牧師室'23.7

 ◎ 2023.7 ◎ 

「何のために生きる」
キリストはすべての人のために死なれました。
それは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、
自分のために死んでよみがえった方のために生きるためです。
(新約聖書 コリント人への手紙第二 5:15)
      

  「野に咲く百合の花は/み神の命のままに/だれも見ていなくても/きれいに粧うでしょう Ο 青空とぶ小鳥は/み神の命のままに/だれもきいていなくても/きれいに歌うでしょう Ο 明日(あした)は明日のこと/この日を大事にして/だれも見ていなくても/つとめに励みましょう Ο 夕焼けのもえるころは/百合の花も小鳥も/ひと日の業を終えて/静かにいのるでしょう Ο み神のむねのなかに/全てをゆだねきって/心からささげましょう/感謝の祈りを。」
(ゴスペルフォーク 友よ歌おう 第一集改訂版 24)
  長い引用になりましたが、わたしはこの歌が大好きです。
  一日の業(仕事)を終えて祈るとき、ふと思い出し口ずさむことがよくあります。
  私たちは生まれてきて生きている間、いえ、生かされている間色々なことに出会い、喜んだり悲しんだり、痛んだり苦しんだりしながら日々生活しています。
  「何のために生きているのだろう?」と思うこともあるのです。
  そんな時にこそこの歌は私に慰めと勇気を与えてくれるのです。
  野に咲く百合の花も、空とぶ小鳥も、たとえだれも見ていなくてもきいていなくても、一日一日を精一杯生きている、そんな姿に感動を覚える。そう、それこそが彼らの生きている素敵な意味なのです。
  イエス様は言われました。「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。それでも、あなたがたの天の父は養っていてくださいます。・・・野の花がどうして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。・・・今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。・・・」(マタイの福音書 6:26〜30)と。
  神様はすべての物を、それぞれに相応しい役割を与え創造されました。
  そして、私たち人間が、空の鳥や野の花のように、自分らしくいきいきと生きるためには、自分が何者かを知ることです。
  最初に記しました聖書のことば
  「キリストはすべての人のために死なれました。それは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためです。」(コリント人への手紙第二 5:15)とあります。
  「すべての人」とありますから、貴方も、私もその中に含まれています。キリスト・イエス様は貴方のため、私のために死なれたのです。
  人は皆罪の中に生まれたので、その行き着く先は滅びです。そんな私たちのために、滅びから永遠のいのちへと導くためにイエス様は十字架にかけられ貴方の、私の身代わりとなって死なれたのです。
  ですから、私たちは滅びから永遠のいのちの希望へと生きる喜びを与えられた者であるという事を知らなければならないのです。
  そのことを知ったなら、信じたなら、空とぶ鳥のように、野に咲く花のように、自分らしくいきいきと生きることができるのです。
  そしてこう言っています。「それは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためです。」と言っています。
  イエス様は死んだけれども甦られたのです。それは、私たちがどう生きるべきかをご自身のいのちを通してすべての人に示されたのです。
  イエス様が私たちのためにいのちを捨ててくださったように、イエス様に自らを献げるのです。それはどういうことでしょうか。
  マザーテレサはこう言いました。「私は、貧しい人の内にキリストを見た。」と。そして、彼女は、最も貧しい人のためにその生涯をささげました。イエス様もこう言っておられます。
  ・・・『まことに、あなたがたに言います。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。』(マタイの福音書 25:40 )と。
  「人」と言う字は、人と人とが支え合って生きている存在であることを表していると言われます。
  人は一人では生きられない存在なのです。誰かの助けが必要なのです。それが自分自身を知ることであり、「自分は何のために生きているのか」と言う問いに対する答えであると言えるのです。
  貴方のため、私のためにいのちを捨てるほどに愛してくださったイエス様は死なれたけれども、甦られ今も生きておられるのです。
  「なんのために」それは、貴方が私が自分らしく生きるためにです。自分らしく生きるとは「人」として互いに支え合い、生かされている喜びを分かち合う事ではないでしょうか。「ひと日の業を終えて 心からささげましょう 感謝の祈りを」