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2006年(平成18年厚生労働省)調べによると日本人の平均寿命は、男性79歳、女性85歳です。勿論世界第一位です。 現在その平均年齢に近い方々は、戦中戦後の激動の中を歩んでこられた方々です。今こうして私達が、このような平和な生活が与えられているのはひとえにそうした方々の、血と汗と涙無くしてはあり得ないのです。 どのようなねぎらいの言葉も、意を尽くすことは出来ないと思います。にもかかわらず、現実の社会は何と冷たく、こうした方々の老後の安らぎを奪い取る様なことになってしまっているのでしょうか。ここで政治のことを語ろうとは思いませんが、何とも情けない思いでいっぱいです。 どうも年の話しをすると、暗い方向へと行ってしまいますね。 ところで、先程お読み頂きました創世記5章を読みますと、驚くべき数字が記されています。アダムは930年生きた(5:5)。セツは912年(8)。エノシュは905年(11)。そしてエノクは、5章に記されている人々の中では一番短命でした。とは言いましても365歳でした。 神様がこの地球を創造なさった時、人が最も住みやすい環境にお造りになられました。しかも、アダムが神様に逆らい罪に陥った結果、死が入り込んだと言っています。ですから神様の創造された世界は、そもそも人が長生きできる環境にあったのです。病原菌などありませんでした。 この事については、色々な解釈が成されてきましたが、ここではこのくらいに止めておきましょう。しかし聖書に目を向けますと、930年生きて死んだ。 912年生きて死んだ。905年生きて死んだ。と記されています。どんなに長生きできる環境が整っていたとしても、人は皆死を免れることは出来ないのです。 |
わたしの父は、73・4歳の時に危篤に陥りましたが、主の憐れみによって立ち上がらせて頂きました。そして80歳の時に再び危篤に陥り、呼吸も停止しましたが、6分後に息を吹き返し更に6年生かされ、86歳で召されました。やはり戦中戦後の激動の中を歩んできましたが、そのイエス様と共に歩んだ人生の最期は、神様の祝福の中にあったと思います。 さて、気になるのはエノクです。彼は5章の中では一番短命でしたが、他の人々とはちょっと違います。他の人は皆「死んだ・死んだ」と記されているのに、エノクだけは「神が彼を取られたので、彼はいなくなった」と記されています。実はここには、既に「永遠の命」の思想が表されていると言われています。しかもそこには一つの条件が記されています。それは、22節と24節に「エノクは神と共に歩んだ。」と記されているこの事です。「死」は罪の結果受けなければならない呪いとして捕らえられています。ところが、エノクは神様と共に歩んだので、死んでも生きたのです。新約聖書の光から見ると、イエス様が「私を信じる者は、たとえ死んでも生きるのです。」(ヨハネの福音書11:25)と言われた永遠のいのちの約束です。 たとえどんなに辛い、激動の中にあったとしても、神様と共に歩む人生は、祝福された人生であると信じましょう。喜べない時もあるでしょう、しかしだからこそ、主を信頼して見上げるのです。そこには必ず、この世が与える平安ではない、主から来る平安が与えられるのです。そして主イエス様はこう約束しておられます。「あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなた方をわたしのもとに迎えます。私のいるところに、あなたがたもおらせるためです。」(ヨハネの福音書14:3)と。 私達もいつか「神が取られる」その時を迎えます。でも生かされてある、この日、主と共にある一日一日は祝福の日々であることをも覚えたいものです。 |