交通整理のお巡りさん

中国の旅    河村 富士樹

あなたは番目の訪問者です。
  
 八月二十二日(土)  1987年は、例年に比べて涼しい夏である。午前11時20分、
日本航空1789便にて北京へ向けて小松を飛び立つ。北京までおよそ3時間30分の空の旅であ
る。日本と中国には1時間の時差がある。しかし中国はサマータイムをとっているからこの時期は
時差がない。午後3時北京に着く。気温は25度、どんよりとした空模様で、今にも雨が降りそう
である。飛行機から降りて、かなり古いバスに乗り込み、ターミナルに行く。9番入口に行ったが
鍵がかかっていて入れない。しばらく待たされたが、結局、鍵を持っている空港係官がいないとい
うことで入れず、飛行機のタラップを使って別の入口からはいる。中国に着く早々とんだハプニン
グだ。
 北京は面積17000平方キロメートル、日本の四国と同じくらいの広さである。人口900万
人、上海に次ぐ中国第2の都市である。北京市内に入りまず驚いたのは、人と自転車の多さである。
道路は人と自転車であふれている。街並みは緑化政策により、きれいな並木が整然と連なっている。
解放前の煉瓦や石造りの古い建物が次々壊され、近代的ビルがあちこちに建てられている。北京市
内は住宅が不足しており、国営のアパートを次々と建築中である。現在は古い建物と近代的ビルが
入り混じっているが、10年後にはきっと様変わりしているであろう。一般市民の収入はおよそ
150元、日本円にして約6000円である。物価は日本と比べてかなり安い。2DKのアパート
の家賃は20元、約800円だそうだ。みやげに買ったTシャツは1枚3元、120円である。
人々の服装は日本とあまり変わらず、ハイカラな服を着た女性も多く見られる。人民服の人並みを
予想していたのだが夏のせいかほとんどそれを着ている人はいない。

 午後は天壇公園を見学する。ここには中国の三大建築物があるが、最も有名な円形三層の祈年殿 は、高さ38メートル、直径30メートルあり、梁や釘を1本も使わずに作られた木造建築物であ る。  夜、北京の繁華街、王府井戸を散歩する。1qほどの通りにデパート、市場から専門店まであら ゆる店が軒を連ねている。東風市場では多くの市民が買い物をしている。店員は公務員であり、あ まり商売熱心ではないようだ。こちらから声をかけないかぎり知らん顔をしている。9時半に終業 のベルが鳴るとお客がいても店じまいをしてしまう。客の方も心得ているのか、賑わっていた市場 もさっと人が退いてしまう。  外の通りはもう10時を過ぎているのに多くの人で賑わっている。書店の前で人だかりがしてい るので何かと思ってみてみると、中国の青年たちが観光にきたと思われるアメリカ人を囲んで英会 話の練習をしている。どこの国でも同じだ。東華路におよそ50メートルにわたってたくさんの夜 店が出ている。リヤカーに屋台を組み合わせた店で、写真入りの許可証をぶら下げて商売をしてい る。衣類と飲食の店がほとんどだ。甲高い声で女性が客の呼び込みをしている。煌々と輝く裸電球 に照らされた、その生き生きとした顔が印象的だ。中華料理の脂っこい臭いが漂う中で羊の串焼き を1本(約8円)食べる。

 八月二十三日(日)曇り。朝六時に起きたが、まだ夜は明けていない。サマータイムのため 実際は5時なので暗いのだろう。今日は明の十三陵と万里の長城を見学する。天寿山の麓に明代 十三代の皇帝たちの陵墓がある。中国では生前に自分の墓を築いておくのが歴代王朝の慣わしである。 第十四代神宗万暦帝の陵墓、定陵を見学する。地下27メートルのところに造られた宮殿であり、 中には漢白玉製の玉座や当時のままの棺などが置かれている。万暦帝はこの墓づくりに6年の歳月 と白銀800万両を費やしたそうだ。これは当時の国家財政の2年分に当たる金額だそうだ。  「月から見える唯一の建物」と言われる万里の長城は約6000q、鹿児島から稚内までの距離 の2.5倍あるそうだ。八達嶺へ向かう。往復40分、見た目よりもかなりの急勾配だ。這うよう にして登らねばならないところもある。明の十三陵と同じく、ここも人で一杯である。今、中国 国内でも観光ブームでどこへ行っても観光客で一杯である。曲がりくねった城壁をうごめく人間の 波が、ずっと彼方まで続いている。急ぎ足で人の少ない先の方へ行く。崩れ落ち、雑草の青々とし ている、修復のしてない城壁が、山々を縫うように連なっているのを目の当たりにして、胸打たれ るものがある。  市内へ戻る途中、点在する多数の農家を車窓より見る。郊外の農民の家は、私有のものが多いそ うだ。石を積んでモルタルで固めた家が多い。少し裕福な家は煉瓦造りである。以前は、収穫はす べて国に納め、後から配給がきたそうだ。しかし、それでは労働意欲の減退が見られるので、今で は請負制になり、一定の税金を納めれば、それ以上の収穫はすべて自分のものになる。だから農民 はよく働くし、豊かな農家が多いそうだ。公務員も以前は、よく働く人も怠ける人も同じ収入だっ たが、同じ理由で歩合制をとるように変わってきたそうだ。  



八月二十四日(月)曇りのち晴れ。  今日は最初、北京動物園へ行く。青空の下でパンダがのんびりと遊んでいた。上野動物園のパン ダは、冷暖房完備のガラス張りの檻の中でかわいそうな気がした。続いて頤和園、天安門、 故宮(紫禁城)を見学する。よくテレビのニュースで見る天安門前の広場は、40万人の集会が開 けるそうでほんとうに広いところだ。赤いベンガラ色の城壁、白大理石の欄干、そして黄瑠璃瓦の 楼閣と色鮮やかな門は、まさしく中国のシンボルである。最近見た映画「ラスト・エンペラー」に でてくる紫禁城は、壮大なものである。中国に現存する古代建築の中で最大の規模をもち、最も完 全な姿を留めるものである。内廷には、かつて10万人の人々が生活していたそうである。  夕方6時25分、南京に向けて北京空港を飛び立つ。ところが悪天候のため南京空港に着陸できず、 8時15分、安薇省の合肥に降りる。合肥は三国時代、呉の孫権が攻め込んだとき、魏の曹操の部下、 張遼が八百人の兵で十万の軍勢を相手に勝利を収めたという古戦場のあるところだ。思いがけず三国 志でなじみ深い名所に来ることになった。 夜、10時まで空港で待機したが天候が回復せず、合肥 でホテルをとることになる。10時30分、空港バスで土砂降りの雨の中を街に向かう。窓がきちん と閉まらず、雨の吹き込むバスで、真っ暗な田舎道を走る。15分ほど走ると裸電球の輝く民家がポ ツポツと道路沿いに見えてきた。薄暗い家の中で人の影が動いて見える。どの農家も1戸に電球は1 個しかない。さらに30分ほど走りようやく街に着く。ホテルは今までと違い外国人専用ではないの でかなり設備もおちる。荷物は飛行機から持ち出せないため着替えもなく、汗くさいまま我慢せざる を得ない。とにかく天候のせいとはいえ、ひどいことになった。明日晴れることを祈るしかない。  

八月二十五日(火)、6時のモーニングコールで目が覚める。外はまだ雨が降っているが、 少し小降りになったようだ。空港で、一般の中国人の客といっしょに朝食を食べる。大釜にお粥がは いっており、大きな柄杓で自分でよそう。おも湯みたいで米粒が少ない。これが普通の中国人の朝食 だそうだ。8時フライトの予定だが遅れる。空港の女子職員がお茶のサービスにくる。コップにお茶 の葉が入っていて、そこにお湯を注ぎ、葉が底に沈むのを待って飲む。  飛行機は30分遅れて離陸。南京には9時25分に到着する。南京も小雨が降っている。緑が多く、 並木がきれいな街だ。午前中、南京の成賢小学校を訪れる。教師40人、生徒1000人、20クラ スの学校である。学校長はウーさんという女の先生である。科目は日本とあまり変わらないが、労働 という科目があり、田舎へ行って働くそうである。中国の教育制度は、6・3・3・4制で最初の9 年間は義務教育となっている。しかしあまり普及していないそうだ。6・3・3までは有料、大学の 4年間は無料である。しかし大学を卒業したら必ず国家公務員にならなければならず、職業は国によ って決められる。我々のガイドさんも大学を出てから、最初高校の理科の教師になったが、日本語を 勉強していたので国からガイドになるように言われ、転職したそうだ。しかし最近のニュースで、大 学を出ても必ずしも国家公務員にならなくてもよく、自由に職業を選べるようになったと言っていた。 教員はすべて国家公務員で、中学以上の教師は大学卒業の資格がいる。小学校の教師は専門学校卒で もなれるそうだ。  南京では、玄武湖公園と世界一長い長江大橋を見学する。午後2時、南京駅より汽車で蘇州に向か う。駅には外国人専用の入り口と待合室があり、一般人と分けられている。一般人の待合室はとても 大きく、1000人ぐらいの人々が床に座って汽車を待っていた。外国人専用車両に乗せられ約4時 間かかって蘇州に着いた。夕方6時だというのに気温は30度もあり、とても暑かった。  

八月二十六日(水)、晴れ気温36度。中国も南の方へくると、とても暑い。朝6時に起き、 カメラをもってホテルから出る。一歩出るともう汗がにじんでくる。カメラのレンズも曇ってしまい、 しばらく使えない。路地からは朝餉の支度の煙や湯気が立ちのぼっている。蘇州は「東洋のベニス」 とも呼ばれ、街の内外には水路が張り巡らされている。その水路に沿って石造りの家々が長屋のよう に連なっている。とにかく蘇州は蒸し暑く、現地の人々も家の外に椅子を持ち出し涼んでいる。7時 頃にはもう自転車で通勤する人々で、通りは一杯である。蘇州の人々の1ヶ月の平均収入は100元 (4千円)で北京より低い。しかしアパートの家賃も10元(400円)と安い。カラーテレビ 1500元(6万円)、白黒テレビ500元(2万円)、洗濯機400元(1万6千円)扇風機40 元(1600円)と電気製品は高価である。  寒山寺は日本で有名であるが、中国ではそれほどでもない。「楓橋夜泊」に詠まれている鐘は小さ なものだ。狭い鐘楼を登り、鐘をついてみる。  約千年前に建てられた八角七層の虎丘斜塔は煉瓦造りの塔で東南に15度ほど傾いている。地震国 日本ではとてももたないだろう。  蘇州では、両面刺繍、絹織物、玉彫などの工場をいくつか見学する。表裏どちらから見ても同じ図 柄が現れてくる両面刺繍は見事なものだ。ふっくらとした毛の感じが見事な猫の図柄と細い線までく っきりとあらわれる金魚の図柄が有名である。夕方5時15分、白い壁、黒い屋根を特徴とする蘇州 の駅を出発して上海に向かう。車内の気温は35度、車両は軟座車といい、昔の一等車にあたる。上 海まで1時間15分の汽車の旅。一般人の硬座車は満席ですし詰めだ。何か後ろめたい気がする。  

八月二十七日(木)、晴れ。上海も人、人、人の渦である。24時間都市といわれる上海は、 真夜中でも多くの人が出歩いている。下が店で上が住宅になっている下駄履き住宅の前では、蒸し暑 いので家の前に椅子を持ち出し、くつろいでいる人がいる。上海では玉仏寺が印象的であった。白玉 の座像と臥像があるが、白い滑らかな肌が美しい。特に座像の微笑みが何とも優しく、見ている人の 心をなごませる。すべての罪を許し、何ものをも受け入れる優しさを感じる。中国の人たちには、 我々日本人がなくした何かが残っているように感じる。元気に働けること、家族や仲間が幸せに生き ていけることに喜びを感じている。自然と共に、土と共に生きることが人間の幸せのような気がする。 文明は生活を楽にしてくれたが、土と共に生きる喜びを忘れさせたのではないだろうか。大地、これ こそが人間の源なのかもしれない。

写真編は次のページです。Next のボタンをクリックしてください。 TRAVELS IN CHINA