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5月を迎えた頃から、教会の前の公園には、様々な花が咲き誇り、見る者の心を楽しませ、とても平和な心を与えてくれています。 けれども、安全・安心・平和といわれていた日本に、黒い雲が覆い始めているように思います。 連日目に飛び込んでくるのは、心痛む事件、事故、災害等々・・・。加えて軍事力増強のために莫大な予算が組まれようとしています。防衛のためにとは言いますが、武器を持つということは、攻撃に繋がることは間違いありません。ロシア、ウクライナの戦争が火を見るより明らかなことを示しています。なんと愚かなことでしょうか。 しかし、どのような状況に置かれようと失ってはならないのは、平和を追い求める心です。広島においてG7サミットが行われる大きな意味は「世界平和」に対する心が共有されることにあるのではないかと思わされます。 いつの時代も、経済的なこと、肉体の健康のこと、死に対する恐れ等々、人の心にはいつも不安が付きまとっています。そんな私たちに、イエス様は言われました。 「わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。」(ヨハネの福音書14:27) 実は、この14章の前のヨハネの福音書13章の1節にこう記されています。 「13:1 さて、過越の祭りの前のこと、イエスは、この世を去って父のみもとに行く、ご自分の時が来たことを知っておられた。そして、世にいるご自分の者たちを愛してきたイエスは、彼らを最後まで愛された。」と。イエス様は「この世を去って」つまり十字架の死が迫っていることを知っておられたと言うことです。そのことを、最後の晩餐の席で弟子たちに話されました。当然のことながら、弟子たちの内に恐れが生じました。イエス様が「わたしが行くところに、あなた方は来ることができません。」(13:33)と言われると「主よ。どこにお出でになるのですか。」(36)と、動揺を抑えることができません。 そんな弟子たちに向かってイエス様は「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」(14:1)と言われました。 |
イエス様も地上においては、私たちと同じ肉体を持って歩まれ、私たちが感じる痛み、悲しみ、恐れを経験なさいました。けれどもその全てのことが、イエス様を地上にお遣わしになった父なる神様の御心であることを100%信じ、信頼して従われたのです。 ですからイエス様は、弟子たちそして私たちの不安、動揺をよく知っておられるのです。だからこそイエス様は言われるのです。 「わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。」(14:27)と。イエス様の平安とは、父なる神様への全き信頼です。その平安を私たちに与える、と断言しておられるのです。 私たちのために、十字架の上で命をお捨てになったイエス様は、三日目に甦られ、天の父なる神様の許へお帰りになり、私たちがイエス様を信じイエス様が与えてくださった平安の中を歩み続けることができるようにと、助け主なる聖霊様をお遣わしになられたのです。 「そしてわたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。」(14:16) 父なる神様はイエス様の十字架と復活を通して、神様がお持ちであったご計画を成し遂げてくださったのです。 そのご計画とは、エレミヤ書29:11にこう記されています。 「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──主のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」 イエス様の十字架の死により罪赦されたことを信じる平安。三日目に甦られ、主と同じ永遠の命に変えられるという希望を持って生きる平安。 この平安は世の何物をもってしても与えることはできないのです。「神を信じ、またわたしを信じなさい。」と言われた主イエス様は、不安と恐れのため身を隠している弟子たちに、甦りの姿を現され言われました.「平安があなたがたにあるように。」(ヨハネの福音書20:19)と。 あなたの上にイエス様が与えてくださった平安がありますように! |