全き聖潔(きよめ)

  私たちは、全き聖潔(きよめ)とは新生の後になされる神のみ業であり、それによって信徒は原罪すなわち堕罪性から自由にされ、神への全き献身の状態に導き入れられ、愛による聖なる服従が全うされることを信じる。これは聖霊のバプテスマによってなされ、罪から心がきよめられ、聖霊の絶えざる内住により信仰者の生活と奉仕に力が注がれる経験である。
  全き聖潔(きよめ)は、イエスの血によって備えられ、全き献身の後に信仰によって瞬間的になされるものであり、聖霊はこの恵みの業と状態とに対して証しされる。
  この経験は、また、異なった面を表わすいろいろな名称、すなわち、「キリスト者の完全」「全き愛」「心の純潔」「聖霊のバプテスマ」「祝福の満たし」「キリスト者の聖化」などによって知られている。
  私たちは、きよい心と成熟した品性との間に明確な区別があることを信じる。前者は瞬間的に得られる全き聖潔(きよめ)の結果であるが、後者は恵みのうちに成長する結果として得られるものである。
  私たちは、全き聖潔(きよめ)は恵みのうちに成長しようとする強い願いをもっているものであることを信じる。しかし、この強い願いは意識的に養成されなければならない。キリストに似た品性、人格へと霊的に成長するために必要な条件と過程には細心の注意が払われなければならない。そのような意図的な努力なしにはその者の証しは損なわれ、恵みも無駄になり、ついには失われる結果となる。

 〈注〉全き聖潔(きよめ)は、全き献身をした後に、信仰によって瞬間的になし遂げられるものであるが、この恵みを受けるときの条件である信仰と服従を保持することによって、言い換えると、不断にイエス・キリストから聖潔と力とを受け続けて行くことにより恵みのうちに成長することができる。