Joy to the World




「わあっ…」
ソフィーが上げた声は、いつもより少しだけ幼く響いた。
彼女が見下ろす視線の先には、大きな輝くクリスマスツリー。
この町の広場の、本物の樅の木に、電飾やらキラキラ光るボールやらを吊り下げた、この辺のこの季節の名物になっているものだ。
ぼくらはその広場が見下ろせる丘の中腹のパーキングから、そのツリーを眺めていた。
ほんのちょっとのドライブだったのに、ソフィーはその山道で少し酔ってしまったらしい。
どうしてこんなところ走るのよ!とぶつぶつ言っていたけれど、それもこの光景ですっかり忘れてくれたみたいだ。

「ねえ、どうしてあんなもの作るの?」
そう言ってぼくを見上げたソフィーは、すっかりこちら風の格好をしていた。茶のファーのついた白いロングコートに茶のブーツ、コートに隠れて見えない膝丈のスカート、あかがねの髪を覆うのはコートと同じ白の帽子。
そんな衣装にも、最近は慣れてきたらしい。
以前ほど文句も言わず、身に付けてくれるようになった彼女は、あちらにいるときとは別人のように見えて、まるで14、5の子どもみたいにぼくの鼓動を高ならせる。

「あれはクリスマスツリーって言って、こちらではこの季節に飾るのさ。」
「クリスマス?」
「こっちの神様の息子の誕生日。この日を祝って、特別なディナーを食べたり、恋人や家族や友達同士でプレゼントを贈りあったりするのさ、こちらでは。」
そう説明しながら、ふと思う。ぼくが、そんなことをしたのはいったい何年前のことなんだろう。
――インガリーへ行く方法を見つけてから、この季節にこちらにいたことは一度もない。
今年は、ほんの気紛れで――正確に言うなら、またつむじを曲げてしまったソフィーと仲直りをするために、ここに連れ出しただけ。
それはうまく行ったみたいだと胸を撫で下ろしたとき、ソフィーが突然言い出した。
「あの下の広場に行ってみましょうよ!」

ぼくは驚いてソフィーを見下ろす。
「――見てみなよ。あの広場の人だかり!あんた、ああいうの、嫌いだろう?」
折りよくちらちらと雪まで降ってきたせいで、ツリーの周りにはたくさんの人がまるで蟻のように行き来しているのが見える。ソフィーはそういう人込みは嫌うたちだし。
なのに今夜の彼女は違った。
「でも、あれを下から見てみたいわ。あんなものがあるなら、こっちも悪くないわね。」
くるりと回れ右をして、車に向かって歩き出しかけたソフィーをぼくは慌てて引き止める。
「ぼくはここであんたと二人っきり、がいいんだけど。」
「あら、二人っきりじゃなくなりそうよ?」
ソフィーが指差したその先に、こちらに向かってゆっくり走ってくる車のライトが見えた。
まったく!なんて間が悪いやつらなんだ。こんなことなら、あらかじめ結界でも張っておくんだった。
「ああでも、もう少しここで休んでいた方が良くはない?あんた、さっき車に酔ったばかりだろう?」
ソフィーは、体ごとぼくの方に向き直って、小首を傾げた。
「変ね。――あんたもしかして、あそこに行きたくないの?」
「そんなことないよ!ただ、ぼくは……」
「ただ、何よ?」
ソフィーから言わせるとぼくのぬるぬるウナギのような受け答えも、最近ではソフィーの追求をかわすのは難しくなってきていた。
おまけに最近ソフィーはどうしてか機嫌がよくない。顔色を伺えば早くもソフィーは臨戦態勢だ。さっさと白旗を上げた方が無難だろう。

「――実を言うと、ああいう場所は苦手なんだ。」
「あんたが?あんた、五月祭のとき、あれより賑やかな広場をうろついてたじゃない。」
思いっきり信じてなさそうなソフィーの顔から、眼下に広がる光景に目を移す。

「この季節は特別。――ここでは、ぼくはマッチ売りの少女だったんだ。」

ぼくはそうして話し出す。どうせ話すなら、この人のいい奥さんに目いっぱい同情してもらわなきゃならない。
ぼくはソフィーのやさしい慰めを期待しながら、哀れっぽく話した。

ミーガンとの気持ちのこもらないクリスマスカードのやりとり。
ずっとひとりぼっちだった大学の寮。
ここ何年も、クリスマスのないインガリーで過ごしたこの季節。


ぼくが話し終わったあと、ソフィーは少しの間黙っていた。可哀そうなぼくの境遇に、きっと言葉も出ないのに違いない。

「――だから今も、あのツリーのある場所には行けないって言うの?自分がマッチ売りの少女みたいに思えるから?」
しばらくして、そうぽつりと呟いたソフィーの顔は足元を見ていて、ぼくの角度では白い帽子とそれについたふわふわのファーしか見えない。
「まあ、ね。わざわざ昔を思い出すこともない……」
ソフィーはぱっと顔を上げた。そして、辺りにぱん!と高い音が響いた。


「ソ、ソフィー……?」
ぼくは頬を押さえながら情けない声を上げた。それは大した力ではなかったけれど、ソフィーは頬を赤くし、はあはあと肩で息をしていた。

「分かってるわ。あんたがずっとここでひとりだって感じてた、なんてこと。――でも、今も、向こうでも、それは変わらないの?それならあたしはあんたにとって何?いったいどうしたら、あんたはあたしを認めてくれるの?」

ぼくは、突然のソフィーの剣幕に、ただ呆然とソフィーを見つめた。ソフィーは顔を上げて、まっすぐぼくを見ていた。
「ソフィー、なに言って……」

ぼくの目を見つめるソフィーの瞳には、まるでその髪と同じ色の炎が宿っているようだった。
「まだあんたはひとりなの?そうしていつまでもあたしを試してるの?ねえ、どうしたらあたしはあんたに合格点がもらえるの!?」
ぼくはその炎から目が離せないまま、ソフィーの言葉を繰り返した。
「合格点?」
ふっ、とソフィーの瞳の炎が揺らいだような気がした。ぼくから視線を逸らし、ソフィーは呟いた。

「――だから、なのね。」
「ソフィー?」
「だから、子どもはいらない、のね。」

視線を逸らしたソフィーの瞳が、僅かに潤んだような気がして、ぼくは胸を突かれた。
「ソフィー…どうしてそんな……」
「聞いたのよ。レティーに。――こちらでは、その、赤ちゃんが出来ないようにする方法も、あるんでしょう?」
その、聞えるか聞えないかの微かな声に、ぼくははっとした。

「結婚してもう三年も経つのに。どうしてなのかって、ずっと思ってたの。でも、結局、ハウルはずっと考えてたのね。
――あたしたちがだめになったとき、あんたが、あたしが困らないようにって……」
「ソフィー!!」
耐え切れなくなってぼくはソフィーの言葉を遮る。

そんなんじゃない。
そんなつもりで話したんじゃない。ただ、ぼくは、あんたに甘えたかっただけなんだ。

俯いてしまった体を抱きしめる。
「そんなんじゃない、そんなことしてないよ、ソフィー!」
叫びながらぼくは数日前の出来事を思い出した。

その日、散歩中にすれ違った乳母車を振り返って、ソフィーが言い出した。
「可愛いわね、赤ちゃん。」
ぼくはソフィーの肩を抱き寄せて、頬にキスしながら答えた。
「赤ん坊がいたら、きっとあんたはその子に夢中になって、ぼくのことなんか見向きもしないんだろう。ぼくらは当分二人でいたいね。」
ソフィーは何か言いたげにぼくを見上げたけれど、何も言わずまた後ろを振り返った。

ただそれだけのことだったけれど、そう言えばここ何日か、ソフィーは元気がなかった。
なのにぼくは、昨夜もソフィーのご機嫌が斜めなのは、片付けろとうるさくソフィーに言われていた呪いの道具を出しっ放しにしていたせいだと思い込んで。



いつもならぼくに捕まると一度は抵抗してみせるソフィーは、今日は黙ってぼくの言いなりになるように腕の中に収まった。
「どうしたらあんたは満足なの?愛してるって、顔を合わせるたびに言うとか?でも、そんなのあんたが一番信じてないでしょう?」
呟き続けるソフィーの頭に手を回し、コートに押し付ける。口を塞ぐように。

あんたに、そんなことを言わせたかったんじゃない。
考え無しだったのはぼくだ。あんたが、そんなことを考えてるなんて、思ってもみなかった。
子どもが欲しいと思っていなかったのは確かだけれど、それはあんたが考えているような理由じゃなく、ただ、その子が哀れなような気がしたから。
もしぼくと同じような力をその子が持つなら、きっと辛い思いをするのはインガリーでだって同じ。


「だってソフィー、ぼくたちに子どもができたとして、その子がぼくそっくりな子だったら、あんたどうする?」
ソフィーが顔を上げようとしたけれど、ぼくはその頭をまたコートに押し付ける。
「ぼくみたいに、だらしなくて、余計なものをいろいろ買ってきて、身なりばっかり気にするような子だったら?」

あんた、いつもこぼしてるだろう。

「いつもあんたにうるさくまつわりつくくせに、本当のことは何も言わないで、いろんなことから逃げ回るばかりの子だったら?」

ソフィーがぼくの腕の中で身を捩ったけれど、ぼくは手を緩めなかった。

「――いつもどこかあらぬところを見てて、ぶつぶつ独り言を言って、周りを気味悪がらせて、母親に心配かけさせて……」


血のつながった実の姉でさえ、ぼくにはさじを投げた。誰も、本当にぼくを、ぼくだけを必要としてくれる人なんかいなかった。
互いを失えばまた別の誰かが現れる、ただそれだけのこと。




「痛っ!」
ぼくは飛び上がった。ソフィーが唯一自由になる手で、ぼくのわき腹をつねったのだ。

「――どうするって、こうするのよ。」
ぼくから自由になったソフィーは、顔をまっすぐ上げて、ぼくを睨みつけた。
「怒って、それでもだめならひっぱたくわ!」

ぼくは呆然とソフィーを見下ろした。
「いい加減にしてちょうだい。――そんなあんたでも、離れられないから困ってるんじゃない、あたしは。」

ソフィーは手を伸ばして、ぼくの両の手首を、両手でぎゅっと握った。
「そこをあんたに分からせるにはどうしたらいいのかしらね。」
ぼくの耳に、低い呟きがまるでそよ風のように流れてきた。



「――そのままでいて。」
気付くとぼくは体を折り曲げて、ソフィーの耳元で囁いていた。
「ただ、そのままで。ぼくのせいで、いつもいつも、笑って、怒って、泣いていて。」

今までたくさんの女の子が、ぼくの前で笑って、怒って、泣いた。
でもぼくはそんなものを、薄笑いさえ浮かべて、踏みにじってきた。

ぼくは知っていたから。
いつかぼくに見せた笑顔を誰かに向けて、
いつかぼくに怒ったことも、泣いたことも、すべて忘れてしまうことを。

でも、あんただけは。

あんたの笑顔も、怒った顔も、めったに見せない涙も。
全部全部、ぼくから目を逸らさないせいだから。
ぼくだけを見つめてるせいだから。


握られていた手を外して、もう一度ソフィーを抱きしめる。
今まで言えなかった言葉がするりと唇から零れ落ちた。

「――ごめん。ソフィー。」


ソフィーは顔を上げなかった。ぼくのコートに顔を埋めたまま、黙って両腕だけをぼくの背中に回した。

ああ、本当に、ぼくの先見は天下一品だ。
ほら、こんなにぞくぞくする暮らしは、どこを探したって見つかりっこない。

「なんだか、ちょっと早いクリスマスプレゼントをもらったような気分だよ、ソフィー。」
ソフィーはようやく顔を僅かに上げて、ぼくを見た。
「クリスマスプレゼント?」
「そう。さっき言っただろ?こちらではクリスマスに恋人や家族同士、プレゼントを贈りあうんだって。ずっと誰からももらってなかったけど
――今年はなんて素敵なプレゼントをもらえたんだろうな!」

ソフィーはぼくを見つめたまま何かを考えている風だったけど、有頂天になったぼくは構わず続けた。
「ぼくもあんたに何か贈りたいな――ああもちろん、聖夜には可愛いベビーを……」


唐突に、ソフィーが何かに気付いたように頭を上げた。おかげでぼくは唇をしたたかにソフィーの頭に打ちつけるはめになった。
「クリスマスプレゼント?家族で?どうしよう、あたしマリにも義姉さんにも、今まで何もしてないじゃない!どうしてそんな大事なこと、言ってくれないのよ!」
ソフィーが大声を出すからぼくは思わず身を引いた。
ソフィーは構わず、ああ気の利かない義妹だ、なんてミーガンに思われてやしないかしら、前にミーガンに教わったセーターなら、間に合うかもしれない、ニールのは悪いけど編みかけのマイケルの分を回して…などとぶつぶつ独り言を言っている。
「ハウル!クリスマスまであと何日?ああそれより、早く帰りましょう!」
ソフィーはくるりとぼくに背中を向けて、せかせかと車に歩いていった。


「……ソフィー……ツリーは?見に行かないの?」

今ならきっとあのツリーの下に幸せな気持ちで立てると思うのに。

ソフィーはきっと振り返ってきっぱりと言った。
「そんな暇、ないでしょ!帰ってすぐ取り掛からなくちゃ!」
さあ、鍵を開けてちょうだい、と車の助手席のドアに手を掛けながら言うソフィーを見て、ぼくはひとつ溜め息を零した。
「まったく、ムードも何も無い娘さんだね…」

そのとき、ふと、カルシファーの口癖が頭に浮かんだ。

「でもまあ、それでおまえ結構楽しんでるみたいだしな。」



ぼくは車に向かって歩き出しながら、ふふ、と小さく笑った。

――カルシファー、おまえの言う通りだよ。



だから今年は、あのツリーの下に立つのは諦めてあげるけど、でも来年は。
きっとツリーを見に行こう。幸せな人の波に混じって、誰よりも幸せな二人で。


いや、できれば、誰よりも幸せな、――三人で。






end











todoさんが「諸人こぞりて」のお話を読んで、ハウルさんを救済してくださいました^^
なんといいますか、「そうなの!私もこういう風に思ってるんです〜><」ってくらい的確に作ってくださって、胸がじーんときました。
ちなみに、リクエストは「最後までへタレな旦那」(笑)でしたが。
素敵なお話をありがとうございました!



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