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「神様の約束は必ず成る」
1:2 ──この福音は、神がご自分の預言者たちを通して、
聖書にあらかじめ約束されたもので、
1:3 御子に関するものです。
(新約聖書 ローマ人への手紙 1:2〜3a)
イエス様が弟子たちにお話をなさった中で、このようなことを言われました。 「このことを知っておきなさい。もしも家の主人が、泥棒の来る時間を知っていたら、自分の家に押し入るのを許さないでしょう。」(ルカの福音書12:39)と。 イエス様はどうしてこのような当たり前のようなことを話されたのでしょうか。 この12章を見てみますと、小さな弱い私たちですけれども、神様にとっては価値ある存在であると言っておられます。 ルカ12:24「烏のことをよく考えなさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、納屋も倉もありません。それでも、神は養っていてくださいます。あなたがたには、その鳥よりも、どんなに大きな価値があることでしょう。」と言っておられます。どちらかというと、嫌われ者の代表格のような烏を引き合いにして、罪の中にまみれているような私のような者でも、神様は、価値があると言って下さっているのです。 そのことを、言葉だけではなく身をもってお示し下さったのが、イエス様の十字架です。 十字架の上で血を流し、命を捨てるほどに価値ある存在だと言って下さっているのです。 パウロはそのことをローマ人への手紙 5:8でこう言い表しています。「しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。」と。 そして、死なれただけではなく、三日目に甦られ天の父なる神様の許へお帰りになり、私たちのために天の住まいを用意して下さると言っておられるのです。イエス様が死を打ち破って甦られたのと同じ栄光の姿に私たちを変えて下さるのです。 コリント人への第二 3:18には、 「私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」とある通りです。 さて、イエス様が泥棒の話をなさったすぐあとのルカ12:40に「あなたがたも用心していなさい。人の子は、思いがけない時に来るのです。」といわれました。父なる神様の許へお帰り成ったイエス様は、再び世に来られるのです。しかも、「思いがけないときに」です。 |
いつ来るかは分からないけれども、イエス様は必ず来ると、あらかじめお話になったのです。 そして、イエス様が言われたことは間違いなく必ず実現するのです。 さてさて、だいぶ廻り道をしましたが、ローマ人への手紙1章2節〜3節aに「2この福音は、神がご自分の預言者たちを通して、聖書にあらかじめ約束されたもので、3 御子に関するものです。」とあります。「聖書にあらかじめ約束されたもの」とは、神の言葉です。 聖書すなわち旧約聖書において語られた約束の言葉、メシヤ・救い主の到来です。そして聖書はこれを「福音」と言っています。 神様が約束されたイエス様が世に来られたという事実こそが「福音」なのです。3節に「御子に関するものです。」とありますが、イエス様が世にあって成し遂げられた父なる神様の御心です。 それは、「しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。」とありましたが、十字架の死をもって、罪人である私たちのために、神様の愛を与えるためでした。 「43:4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だから、わたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにする。」と預言者イザヤと通してあらかじめ約束された神様は、イエス様の十字架と復活を通して、成し遂げて下さったのです。そしてイエス様が「人の子は、思いがけない時に来る」と言われた「神様の約束は必ず成る」 と信じるのです。 御使いが処女マリアに「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれます。」(ルカ 1:35)との言葉に、マリアは「ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」(ルカ 1:38)と答えました。 「主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は、幸いです。」(ルカ1:45)。聖書を通してあらかじめ語られていることは、必ず成し遂げられるのです。 主は「思いがけないときに」来られるのです。 |