横浜バンドとは・・・
横浜バンドは、バラ、ヘボン(ヘボン式のヘボン、ヘップバーン)、ブラウン、フルベッキらの長老・改革派(カルバン派)系の宣教師たちの影響をうけた押川方義(まさよし)らによって形成された。
1872(明治5)年2月(旧正月)、宣教師たちが、新年の初週祈祷会を開いたとき、宣教師たちが祈っている姿にうたれたバラ塾の学生たち30人あまりが祈祷会を始めた。これに、ブラウン塾の学生たちも加わり、予定の1週間を過ぎても祈祷会は終わらず、数十日にも及び、リバイバルが起こった。
その年に、受洗した者をも加えた11人で、日本基督公会が設立された。日本最初のプロテスタント教会である横浜海岸教会がたてられた。この教会はやがて日本基督教会(1890年設立)へと発展し、その後太平洋戦争時にいたるまで、日本における改革派運動の主流となった。横浜バンドからは、日本のプロテスタント神学の形成に中心的な役割をはたす植村正久や、のちにメソディスト運動の指導者となる本多庸一などがでた。