんと新聞とっていたんですよ。
入院とかバタバタしちゃって、その後は購読してませんでしたけど。ちゃんと新聞読めますよ!」
「そうじゃなくて、君ね、」
「あっ、まさか、TV欄しか見てないとか、思ってるんじゃないですか!?」
「うんって、いやいや。」
「チラシとか、活用してるんですよ!?買い物とか・・・!」
「それって新聞読んでるって言わないんじゃ・・・」
「あと、あと、生ゴミ捨てる時、新聞でくるむと夏場とか、匂い対策にもなるんですよ!」
「だから、読んでないん・・・」
「近所のスーパー、卵が1パック50円の日とかあったんですよ。知らなくて、180円の日に買ってました。」
秋山さん、知ってましたか!?
最後はずずいっと秋山に詰め寄って、「今度秋山さんにも買ってきますね!」と、直はどこか得意げに目を輝かせた。
勧誘なんて、ていよく断るか、契約するならなるべくサービスしてもらうもんじゃないのか?
と、いうのが、秋山の考えたことだったのだが・・・直の頭にはそんな言葉はないらしい。
購読契約のサービスには最低ランクになりそうな優待チケットですら「頂いた」に変換されるのだから。
「はいはい、宜しく頼むよ。」
「まかせてください!」
秋山はくすくすと笑いながら、力説して握り締めているチケットを直の手から抜き取ると、皺くちゃになったそれを広げた。
「しかし・・・1年も契約したの?たったこれっぽっちで。」
同じ勧誘員が来たら、3ヶ月契約、洗剤1ダースとビール券10枚(今はもうなくなるんだっけ?)はもらうぞ?
そんな風に考え、まあ、このコには無理かな、と見下ろす。
相変わらずの純粋培養・神崎直の玄関前には【セールスお断り】のステッカーを貼ったほうがいいんじゃないか?と思いながら。
「さぞかし、いいお客だったろうな。神崎直サンは。」
呆れた、と言葉に含まれる響きにようやく気づき、直は視線を指先に落とした。
「だって、でも、秋山さんと遊園地行きたかったし・・・これっぽっち、でも、嬉しかったんです。
・・・もう遊園地なんてずっと行ってないから・・・」
やっぱり、子どもっぽかったかな・・・。
まったく違うことにシュンとうな垂れ、直の漏らした一言に、秋山は苦笑する。
あんまり熱心に会いたいなんて言われたものだから、何かあったのかと不安になりながらここまで来た。
なのに秋山の姿を見つけた直の開口一番が「優待券もらいました!遊園地行きましょう!」だったから、気が抜けたのだ。
チケットをよく見れば、有効期限は明日まで。
これで1年契約なんて、ね。
秋山は自分を見上げる直の視線に、頭をかいた。
「君さ、それ、その上目遣い、それやればもっとサービスしてくれたのに」
『もっとおまけつけて?』って、その目でやれば洗剤くらいは貰えただろうに。
いやいや、こんな顔を他の奴にされたら、それはそれで心配の種が増えるというもので・・・。
「うー・・・」
まだ上目遣いで見つめる直の姿に秋山は両手を上げて降伏のポーズをとる。
「行かない、とは行ってない。」
「え、それじゃあ・・・!」
「迷子になるなよ?」
「はいっ!わー嬉しいな♪」
直は秋山の腕を掴むと、鼻歌交じりに切符売り場に向かう。
やれやれと首を傾げつつ、秋山は嬉しそうな直の笑顔に微笑んだ。
確かに、遊園地なんて久しぶりだ。
でも・・・何もこんな暑い日じゃなくても、なあ。
照りつける太陽を恨めしそうに見上げる秋山を、直はご機嫌で引っ張っていく。
「来年も、更新のお願いに来たら、もらえるかな?」
「・・・とりあえず、その時は『3ヶ月しか契約しない』って言ってみたらいいよ」
「どうしてですか?」
「3ヶ月毎に、割引で遊園地行けるから」
直はどきんとして、秋山を見上げた。
その時は、どんな関係になっている?
もっと・・・近づけている?
割引じゃなくて、割り増しで。
「一年後も、また秋山さんと行きたいな」
小さな呟きは、それでもしっかり秋山に届いて、彼をくすりと笑わせた。
2007,8,23
* おまけ *
「一番いいのは違う新聞を交互にとること。」
「え、どうしてですか?」
「そうすると、サービス多くなるから。」
「どうしてですか?」
「競争の原理。お互いにサービス合戦する」
「・・・なんだか秋山さんって、店先で交渉するおばちゃんのようですね!」
「・・・」
遊園地デート編に続く・・・みたいな?