押水町ソフトテニス協会
Oshimizu-machi Soft Tennis Association
1 沿革
昭和29年に押水町体育協会が設立された当時から、軟式庭球協会が存在したらしいが詳しいことはわかっていない。途中活動を停止していたが、県体、郡体には出場していた。
現在の押水町ソフトテニス協会は、押水町体育館主催の軟式庭球教室に参加した人たちが作った同好会に端を発している。羽咋市軟式庭球協会から兵部久忠氏、冨賀見悟氏、稲田隆司氏を講師に迎え、軟式庭球教室が開かれたのは、昭和53年のことだ。教室が終了した後も軟式庭球を続けようと若井淳二、中山京子、宮村由美子、酒井茂等を中心に昭和54年に「押水町軟式庭球同好会」が設立された。翌、昭和55年に若井淳二を会長として「押水町軟式庭球協会」が発足した。平成4年に「軟式庭球」の呼び方が「ソフトテニス」と変わったのを機に「押水町ソフトテニス協会」と名称を変更し現在に至っている。
発足当時、たくさんの若いママさん会員が、子どもたちを連れて練習に参加していた。家族ぐるみの付き合いを大切にし、ソフトテニスの練習や各種大会に参加するだけでなく、家庭サービスも兼ねてバス旅行やハイキング、バーベキュー、浜遊びなど会員の親睦を図る行事が数多く行われた。
各種大会にも積極的に参加し、記録の残っている昭和56年から平成14年の間に男子は7回、女子は6回の郡体優勝をしている。また、県体では男女とも3位がベスト成績である。
昭和59年7月29日に行われた口能登ママさん大会では町田外喜江・松田文江組が優勝、昭和62年8月には近岡志緒美・松田文江組が東京で行われた全日本レディス大会に出場、平成13年8月に同大会に2回目の出場を果たしている。
底辺の拡大を目指し昭和55年から中学生の指導、昭和58年からは小学生を対象にジュニア教室を始め、今日まで続いている。中学生では、平成9年8月に北本千里・守田緋里組が北信越中学校ソフトテニス大会で準優勝し、徳島で行われた全国中学生ソフトテニス大会に出場、また、平成10年には小川淳子・大西千明が県体3位となり、北信越中学校ソフトテニス大会に出場した。
平成16年現在で、近岡由裕を会長に29名の会員が活動し、町民大会、協会長杯の主催はもとより郡体、県体など各種大会に積極的に参加している。
2 活動状況等
☆加盟団体
日本ソフトテニス連盟、
石川県ソフトテニス連盟、
押水町体育協会
☆練習日
4月〜11月 毎週 火曜日・金曜日
午後8時〜10時 押水町民テニスコート
12月〜3月 毎週 水曜日
午後7時30分〜9時30分 押水総合体育館
☆主催する競技会
・会長杯争奪戦(年3回)
・町民ソフトテニス大会(10月)
・町民インドアソフトテニス大会(3月)
☆出場する競技会
・石川県民体育大会 ・羽咋郡体育大会 ・全日本レディース大会県予選
・西田・西谷杯 ・上坂杯 ・ママさんクラブ大会
・鳥屋大会 ・加賀健壮大会 ・円角杯
・シニアクラブ対抗小松ドーム大会 ・県OG大会
☆中学生の指導、ジュニアソフトテニス教室(小学生)の指導
☆その他行事等
・総会 ・新年会(忘年会) ・親睦会
3 組織
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会長 |
近岡 由 裕 |
理事長 |
酒井 茂 |
副会長 |
河村 富士樹 |
理事
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北龍 護
松島 直 文
近岡 志緒美
町田 外喜江
松田 文 江
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事務局長 |
松田 昭 宏 |
事務局次長
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松原 志 津
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監事
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秋山 由 助
中村 智恵子
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4 主な大会記録
・昭和59年 7月29日 口能登ママさん大会優勝[町田・松田組]
・昭和62年 8月 全日本レディス大会出場(東京)[近岡・松田組]
・平成13年 8月 全日本レディス大会出場(千葉)[近岡・松田組]
・平成13年10月 全国スポレク大会 出場(三重)[近岡]
・平成9年8月
北信越中学校ソフトテニス大会 準優勝 [北本・守田組]
全国中学生ソフトテニス大会出場 [北本・守田組]
・平成10年8月
石川県中学校ソフトテニス大会3位 [小川・大西組]
北信越中学校ソフトテニス大会出場 [小川・大西組]
平成17年3月1日に押水町と志雄町が合併し、宝達志水町となる。両町のソフトテニス協会もこれを機に統合することになる。押水ソフトテニス協会は25年間のその歴史を閉じ、宝達志水町ソフトテニス協会として新たな第一歩を歩み始めた。
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